「心のままに」        深見祥弘牧師

September 01, 2018

<今週の聖句>

この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。            

(マルコによる福音書12章44節) 

「心のままに」           深見祥弘

 広島県呉市は、7月の西日本豪雨において被災しました。呉には20のキリスト教会(教団呉平安教会、呉山手教会も含む)がありますが、被災に際し、これらの教会が早期に支援組織「キリスト教会・呉ボランティアセンタ-」を創設し、運営を行っています。これを可能にしたのは、20教会が教派を越えて40年間牧師会で交わりを続けてきたことと、2014年の広島土砂災害をきっかけに、「広島宣教協力会」(31加盟教会・団体)内に「キリスト教・広島災害対策室(広キ災)」を設置したことです。呉ボランティアセンタ-は、この広キ災の現地ブランチとして7月12日より活動を開始しました。

 イエスはエルサレムに入場されると、毎日神殿の境内で教えられました。

この日は、「ダビデの子メシヤ」について話されました。律法学者たちは、メシヤが、イスラエルの王ダビデのようにエルサレムに凱旋入場し、力をもつてこの都をロ-マから解放すると考えていました。そうした中、彼らは「ダビデの子に、ホサナ」と叫ぶ人々の声を聞きましたが、律法学者たちが見たイエスは、質素な衣でろばの子に乗り、わずかな弟子を従える者でしたので、この者がダビデの子・メシヤであるとは到底考えることはできませんでした。ちょうどその時、イエスは、貧しいやもめが彼女の全財産であるレプトン銅貨二枚を賽銭箱に入れるのを見て、まことのダビデの子・メシヤもまた誰よりも自らを低く貧しくし、すべてをささげる者であると話されたのです。

 今、わたしたちの教会では、豪雨で被災された教会や信徒の方々を覚えて募金をしています。私たちは、イエスが持っているものすべてを私たちにささげて下さったことに感謝し、また被災地にあって懸命に仕えている諸教会を手本に、心のままにおささげいたしましょう。

「手を大きく開きなさい」       深見祥弘牧師

September 08, 2018

<今週の聖句>

この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい。                (申命記15章11節)

「手を大きく開きなさい」       深見祥弘

 申命記は、モ-セ五書(律法)の第五書です。この書は、イスラエルの民がカナンに入る直前に、モ-セが語った告別説教の形をとっています。モ-セは、神によってエジプトから救い出された出来事を思い起こすと共に、約束の地カナンにおける生活についても教えています。

 申命記15章でモ-セは、「負債の免除」についてこう教えています。あなたがたが、約束の地カナンで生活を始めると、様々な理由で貧富の差が生じるであろう。①その時、あなたがたのそばに貧しい同胞がいるならば、あなたがたはその人の必要とするものを十分に貸し与えなければならない。②また、あなたがたは、この同胞への負債を七年ごとの「免しの年」に全額帳消しにしなければならない。③さらにあなたがたが、同胞から負債を求められたとき、「七年目の負債免除の年が近い」からと言って貸し渋りをしてはいけない。④もしあなたがたが、貸し渋りをしたり、負債免除の法に従わず、その同胞より訴えがなされるならば罪を問われることになる。

 聖書は「この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。」と書いています。聖書の時代から今日に至るまで世界の貧困と負債の問題は、かわることのない問題です。しかし、そのような歴史の中で、イエス・キリストが私たちにご自身の全てを貸し与えてくださり、私たちの負債(罪)を全額帳消しにしてくださることは真実です。十字架でイエス・キリストがわたしたちに大きく手を開いてくださっているように、わたしたちも、貧しい人々に大きく手を開きましょう。「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる」(マタイ26:11)、この人々はキリストを常に覚えさせてくださいます。

「行って、あなたも同じようにしなさい。」 仁村真司教師

September 15, 2018

< 今 週 の 聖 句 >

 「『さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。』律法の専門家は言った。『その人を助けた人です。』そこで、イエスは言われた。『行って、あなたも同じようにしなさい。』」

                 (ルカによる福音書10章36~37節)

     「行って、あなたも同じようにしなさい」    仁村 真司

 今朝は、伝統的に「善きサマリア人」・「悪いサマリア人」と呼ばれているイエスのたとえ話を、「普通の人々」の話として捉えて行きます。追いはぎに襲われた人を「見て憐れに思い」(33節)助けたサマリア人も、「見ると、道の向こう側を通って行った」(31、32節)、助けなかった祭司やレビ人も、その他のたとえ話の登場人物も、全て普通の人たちだということです。イエスはだれのことも特別に「善い」とも「悪い」とも言っていません。

 また、イエス自身、金持ちの男に「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」と聞かれた時、「なぜ、わたしを『善い』というのか。神おひとりのほかに、善いものはだれもいない」と言っています(マルコ10章17~18節、マタイ19章16~17節、ルカ18章18~19節)。

 確かにサマリア人が傷ついた人を助けたことは「善いこと」ですが、イエスがこのたとえ話によって示しているのは「『善いサマリア人』と同じように『善いこと』をしなさい」ということではないと思います。

 たとえ話の前にイエスは、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と「隣人を自分のように愛しなさい」を「実行しなさい」と言っています(28節)。

 イエス・キリストは、「普通の人々」のたとえ話によって、私たち普通の人々を、「隣人を自分のように愛すること」、そして「神を愛すること」へ導いています。

「弱さを知る」   川上幹太牧師

September 22, 2018

< 今 週 の 聖 句 >

「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。」

(マルコによる福音書14章41節)

「弱さを知る」     川上幹太(長浜教会)

今月の頭に近畿を直撃した台風21号で、広い範囲に被害が出ております。長浜教会の被害も大きかったですが、信徒は特に農家の方が酷い被害を受けています。突然予期せぬ破壊が起こり、いろいろな大切なものを喪失する経験をしました。人間の力で防ぎきれない自然の猛威による被害を、どう受け止めて行けばよいでしょうか。

 嵐のようなイエスの受難のときが近づくなかで、弟子たちは睡魔に負けて寝てしまいました。完全に隙を突かれた弟子たちは、恐れにとらわれ、イエスを見捨てて逃げてしまいます。しかし正気に戻った弟子たちは、イエスが逮捕されたのに、助けることができなかったことを後悔したでしょう。後になってから、あの時こうしていれば、と繰り返し考えたかもしれません。

 イエスはこれから起こること、弟子たちの「つまずき」を先に予告しておられました。そこには、弟子たちの過ちであるという以上の意味があります。イエスがすべてをご存じであり、聖書の通りだと言ってくださり、「これでいい」と言ってくださること、ここに罪のゆるしの先取りがあり、神さまはすべての悪いものを良いものに変えてくださるのです。

 この「つまずき」は弟子たちにとって必要なことでした。弟子たちは、自分にはどうすることもできないことがあるという、限界を知ることになりました。自分の弱さを知ることはしかし、あきらめや絶望で終わるものではありません。自分が何もできないときこそ、神さまが働いておられるのです。自分の力を頼みとするのではなく、本当に神のみを頼みとして生きるための試練であったのです。

「とりなす者」 深見祥弘牧師

September 29, 2018

 <今週の聖句>

モ-セは主なる神をなだめて言った。・・どうか、燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください。 (出エジプト32章11、12節)

「とりなす者」         深見祥弘 

 「前穂の東面」(1939年)は、山岳写真家船越好文さんの作品(写真)です。前穂高の大岩壁に向かう二人の登山者、その一人は、「ビルマの竪琴」のモデルと言われる中村徳郎(1918~44)です。彼はエベレストに登ることを夢見、平和を願いつつこれに抗しえず、徴兵され激戦地(フィリピン方面)で消息を絶ちました。(毎日新聞9月5日朝刊より)

 今朝の御言葉は出エジブト記32章です。エジプトを脱出したイスラエルの民は、やがてシナイ山のふもとに到着しました。主がモ-セに神の山に登ってくるように命じられると、彼は民をふもとに残し、従者ヨシュアと山に登り、中腹にヨシュアを残して頂きに立ち、40日間そこに留まりました。

なかなか下りてこないモ-セに業を煮やした民は、「我々に先立って進む神々を造ってください」とアロンに求めました。アロンは民から金の耳輪を集めると、若い雄牛の鋳像を造り、祭壇を築いて献げ物をし、民は飲み食いして戯れました。主はこれを見て怒り、「わたしは彼らを滅ぼし尽す」と言われました。モ-セは「御自分の民にくだす災いを思い直してください」ととりなし、主の思いを変えたのでした。しかし、民の有様に怒ったモーセは三千人を殺させ、この罪によって親世代の民ともども、約束の地カナンに入ることは赦されませんでした。ヨシュアと子世代が、その地に立てたのです。

 とりなし人モ-セは罪人でしたが、イエスを指し示す者でした。長い時を経て主は、真のとりなし人イエスを世に遣わしてくださいました。イエスは十字架から「父よ、彼らをお赦しください。」(ルカ23:34)ととりなしを祈り、十字架の贖いによって人々の罪を赦し、すべての人を約束の国に導き入れて下さいます。私たちもこの確信により、とりなしの祈りができるのです。

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