「わたしたちの宣教」   深見 祥弘牧師

January 06, 2018

<今週の聖句>

わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです。 (Ⅰテサロニケ2章8節)

「わたしたちの宣教」        深見祥弘

 新年明けましておめでとうございます。新しい年も主の励ましをいただき、互いに祈り合いながら、宣教の業に仕えてまいりましょう。

 テサロニケ第一の手紙は、パウロ、シルワノ、テモテからテサロニケの教会に送られました。パウロたちは第二伝道旅行でこの町を訪れ、福音(十字架に架けられ復活したイエスは救い主であり、神は御国と栄光にあずからせようとあなたがたを招いておられる)を伝えました。しかし、パウロたちはユダヤ人たちから迫害を受け、この町を脱出せざるを得ませんでした。パウロたちはアテネに到着すると、テモテを再びテサロニケに遣わし、その後の信者たちの様子を報告させました。テモテは信者たちが迫害の中にあっても、福音を信じ、互いに助け合い、主の再臨を待ち望んでいると知らせました。この知らせを受けたパウロは、喜びと励ましの手紙を書いたのでした。

 パウロはこの手紙の中で、テサロニケでの苦闘が無駄ではなかったと感謝しています。パウロたちは暴力や中傷の中、人からどう評価されるかではなく、ただ神に喜ばれるために福音を語りました。同時に、パウロたちは、テサロニケの人々に対して「幼子」のように謙遜に、「母親」のように愛をもって、そして「父親」のように御心にそって歩むようにと励ましたのでした。このパウロたちの働きの源は、何だったのでしょう。それは神がテサロニケの人々を御自身の国と栄光にあずからせようと招いておられることでした。

 私たちの教会は、「福音を分かち合う-信仰の継承と宣教」を標語としています。私たちは、神がこの町の人々に御国と栄光を与えようと招いておられることを覚え、謙遜と愛と励ましをもって仕えてまいりましょう。

「人のNO 神のYES」         深見 祥弘牧師

January 13, 2018

< 今 週 の 聖 句 >

すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。          

                                                                                        (マルコによる福音書1章11節)

「人のNO 神のYES」      深見祥弘

 今朝の御言葉は、マルコによる福音書1章9~11節です。イエスは、父母とともにガリラヤのナザレで暮らし、その後ヨルダン川のヨハネのところに来て洗礼を受けられました。イエスが洗礼を受けて水の中から上がると、天から霊が降り、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえました。

 この出来事は、旧約聖書の天地創造と出エジプトと深く関わりがあります。マルコ1章1節に「神の子イエス・キリストの福音の初め」とありますが、

これは創世記1章1節の「初めに神は天地を創造された」に共通するもので、ここから新しい天地創造の物語が初まるのだと宣言をしています。神に創られたにも関わらず、罪を得て神にNOとされたアダムですが、神は新しい人イエスによって人々の罪を赦しYESとしてくださったのです。もう一つは出エジプトの出来事です。かつてエジプトで奴隷の生活をしていたイスラエルの民は、モ-セに導かれて紅海を渡り、荒れ野を旅し、後継者ヨシュアによってヨルダン川を渡り、約束の地カナンに到着しました。イエスもまた、人々から「なんのよいものがでようか」とさげすまれていた(NOとされた)ナザレを出発し、水の洗礼を受け、荒れ野で試みを退け、神に愛され(YESとされ)ました。そしてイエスを主と信じ、その名による洗礼を受ける者も、神によって新しい人にしていただけるのです。

人は私たちのことを裁きます。NOと言うのです。しかし神は、イエスによって私たちを赦して愛し、YESと言って下さいます。私たちは今、神のYESの時代(新天地創造・新脱出の時代)を生きています。社会や人のNOをはるかに凌駕する神のYESの力を信頼し、感謝して歩みたいものです。

「からし種」   仁村真司先生

January 20, 2018

<今週の聖句>

「そこで、イエスは言われた。『神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それはからし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る』」(ルカによる福音書13章18~19節)

「からし種」      仁村真司

「からし種」のたとえ話はマルコ・マタイ・ルカ各福音書にあります。マルコとマタイでは「パン種」の話がこれに続いていますが、このようになっているのは、マルコ福音書とは別にマタイとルカがそれぞれの福音書を記す際に共通して参考にした資料があって、その資料に「からし種」のたとえ話に続いて「パン種」のたとえ話が記されていたからだと考えられます。

 更に、新約聖書には入っていない「外典」の「トマスによる福音書」にも「からし種」のたとえ話が記されてています。

 弟子たちが言った、「天の王国は何に似ているか、私達に言って下さい」。彼(イエス)が彼ら(弟子たち)に言った、「それは一粒のからし種のようなものである。(からし種は)どんな種よりも小さい。しかし、それが耕されている地に落ちると、地は大きな枝をつくり、空の鳥の隠れ場となる。(トマス20)

 マルコ福音書・マタイとルカの共通資料・トマス福音書の三種類の文章が揃って伝えているイエスのたとえ話はこの「からし種」だけです。しかも全てで神の国(天の国)のたとえ話とされているのですから、イエス自身が神の国をからし種にたとえていたのは確実だと思いますが、極めて小さいからし種にたとえることによって、神の国も初めは極めて小さいが、やがて大きくなるということ(だけ)を示しているののではないと思います。

​ 「からし種」のたとえ話を受け止めて行くことによって、私たちそれぞれに何が示されるのか・・・。このことについて考えて行きます。

「あなたの心と手を開きなさい」 清家弘久先生

January 27, 2018

<今週の聖句>

「彼に必ず与えなさい。また与えるとき、心に未練があってはならない。このことのために、あなたの神、主はあなたの手の働きすべてを祝福してくださる。」 (申命記15章10節)

「あなたの心と手を開きなさい」  清家 弘久

 申命記はモーセの遺言ともいうべき書です。40年間荒野をイスラエルの民とともに歩み、しかし約束された地には入っていくことはできないモーセが3つの遺言ともいうべきメッセージを語っています。その第2メッセージのなかにこの箇所があります。「神様が与えようとしておられる地であなたの兄弟のひとりが、もし貧しかったら、その兄弟に対してあなたの心を閉じてはならない。また、手を閉じてはならない。」これは神様のおすすめではなく、ご命令です。私たちは「飢えを知らない世界」に生きています。お腹がすいたと言っても、それで命を落とすことはありません。しかし、世界には飢えのために命を脅かされている人達がたくさんいます。昨年発表された飢餓人口は8億1500万人です。これは前年から3800万人増えています。一方で世界人口増は鈍化しています。それも予想より早いペースです。しかし飢餓人口は増えているのです。

 神様が約束の地に入っていくにあたり、モーセを通して民に語られたことは貧しい兄弟に心と手を閉じてはならないことです。神様がお造りになったこの世界は完全でした。しかし、人が罪を持ってしまったために額に汗して糧を得るようになり、やがて豊かなものと貧しいものに対していつも配慮されます。そしてこう述べられます。「貧しいものが国のうちにいるあなたの兄弟の悩んでいる者と貧しい者に、必ずあなたの手を開きなさい」と。

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