≪次月 4月(2022)礼拝説教要旨 前月≫

2022. 4. 24  復活節第2主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。

    (ヨハネによる福音書20章19~20節)

 

「あなたがたに平和があるように」  深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。

               (ヨハネによる福音書20章19~20節)

 

        「あなたがたに平和があるように」      深見 祥弘

 今朝は、久しぶりに教会員と教会に連なる皆様全員で礼拝を守ることができて、うれしいことです。コロナが終息し、このように皆で礼拝をすることができる日の来ることを、心待ちにしております。

 一年ほど前のことです。朝、教会の入口に、十字架のイエスを描いた十字架状のものが紙袋に入れて置いてありました。それは木製の大小二つで、凹凸のある十字架の形をし、金色で塗られ、そこに十字架に架けられたイエスと、神と天使、そして弟子たちが描かれていました。これを見て、東方正教会で用いられる「イコン」の一種ではと思いました。正教会の信徒は、朝夕、祭壇(イコンがある)にローソクを灯し、乳香を燻らせ、朝の祈祷文、暮れの祈祷文によって祈りをささげると聞いたことがあります。これは、その祭壇に飾られていたもので、何らかの理由で、これを手放すことにし、教派の違いも分からずに、教会の入口に置いて行かれたのだと思います。しかし、突然に来て下さった十字架のイエス、祈りに用いられた「イコン」ですから、置いていかれた方が、再び取りに来られることを願いつつ、一つは牧師室に、一つは牧師館に飾り、お預かりをしています。

 

 今朝のみ言葉は、ヨハネによる福音書20章19~31節です。この箇所は復活のイエスが弟子たちのところに現れたことを書いています。

イエスが復活された日の夕方のことです。弟子たちは、イエスを十字架にかけたユダヤ人を恐れ、家の戸に鍵をかけて、閉じこもっておりました。そこに復活のイエスが来られ、彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と挨拶をし、十字架で傷ついた手とわき腹をお見せになられました。主を見て喜ぶ弟子たちに、イエスは再び「あなたがたに平和があるように」と言い、「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」と言われました。そう言ってから、彼らに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」と言われました。

 弟子たちは、ユダヤ人の迫害を恐れて閉じこもっていたと言いました。同時に、弟子たちは、自分たちの傷を覆い隠し、癒すために閉じこもっていました。その傷とは、大祭司の中庭でペトロが3回もイエスを「知らない」と言って裏切ったことで負うたものであり、弟子たちがイエスを見捨てて逃げ出したときに負うたものでした。復活のイエスは、そのような弟子たちに御自分の傷をお見せになられ、その傷を覆い隠して癒すのではなく、傷を人々に明らかにすることで癒すようにと促されたのです。 

 ローマの人々にとって神は、完全な存在です。軍神マルスは、美しい青年で、その体には傷がありません。ローマの平和は、この軍神マルスによって守られており、ローマ総督ピラトやローマの兵士たちは、傷を負ったイエスを平和の神と信じることができませんでした。しかし、誰よりもイエスの傷を見たローマの百人隊長は「本当に、この人は神の子であった」(マルコ15:39)と告白いたしました。

 弟子たちと百人隊長は、「傷を負う神」に何を見出したのでしょうか。

まず「傷を負う神イエス」は、同じように傷を負う人々のところに来て下さいました。墓を破り、鍵のかかった戸を通り抜けて来て下さり、真の平和の神がここにいると語りかけます。次に「傷を負う神イエス」は、傷を負うた人々に、その傷をお見せになられます。人々が主の傷を見たとき、彼らの傷がひどく痛んだことでしょう。しかし同時に、主御自身が十字架で傷を負われたことにより、その痛みを、主がお解かり下さっていること、そして彼らに対する愛と赦しを知ることができました。さらに「傷を負う神イエス」は、人々に息を吹きかけて癒し、同じように痛みを抱えて閉じこもっている人々のところに彼らを遣わします。彼らが、主によって癒された傷跡を示し、愛と赦しの主がおられることを証するためです。そのことを書いているのが、24節からのトマスの話です。

 

 復活の主が弟子たちのところに来られた時、そこにトマスはいませんでした。弟子たちが、彼に「わたしたちは主を見た」と言うと、彼は「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と答えました。

 8日後のことです。この日も弟子たちは閉じこもり、そこにトマスもいました。復活の主が再び来て「あなたがたに平和があるように」と挨拶し、トマスに「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と声をかけました。トマスが「わたしの主、わたしの神よ」と答えると、主は「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」と言われました。

 復活の主が弟子たちに現れた時、そこにいなかったトマスとは、「後の時代の教会の人々」をあらわしています。それゆえにイエスの復活は、本当かと疑い深いのです。しかし、復活の主は、場所や時代の隔てを打ち破り、一つの家に集まる人々のところに来てくださり、「あなたがたに平和があるように」と呼びかけてくださいます。さらに信じることのできない人にその傷を示し、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。」と声をかけ、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」「見ないのに信じる人は、幸いである」と、信仰へと導いてくださいます。また、主がそこにおられなくても、あなたと一緒にいる弟子たちや兄弟姉妹の癒された傷跡を見るならば、そこに主イエスの十字架による愛と赦しを見ることができるのです。弟子たちは家の戸を開き、自らの癒された傷跡を示すことで、愛と赦しの福音、平和の福音を伝えるものになりました。

 この記事を読んで、すばらしいなあと思うことがありました。弟子たちは、主より息を吹きかけていただき、癒されて遣わされます。でも彼らは、この時、トマスを残して出発をしませんでした。弟子たちは、「わたしたちは主を見ました」と語り、癒された傷跡を示して証をしながら、復活の主がトマスのところに来て下さるのを待っていたのです。復活の主は、弟子たちを、まずトマスのところに遣わしたのです。

 

 わたしのところに来てくださったキリスト(イコン)は、その手のひらと足の甲、そしてわき腹から血を流しています。改めてこの傷ついたキリストを見たとき、キリストが、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言っておられるようでした。そして、わたしの傷を癒し赦してくださり、「聖霊を受けなさい」と言って息を吹きかけ、宣教へと送り出していただけるように思いました。

 今日は、この後、教会総会を開催いたします。コロナ禍にあって、傷ついているところも多々ありますが、すべての障壁を打ち破って来てくださった復活の主に癒され、その傷跡を示しつつ、聖霊をいただいて愛と赦しの福音、平和の福音を力強く証ししてゆきましょう。 

2022. 4. 17  イースター礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、

だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

     (マルコによる福音書16章8節)

  「主は復活された」   深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、

だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

                  (マルコによる福音書16章8節)

            「主は復活された」       深見 祥弘

 イースター、おめでとうございます。 3月2日(水)に始まった受難節(レント)が終わり、この日、主の復活を共にお祝いできることを感謝いたします。もう一つうれしいお知らせをいたします。週報にも報告をしていますが、本日、日本基督教団京都教区センター伝道所(上京区一条通室町西入・岸本兵一牧師)の開所式礼拝が午後5時から行われます。2014年5月教区総会は、京都教区センター教会の設立を決議いたしました。この教会の活動基本理念は、「既存の教会像に制約されない柔軟性・ゆるさを大切にし、社会的少数者を排除せず共に歩む」ことです。8年前の総会決議後、月に一度、教区センターの礼拝室で、京都市内の教会牧師や信徒を中心に、およそ20名の方々が礼拝を守ってきました。2021年5月教区総会は、京都教区センター伝道所開所を決議し、2022年3月、日本基督教団に伝道所開設承認申請書を提出し、開所のはこびとなりました。

 

 今朝のみ言葉は、マルコによる福音書16章、主の復活が書かれている箇所です。十字架に架かられたイエスは、金曜日の午後3時に息をひきとりました。イエスの遺体は、安息日である土曜日が迫る中(日没から始まる)、アリマタヤ出身の議員ヨセフにひきとられました。安息日に入ると様々な働きが制約され、埋葬もできません。ヨセフは、十字架から降ろしたイエスの体を亜麻布で巻き、急いで岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入口に石を転がしておきました。そして、この様子をマグダラのマリアとヨセの母マリアが、見ておりました。

 安息日が終わると(土曜日の日没)、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア(クロパの妻であり、小ヤコブとヨセの母)そしてサロメ(ゼベダイの子ヤコブとヨセフの母)は、イエスの遺体に塗る良い香りのする油を買いました。そして、週の初めの日(日曜日)の朝早くに、彼女たちはこれを持って墓に出かけました。途中、彼女たちは、墓の入り口をふさいでいる非常に大きな石を、だれが転がしてくれるだろうかと話しながら、墓に向かいました。

彼女たちが墓に到着し、目を上げて見ると、墓の入口をふさいでいた石は、すでにころがしてありました。彼女たちが、だれがそうしたのだろうかと思いながら墓の中に入ると、白くて長い衣を着た若者が右手に座っていたので、ひどく驚きました。この若者が言いました。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」 婦人たちは、震え上がり、正気を失い、墓から逃げ去りました。その後、恐ろしかったので、だれにも何も言いませんでした。

 

 マルコによる福音書は、16章8節「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」で終わっています。あまりにも唐突な終わり方なので、後に二つの結びが加えられました。〔 〕が付けられている16章9~20節aが結びの一、 20節bが結びの二です。

なぜ、このような終わり方なのか。結びを加えた人(教会)は、後の部分を紛失してしまったと考え、他の福音書の復活記事を参考にして書き加えました。しかし他方では、紛失したのではなく、マルコ福音書の記者が、16章8節で終わりとしたのだと考えた人もいました。女性たちは、墓で白くて長い衣を着た若者(天使)から、イエスの復活を聞いたとき、喜びではなく、恐ろしさを覚えました。彼女たちは、イエスと別れをするために香油を持って出かけてきたのですから。

彼女たちにとって、空の墓と主の復活は、受け入れがたいことであり、その後のことについても想像のできないことでした。またイエスを十字架に架けた人々も、イエスが墓に葬られたことで全てを終わりにしようとしていたのです。イエスの復活から30年が経過をしていましたが、マルコ福音書の記者は、あの時の、彼女たちの恐れこそが大切だと考えたのです。つまり、復活の出来事は、恐れることから始まると考えたのです。死者の中から主をよみがえらせることができるのは、神のほかになく、それは神の業であることを知らせようとするものだったからです。

 結びの一(9~20)を読んで、気づいたことがあります。イエスが復活したと聞いた人々は、信じることができず、それを伝えることもできませんでした。信じることができたのは、復活の主にお会した後のことです。

墓に出かけた女性たちは、天使から「あの方は復活なさって、ここにはおられない」と聞いても、信じることができませんでした。信じることのできたのは、その後、マグダラのマリアのところに主が現れたことによってでした。またマグダラのマリアは、イエスと一緒にいた人々が、泣き悲しんでいるところに行って、自分が見たことを伝えましたが、彼らは信じませんでした。信じなかった人々の中の二人が、田舎の方に歩いていく途中、この二人のところにイエスがご自身を現されたので、彼らは復活を信じました。さらに、二人は、残りの者たちに、主にお会いしたことを伝えましたが、彼らは信じませんでした。その後のこと、彼らが食事をしていると、イエスが現れ、その不信仰をおとがめになられました。イエスを見て信じた彼らに対して、イエスは「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われる。」と命じられました。主の宣教は、復活信仰から始まります。その復活信仰は、主との出会いによって与えられるものです。

 私たちが、恐れの中で復活の主に出会うところは、どこでしょうか。

今朝のみ言葉は、復活の主が、一人恐れと悲しみを覚えるマグダラのマリアのところに、また二人三人逃れの旅をする人のところに、そして敵を恐れ、扉を閉ざして集まり食事をしている人々のところに来て下さり、この人々に信仰を与え、宣教へと送り出してくださる様を描いています。恐れという奈落に落とされ、自分ではどうすることもできない状況にいる私たちであっても、復活の主に出会うことで、ふたたび立ち上がり、新しい働きをすることが出来るのです。考えてみれば教会という場が、恐れや悲しみの中にいる人々と復活の主の出会いと交わりの場であると言えますし、恐れが平安に変えられる場、そして復活の主と共に、人々が救いを宣べ伝える拠点となる場とも言えるでしょう。20節に「その後、イエス御自身も、東から西まで、彼らを通して、永遠の救いに関する聖なる朽ちることのない福音を広められた。アーメン。」と書かれています。私たちの宣教は、孤立無縁の働きではありません。それならば誰も信じてはくれないことでしょう。私たちの働きは、復活の主と共になす働きであり、信仰の仲間たちと共に行う働きです。主の復活を聞いた人々は、同時に共におられる復活の主と出会い、その言葉を聞いて信仰に導かれるのです。

 

 今日、京都教区センター伝道所の開所を心から喜んでいます。開所日をイースターの日にしたのは、恐れの中、復活の主と共に働きをしてゆくのだという、伝道所に連なる兄姉の信仰と決意の表れだと言えるでしょう。私たちも祈りを共にし、復活の主とともに歩み始めたいと思います。

2022. 4. 10  棕櫚の主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。

     (マルコによる福音書15章31~32節)

 

 「十字架に架かられた主」  深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。

               (マルコによる福音書15章31~32節)

 

           「十字架に架かられた主」      深見 祥弘

 3月2日(水)に始まった受難節(レント)も、今日が棕梠の主日で、この日より受難週に入ります。棕梠の主日は、人々が、棕梠の葉を振り「ダビデの子にホサナ(救ってください)」(マタイ21:9)と叫ぶ中、イエスがろばの子に乗り、エルサレムに入城されたことを記念する日です。この日、イエスは馬に乗って凱旋する強い王の姿ではなく、ろばの子に乗る柔和な王としてエルサレムに来られました。

 ろばの子に乗る王、その姿は、まことにこっけいであり、人々に驚きを与えるものでした。イエスはこれまでの王の姿をくつがえしたのです。世に王を名乗る者は多くいましたが、その者たちは自分を救うけれども他人を救わない王でありました。王の中には、自分とともに他人を救う王もいました。例えばダビデ王は、領土を拡大しイスラエルに繁栄をもたらしました。でも彼は、他国の人々を救うことはありませんでした。そうしたところに、これまでの王とは、まったく異なる王があらわれました。その王は、他人を救うけれど自分を救わない王で、それがろばの子に乗る王イエスでありました。イエスは、ユダヤの人々にとっては他人ともいえる人々、すなわち罪人と呼ばれる人々や、サマリアの人々、そして異邦人に救いを与えました。しかし、イエスは、自国民を救わず、自分をも救いませんでした。それが十字架に架かられた「ユダヤ人の王」イエスでありました。

 

 ユダヤの人々は、この十字架につけられた王の姿に衝撃を受けました。今朝のみ言葉、マルコによる福音書15章は、衝撃を受けるユダヤの人々の様子を書いています。イエスが十字架につけられたのは、午前9時でした。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてありました。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言いました。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言いました。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシヤ、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」そして、一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしりました。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」(ルカ23:38)

  王としての資格を持つ者は、まずいかなる権力を前にしても、自分を救う力を持つものでなければなりません。さらに力ある王は、自国民を守り、領土を拡大して、自国を豊かにするものでなければならないのです。しかし、力ある王であっても、自分の地位が脅かされる場合は、自分を救うために、他人を切り捨てます。例えば、ローマ総督ピラトは、イエスに罪を見出すことがなかったのに、十字架につけました。それはローマ政界の有力者セヤヌスが失脚し、自らの後ろ盾を失ったからでした。ピラトはイエスの裁判で、ユダヤの人々の「その男を殺せ。バラバを釈放しろ。」との声を退けることができず、イエスを切り捨てることで、自らを守ろうとしたのでした。

 

 これに対し、ユダヤ人の王イエスはどのようであられたのでしょうか。

十字架に架かられたイエスは、十字架のそばにいた母マリアと愛弟子ヨハネに「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です・・・見なさい。あなたの母です。」(ヨハネ19:26~27)といって二人を結び、母マリアのこれからのために配慮をされました。また、十字架に架かられたイエスは、ご自分を十字架につけた人々やあざ笑う人々に対し、「父よ、彼らを御赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)といって神に執り成しの祈りをされました。さらに十字架に架かられたイエスは、同じ時に十字架につけられた犯罪人に「はっきりと言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23:43)と言われたのでした。

 イエスは、十字架の上でも、自分を救うために、こうした人々を切り捨てることはしません。それどころかイエスは、人と人を、神と人を、そして罪人と神の国を、御自分の十字架によって結んでおられるのです。それは、イエスが神の子であることを捨てる王として、あらゆる人々の救いを実現されるのです。

 またイエスの十字架の恵みは、場所や時代を越えて、人々に与えられるものです。それは、イエスの十字架を担ったキレネ人シモンによって知ることができます。キレネは、北アフリカ・リビアの一地方です。シモンは、はるばる旅してエルサレムに来て、その場に遭遇したのです。シモンは兵士たちによって無理やり、イエスの十字架を担がされ、ゴルゴタでイエスが十字架に架かられるのを見ました。マルコ福音書には「アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人」と紹介されています。キレネ人シモンには二人の息子がいて、二人が信者であることも示されています。 またパウロは、ローマの信徒への手紙で「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです」(ローマ16:13)と書いています。シモンの妻と息子が、信者となってパウロと親しくしていて、妻がパウロの伝道を支援していること、そして彼らがローマにいることがわかります。イエスの十字架を担ったキレネ人シモンは、十字架のイエスを見た後、信仰に導かれ、妻と二人の息子に福音を伝え、この家族は信仰を持つに至りました。彼らは十字架に架かられたイエスこそ真の王であり、救い主であると伝えていたのです。場所を越え、時代を越えて、イエスの十字架の福音が宣べ伝えられてゆくのです。

 

 ロシアが、ウクライナの侵略を始めて一か月半となりました。しだいにロシアの手段を選ばない残虐な行為が、明らかになってきています。キーウ近郊の町ブチャでは、多くの住民が虐殺され、拷問強姦を受けたと報じられています。住民や子どもたちが、後ろ手に縛られて殺されています。マリウポリの町は、9割が砲撃で破壊され、6000人ともいわれる住民がロシアに連れ去られることも起こっています。聖書の時代のバビロン捕囚や、ヘロデ大王による幼児虐殺を思い起こせる出来事です。為政者は、この侵略によって、自らの名声と地位の安定、自国の豊かさを実現できるという幻想にとらわれています。さらに自らが引き起こした罪悪が報じられると、それはフェイクだと言って自己保身をはかります。これが、世の王の姿です。

 

 私たちは、この世の為政者とは全く異なる王、十字架のイエスを知りました。この王は、自分を捨て、他の人を救われた方です。また、この王は、私たちに対して「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マルコ8:34)と呼びかける御方です。「自分の十字架」とは、自分が苦労していることではなく、主の福音を宣べ伝えることです。また「主の福音」とは、十字架に架かられたイエスこそ真の王であり、救い主であるということです。

私たちは、この時、喜びをもってろばの子に乗る王イエスをお迎えし、分断されている人と人、神と人、そして罪人と神の国とが結ばれ、平和と救いが与えられることを、宣べ伝えてゆきましょう。

2022. 4. 3  復活前第2主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。

(ルカによる福音書23章25節)

「 受 難 物 語 」           仁村 真司教師

 <今 週 の 聖 句 >

そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。

(ルカによる福音書23章25節)

「 受 難 物 語 」              仁村 真司

来週の日曜日は「棕櫚の主日」、「枝の主日」とも言われますが、子ろばに乗ってエルサレムに入城したイエスを、民衆が着ていた服や木の枝を道に敷いて「ホサナ(救いたまえ)」と歓呼して迎えた日で受難週に入ります。

 今回は受難週の木曜日夜から金曜日未明(ユダヤ教では日没から次の日没までが一日、ですから金曜日の初め)に行なわれたであろうイエスの裁判の場面を見て行きます。

1)

最初に書かれたマルコ福音書とマルコ福音書を元にして書かれたマタイ・ルカ福音書、それぞれが伝える裁判の場面を見比べてみると、裁判の責任者、ローマ帝国のユダヤ総督ピラトにまつわる記述が増えていることに気づきます。

マタイ福音書では、ピラトに妻から「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました」という伝言があったこと(27:19)、ピラトが群衆の前で手を洗って「この人(イエス)の血について、わたしには責任がない。お前たち(ユダヤ人たち)の問題だ」と言ったこと(27:24)等が書き加えられています。

ルカ福音書ではピラトはあたかもイエスの弁護人であるかのようです。

23章の始めから見てみると、まず4節「ピラトは祭司長たちと群衆に、『わたしはこの男(イエス)に何の罪も見いだせない』と言った」、5節「しかし彼ら(ユダヤ人たち)は、『この男(イエス)は、・・・民衆を扇動しているのです』と言い張った」。ピラトはイエスは無罪だと主張し、ユダヤ人たちは有罪だと言い張る、この図式が繰り返されて行きます。

13~16節ではピラトは、イエスに犯罪は見つからない、イエスは死刑に当たるようなことは何もしていない、鞭で懲らしめて釈放しようと言いますが18節、「しかし、人々は一斉に、『その男(イエス)を殺せ。バラバを釈放しろ』と叫んだ」。

20節「「ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた」、21節「しかし人々は、『十字架につけろ、十字架につけろ』と叫び続けた。」

22節「ピラトは三度目に言った。『いったいどんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう』、23節「ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。」

そして24節。「そこで、ピラトは彼らの要求を入れる決定を下した」・・・。マタイもルカもピラトの言動を書き加え、書き換えて、イエスの死刑に関してピラトに責任がないことをマルコ以上に明確に示そうとしています。

ルカはさらに、ピラトはイエスを無罪放免にするためにかなり努力したとしている訳ですが、これはピラトに気を遣ってのことではなく、ローマ帝国という強大な国家に配慮してのことでしょう。

イエスを殺したのはローマ帝国ではない、イエスはローマ帝国に刃向かって殺されたのではない、だからイエス・キリストを信じるキリスト教もキリスト信徒も決してローマ帝国を脅かしたりすることはない、無害だと主張する。そうやってローマ帝国の下にキリスト教を位置付ける、そういう意図を持ってこのように記していると考えられます。

このような姿勢によってキリスト教は、しばしば激しい迫害を受けながらもローマ帝国に深く根を下ろし、313年には公認され、4世紀末には国教となります。

2)

イエスは無罪、自らに罪がないにも拘わらず人々の罪の購いのために十字架にかかったということではなく、イエスの死に関してピラトは無罪、ローマ帝国は無罪と言うために、それだけではないのですが、多くはそのために記されたということです。

このような裁判の場面の記述に限らず、受難物語からイエスが「多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(マルコ10:45)、「キリストが、聖書に書いてあるとおりにわたしたちの罪のために死んだ」(一コリント15:3)という贖罪論を読み取ることは出来ません。

受難物語はイエスが死に至る過程を物語っているのであって、贖罪論等イエスの受難・死の意味を説明しているのではないということです。

それでも、イエス・キリストを信じる人々は受難物語が伝えるイエスが受けた痛み・苦しみ、また十字架刑の残酷さ等からキリストの十字架によって救いがもたらされたこと、それがどれ程のことなのか、読み取り、感じ取り、語り伝えて来ました。

このことは、平和の尊さ・大切さを語ろうとすると、平和ではなく戦争、戦争の悲惨さ、残虐性を語ることになるのと似ています。十字架によって罪が購われたということ(贖罪論)も平和も、「そのもの」を物語ることはかなり難しい、おそらくは出来ないのではないかと思います。

3)

イエスに死刑判決が下される過程について贖罪論と結び付けてよく語られるのが、「ホサナ」と歓呼してイエスを迎えた同じ人々が、イエスは自分たちが望むような救いをもたらすのではないと知った途端に「十字架にかけろ」と叫んだと言う「人間の罪」ですが、受難物語をどう読んでもそんな話にはなりません。

イエスの逮捕は闇夜にまぎれて人目を避けて、裁判は真夜中に行なわれました。ですから一般の人々が知る由はありません。「十字架にかけろ」と叫んだのはイエスを陥れるためにユダヤ教当局が動員した人々でしょう。

また、程度は違っても各福音書の受難物語が示唆しているイエスの死の責任はピラト、ローマ帝国にはないという説、これもあり得ない話です。

24・25節、「・・・ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、・・・バラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して好きなようにさせた」。彼ら(ユダヤ人)の好きにしなさいとピラトが渋々言って、ユダヤ人が好きにして殺した・・・ということではありません。ピラトが十字架刑に処すためにイエスを引き渡した、ユダヤ人に引き渡しても十字架刑には出来ません、ですからこれはローマ帝国内の手続きです。

先ほど受難物語から贖罪論、イエス・キリストの十字架による救いを語るのは、平和を語るときに戦争を語るのに似ていると言いました。

平和を訴えるために戦争を語る、語らざるを得ないのであれば、そこに誇張も美化もあってはいけない、事実を語らなければなりません。

今の私たちにイエスの受難・死の事実を正確に知ることも語ることも出来ません。しかし、受難物語から窺い知ることが出来る事実、それがほんの少しでもあるのならば目を向けて行かなければならないでしょう。

ユダヤ人がイエスを殺したと言えばそれは間違いです。イエスを慕うユダヤの人々も沢山いました。ではピラト、ローマ帝国が殺したのかというと、これも正確ではないでしょう。

イエスはローマ帝国の支配者にとってもユダヤ教社会の権力者にとっても不都合な存在だった。だからローマ帝国・ユダヤ教社会、双方の支配者・権力者たちが手を組んでイエスを殺した、これが事実だと考えられます。

国家やその支配者、権力者たちにとって不都合な人、無実の人を犯罪者として裁き、その命を奪う、これは当時のローマ帝国やユダヤ教社会だけではなく、歴史の中で戦争と同様に幾度も繰り返されて来たことです。

この事実、人の罪から目を背けて、十字架のイエス・キリストによる罪の贖い、人々の救いを本当に語ることは出来ないのではないでしょうか。