「主イエスは私たちの道」 深見 祥弘牧師

July 02, 2016

<今週の聖句>

私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。           (使徒言行録24章14節)

「主イエスはわたしたちの道」       深見祥弘

 パウロが働きをした頃、キリスト教はユダヤ人から「ナザレ人の分派」(ナザレ人とはイエス・キリストのこと)と呼ばれていましたが、キリスト者自身は、自分たちの教えを「道」と呼んでいました。イエスが「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14:6)と言われたからです。

 パウロは第3伝道旅行後、各地の教会からエルサレム教会を支援する献金を預かり、エルサレムに来ました。しかし、ユダヤ人たちは彼を捕らえ、殺そうとしました。ロ-マの市民権をもつパウロは、ロ-マ軍の千人隊長の保護を受けながら、民衆の前で、最高法院で、そしてロ-マ総督の前で弁明をいたしました。 さて今朝の御言葉は、総督フェリクスに対する弁明です。パウロはエルサレム来訪の目的は、教会の救援金を届けることと神殿に供え物を献げるためだと述べました。また、イエス・キリストの教えは、神を礼拝することや律法・預言者の書を信じること、そして復活に希望を抱くものであり、決して神の教えに背くものでないことを語りました。

イエスは「わたしは門である」(ヨハネ10:9)、また「わたしは道である」(同14:6)と教えられました。それはイエス御自身が神に至る道であり門である事を告げています。またその道は、イエスの死と復活により開かれた新しい生きた道(ヘブライ10:19~20)です。罪(悪しき者に至る道を歩む者)の内にあった私たちは、十字架によって主に愛され、主の名によって洗礼を受け、自らの死を体験し、新たな命に生かされて神に至る道を歩むのです。

「望みは消えうせようとしていた」     深見 祥弘牧師

July 09, 2016

<今週の聖句>

泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。                  (使徒言行録27章43~44節)

「望みは消えうせようとしていた」     深見祥弘

 使徒言行録27章~28章は、パウロたちのロ-マへの旅を書いています。この記事は、長くて困難な航海であっても、主がパウロをはじめ船旅をする全員を確実に目的の港に導いてくださり、みこころが成し遂げられることを福音として伝えています。

  エルサレムで神殿を汚し騒動を起したとの告訴により二年間監禁されていたパウロは、新たに着任した総督フェストゥスに対し、皇帝への上訴を申し出ました。パウロは百人隊長ユリウスの保護を受け、カイサリアよりロ-マに向けて出港しました。彼らはカイサリアからミラまで沿岸を航路とする船に乗り、ミラでイタリア行の大型船に乗り換えました。季節は秋、地中海は嵐の季節を迎えました。パウロはクレタ島の「良い港」で冬を越すように勧めましたが、百人隊長の勧めでフェリクス港に向け出港したため、暴風に巻き込まれ、14日間アドリア海を漂流しました。パウロは、望みを失っていた人々に語りました。「昨夜、私が仕える神の天使がこういいました。『恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』この約束の故に、私たちは必ずどこかの島に打ち上げられる。船は失うことになるが、だれ一人命を失う者はいない。」パウロの告げたとおり全員がマルタ島に上陸し、彼らはそこで冬を越し、船を乗り換え、やがてロ-マに到着したのでした。

 私たちの人生行路も、順風の時ばかりではありません。嵐に巻き込まれ望みを失いそうになることもあります。しかし、主は「恐れるな」と励まし、兄弟姉妹と共に、目的の港(約束の国)へと導き入れてくださるのです。

「幸い、平和をつくり出す人たち」   仁村 真司先生

July 16, 2016

平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。

(マタイによる福音書5章9節)

        「幸い、平和をつくり出す人たち」   仁村 真司

 イエスは、「平和の中で、平和に暮らしている人々は幸いである」ではなく、「平和を実現する人々は、幸いである」と言っています。

 「平和を実現する人々は、幸いである」は「心の貧しい人は幸いである」からとはどのようなことなのかを考えて行かなければなりません。

  「平和を実現する人々は、幸いである」は「心の貧しい人は幸いである」から「義のために迫害する人々は、幸いである」まで八つの「○○の人々は、幸いである」の七番目のものですが、ルカ福音書6章20・20節でもイエスはこれらと同じ形式で語っています。

 「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。

 今飢えている人々は幸いである、/あなたがたは満たされる。

 今泣いている人たちは幸いである、/あなたがたは笑うようになる。」

 これらは三つで「平和を実現する人々は、幸いである」はありません。そして「幸いである」といわれている「貧しい人々」・「今飢えている人々」・「今泣いている人々」とは、自らそのような状況を「実現した・つくり出した人々」ではなく、否応なくそのような状況に置かれている人々です。これらはマタイ福音書ではそれぞれ、「心の貧しい人々」・「義に飢え乾く人々」・「悲しむ人々」になっています。

 今朝はルカ福音書にきされている「幸いである人々も参考にして、イエス・キリストはどのような人々に、どのような思いで、「平和を実現する人々は、幸いである」と語ったのかを考えることを通して、この言葉を、私たちにも語られているものとして、受け止めて行きたいと思っています。

「天から降ってきたパン」  深見 祥弘牧師

July 23, 2016

<今週の聖句>

わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。

(ヨハネによる福音書6章44節)

「天から降って来たパン」       深見祥弘

 ヨハネによる福音書は、死をもって終わる私たちの命の中に、イエス・キリストにある永遠の命が宿っていること、すなわち永遠につながる命のあることを、福音として語っています。

 ヨハネによる福音書6章は、「五千人の給食」(1~15)と「湖の上を歩く」(16~21)イエスの奇跡を書いています。イエスは過越祭が近づいた日、山に登り、パン五つと魚二匹で五千人を養いました。また、イエスは荒れた湖の上を歩いて、船上の弟子たちのところに行きました。これらの記事は、旧約聖書に書かれている出エジプトのいくつかの出来事を思い起させます。それは、モ-セに導かれ、過ぎ越しの食事をしてエジプトを脱出し、紅海を渡ったイスラエルの民の旅路です。荒れ野では天からのマナで養なわれ、シナイ山では神の言葉「十戒」をいただいて、約束の地カナに到着したのです。

 今朝の御言葉は、イエス・キリストこそ、過越祭で屠られる小羊であり、神の言葉であり、決して朽ちることのない天からのパンであること、さらには約束の御国に導き入れてくださる方であることを伝えています。また父なる神の御心は、「子(イエス)を見て信じる者が皆永遠の命を得ること」(40)でありますから、父なる神が人々をイエスのところに引き寄せてくださると告げているのです。「引き寄せる」(ギリシャ語・ヘルクエイン)は、重い物を引っ張る時に使う言葉です。力強い御手を持つ父なる神が、私たちをイエスのところに引き寄せてくださったので、私たちはイエスを救い主と信じ、ゆだねることができました。私たちは天からのパンであり神の言であるイエス・キリストに自らをゆだね、約束の御国と永遠の命を望み見る者なのです。

「ギデオンの手によって」       深見 祥弘牧師

July 30, 2016

<今週の聖句>

もしお告げになったように、わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっているなら、羊一匹分の毛を麦打ち場に置きますから、その羊の毛にだけ露を置き、土は全く乾いているようにしてください。(士師記6章36~37節)

「ギデオンの手によって」       深見祥弘

 イスラエルにおいて士師たちが活躍したのは、今から3千年余り前のこと、ヨシュアの死からサウル王の即位までのおよそ180年間です。12人の士師たちの中で、5番目に登場するのがギデオンです。彼は、マナセ族にあって弱小アビエゼル一族の出身であり、家では一番年下でした。また、彼は臆病な人でしたが、そのギデオンに主の御使いがこう呼びかけました。「勇者よ、主はあなたと共におられます。あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。」(6:12.14)ミディアン人は、毎年麦の収穫期になると大軍を率いてイズレエル平原に侵入し、収穫物を略奪に来たのです。ギデオンは2度にわたって、主が告げたことのしるしを求めました。その1つが、羊の毛に置く露のしるしでした。敵の軍勢は13万5千人、対するギデオンの軍勢は3百人でした。しかし、この3百人は、敵の大軍を見ても恐れず、敵の攻撃に備える用心深い兵士たちでした。ギデオンの指揮のもと、兵士たちは角笛と空の水がめと松明を持って夜襲をかけ、敵軍を同士撃ちさせるなど混乱に陥れ、敗退させたのでした。 

 主はイスラエルの救済のために、力においても信仰においても弱いギデオンを選びました。そのギデオンが、12人の士師の中で最も大きな働きをしたのです。それはギデオンが、「主が共におられる」との信仰と、「わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっている」との召命の確信を得たからです。主はギデオンの弱さを良しとしてくださり、彼は変えられたのでした。私たちも弱いものですが、この手に御子イエス(神我らと共にいます・インマヌエル)と召命をいただき、現在の士師として働きたいものです。

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