「慈善の業に豊かになりなさい」     深見祥弘先生

July 01, 2017

<今週の聖句>

あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。

(コリントの信徒への手紙第二8章9節)

「慈善の業に豊かになりなさい」     深見祥弘

 イエラエル・パレスチナ地域は、ガリラヤ湖周辺が草木の美しい生命の世界が広がるのに対して、死海周辺は荒地の死の世界が広がっています。ある人は、「ガリラヤ湖は北から川の流れを受け入れ、南からその水をヨルダン川に注ぎ出している。死海はヨルダン川の水を受け入れるが、注ぎ出すことはない。恵みを受けて与える人は命に満ち溢れるが、恵みを受けるだけで与えることのない人は命を失う」と言いました。

 コリントの信徒への手紙第二は、パウロがコリント教会に送った手紙です。

コリント教会は、パウロの第二伝道旅行の際にできました。彼が去った後、教会にはパウロを批判する者が来て、信徒たちがこの者に同調したため、パウロと教会の関係は悪化しました。パウロは、テトスをコリントに送って関係の回復を実現し、この感謝の手紙を書きました。マケドニア州の教会は、イエス・キリストの恵みにより、極度の貧しさと激しい試練の中にあってもエルサレム教会の支援を続けています。ですから、すべてに豊かなコリント教会も、エルサレム教会を支援する慈善の業において豊かになってほしいと、教会支援の再開を願いました。そして、それを命令されたからするのではなく、主イエス・キリストの恵みに感謝し、「あなたがたの愛の純粋さ」によって支援を行ってほしいと書いたのでした。

 主は、私たちに愛を注ぎ出し、貧しい者になられました。私たちは、主の愛によって豊かにされています。私たちも主の愛に感謝し、貧しい者に愛を注ぎ出しましょう。きっと私たちは命と喜びに満たされることでしょう。

「信じた人々の群れ」  深見 祥弘牧師

July 08, 2017

<今週の聖句>

信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだという者はなく、すべてを共有していた。    (使徒言行録4章32節)

「信じた人々の群れ」        深見祥弘

 7月2日(日)、膳所教会献堂式に出席しました。新会堂は、3代目の会堂となります。膳所教会と聖愛幼稚園は、矢部喜好牧師と信徒たちの開拓伝道により1915年設立されました。初代教会堂は、芝居小屋寿座を購入改築したもので、そこには回り舞台もありました。賀川豊彦は、矢部牧師と教会堂を「彼は劇場を教会堂に改造した。膳所の教会がそれである。・・・そこには回り舞台もあった。彼は人生の回り舞台をよく知っていたのだ。わがままより十字架に、人間より神に、地上より天国に、転向すべき潔き血みどろの体験があった。」(田村貞一著「矢部喜好の生涯」序より)と紹介しています。

 今朝の御言葉は、使徒言行録4章です。聖霊降臨によって使徒たちは、大いなる力を得て、主イエスの復活を人々に伝えました。また聖霊降臨により、自分の持ち物を売って教会にささげ、信徒たちをなぐさめ、励まし、支える働きにたずさわる人々がいました。例えばバルナバ(慰めの子の意味)は、かつて教会の迫害者であり回心したパウロを、使徒たちに紹介しています。他方同じ教会には、土地を売った代金をごまかしてささげたアナニアとサフィラ夫婦もいました。彼らは、ささげたものが代金の一部であるにもかかわらず、全額であると偽り、その結果、裁きを受けることになりました。

 この御言葉は聖霊なる神が、教会とそこに集う人々に臨在しておられることを福音として伝えています。私たちは、共にいてくださる聖霊なる神によって「わがままより十字架に、人間より神に、地上より天国に」方向転換をするのです。それは、自分やまわりの人・地上のことに心を向けていた私たちが、十字架のキリストに、神に、天の国に心を向けるということです。こうして聖霊なる神によって、教会(信じた人々の群れ)はたてられるのです。

「神のところ」     仁村真司教師

July 15, 2017

今朝は、マルコ福音書の金持ちの人との関わりの物語です。殆ど同じ話がマタイ・ルカ福音書にもあり、マタイでは金持ちの「青年」、ルカでは金持ちの「議員」ですが、マルコでは単に金持ちの「者(男)」です。

 この物語は、金持ちの男の「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」という質問から始まります。

 追いはぎに半殺しにされたユダヤ人の旅人をサマリア人が助けるたとえ話に至る物語(ルカ10章25~37節)も、殆ど同じ質問(「何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」)をイエスが受けることから始まっています。質問しているのは法律の専門家です。

 こちらは、イエスがサマリア人のたとえ話を語り、「誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と問い、そして「行って、あなたも同じようにしなさい」と言うところで終わっていて、その後この律法の専門家がどうしたのか記されてはいませんが、金持ちの男については、「持っているものを売り払い、貧しい人に施しなさい」と言われ、「気を落とし、悲しみながら立ち去った」とあります(22節)。

 しかし、この後(27節)のイエスの言葉「人間のできることではないが、神にはできる」は、「悲しみながら立ち去った」がこの人とイエス・キリストのとの関わりの結末ではなく、「途中経過」、あるいは始まりになるかもしれないことを示していると思います。

「主イエスの名」         深見祥弘牧師

July 22, 2017

<今週の聖句>

わたしたちの助けは 天地を作られた主の御名にある。(詩編124編8節)

主イエスの名は大いにあがめられるようになった。(使徒言行録19章17節)

「主イエスの名」         深見祥弘

 18日(火)、聖路加国際病院名誉院長、日野原重明さんが逝去されました。

先生は2000年9月、75歳以上の元気な老人に呼びかけて「新老人の会」を設立されました。それから数年後、当時私が働きをしていました教会においでくださり、「新老人の会」についてお話しくださいました。世の中では65歳以上の人々を「老人」と呼ぶが、私は元気な75歳以上の人々を「新老人」と呼ぶことにする。「新老人の会」の会員は、①愛すること、②創めること、③耐えること、この3つをスロ-ガンに掲げ、これをもって新たに生き始めることを志している、と話されました。

 今朝の御言葉は、使徒言行録19章です。パウロたちは第三伝道旅行で、エフェソを訪れ、働きをいたしました。パウロはティラノという人の所有する講堂で主の言葉を語り、イエスの名による洗礼を授け、主イエスの名を唱えて病人を癒し、悪霊を追い出しました。さて、この様子を見ていた祭司長スケワの七人の息子たちが、イエスの名をつかって悪霊を追い出そうとしました。悪霊は「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」と言い返して襲いかかり、ひどい目に合わせました。このことによって、主イエスの名は大いにあがめられるようになりました。

 私たちは、若い頃には自分の名声のために人に尽くしたり、忍耐したり、新たなものにチャレンジしたりしますが、歳をとるとそうした意欲が失われます。そんな私たちですが、愛と忍耐と創造の源である神を信じ、自分のためではなく、神の御名が高められるために、主イエスの名を唱えるならば、やがて「新老人」に変えられ、希望をもって愛に生きることができるのです。

「共に神の憐みを頂いて」      深見 祥弘牧師

July 29, 2017

<今週の聖句>

言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。(マタイによる福音書8章11節)

「共に神の憐みを頂いて」      深見祥弘

 安倍政権下の防衛大臣と部下の関係を憂慮しています。大臣と部下の関係が崩れていて、部下がこのことは大臣に報告し了承をもらったと言うと、大臣は聞いていないし了承もしていないと応じます。

 今朝の御言葉は、マタイによる福音書8章です。イエスが、山上の説教を終えて山を下り、カファルナウムの町に入ると、ロ-マ軍の百人隊長が来て懇願いたしました。「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」。イエスが「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われると、彼は「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。わたしも権威の下にある者ですが、私の下には兵隊がおり、・・・部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」イエスは人々に、「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。」と言い、彼に「あなたが信じたとおりになるように。」と言うと、僕の病気はいやされました。

 この御言葉は、①ユダヤ人だけでなく、外国人も神の救いに招かれていることを福音として語っています。また、②イエスの死後も(もはや触れていただけなくなっても)、イエスの権威ある言葉によって、人々は救われことも福音として語っています。さらに、御言葉は、「いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。」と預言し、約束してくださっています。主イエスへの信仰をもって「ただ、ひと言おっしゃってください」と、共に主の憐みを祈りましょう。

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