「主は振り向いて見つめられた」     深見祥弘牧師

April 06, 2019

                        

 <今週の聖句>

主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。(ルカによる福音書22章61~62節)

「主は振り向いて見つめられた」     深見祥弘

 先日、「まばたき」について書かれた新聞記事を読みました。まばたきは、目を涙で潤し、ほこりなどから角膜を守ります。同時に最近の研究でまばたきは、脳の沈静化や、コミュニケ-ションにも関わりのあることがわかってきました。人は緊張や恐れを感じると、まばたきが増え、脳をリラックスさせます。また人と人が対面した時、しだいにまばたきのタイミングが合うようになって、対話や互いの理解がスム-ズにできるようになるそうです。

 ゲッセマネの園で捕えられたイエスは、大祭司カイアファの家に連行され、取り調べを受けました。弟子のペトロは連行されるイエスに従い、家の中庭で火を囲む人々に混じって腰を下ろしました。ペトロはその場にいた三人から、イエスの仲間だと指摘されました。これに対してペトロは、「わたしはあの人を知らない」と三度否認し、三度目の否認の言葉が終わらないうちに鶏が鳴きました。取り調べを受けていたイエスは、ペトロの方に振り向いて彼を見つめました。するとペトロは、イエスが最後の晩餐の後、「今日、鶏が鳴く前にあなたは三度わたしを知らないと言うだろう」(22:34)と言われたことを思い出し、外に出て激しく泣きました。

  ペトロは中庭にいて、何度もまばたきをしたことでしょう。たき火の灰や煙によって、また「お前も仲間だ」と言われて緊張や恐れを感じたからです。しかし、ペトロはイエスと目が合った時、イエスがこれからなそうとしておられることの意味を知り、まぶたを閉じて激しく泣き、悔い改めへと導かれました。私たちも緊張や恐れの中にある時、主イエスが見つめていてくださることに信頼し、感謝して新年度を歩みはじめましょう。

「楽園にいる」     深見祥弘牧師

April 13, 2019

<今週の聖句>

するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。         (ルカによる福音書23章43節)

「楽園にいる」          深見祥弘

 本日は、人々が棕梠の葉を打ち振り「ホサナ」との歓呼の中、イエスが子ろばに乗りエルサレムに入場された棕梠の主日です。今日からイエスの十字架への道行を覚える受難週がはじまります。

 今朝の御言葉はルカによる福音書23章、ここにはイエスが、総督ピラトの裁判を受けたこと、十字架にかけられ埋葬されたことが書かれています。

イエスは、ゴルゴタで二人の犯罪人と共に十字架にかけられました。十字架の下には、議員たち、兵士たち、そして民衆がいましたが、彼らは「メシヤであり王であるならば自分を救ってみろ」とあざ笑いました。イエスはこの人たちのために「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と父なる神にゆるしを願う祈りをささげられました。また一人の犯罪人がイエスをののしると、もう一人の犯罪人は「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことはしていない。」とたしなめました。そして彼が「御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」と願うと、イエスは、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」と言われました。イエスが十字架にかけられたのは午前9時で、12時ころには全地は暗くなり午後3時まで続きました。イエスは、この時旧約時代の王ダビデの祈りの言葉、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」(詩31:6)を大声で叫び、息を引き取られました。

 イエスは十字架上で、父なる神に罪人のゆるしを祈り、とりなしてくださいました。そして、信じる人にもすでに天上に召された人にも、救いの道を示してくださり「私と一緒に楽園にいる」と宣言してくださるのです。「楽園」は、苦しみも死も共にしてくださる主が備えてくださいます。

「『ある』ことよりも『ない』ことが大切」    深見祥弘牧師

April 20, 2019

 <今週の聖句>

なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。      (ルカによる福音書24章5~6節)

「『ある』ことよりも『ない』ことが大切」    深見祥弘

 日曜日の明け方早くに、婦人たちはイエスの体に香料を塗るため、墓に出かけました。墓に到着すると、すでに入り口の石が転がしてあり、中に入ってみると、イエスの体がありません。婦人たちが途方に暮れていると、輝く衣を着た二人が現れ、ひれ伏す彼女たちに「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」と告げました。婦人たちは、この言葉を思い出し、墓を出て、11人の弟子たち、そして一緒にいる人々のところにもどり、これを伝えました。しかし、弟子たちは彼女たちの話を馬鹿げたことと思い信じることができません。ペトロだけは、これを聞いて墓に行き、体を包んだ亜麻布の残されているのを見て、驚きながら家に帰ったのでした。

 私たちは、主の復活を記念する日曜日ごとに教会に来ます。教会の入り口は開かれ、私たちは共に十字架にかけられ死んだイエスの「ない」ことを確認します。でも、この「ない」ことがとても大切です。私たちは、教会でイエスの言葉を思い起こし、あるはずの墓(教会)に主がなく、私たちの思いをこえたところに主がおられることを知り、この驚きを携えて出発し、主の復活を告げ知らせるのです。私たちは日曜ごとに「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」との福音を聞き、礼拝を守り、派遣されてゆきます。そして復活の主が、場所や時代をこえて、生者・死者と共におられ、復活の命を与えてくださることが実現したと確信するのです。主の復活を心から喜び祝います。

「彼女の思い出として」 仁村真司教師

April 27, 2019

< 今 週 の 聖 句 >

 「はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」

(マルコによる福音書14章9節)

「彼女の思い出として」       仁村 真司

 ベタニアの重い皮膚病の人シモンの家の食事の席で、一人の女性が非常に高価なナルドの香油をイエスの頭に注ぎ、イエスは「前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」と言います。

 この女性はイエスの死を予期していたということになりますが、イエスから伝えられていたのではないと思います。また、伝えられたからといって受け止められることでもないと思います。

 イエスは弟子たちに三回にわたって自らの受難と死、そして復活を予告しています(マルコ8章31-32節「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥され殺され、三日の後に復活する」・9章31節「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」・10章33‐34節「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する」)。しかし、弟子たちはイエスの差し迫った死を予期することも、受け止めることも出来ませんでした。

 では、どうしてこの女性はイエスの死を予期し、そして受け止めることが出来たのでしょう・・・。

 この女性がイエスに香油を注いだことによって示されているのは、この世を生き、十字架へ、死へと向かって行くイエスへの信頼・愛です。

 そして、イエスは「この人のしたことも記念として語り伝えられる」と言っています。この女性のイエスへの信頼・愛は信仰であるということです。

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