「悲しみが喜びに変わる時」     深見祥弘牧師

May 05, 2018

 <今週の聖句>

今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。

(ヨハネによる福音書16章24節)

「悲しみが喜びに変わる時」     深見祥弘

  教会創立117年を迎えました。今朝は1927(S2)年から1932(S7)年の間の出来事で、覚えておきたい三つの事についてお話いたします。一つは、闇の時代の到来を予感させる世界恐慌、満州事変、5・15事件といった出来事です。二つ目は、神の国運動が開始されたことです。これは1930年から5年間行われた全国的な伝道運動で、滋賀では1930年11月大津市公会堂に賀川豊彦を迎え、県下キリスト教信徒大会が開催されました。同年教会でも、会員一同「神の国運動」に努力することを総会決議し、活発に祈り伝道(特に文書伝道)しました。三つ目は、後世への贈り物です。1929年、アンドリュ-ス夫人を記念し娘のホルブルックさんから教会にフランス・デュモン社のオルガンが、またマザ-・ヴォ-リズさんから聖餐台等が寄贈されました。

 ヨハネ福音書16章16~24節は、イエスの決別説教の一部です。「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」(16)、イエスは逮捕と処刑の時が近づく中、弟子たちに一時の別れと闇の向こうに備えられている朝の到来(イエスの復活と聖霊の降臨)を告げました。それは、イエスによってもたらされるいのちと自由の到来です。その上でイエスは弟子たちに、ご自分の名によって祈ることを教えられました。このイエスの名とは「インマヌエル(神は我々と共におられる)」です。今後たとえ別れを経験することになっても、やがてあなた方と共にいることが実現するので、信じて待つようにと言われたのです。

 主は1930年から数年間、闇の時代が迫る中でも神の国を予告されました。この時代の出来事は、今の私たちの教会に良き示唆を与えているのです。

「水のある井戸を見つけた」      深見祥弘牧師

May 12, 2018

 <今週の聖句>

神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を満たし、子供に飲ませた。     (創世記21章19節)

「水のある井戸を見つけた」      深見祥弘

 本日は「母の日」です。旧約聖書に登場する母ハガルとその子イシュマエルのお話をいたします。アブラハムと妻サラには子がいませんでした。ある時サラは、自分に仕えるエジプト人の僕ハガルによって子をもうけるよう夫に勧めました。アブラハムはこの勧めを受け入れ、ハガルとの間にイシュマエルをもうけました。この後、老いたサラも子を産み、イサクと名付けました。イサクの乳離れの日、盛大な祝宴が行われましたが、祝宴の席でイシュマエルが我が子をからかっているのを見たサラは、夫にハガルとイシュマエルを追放するよう願いました。アブラハムは悩みますが、神から「サラの言うことに聞き従いなさい」との言葉を聞き、二人にパンと革袋の水を持たせて出発させました。ハガルは我が子と旅をし、故郷エジプトを目指しましたが、途中ベエル・シェバの荒れ野で水がなくなり、灌木の陰にわが子を寝かせ、死を覚悟しました。イシュマエルの泣き声を聞いた神はハガルに「わたしは、必ずあの子を大きな国民にする」と約束されました。そして、ハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけ我が子に飲ませました。二人はこの井戸のある荒れ野に暮らし、やがてイシュマエルは馬に乗り弓を射る者になりました。アラブ民族はこのイシュマエルの子孫と言われています。

 イエスがサマリアで女から井戸水を飲ませてもらった時、彼女が困難の中にいることを知り、「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ4章)と言われました。神は世の母と子の声を聞き、その目を開いて、イエスという永遠の命の水をたたえる井戸のあることを教え、救いへと導いてくださるのです。

「寂しい道が喜びの道に」       深見祥弘牧師

May 19, 2018

<今週の聖句>

さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道を行け」と言った。         (使徒言行録8章26節)

「寂しい道が喜びの道に」       深見祥弘 

 14日(月)、米国はイスラエル建国70年に合わせ、大使館をテルアビブからエルサレムに移転しました。パレスチナは、それが70年前のイスラエル建国に際して70万人ものパレスチナ人が住み慣れた土地を追い出され難民となった「ナバク(大惨事)」の日(15日)の目前に行われたこと、また将来東エルサレムを独立国家の首都とすることを悲願としていることから、激しく反発しています。パレスチナ自治区ガザでは、抗議のデモ隊とイスラエル軍が衝突し、多数の死傷者が出ました。

 フィリポは、12使徒の願いにより選出された7人の執事の1人です。ある日、フィリポに主の天使があらわれ、「ここをたって、エルサレムからガザに下る道に行け」と命じました。彼が出発すると、前をいく馬車から聖書を朗読する声が聞こえてきました。朗読していたのは、エルサレムに礼拝に来ていたエジプトの高官でした。聖霊がフィリポに追いかけるよう命じたので、走り寄り、「お分かりになりますか」と尋ねると、「わからない」と言ってフィリポを馬車に招き入れました。高官が読んでいたのは、イザヤ書53章「苦難の僕」の到来を預言する箇所でありました。フィリポは、この御言葉を説き明かしイエスについて語りました。馬車が道を進んで行くと水のあるところに来たので、高官はフィリポに「洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか」と言いました。そこでフィリポはこの水で高官に洗礼を授けました。高官はエルサレムを出発してしばらく寂しい道を行きましたが、洗礼を受けてからは聖霊が彼と同伴するようになり、その道は喜びの道になりました。

 エルサレムからガザに至る道が、悲しみや暴力や分断の支配する道から、同伴者たる聖霊によって喜びと平和の道になることを願います。

「野の花がどのように育つか」  仁村真司教師

May 26, 2018

< 今 週 の 聖 句 >

 「なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花一つほどにも着飾っていなかった。」

                (マタイによる福音書6章28~29節)

「野の花がどのように育つのか」    仁村 真司

 今朝の箇所は言葉遣いが滑かで詩的です。イエスが見ていた風景が目に浮かんで来るようですが、「イエスの風景」の中に無いものについても語られています。「栄華を極めたソロモン」(29節)です。

 ソロモンは、イエスよりも約千年前に統一イスラエル王国が最大の繁栄を示した時の王です。ソロモンはつまりイスラエルの繁栄の象徴です。イエスはそのソロモンを野の花の引き合いに出して、「栄華を極めたソロモンでさえ、この花一つほどにも着飾っていなかった」と言っています。

 このようなイエスの感覚は、後に、ソロモンの時代の神殿よりもヘロデがよほど豪華につくり直したエルサレムの神殿を訪れた際に、わずかレプタ二つを賽銭箱に入れる貧しいやもめに目を止め、「だれよりもたくさん入れた・・・自分の持っている物全て、生活費を全部入れたからである」と語り、弟子が神殿の豪華さに目を奪われていると「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」と言う(マルコ12章41~13章2節)、こういう所にも繋がっていると思います。

 今朝は、およそ二千年前にイエスはどのような「風景」(現実)の中にいたのか、そこで何を見ていたのか。そして、イエスが「空の鳥をよく見なさい」・「野の花がどのように育つのか注意して見なさい」と言うことによって現在の私たちに何が示されているのか、イエスは私たちに何を「よく見なさい」と言っているのか、これらのことについて考えて行きます。

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