≪次月 6月(2019)礼拝説教要旨 前月≫

 

 

「くじで選ばれたマティアさん」     深見祥弘牧師

June 01, 2019

 <今週の聖句>

二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十一人の使徒の仲間に加えられることになった。      (使徒言行録1章26節)

「くじで選ばれたマティアさん」      深見祥弘 

 私たちは、礼拝堂に花を飾り、子どもたちと一緒に「子どもの日・花の日」の礼拝を守っています。ここには、いろいろな花が飾られていますが、それぞれその花らしく咲き、神の恵みの素晴らしさを私たちに証ししています。

 今朝は、「くじで選ばれたマティア」の話をします。イエスは復活後40日間、ご自分が復活したことを人々にお示しになられ、弟子たちの見る中、エルサレムの近くオリ-ブ山から天に昇られました。エルサレムに戻ったペトロは、仲間の弟子たちや信じる人々120人に言いました。「主イエスは、私たち12人を弟子にしました。しかし、その一人イスカリオテのユダは、主を裏切り、死にました。この出来事は、聖霊を受けたダビデ王が告げているように、神の御計画されたことでした。ここで、ユダに変わって務めをはたす者を選びます。その人は、主イエスが働きを始められて以来、昇天されるまでの期間主と一緒にいた人で、主イエスの復活を証しする人です。」 人々は、ヨセフ(ギリシャ名がバルサバ、ラテン名がユスト)とマティアの二人を選び、神に祈ってくじを引きました。その結果、くじは、マティアに当たったので、人々は彼を使徒に加えました。

 くじを引くことは、主イエスの時代、神の意志を知る方法として行われました。神の思いは、私たち人間にははかり知ることができません。なぜ主イエスはイスカリオテのユダを弟子とし、また、なぜ神は宣教のために色々な国の人々と交わりのあるヨセフではなく、マティアを使徒に選んだのでしょうか。実はくじで選ばれたマティアとは、神の御計画の中にあって、神の恵みを証しする私たち一人一人のことです。主が、私たちを選んで下さったその意味をたえず問いながら、委ねられた務めをはたしてゆきたいものです。

「天の父のプレゼントは聖霊です」    深見 祥弘牧師

June 08, 2019

<今週の聖句>

求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。

・・・天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。

(ルカによる福音書11章9・13節)

「天の父のプレゼントは聖霊です」    深見祥弘

 主イエスは十字架で死に、3日目に復活し、40日にわたり人々に現れ、天に昇られました。そして50日目(ペンテコステ)、祈る人々に聖霊が降りました。今朝は、聖霊降臨日です。キリスト教は、父なる神、子なるキリスト、そして聖霊なる神、この3つを1つの神として礼拝します。神は3つの姿(ペルソナ)を持つ1つの御方で、この3つの姿は互いに響き合いながら(ペルソナとは、「~のために響く」の意)愛の働きをします。では、聖霊なる神とは、どのような御方なのでしょうか。①聖霊は、私たち一人一人の心に神の愛(命)を届けてくださいます。②聖霊は、私たちを弁護してくださいます。聖霊は私たちと共にいて、御旨を解き明し、とりなしをしてくださるのです。③聖霊は、教会と御国を創造し、私たちを清め招き入れてくださいます。

 ルカによる福音書11章で主イエスは、弟子たちに「主の祈り」を教え、「ある人が真夜中に友人宅にパンを借りにいった話」をされました。そして「求めなさい。そうすれば、与えられる。天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」と教えてくださいました。「主の祈り」は、御名が崇められることと御国が来ること、そして人々の現在、過去、未来に、養いと罪のゆるしと守り導きを願うものです。主イエスが天に昇り人々のもとを去られてから、人々は主の祈りを祈ることによって、与えられている聖霊なる神を求め、探し、見出してきました。また主の祈りを祈ることは、聖霊による神の創造の進展を願うことでもあります。私たちも「主の祈り」を祈ることによって、聖霊を求め、探し、御国の門をたたきましょう。そうすれば父なる神は、求める私たちに、聖霊による恵みをプレゼントしてくださることでしょう。

「 心の内側 」    仁村 真司教師

June 15, 2019

< 今 週 の 聖 句 >

 「サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。『主よあなたはどなたですか』と言うと、答えがあった。『わたしはあなたが迫害しているイエスである。』」

(使徒言行録9章4~5節)

「 心の内側 」         仁村 真司

  サウロ(パウロ)は、キリスト者を迫害するためにダマスコに向かう途中、突然天からの光に照らされます。そして、地に倒れ「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」というイエス・キリストの声を聞きます。

 この時、「同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えずに立っていた」(7節)とありますが、後にパウロ自身は「一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけられた方の声は聞きませんでした」と語っています(22章9節)。

 いずれにせよこの出来事は、他の人たちにはわからない(見えない、聞こえない)サウロの「心の内側での出来事」だったと考えられます。

 この出来事を通して、「なおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで」いたサウロが(1節)、「すぐあちこちの会堂で、『この人こそ神の子である』とイエスのことを宣べ伝え」ることになります(22節).

 これまでは律法に従うことが神に従うことであった。しかし今、神はイエス・キリストを示された。イエス・キリストを信じることが神に従うことになった。サウロはそのように受け止めたのだと思います。

 ですから、これを「サウロの回心」と言うのは厳密には正しくありません。サウロは神を信じ続け、神に従い続けようとしています。

 視点を換えれば、ここで示されているのは神がサウロ(パウロ)を絶えず導いていたということです。

「主が招いていてくださっています」    深見祥弘牧師 

June 22, 2019

<今週の聖句>

悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、

罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、

与えられているものなのです。       (使徒言行録2章38~39節)

「主が招いていてくださっています」    深見祥弘 

 私は、1978年クリスマスに洗礼をうけました。学生であった私は、教会に出席する若い人たちとの交わりが楽しくて、罪の自覚もないままに、洗礼式に臨みました。また1982年より教会担任教師として働きをはじめ、以来6つの教会に遣わされ、教師としての生活も38年目をむかえました。寛容な神さまは、信仰者としても、宣教者としても欠けの多い私を用いてくださいます。いや、かえって神さまは、だめな私だからこそ救いの恵みを与え、このような者にも主の招きのあることを示し、神の栄光をあらわされるのです。そして、そのような私を悔い改めに導き、また教師として成長させてくださっているのは、聖霊なる神と教会とそこに集う人々であると感謝しています。それは今も与えられる聖霊の賜物であります。

 今朝の御言葉は、使徒言行録2章37~47節です。ここには、ペトロの説教を聞いて悔い改めた人々に聖霊の洗礼(バプテスマ)が与えられたこと、教会ができたこと、そして教会に多くの人々が加えられたことが書かれています。神がこれらを行われたのは、①人々が一つとなって助け合うため(2:44~45)、②人々が一つとなって神を賛美(礼拝)するため(2:46)、そして③人々が唯一の救いをいただくため(2:47)でありました。この三つのことこそが聖霊の賜物であります。私もこの聖霊の賜物をいただき、これまで信仰者として、また牧者として整えられてきました。主が招いておられる人は、この聖霊の賜物をいただき、神の愛を証しすることができるのです。

 

「今日のようにして下さったのは主です」   深見祥弘牧師

June 29, 2019

 <今週の聖句>

あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである。                  (申命記8章18節) 

「今日のようにして下さったのは主です」   深見祥弘

 今朝の御言葉は、旧約聖書の申命記(しんめいき)です。申命記の「申」には「重ねる」の意味があり、重ねて語られた命令という名が付けられました。皆さんには、なじみのない書であるかもしれませんが、南王国ユダの王ヨシヤは、申命記を人々に読み聞かせ宗教改革(BC622年)を行いました。またイエスは、申命記の言葉「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4:4・申命8:3)、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」(マタイ22:37・申命6:5)を引用して人々に教えました。申命記は、重ねて語られる教えとして、今に至るまで人々を悔い改めに導きます。

 モ-セは、約束の地を目前にするモアブの地で、人々に別れの説教を行いました。その説教は、主がアブラハムと結んだ契約を覚え、イスラエルを自分の宝の民として愛し、奴隷であったエジプトから救い出して下さったこと、荒れ野の旅を導いてくださったこと、そして旅の途中に神の山ホレブで与えられた十戒についてのことです。その上でモ-セは、イスラエルが約束の地に入り豊かな生活をするようになっても、主を忘れることのないように注意しなさい、今日のようにして下さったのは主ですと教えたのでした。

 「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」、「心おごり、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい。」この言葉は、私たちを約束の国へと導く励ましの言葉です。「今日のようにして下さったのは主です」と主に告白し、感謝を献げましょう。

Please reload

© OMI HACHIMAN CHURCH. All rights reserved. W.M.ヴォーリズが愛した教会