「神の言葉はとこしえに立つ」      深見祥弘牧師

December 02, 2017

<今週の聖句>

見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ 御腕をもって統治される。

(イザヤ書40章10節)

「神の言葉はとこしえに立つ」      深見祥弘

 今日より「アドベント(待降節)」に入りました。アドベントは、「到来・降る」という意味の言葉です。私たちは、感謝と喜びをもって二千年前の御子イエスの降誕を記念し、悔い改めつつ再臨の主を待ち望みたいと思います。

 今朝の御言葉は、イザヤ書です。ユダの民は、バビロンに捕囚(BC597、587)として引かれてきて、間もなく50年を迎えようとしていました。捕囚の民は、現実に嘆きつつ、故国への帰還をあきらめていました。そうした時、預言者(第二イザヤ)が登場し、主の救済のわざによりユダの民は解放され、故国に帰還すると預言したのです。歴史的には、バビロンを亡ぼしたペルシャの王クロスの解放令(BC538)によって実現することとなりました。

イザヤ書40章1~11節は、天上の会議の様子を書いています。まず会議に出席している天使が、「慰めよ、わたしの民を慰めよ」との神の言葉を出席者に告げました。この「慰め」とは、50年に及ぶユダの民の苦役の時が終わり、その罪が償われ、主が力を帯びて民のもとに来られることを意味します。この主は羊飼い(王)であり、ユダの民はこの主に導かれ、荒れ野に備えられた道を通って故国に帰るのです。さらにこの主は、すべての民の羊飼いとして世界中から民を集め養い導きます。そして、この罪の赦しと救い主の到来を告げる神の言葉は、決して滅びることはありません。

 この一年を思い返す時、私たちは、これまでの年と変わらなかったことを嘆き、自分ではどうすることもできなかったことに、あきらめを覚えます。しかし、天上では天使によって「わたしの民を慰めよ」との神の言葉が告げられ、確実に神の御業が実現しています。主の降誕と再臨によって与えられる罪の赦しと救いが、私たちの心を開き、慰めと希望になることを願います。

「わたしの魂は主をあがめ」      深見祥弘牧師

December 09, 2017

<今週の聖句>

マリアの挨拶をエレサベトが聞いたとき、その胎の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。」               (ルカによる福音書1章41~42節)

「わたしの魂は主をあがめ」      深見祥弘

 エンカレム訪問教会の庭には、お腹の大きなマリアとエリサベトのモニュメントと46か国語で書かれたマグニフィカ-ト(マリアの賛歌)があります。また教会内部のア-チ状の天上には、挨拶する二人に鳩の形の聖霊が降る様が描かれています。緑の丘陵をのぞみ見るこの教会は、まことに穏やかで静かでした。しかし、今朝の御言葉から私は、マリアとエリサベトの動揺する気持ちや躍動する信仰、賛美を見いだすことができます。

 マリアは、ユダの山里にいるエリサベトを訪ねました。天使ガブリエルより受胎の告知を受けたマリアは、不安の中にありました。エリサベトも、歳をとって身ごもったことにとまどいを感じ、五ヶ月間身を隠していました。この二人を変えたのは、エリサベトの胎の子ヨハネであり、聖霊でありました。二人は、エリサベトの胎の子ヨハネが躍ることで、マリアの胎の子が旧約の預言者が告げた救い主であることを知りました。さらに彼女たちは、聖霊にみたされ、マリアの胎の子イエスを主と信じることができたのです。その時、彼女たちの不安や戸惑いは消え、喜びへと変えられたのでした。

 私たちは旧約聖書によってイエスが主であることを知ることができます。さらに聖霊の導きによって、イエスを主と信じることができるのです。ですから、私たちが、どんなに不安や恐れ、戸惑いの多い現実の中にあっても、教会を訪れ、主と、そして兄姉たちと出会うことで、イエスが主であることを再確認することができるのです。御言葉をいただき、聖霊の働きに助けていただいて、躍動する信仰に立って賛美する私たちに変えていただきましょう。そして、この教会での交わりのなかで、御子の誕生を共に待ちましょう。

「マリアの賛歌」  仁村真司教師

December 16, 2017

「わたしの魂は主をあがめ、私の霊は救い主である神を喜びたたえます。

身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。

今から後、いつの世の人も わたしを幸いな者というでしょう。」

                       (ルカによる福音書1章47~48節)

「マリアの賛歌」    仁村真司

                             ルカによる福音書1章39~56節

マタイ福音書とルカ福音書は、それぞれにクリスマスの出来事を伝えています。勿論これは、イエスは生まれた時から神の子であるということをを示していますが、新約聖書の中には違う考え方もあります。

 パウロはローマの信徒への手紙に「・・御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が私たちの主イエス・キリストです」(1章3・4節)と記しています。パウロは、イエスはヨセフとマリアの間に生まれた子で、復活の時に神の子とされたと考えているということです。

 新約聖書の中で、「イエスはいつから神の子なのか」について見解が分かれているということになりますが、私たちにとって大切なのは「イエスはいつから神の子なのか」ということではなく、それぞれが、それぞれの現実の歩みの中で、いつイエスはキリストである、神の子であると知らされ、いつそのことを受け入れて新しい歩みを始めるかということだと思います。

 ルカ福音書によると、人間の中で最初に「イエスは神の子である」と知らされ、そのイエスの母となるマリアの姿を通してこのことについて考え、クリスマスの備えをしていきたいと思います。

「わたしたちの間に宿られた」      深見祥弘牧師

December 23, 2017

<今週の聖句>

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。

(ヨハネによる福音書1章14節)

「わたしたちの間に宿られた」      深見祥弘

 クリスマスおめでとうございます。わたしたちは、言であり命であり光である御子イエス・キリストの御降誕を心から喜びます。

今朝の御言葉は、ヨハネによる福音書1章1~14節です。ここには、イエス・キリストの受肉と証し人ヨハネのことが書かれています。 

イエス・キリストは、天地の創造される前から神と共におられました。神は言であるイエス・キリストによって天地万物を創られました。しかし神によって創られた人間の中に自らを神とする者が現れ、この世界を支配するようになったのです。苦しむ人々のうめきを聞いた神は、預言者たちを通して救い主を遣わすことを告げましたが、闇のなかにいた人々には、その計画を理解することができませんでした。そこで神はヨハネを遣わし、約束の救い主の到来を告げさせたのです。ヨハネは「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。」と告げました。お生まれになられたイエスの言は、多くの場合、人々に聞かれることはありませんでしたし、イエスの命は、十字架で死をむかえました。また救いへの道へと導くイエスの光は、人々に理解されることはなかったのです。しかし、イエスの言を聞く人には慰めが与えられ、信じる人には光が、救いを求める人には永遠の命が与えられたのです。 

 御子イエス・キリストは、「わたしたちの間に宿られた」とあります。御子は時代や場所を越え、わたしたちと同じ肉の姿をとり、闇に生きる者に慰めの言と、導きの光と、永遠の命を与えるためにお生まれになられました。ヨハネが、「わたしたちはその栄光を見た」と証ししたように、主が私たちのところに来られたことを喜び、主の栄光を証しする者とさせて頂きましょう。

「別の道を通って」        深見 祥弘牧師

December 30, 2017

<今週の聖句>

ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。  (マタイによる福音書2章12節)

「別の道を通って」        深見祥弘

 主の年2017年も今日が大晦日、そして最後の主の日となりました。この12月私たちは、二人の姉妹方を神さまの御元にお送りいたしました。寂しさや悲しみの中で、この礼拝を守っています。

 マタイによる福音書2章には、東方の占星術の学者たちが、ベツレヘムの御子を訪問し礼拝したと書いています。広く古代世界では生者は東に住み、死者は西に住むと考えられました。聖書には、神が罪を得たアダムとエバを追放したのは「エデンの東」と書いています。このように「東の方」は神による人間の追放の場所、神と敵対する者の地を意味しました。ですから、東方の占星術の学者は、罪を得て追放された知恵ある人間を象徴するものです。 神は、星をしるしとして学者たちに救い主の誕生を知らせました。彼らは、エルサレムのヘロデ王のところまで旅をしますが、救い主を見出すことができませんでした。その後、彼らをベツレヘムまで導いたのは、預言者ミカの言葉と星によってでありました。御子を見出した学者たちは、喜びの中で主を礼拝し、夢で「ヘロデのところに帰るな」とのお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国に帰っていったのです。

 私たち人間は、生をいただいた時から死へと向かうものです。神は私たちを憐み、真の命を与えるために、救い主イエスをお遣わしくださいました。御子と出会った私たちは、西(死者の国への道)へ向かうのではなく、東の生者の国に向かうのです。しかも私たちには、真の知恵としてのキリストが共にいて下さいますから、別の道を通って、エデンの東ではなく、エデンの園(神の国)に帰る道を進み始めることができるのです。私たちは、二人の姉妹の証と御言葉によって、生者の国・神の国への道を歩みましょう。

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