「主の到来と忍耐」         深見祥弘牧師

December 01, 2018

                        <今週の聖句>

兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。・・主が来られる時が迫って

いるからです。              (ヤコブの手紙5章7、8節)

「主の到来と忍耐」         深見祥弘

 今日よりアドベント(待降節)に入りました。私たちは、主イエスの御降誕を記念し、主イエスの再臨(主イエスが再び来て下さり、救いを実現してくださる)を待ち望みつつ、この月を過ごしたいと思います。

 今朝の御言葉、ヤコブの手紙は7つある「公同書簡」のひとつです。「公同書簡」は特定の町や人に宛てたのではなく、広く信徒にむけて書かれたものです。ヤコブの手紙は、各地に離散しているユダヤ人信徒たち、その中でも貧しい信徒を覚え、苦難を終わりの日のしるしとし、忍耐して主イエスの再臨を待つようにと勧めています。この手紙にはイエスの兄弟ヤコブの名が付けられていますが、「教師」と呼ばれる教会指導者により1世紀末から2世紀初めにシリア周辺で書かれたと考えられています。

 「忍耐」(ギリシャ語のマクロシュメオ-、怒りを遅くするという意味)という言葉は、聖書では神の人に対する忍耐を表しています。神が人の罪に対して忍耐強くあるのだから、人も忍耐強くあれと勧めているのです。その模範は旧約聖書に登場するヨブや預言者たちであり、主イエスです。彼らと同じように、あなたがたも、迫害や苦難の中では神の御旨を聞き、励ましをいただくために主の名によって祈り、また互いに祈り合うようにと教えています。自分の思いをもって人を裁いたり、誓ったりしてもいけません。「祈り」は人に忍耐する力を与え、人を主イエスの再臨を待つ備えへと導くのです。

 私たちの教会では、今、教会生活から離れている兄姉(別帳会員)の名簿の整理をしています。私たちの力では教会生活に戻っていただくことは難しいかもしれません。しかし、主がなしてくださるとの思いで、兄姉の救いを願って祈ってゆきたいと思います。主が来られる時が迫っているからです。

「あなたの願いは聞き入れられた」    深見祥弘牧師

December 08, 2018

<今週の聖句>

天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。」

(ルカによる福音書1章13節)

「あなたの願いは聞き入れられた」    深見祥弘 

 私たちの教会は、教会員145名中70歳以上の兄姉が87名です。(2018年3月末現在)教会員の高齢化は私たちの教会に限らず全国の諸教会においてもみられ、こうした状況を悲観的にとらえる見方もあります。でもそうした見方が、全てではないように思います。

 ユダヤの王がヘロデの時代(BC44~AD4)に、祭司ザカリアとその妻エリサベトがいました。二人は神の戒めを忠実に守る人でしたが、子がなく、二人ともすでに歳をとっていました。ある時、ザカリアが聖所で香をたき祈りをささげる働きをしていると天使が現れ、「あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。」と告げたのです。ザカリアが「わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」と答えると、彼は話せなくなりました。やがて天使の告げたとおりエリサベトは身ごもり男の子を産み、8日目の割礼の日、二人は命じられたとおりヨハネ(主は憐み深いの意)と名を付けたのでした。子の誕生を喜んだザカリアは、主がイスラエルの長年の願いを聞いてくださり、ダビデの家から救い主を起こしてくださると確信しました。私たちの願いが聞かれて子が与えられた、我が子は救い主の前ぶれとしての使命を果たすと、主を賛美しました。

 高齢の私たちは、教会においてザカリア・エリサベトと同じ重要な役割を担っています。すなわち礼拝において、神の民全体(教会)のために主の憐みを求める祈りをすること、主の到来を告げる者を産むこと、そして神の救いの計画に感謝し賛美をささげることです。そうするならば、神より若々しい力と命をいただいて、広く主の到来を証しすることができるでしょう。

「その星を見て喜びにあふれた」    仁村 真司教師

December 15, 2018

< 今 週 の 聖 句 >

 「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先だって進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。」

                (マタイによる福音書2章9~11節)

         「その星を見て喜びにあふれた」    仁村 真司

 今朝は、占星術の学者たちが生まれたばかりのイエスを訪れる物語を中心にして、マタイ福音書が伝えているイエスの誕生にまつわる出来事を見て行きます。

 占星術の学者たちは東方で星によりイエスの誕生を知り、その星に導かれてイエスのもとを訪れ、幼子イエスを拝み、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げます。東方(バビロン?)からやって来た学者たちは異邦人です。

 したがって、マタイ福音書では最初にイエスに礼拝したのは異邦人であったということになりますが、最初にイエスを神の子・キリストであると信じたのが異邦人であったということが示されているのではありません。

 マタイ福音書は、この物語を未来の異邦人によるイエス・キリストの礼拝の予兆として記しています。つまり、マタイ福音書の著者はこの物語を記すことによって未来には異邦人も、と言うよりも、世界中の人々がイエス・キリストを信じるということを示そうとしたと考えられます。

 そして今、イエス・キリストの降誕、最初のクリスマスからおよそ二千年後の未来にいる私たちはイエス・キリストを信じ、クリスマスを待ち望んでいます。

 私たちにとってクリスマスの出来事を受け止めるとはどういうことなのか、受け止めることが出来るのか・・・。これらのことを考えて行くことを通してクリスマスへの備えをなして行きたいと思っています。

「救いのしるしは飼い葉桶の中に」    深見祥弘牧師

December 22, 2018

<今週の聖句>

恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。 

(ルカによる福音書2章11~12節)

「救いのしるしは飼い葉桶の中に」    深見祥弘

 クリスマスおめでとうございます。御子イエス・キリストの誕生をご一緒にお祝いできることを感謝いたします。今年をあらわす字に「災」(わざわい)が選ばれました。台風・洪水・地震など自然災害が各地を襲った年でした。「災い転じて福となす」、来る年が良い年となりますようにと願っています。

 イエスの降誕物語を読むと、この出来事に関わった人々が、はじめは不安や恐れをいだいたことに気づかされます。その人々とは、祭司ザカリアと妻エリサベト、ヨセフと妻マリア、そして羊飼いたちです。不安と恐れの原因は、突然彼らに天使ガブリエルがあらわれたこと、またこの時天使が告げた救い主の誕生によって、彼らがこれまでの生き方を一時中断し、変更を迫られたことです。例えば羊飼いたちは、羊の群れの番をやめて急いでベツレヘムの町に出かけ、飼い葉桶の御子を礼拝し、神をあがめ賛美し帰っていきました。救われない人々とされていた羊飼いたちが、自分たちの救い主を見出し、救いの恵みを喜ぶ羊飼いとして新たな生活を始めたのです。飼い葉桶の御子を訪ねて礼拝した人々は皆、自らの不安や恐れが取りさられ、大きな喜びと共に、これまでとは違う道を歩みはじめることになりました。東の国の博士たちも御子を礼拝した後、別の道を通って自分たちの国に帰って行ったと書かれています。私たちは、羊飼いたちと同じように、その生活を一時離れて、ここに来ました。飼い葉桶の御子には、平安と愛が満ちています。共に御子を礼拝し、神を賛美しながら救いの道を歩み始めましょう。

「救いの衣をまとわせてくださる」    深見祥弘牧師

December 29, 2018

 <今週の聖句>

主は救いの衣をわたしに着せ 恵みの晴れ着をまとわせてくださる。

(イザヤ書61章10節)

「救いの衣をまとわせてくださる」    深見祥弘

 2018年も今日が最後の主日となりました。私たちはクリスマスの余韻の中で、礼拝をまもります。御子イエスの誕生を喜ぶこの時は、死を身近に感じる時でもあります。長年神殿に仕えてきた老人シメオンは、両親と共に宮もうでに来た御子イエスを腕に抱き、神を讃えて言いました。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」(ルカ2:28~30) 

 今朝の御言葉イザヤ書61章は、便宜上第三イザヤ(55~66章)と呼ばれます。彼はバビロン捕囚から祖国に帰還し、エルサレム神殿の再建時に働いた預言者です。再建に際して人々は、近隣に住む者たちの妨害や干ばつなどによって困難に直面しました。預言者は人々に主への信仰に立って律法を守り、正義と愛をもって弱者(貧しい人、捕らわれている人、嘆いている人)を助けるように、そうするならば必ずや再建へと導かれると励ましました。

 第三イザヤの預言は、時を経てイエスにおいて実現します。イエスはナザレの会堂でこのイザヤ書61章1~3節を朗読し、人々に「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」(ルカ4:21)と話しました。

 私たちはこの12月、一人の兄弟を神さまの御元にお送りいたしました。その生涯は、嘆いている人を慰め、捕らわれている人に解放を告げることにささげられました。兄弟は「主が輝きを現すために植えられた正義の樫の木」(3)でありました。御子イエスは、この兄弟の日々を支え、「救いの衣を着せ、恵みの晴れ着をまとわせ」(10)、御国に迎えて下さいました。私たちも御子イエスに「喜びの香油と、賛美の衣をまとわせて下さい」と祈り、キリストの香りとなり主を賛美しつつ、新しい年を歩みはじめましょう。

Please reload

© OMI HACHIMAN CHURCH. All rights reserved. W.M.ヴォーリズが愛した教会