≪次月 11月(2020)礼拝説教要旨 前月≫

 

 

2020.11.22 降誕前第5主日

<今週の聖句>

主の御使いは彼に現れて言った。「勇者よ、主はあなたと共におられます。」・・・

「あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか。」

(士師記6章12、14節)

「酒ぶねの中で小麦を打つ」 深見祥弘牧師

                        <今週の聖句>

主の御使いは彼に現れて言った。「勇者よ、主はあなたと共におられます。」・・・

「あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか。」

(士師記6章12、14節)

「酒ぶねの中で小麦を打つ」      深見祥弘

 本日は、教団で定める収穫感謝日・謝恩日です。長年、教会や諸施設・団体、学校などで働き隠退された教師の方々や、教師と共にあってその働きを支えてこられたご遺族の方々を覚える日です。隠退教師とご遺族の上に、主のねぎらいと慰めが豊かに与えられますようにお祈りいたします。

 

 今朝のみ言葉は、旧約聖書・士師記6章です。書名にもなっている「士師」(ショーフェート)とは、「裁く人」、「治める人」を意味する言葉です。イスラエルを敵から救った英雄たち(ギデオン、サムソンなど)を「大士師」、共同体の維持のために働きをした指導者たちを「小士師」と呼び、合わせて12人おります。この士師たちが活躍したのは、ヨシュアの死からサウル王の即位までの180年間(BC1200~1020年)です。そして、12人の士師たちの中で5番目に登場するのが、これからお話するギデオンです。ギデオンは、イスラエル12部族の中のマナセ族の出身で、彼はマナセ族の中のアビエゼルの一族、ヨアシュの子です。アビエゼルの一族は、マナセ族の中では弱小の一族で、ギデオンはヨアシュの末っ子でありました。

さて、麦の収穫期になると、シナイ半島からヨルダン川の東の地モアブに住むミディアン人が、他の諸部族と共に大軍を編成し、イズレエル平野に侵入し収穫物を略奪するということが数年続いていました。このことによってイスラエルは、非常に弱くなり、主なる神に助けを求めました。

その後、主の御使いが、ガリラヤ湖の西、タボル山近くオフラの町のテレビンの木の下にあらわれました。そこに、収穫した小麦を酒ぶねの中で打つギデオンがいたからです。石灰岩を掘って舟のような形にした酒ぶねは、ぶどうを圧搾するためのものです。ギデオンはミディアン人を恐れ、酒ぶねに身を隠しながら、麦打ちの作業をしていたのでした。彼は、とても臆病で用心深い人でありました。主の御使いがギデオンに呼びかけました。「勇者よ、主はあなたと共におられます」(12) ギデオンが答えました。「主なる神がわたしたちと共においでになるのでしたら、なぜこのようなことがわたしたちにふりかかったのですか」(13)  すると主ご自身があらわれて、「あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか」(14)と言われました。ギデオンは「わたしの一族は、マナセ族の中で最も貧弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です」(15)と答え、主が共におられると証明するしるしを求めました。主の御使いは、ギデオンに岩の上に子山羊の肉とパンを置き、肉汁を注ぐように命じました。御使いが杖を差し伸べると、岩から火が燃えあがってそれらを焼き尽くしました。ギデオンは、そこに祭壇を築き、その場所を「平和の主」と名付けたのでした。

 ついに敵の軍勢が来て、イズレエルの平野に陣を敷きました。その数は13万5千人でした。ギデオンが角笛を吹き鳴らすと、イスラエルのマナセ族、アシェル族、ゼブルン族、ナフタリ族が集結し、ハロドの泉のほとりに陣を敷きました。その数は、3万2千人でした。ギデオンは、自分たちの4倍の軍勢を見て、主に再びしるしを求めました。ギデオンが、羊の毛を麦打ち場に置くので、毛だけに露を置き、土は乾いているようにしてくださいと願うと、そのとおりになりました。また、毛が乾いていて、土には一面露が置いてあるようにしてくださいと願うと、そのようになりました。これによって、ギデオンは、主が共におられ、主が彼の手によってイスラエルを救おうとしておられることを確信したのでした。

 今度は主がギデオンに求めました。「あなたの率いる民は多すぎる。ミディアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう」(7:2)

 それゆえに、2つのことをしてその数を減らすように命じました。まず、兵士たちに丘の上から敵を見せ、「恐れおののいている者は皆帰れ」(7:3)と言いなさい。ギデオンがそう言うと、2万2千人が帰って行きました。主は「まだ多すぎる」(7:4)と言われ、1万の兵士たちをハロドの泉に連れて行くように命じられました。泉に着くと多くの兵士がひざをつき、かがんで犬のように水を飲みました。それに対し少数ではありましたが、周囲を警戒しながら手で水をすくって飲んだ兵士もおりました。主は、手で水をすくって飲んだ「3百人をもってわたしはあなたたちを救う」(7:7)と言われました。この兵士たちこそ、敵の大軍を見ても恐れず、その攻撃に備える用心深い者たちであったのです。

 ギデオンは、この兵士たちをさらに3つの小隊に分け、全員に角笛と空の水がめと松明を持たせて敵を取り囲む位置につかせると、「わたしを見て、わたしがするとおりにせよ」(7:17)と命じました。すでに主は敵兵に臨んで、彼らに恐れの心を与えておられました。「深夜の更の初め(午後10時ころ)」、3百人の軍勢は、ギデオンにならって一斉に角笛を吹き鳴らし、水がめを砕き、松明をかざして、「主のために、ギデオンのために剣を」(7:20)と叫びました。眠りをさまされた敵の兵士たちは、闇の中で大混乱に陥り、同士討ちをはじめ、やがて敗走していきました。ギデオンが士師であった40年間、敵は彼を恐れて再び来ることはなく、イスラエルはギデオンと共にあって平和にすごしました。

 主はイスラエルの救いのために、信仰においても力においても弱いギデオンを選ばれました。しかしこのギデオンが、12人の士師たちの中で最も大きな働きをすることになりました。それは彼が「主が共におられる」との信仰と、「主はわたしの手によってイスラエルを救おうとなさっている」との召命を得ることができたからです。

 

 この御言葉によって、私たちのことを考えてみたいと思います。父なる神は「主が私たちと共にいる」ことを御子イエスの降誕によって示され、私たちの「救い」をイエスの十字架と復活によって実現してくださいました。

私たちにとって、主イエスこそ、神が私たちと共にいてくださる「しるし」でありますし、救いの「しるし」であります。しかし私たちは、日々の出来事の中で「主が私たちと共にいてくださること」と「救いが与えられる」ことのしるしを求めます。私たちは弱い者ですから、主はそれをゆるしてくださり、その度に主イエスを私たちに示してくださいます。私たちは、主イエスというしるしを示され、日曜ごとに「平和の主」の祭壇をここに築きます。しかし、「平和の主」の祭壇を築く人は、この国では少数です。ギデオンに従った3百人の兵士と同じです。それでも、主が共にいてくださること、主が私たちの手によってすべての人々の救いを実現しようとしておられることを確信し、現在の士師として私たちは働きをするのです。

隠退された先生方もまた、「主が共にいてくださる」との信仰と、「主がわたしの手によって人々を救おうとなさっている」との召命によって働きをされました。先生方の中には、ギデオンのように危機の教会を救った方もおられるでしょうし、教会の維持のために懸命に仕えた方もおられます。しかし、いずれの先生方も弱さをおぼえながら、「主はあなたと共におられます・・・わたしがあなたを遣わすのではないか」、この言葉に励まされ、同じ信仰をいただいている家族と共に、また教会に連なる兄姉と共に、その働きをされたのでした。この方々を選び、遣わし、お用いになられた主を賛美いたします。

2020.11.15 降誕前第6主日
特別伝道礼拝

 <今週の聖句>

    いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。

   これこそ、キリスト・イエスにおいて、神が望んでおられることです。

 (テサロニケの信徒への手紙第一5章16~18節)

​中村信雄教師(ヴォーリズ病院チャプレン)

『永遠のいのちを、今、生きる』

2020年11月15日 

ヴォーリズ記念病院 チャプレン 中村信雄

 

この世に誕生した私たちが避けられないこと、それは肉体の死を迎えることです。死を前にしたとき、私たちには大きな痛みが伴います。不安、焦燥感、恐怖、悲しみ、淋しさ…。私も死を恐れています。「チャプレンなのに?」と思うかもしれませんが、恐ければ恐い、不安なら不安と先ずは本音を言えることが大切です。

そんな私に転機がありました。聖書を読んでいて2つのことに気付いたのです。1つ目は、「永遠のいのちは肉体の死後に始まるのではない」、ということです。信じる者となったとき、すでに得ているのです。死に左右されません。2つ目は、「永遠の命とは、神様との交わり、救い主との交わりを持って人生を歩むこと」、ということです。地上で生きているときも、天の国で生きているときも、いつも神様が共にいてくださる。いつも救い主が共にいてくださる。その現実を生きるのです。

死の向こう側に永遠のいのちがあると思っていた頃、死は信仰を試す”ふるい”のように感じていました。でも永遠のいのちの中に死もあるのです。肉体の死のときも、倒れ伏す私たちを神様が受け止めてくださる。「これまでよく頑張ったね。私の自慢の子どもだよ。」と、その手の中で抱いてくださる。そう思えると随分と楽になりました。

信仰を持った私たちが避けられないこと、それは「永遠のいのちを、今、生きる」ということです。本当に大切なことに目を向けて、神様と共に、救い主と共に、今、生きるのです。顔を上げて、常に喜んで、絶えず祈って、全てのことに感謝しながら。永遠のいのちとは、いつも神様と共に生きる、救い主と共に生きる、そういういのちなのですから。

2020.11.8 降誕前第7主日

今週の聖句>

そこで、王は答える。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」

(マタイによる福音書25章40節)

「最も小さい者の一人に」        深見祥弘牧師

  <今週の聖句>

そこで、王は答える。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」

(マタイによる福音書25章40節)

「最も小さい者の一人に」        深見祥弘

 今朝は、私たちの教会の収穫感謝礼拝を守っています。いつもは、子どもたちと合同礼拝を守り、教会の中庭でできたサツマイモ入りの豚汁を一緒にいただくのですが、今年は、コロナのためにそれができませんでした。今朝、子どもたちは、CS礼拝で収穫感謝礼拝を守りました。どうぞ、教会に連なる子どもたちの成長と信仰のためにお祈りください。

 教会の暦で11月は、1日(日)が永眠者記念日、そして22日(日)が収穫感謝日です。この月は、私たちの人生の実りと収穫をも覚える時であります。

 10月31日(土)、90年の生涯を終えて、立石嘉子さんが神様の御元に逝かれました。コロナ禍のため、ご葬儀は家族葬で行われ、教会の皆さんはお別れをすることができませんでした。ここで、立石さんの生涯をご一緒にたどり、姉妹が残して下さった実りを共に味わい、神様の御名を讃えましょう。

 

立石(旧姓山本)嘉子さんは、1930年9月、京都府舞鶴市でお生まれになられました。お父様山本治三郎さんは、舞鶴の造り酒屋の息子さんで、滋賀県立商業学校に入学しました。そこで英語の教師をしていたヴォーリズさんと出会い、1905年12月、近江八幡教会でケリー博士から洗礼を受けられました。卒業後、お父様が郷里に戻ると、お家の人々からクリスチャンになったことを非難され、やがて信仰から離れてしまいました。ところが、それから15年ほどたった時、酒屋さんたちの慰安旅行である港に到着し波止場に降り立つと、偶然にもそこにヴォーリズさんがおられたのです。ヴォーリズさんは、「クリスチャンは、禁酒・禁煙だ。すぐに酒屋をやめて近江八幡に来なさい。」と言って叱りました。すぐに返事できずにいましたが、その後何度もヴォーリズさんから手紙が届きました。治三郎さんは、ついに酒屋をやめて、近江八幡に来て近江兄弟社教務部で働くようになりました。嘉子さん3歳の時のことです。嘉子さんは、9歳の時に、お父様お母様の信仰によって内炭牧師から幼児洗礼を受け、23歳の時に、信仰告白(紹介者一柳満喜子さん)をされました。女学校を卒業後、清友園幼稚園(間もなく近江兄弟社幼稚園と改称)に教諭として就職し、ご結婚されるまでの18年10か月、幼子に仕えました。また、教会でも日曜学校の教師としてご奉仕をしてくださいました。

 1967年9月、37歳の時、立石正文さん(京都葵教会員)と御結婚され、京都市伏見区で生活をするようになりました。紹介してくださる方がいてお二人は、左京区の日本クリスチャンアカデミー関西セミナーハウスで働きを始めます。働き始めて数年経った頃、正文さんが体調を崩しました。嘉子さんは、正文さんのために祈り、またスタッフの方々や教会の方々の支えや祈りをいただきながら14年間務められました。2012年に行われた教会信徒懇談会で立石嘉子さんは、その頃のことを振り返りながらこうお話しくださいました。「主人を家に残してきた日は、仕事の途中でも少し手をあけて、主人のために祈りました。祈りが中々聞かれない時は、正直私の気分にあせりもありましたが、まだまだ私の祈りが足りないのだと思って、もっと祈りました。こんな生活の中にあって心身共々疲労の極限に達した時、『お前ならできる』という声が私の耳にはっきりと、どこからか聞こえてきました。はっとして、少し間をおいて『はい必ずやります』と返事をしました。その時から又一層、力が湧いて来ました。神さまは耐えられる力を私に下さったのだと思いました。神さまが共に居て下さらなかったら、到底耐えられるものではなかったかと自分では思っています。私自身もぜんそくの持病、ペースメーカーも入れていますので、二人の病院通いの時も長く続きましたが、その時も力を与えられた事を不思議に思います。主人は普段から言葉数の少ない方でしたが、『嘉子、長いことすまなんだなあ』と小さな声で一言言って神さまの許に召されました。『今迄のすべての事、ありがとうございました』と、私は神さまに感謝のお祈りを捧げることができました。」

2001年12月、嘉子さん71歳の時、立石正文さんが召天されました。その後、嘉子さんは近江八幡にもどられ、ヴォーリズケアハウス信愛館に入居されました。私が着任した時、嘉子さんは81歳でしたが、毎週信愛館のお友達と一緒に礼拝に出席くださり、説教台のすぐ前の席にお座りくださって私の説教を聴いてくださいました。また教会バザーの時は、教会の庭のテントで、牛乳やリンゴジュースの売り場の奉仕をしてくださいました。しかし、しだいに礼拝に出席することが困難になられました。入居先も、ケアハウス信愛館からヴォ-リズ老健、そして安土やすらぎの郷へと変わられました。  

 先月、体調を崩して市医療センタ-に入院されました。これまでも心配な状態に立たれることが何度かありましたが、その都度乗り越えてこられましたので、今回も快復されるのではと願っておりました。コロナ禍にあって、安土やすらぎの郷への訪問も、病院へお見舞いに伺うことも叶いませんでした。大変心残りでありましたが、ひさしぶりにお顔を拝見し、安らかであられるのを見て、安心をいたしました。

 

今朝の御言葉は、マタイによる福音書25章31~46節です。ここには、最後の審判の時のことが書かれています。その時、「人の子」(イエス・キリスト)が天使たちを従えて来て、栄光の座に着き、王となられます。王はすべての国の人々を御前に集めると、あたかも羊飼いが羊と山羊を分けるように、人々を右と左に分けられました。そして王は、右にいる人々にこう言われました。「祝福された人たち。お前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」すると正しい人たちが、王に答えます。「いつわたしたちはそのようなことをしたでしょうか。」そこで王は、「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と言われました。

ここで言われている「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人」とは、誰のことでしょうか。まず、イエスご自身が「わたしの兄弟」と呼ぶすべての人々のことです。その中には、イエスの弟子たちや信者たち、イエスが訪れて癒し食事をした、病気の人々、貧しい人々、そして子どもたちも入っていることでしょう。さらに、飢え・渇き、旅をし、牢におり、裸である人とは、イエス御自身のことでもあります。ここで王が言っている「正しい人たち」とは、イエスさまを愛し、信仰者や弱き人々のために祈り助ける人のことで、この人々は、小さな愛のわざが顧みられて、天の国に迎えいれられるのです。

 

立石嘉子さんの御生涯を思う時、幼稚園や日曜学校に集まる小さな子どもたちを愛し、また病気であった正文さんのために祈り介護し、終生イエス・キリストと教会にお仕えになられました。神様は、お父様とヴォーリズさんとの出会いと再会という出来事によって、嘉子さんに信仰の道を備えてくださいました。また幼子に仕える喜びの時も、病の人を支える介護の時も、神様が力を与えてくださり、与えられた生涯を最後まで歩み、天の国に逝かれました。今、立石嘉子さんは、御国で主イエスと共にあって、生涯の中で出会ったすべての人々にむけて、「今迄のすべての事、ありがとうございました」と、感謝の祈りを献げておられることでしょう。立石嘉子さんに与えられた、神さまの豊かな恵みを覚え、神様のみ名を讃えます。

2020.11.1 降誕前第8主日

<今週の聖句>

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。・・神はあらかじめ定められた者たちを召し出して、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

   (ロ-マの信徒への手紙8章28~30節)

「輝かしい勝利」    深見祥弘牧師

 <今週の聖句>

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。・・神はあらかじめ定められた者たちを召し出して、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

   (ロ-マの信徒への手紙8章28~30節)

 

「輝かしい勝利」         深見祥弘

 本日は、当教会永眠者650名を記念する永眠者記念礼拝です。教会の暦で11月第一日曜日は永眠者記念日です。しかし、今年はコロナの感染予防のため、先週10月25日(日)と本日11月1日(日)の二回に分け、教会員と新召天者の御家族のみで行うことといたしました。昨年は教会員・御遺族170名が集まって礼拝を守りましたが、それでは密をさけることができません。こうした理由で、教会員の御家族や御遺族には、ご出席をおひかえいただくようにご案内を差し上げました。本当に心苦しく思っております。来年の永眠者記念礼拝は、コロナも終息し、関係の皆さんが集まってこの礼拝を守ることができることを願っております。

 昨年の永眠者記念礼拝から今日までの間に私たちは、新たに5名の兄姉

(福井喜美枝姉・2019.12.26、永原三郎兄・2020.4.28、福井貴人兄・同.10.2、

三品隆左衛門兄・同.10.5、廣瀬廣吉兄・同.10.18)を神さまの御元にお送りいたしました。私がこの教会で働きを始めたのは、2012年4月のことですが、着任以来51名の方々をお送りしたことになります。

 

今朝は、今年4月28日、99年と3ケ月の生涯を終えて神さまの御元に逝かれた永原三郎兄のご生涯を覚えたいと思います。永原さんは、1921年1月安土町にお生まれになりました。高等小学校を卒業後、福岡県の繊維関係の会社に就職し、仕事をしながら夜間の旧制中学で学びをされました。1941年6月徴兵となり、1945年10月まで兵役につきました。1946年4月、25歳の時、㈱近江兄弟社に入社し29年間務められました。主には、営業の仕事をされましたが、それはとても楽しく希望に満ちたものでありました。また入社した年の9月28日、安土教会で吉田政治郎牧師より洗礼を受けられました(1947年5月当教会に転入会)。1947年10月には、御親戚の永原ふみさんと結婚され、二人のお子さんにも恵まれました。倒産によって54歳で退職され、それまでは町や地域の事に関わることができませんでしたが、安土町の様々な働きにボランティアとして関わるようになりました。永原さんは「これら多くの奉仕、ボランティア活動等を考えますと、あまり役に立たない私を神さまがとらえてくださり、多くの方々との出会いや交わりを与えてくださいました。すべては神からの賜物であり、私の一生の宝と感謝いたしております。」と回想しておられます。その奉仕は、安土町が近江八幡市と合併するまで続けられました。

永原さんには、忘れがたい出来事があります。永原さんは1941年6月、20歳の時に徴兵されました。浜松の部隊に召集された翌日、多くの召集者の中から一人呼び出され、本部事務室の人事・功績担当を命じられました。事務能力にたけていた訳でもなく、この時なぜ選ばれたのかわかりませんでした。部隊には、2ケ月ごとに召集された兵士たちが集められ訓練を受けると、次々に中国東北部(満州)、中国本土、そして南方の前線に派遣されていきました。そしてそのほとんどの者たちが、戦死をしました。ある時、永原さんは上官に、自分も派遣してほしいと願ったそうです。しかし願いは聞き入れられず、終戦までの4年6ケ月、そこで事務の仕事を続けたのでした。

 終戦の翌年、永原さんは㈱近江兄弟社に入社し、初めてキリスト教に出会いました。近江兄弟社には複数の牧師がいて、当時は聖書研究会が盛んにおこなわれていました。永原さんは牧師から、これからの日々をより良く過ごすために三つの聖書の言葉を、生涯の柱にするようにと勧められました。それは、「神我らと共にあり」(マタイ1:23)、「神の僕として生きよ」(Ⅰペトロ2:16)、「汝の敵を愛せよ」(ルカ6:35)でありました。永原さんは、これまでの日々について、どうしてもわからないことがありました。あの時、多くの招集された人々の中で、どうして私が選ばれ、事務を担当することになったのか、戦友のほとんどが亡くなり、また敵の兵士たちも多くが亡くなる中、どうして自分はこんな形で生き残ることになったのかという問いでした。 キリスト教に出会って知ったことは、神さまの御計画によって選ばれ生かされたということでした。それは永原さんの側に何か理由があって選ばれたのではなく、神さまの一方的な選びによってそのように導かれたということです。牧師から三つの言葉を教えられた永原さんは、これを生涯の柱としようと決心しました。生涯神さまから離れず、神の僕としてお仕えしよう、また今日まで元気に生かされているのは、イエスさまが一緒にいてくださるからであるし、敵味方の別なく多くの兵士たちの命をいただいていることに朝夕感謝しよう、こうした思いに導かれたのです。永原さんはいつも、礼拝に来られると「皆さんに支えられて感謝です」とおっしゃっておられました。

 

今朝の御言葉は、ロ-マの信徒への手紙8章です。ここに、このような言葉があります。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。・・・神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。」(28~30) ここにでてくる「御計画に従って召された者」とは、永原さんのことだと思いました。永原さんご自身は弱くてどう祈るべきかを知らない者でありましたが、神が選ばれた者であり、聖霊なる神が共にいて言葉に表せないうめきをもって父なる神さまに執り成してくださっていたのです(26)。「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、その御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」(32) 私が思うに イエス・キリストは、戦いの前線に出て行った兵士たちと共にあって死んでくださり、また死から復活されることで、亡くなったすべての兵士たちに死からの解放を与えてくださいました。合わせて聖霊なる神はこの亡くなった兵士たちの救いのために、うめきをもって父なる神に執り成していてくださいました。ここに神の愛があります。

またイエス・キリストは、永原さんに代わって戦いの前線に出て行って死んでくださり、また聖霊なる神がどのように祈ればよいのかもわからない永原さんにかわって、うめき執り成してくださったのです。ここにも神の愛があります。「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。剣か。・・しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。」(35~37)  今、永原三郎さんも戦友も敵兵もみな、イエス・キリストと聖霊なる神の執り成し、すなわち神の愛によって神の御計画である救いの恵みをいただき、まことに輝かしい勝利を共に喜んでいることでしょう。

 

わたしたちの生涯の目標は、それぞれの場において神の愛を賛美することです。わたしたちがどのような日々を過ごすにしても、神の愛を賛美することによって締めくくれるような生き方をしたいと願います。そのためにもわたしたちは、「わたしたちの主イエス・キリストによって示された神の愛」(39)が勝利する、この確信によって歩み、艱難の中にあっても、また永原三郎さんはじめ永眠された兄姉のように死の中からも神の愛を語りたいものです。

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