≪次月 5月(2020)礼拝説教要旨 前月≫

 

 

「私たちの弁護者」        深見 祥弘牧師

May 30, 2020

                        <今週の聖句>

しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、

あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起させてくださる。                      (ヨハネによる福音書14章26節)

「私たちの弁護者」        深見祥弘

 4月26日(日)より一ケ月にわたり中止してきた礼拝を、5月24日(日)より指定された組の皆さんで守る分散礼拝として再開をいたしました。本当は、これまでのように皆で集まり礼拝を献げたいのですが、60~70名が集まる礼拝は、3密を防ぐことが難しく、感染予防のために30名ほどの皆さんで礼拝を守ることにしました。今朝は教会役員と2・3・4組の皆さんが会堂に集まり、それ以外の皆さんは家庭で礼拝を守っています。

 「福音と世界」というキリスト教雑誌6月号に、土井健司氏(関西学院大学神学部)が、「教父学入門10  大ディオニュシオス−疫病蔓延期を生き抜いた監督」と題する小論文を書いておられます。これからお話することは、先生の書かれた論文からの引用です。ディオニュシオスは、アレクサンドリアの監督を紀元247~264年まで務めました。この在任中に、アレクサンドリアを含むロ-マ帝国内を疫病が襲いました。この疫病について、歴史家エドワ-ド・ギボンが著書「ロ-マ帝国衰亡史」にこう書いています。「250年から265年にかけて帝国全土のあらゆる属州、あらゆる都市、そしてほとんどすべての家庭を、間断なく荒らしまわった猛烈な疫病について・・・明らかにアレクサンドリア市住民の過半が死んでいることになる。今この推理をかりに他の属州にまで拡大してよいとなれば、おそらくわずか数年間に、戦争と疫病と飢餓とが、実に人類の半ばを殺していたと言って誤りなかろう。」 

また、教会史家エウセビオスの「教会史」には、ディオニュシオスがアレクサンドリアの教会の人々に書いた書簡についての記述があります。262年復活祭前の手紙には次のように書いています。「わたしたちの兄弟の大半は、あふれるばかりの愛と兄弟愛から、骨惜しみせずに互いのことを思いやりました。彼らは危険を顧みずに病人を訪れ、優しく介護し、キリストにあって仕え、」「亡くなった人を抱擁し、湯灌し、死装束で飾ってやりましたが、彼ら自身もしばらくして同じことをしてもらいました。」 ディオニュシオスは、この奉仕を「決して殉教に劣るものではない」と讃えています。

 今日は、聖霊降臨日礼拝(ペンテコステ)を守っています。ヨハネによる福音書14章の御言葉に聴いてまいりましょう。ヨハネ福音書13~17章は、イエスの告別説教です。最後の晩餐の席でイエスは、弟子たちにこう話しました。「あなたがたはわたしを捜すだろう。わたしの行く所にあなたたちは来ることができない。」「今、あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」 これを聞いて弟子たちは動揺し、「主よ、どこへ行かれるのですか。」と尋ねました。この問いにイエスは「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」(14:1~3)と答えられました。

イエスは、ご自分がこの後、神の御旨によって捕らえられ、十字架に架けられ、葬られ、復活し、父なる神のもとに昇天することを告げました。弟子は、イエスの行く所に従ってゆくことができません。しかし、イエスが、死んで復活し、昇天されるのは、彼らのために父の家に場所を用意しに行き、再び戻って来て(再臨)、彼らを神の国に迎え入れるためでありました。イエスは、それゆえに心を騒がせず神を信じなさいと、弟子たちに勧めをされたのです。

  さらに、イエスは再臨までの時を、どのようにして待ち、暮らせばよいのかを教えられました。まずイエスが、父なる神に別の弁護者を遣わして下さるように願うので、その方に従うようにと言われました。「弁護者」(パラクレ-トス)という言葉が出てきましたが、これは傍らに呼ばれた者という意味で、法廷の弁護者、また教えや慰めを与える者のことです。イエスは、これまで弟子たちの弁護者でありました。しかし、別れに際して、イエスは別の弁護者(「真理の霊」)を遣わしてくださるよう願うと語られたのです。イエスが「わたしは道であり、真理であり、命である。」(14:6)と言われたように、「真理」とはイエスご自身のことです。父なる神は、イエスが去ったあと、イエスの霊(聖霊)を弁護者として遣わしてくださり、弟子たちの傍らにいて教えや慰めを与えてくださいます。さらに、聖霊は、イエスがこれまで話したことをすべて思い起こさせ、その意味するところ(真理)をすべて明らかにしてくださるのです。

もう一つは、イエスが与えた新しい掟(互いに愛し合いなさい)を守ることでした。「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」、この掟を守る人は、イエスを愛する人であり、その人は父なる神から愛されます。またイエスも掟を守る人を愛し、そのようにして待つ人のところに再び来て下さる(再臨される)のです。聖霊の導きに従い、互いに愛し合うこと、これこそが「平和」であると告げられたのでした。

 ディオニュシオスが監督であった頃、疫病が多くの人々の命を奪いました。

しかし、その際教会の人々は、自らが感染することを恐れずに、病人を訪れ、介護し、そして自ら感染して世を去っていったことをお話しました。教会の人々は、「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛しなさい」という掟に従ったのだと思います。また、イエスによって、天の父の家に住む場所が用意されていること、そこに自分たちも迎えいれていただけることを希望としていたのです。

 同じように疫病に襲われている現在の教会を思い合わせた時、いろいろと考えさせられました。疫病の拡大により私たちは、感染予防のため、礼拝を休止したり、訪問やお見舞いを避けるなどしてきました。しかし、これまで毎日曜日に皆が集まって礼拝を献げてきた私たち、互いに愛し合うことを大切にしてきた私たちが、これでよいのだろうかという葛藤を持っているのも事実です。はたして、ウェブ配信による礼拝は礼拝なのか、ソーシャルデスタンス(社会的距離)を保ちつつ、互いに愛し合うことができるのか、などの思いです。わたしたちは、これからもこの疫病とつきあっていかなければなりませんが、今の世の中、殉教を覚悟して患者さんに仕えることなどできません。しかし、私たちは、「互いに愛し合いなさい」、そして「弁護者、すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教えてくださる」という御言葉によって力をいただきたいと思います。聖霊が、いかなる時もわたしたちに時宜にかなった道を示してくださるという信仰に立ち、福音を語るという委ねられた使命を果たしてまいりましょう。

う。

「エリアの衣」  深見 祥弘牧師

May 23, 2020

                       <今週の聖句>

落ちて来たエリヤの外套を取って、それで水を打ち、「エリヤの神、主はどこにおられますか」と言った。エリシャが水を打つと、水は左右に分かれ、彼は渡ることができた。                             (列王記下2章14節)

「エリアの衣」          深見祥弘

 5月14日(木)滋賀県は、「緊急事態宣言」の対象地域から外れ、外出自粛要請が解除されました。教会では、17日(日)臨時役員会を開き、4月26日(日)以来中止してきた日曜礼拝(教会役員のみ)を、分散礼拝(教会役員と指定された組の皆さんで守る)に変更することにいたしました。本当は教会員皆が集まり礼拝を献げたいのですが、70名が集まる礼拝は密を防ぐことが難しく、感染予防のため、しばらくは30名程度の皆さんで礼拝を守ることにいたしました。本日は、1組の皆さんと礼拝を守っています。

 

先週5月21日(木)は、イエス・キリストの昇天を記念する昇天日でした。

復活の主は40日にわたり、弟子をはじめ多くの人々のところを訪れ、復活を証しされました。また主は弟子たちに対して「父の約束されたものを待ちなさい。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」(使徒言行録1章4、8節)と告げ、話し終わると天に上げられました。使徒言行録は、主の昇天について「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。」(1章9~10節)と書いています。

 

本日の御言葉は、旧約聖書列王記下2章1~15節です。ここには、預言者エリヤの昇天の出来事が書かれています。エリヤが預言者として働きをしたのは、北王国イスラエル7代王アハブ(BC869~850在位)の治世です。アハブ王は政治的にも軍事的にも優れた手腕を発揮しました。フェニキア人の都市国家ティルス、シドンと同盟を結び、南王国ユダとも友好的な関係を維持していました。さらにアハブ王は、同盟関係をより確かなものとするためにティルス、シドンの王エトバアルの娘イゼベルと結婚しました。しかしイゼベルは、天候の神バアルと豊穣の神アシェラを王国内に持ち込み、主の預言者を迫害しました。エリヤは王に「イスラエルの神、主は生きておられる」と言って干ばつの到来を告げ、迫害を逃れてケリト川のほとりに、さらにサレプタの母子のもとに身を隠しました。その後、エリヤはカルメル山でバアルとアシェラの預言者たちと対決し勝利しましたが、王妃イゼベルがエリヤの命を狙ったので、荒れ野に身を隠しました。アハブ王は、22年にわたり王国を治めますが、アラムとの戦いで戦死しました。預言者エリヤもアハブ王の死から間もなく、その使命を終えて天に上げられました。

 列王記下2章1~15節にはエリヤが、弟子のエリシャに預言者の働きを委ねたときのことが書かれています。ギルガルに滞在していたエリヤは、主の命令でベテルに遣わされました。エリヤは、エリシャにギルガルにとどまるように言いますが、エリシャは「わたしはあなたを離れません」と答え同行しました。2人がベテルに到着すると、ベテルの預言者たちがエリシャのところに来て、「主が今日、あなたの主人をあなたから取り去ろうとなさっているのを知っていますか」と問いました。その時エリシャは「わたしも知っています。黙っていてください」と答えました。

その後、エリヤは主よりエリコに向かうように、さらにそこからヨルダンに向かうように命じられました。その際、エリヤとエリシャは、ベテルに向かう時と同じようなやり取りを繰り返しました。 ヨルダン川のほとりに到着したとき、エリヤが外套を脱ぎそれで水を打つと、川の水が分かれ、2人は乾いた土の上を歩いて渡りました。向こう岸に到着すると、エリヤはエリシャに「わたしが取り去られる前に、願いがあれば言いなさい」と言うと、「あなたの霊の二つ分をわたしに受け継がせてください」と願いました。エリヤは「わたしがあなたのもとから取り去られるのをあなたが見れば、願いはかなえられる」と答えました。このように2人が話しながら歩いていると、火の戦車が現れて2人を分け、エリヤは嵐の中を天に上ってゆきました。エリシャが、「わが父よ、わが父よ(これからわたしはどうすればよいのですか)」と呼び、自らの衣を引き裂いて悲しみをあらわすと、エリヤの着ていた外套が落ちて来ました。エリシャはそれを拾い、エリヤが行ったのと同じようにヨルダン川の水を打つと、水は左右に分かれ、エリシャは再び川を渡ることができました。エリコからついてきた50人の預言者たちは、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」と言い、エリシャの前にひれ伏したのでした。

 先ほどもお話ししましたように、ここには、エリヤの務めが弟子のエリシャに継承されたときのことが書かれています。 エリヤが外套で川の水を打つと、水は左右に分かれ、そこを渡ることができたとあります。この時2人は、イスラエルの民がモ-セに導かれ海を渡った出来事、モ-セが約束の地を目前にして死に、民はヨシュアと共にヨルダン川を渡った出来事を思い起こしました。そして、出エジプトの神がエリヤ・エリシャと共にいてくださり、リ-ダの交代がなされることを確認したのです。 エリシャはエリヤの外套を受け継ぎましたが、このことは預言者の職務の継承を象徴しています。天に上げられたエリヤの外套を拾ったそのときから、エリシャには主が共にいてくださるようになり、神の賜物である聖霊が誰にもまさって臨むようになったのでした。

 

使徒たちは、復活の主より「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」と聞き、主が天に上げられるのを見ました。そして五旬祭の日に聖霊(イエスの衣)が降り、これを受け取った弟子たちは、主より使命をいただき、各地に出かけて行って働きをいたしました。主は、御自分の死と復活、そして昇天の目撃者たちに、聖霊の衣を装わせてくださり、主の後継者として働きへと導きだしてくださったのです。

 

 これからどうすればよいかわからず、主の名を呼び求める人々の呼びかけに応えたのは、エリヤの再来とされる洗礼者ヨハネでした。彼は荒野にあらわれ、「悔い改めて福音を信じなさい」と叫び、人々をキリストのもとに導きました。私たちもおなじように主を呼び求める者でしたが、キリストの十字架と復活、そして昇天の出来事の中に、わたしたちに向けられた主の愛を見て、信じる者へと導かれました。「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」(ガラテヤ3章26~27節) この御言葉に示されるように、私たちはキリストを着るものとされたのです。エリシャのようにこれまで着ていた衣を引き裂き、キリストの昇天後に与えられる聖霊降臨(キリストの衣)の恵みをいただき、神の子とされるのです。復活の主の40日間の顕現と昇天は、私たちをキリストの恵みの継承者とするための準備の時であり、キリストの衣が授与される時なのです。

「 隣人愛の行方 」       仁村 真司教師

May 16, 2020

< 今 週 の 聖 句 >

 イエスは言われた。「正しい答だ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」            (ルカによる福音書10章28節)

           「 隣人愛の行方 」       仁村 真司

1)

今回は隣人愛について考えて行きます。

 国語辞典で「隣人愛」を調べてみると「①キリスト教で、神の子たるべき同類の者への愛。②身近な人々への愛情」(『広辞苑』)とあります。

 今の日本でも一般的に、「隣人愛」はキリスト教の言葉として知られているようですが、「隣人を自分のように愛しなさい」は元々は旧約聖書のレビ記19章18節の言葉で、つまりユダヤ教から伝わっている言葉です。

 レビ記では、「父と母を敬いなさい」(3節)・「盗んではならない」(11節)等と並んで、これだけが特別重要というのではなく、数多くある戒めの内の一つとして出て来ますが、今日の個所(27節)では律法の専門家が「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また隣人を自分のように愛しなさい」と、律法中

最重要の「神を愛しなさい」と共に挙げています。「隣人を自分のように

愛しなさい」が特別に重要とされるようになっていたということです。

 かなり時代は遡りますが、紀元前6世紀のバビロン捕囚以降、ほんの一時期を除いて、ユダヤ人はずっと他民族の支配下に置かれます。イエスの

時代にはローマの支配下に置かれていました。方々に移住してそれぞれの

地で共同体を作るユダヤ人(デイアスポラ)もいました。

 ユダヤ人の人々は他の民族(「異邦人」・「異教徒」)に囲まれ、他の宗教や思想、文化や生活習慣に晒されることになったのですが、そのような状況の下で「隣人を自分のように愛しなさい」は、ユダヤ人であるという意識を持ち続け、ユダヤ人同士の結束を維持するために、律法に従うユダヤ人(ユダヤ教徒)だけが愛すべき隣人であり、それ以外は隣人ではない、

愛してはいけないという意味を持つようになったと考えられます。

 ですが、現実的には周りのユダヤ人以外の人々とも関わることになります。その思想や文化から影響も刺激も受けます。その中で、ユダヤ教は由緒正しい宗教であり、ユダヤ人にとってだけではなく、他の人々にとって

も正しい、律法には全ての人々に通用する正しさがある、普遍性があると

いうことを示して行くできだとも考えられるようになります。

 紀元前2世紀初頭に書かれたらしい旧約聖書続編のシラ書[集会の書]13

15節には「生き物はすべて、その同類を愛し、人間もすべて、自分に近い者を愛する」とあります。ギリシャ語訳では「自分に近い者」は「隣人」となっているので、「・・・人間もすべて、隣人を愛する」となります。

 全ての生き物が同類を愛するのと同じように、人間同士も隣人として愛し合うということですが、ここでの隣人はユダヤ人(ユダヤ教徒)に限定されません。全ての人が隣人とされ、隣人愛は「人類愛」と殆ど同じ意味になります。このような意味において、「隣人を自分のように愛しなさい」は、律法の全ての人に対する正しさ、普遍性を現すものとして特別に重要とされるようになったと考えられます。

 ユダヤの人々の多くは、実際には同じユダヤ人(ユダヤ教徒)が隣人だと思っていたでしょうが、隣人愛を広く多くの人々への愛とする考え方はユダヤ教の中に既にあり、そのように主張されてもいたということです。

 2)

 殆どがユダヤ人であった初期のキリスト者は、このようなユダヤ教の考え方をそのまま受け継いで隣人愛を特別に重要な戒めとしていました。

 自分たちと同じユダヤ人だけが隣人であるという意識もそのまま受け継いでいたことは、教会に異邦人を受け入れることへの強い反発・抵抗があったこと等に現れていると思いますが、「隣人を自分のように愛しなさい」を別の、さらに踏込んだ意味で捉える人もいました。

 ガラテヤの信徒への手紙5章14節に「律法全体は、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされる」とあります。

 こう書き記しているのはパウロですが、「隣人を自分のように愛しなさい」は最早律法の戒めの一つではない、律法以上のもの、律法全体に取って代わる教えであるということです。

 パウロのこのような主張は異邦人伝道に結び付いていると考えられます。

 ユダヤ人以外の人々も受け入れられる、実践することが出来る戒めとして隣人愛が示されたことによって、異邦人も隣人とされ、ユダヤ教の(ユダヤ人の宗教としての)限界を超えて、キリスト教は世界に広がって行くことになります。

 3)

 ここまでで、「どうしてイエスが出て来ないのか」と思っている人もいるかもしれませんが、イエスが隣人愛について語ったことは殆どありません。

 今日の個所では「神への愛と隣人愛」を挙げた律法の専門家に対して、「正しい答だ。それを実行しなさい」と言っていますが、これは「あなたが正しいと思うのなら、実行してみたらどうですか」ということです。

 もし他の戒め、例えば「父と母を敬いなさい」が挙げられていたとして

も同じように言ったのでは・・・と思います。「隣人愛は正しい」とか「全てだ」とか言っているのでも、隣人愛の実行を命じているのでもありません。

 イエスは、他の所(マタイ5章43節)では「『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている」と言っています。

 キリスト教の広がりの中で、隣人愛もその対象を広げて行きますが、いくら広げても隣人とそうでない人を分け隔てする新たな壁が出来ます。

 キリスト者とそうでない人、同じキリスト者であっても言葉の違い、考え方の違い、「正統」と「異端」・・・。この壁を挟んで憎み合い、争い、強い側が弱い側を差別し、迫害し、排除すること等、「隣人を愛しなさい」が、同時に「敵を憎め」になることは今も繰り返されています。

 しかし、使徒言行録6章1~6節にあるように、おそらく教会の誕生と共にやもめの生活支援が教会の業とされて以来、社会の中で困窮している人たちを支える働きがキリスト者の隣人愛の実践としてなされて来ました。

 そして、今では多くの人たちが「隣人愛」と言わなくても、自分たちの社会の中だけではなく、この世界の中で困っている人や苦しんでいる人がいるのなら、みんなで支えて行くべきだと考えるようになっています。

 ですから、隣人愛は正しいとか、いや間違っているとか、こっちの隣人愛は正しいけれど、あっちの隣人愛は間違っているとか、そういうことではなくて、人は何かにつけて間違ってしまうということです。

 隣人愛を行う時にも間違えてしまうのですが、それでも隣人愛は大切だと思います。何故ならば、隣人愛の出発点は「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉(教え・戒め)ではなく、イエス・キリストだからです。

 イエスは「隣人を愛しなさい」とは言っていません。「敵を愛しなさい」と言っています(マタイ5章44節、ルカ6章27節)。ですが、愛したらもう「敵」ではありません。「隣人」になります。

 また、サマリア人のたとえ話を語ってから「だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」(ルカ10章36節)、「だれが愛したか」ではなく、「だれが隣人になったか」と問いかけています。

 敢えて「イエス・キリストの隣人愛」という言い方をするならば、それは「隣人を愛する」ではなく、「隣人になる」ということだと思います。

 虐げられた人々と共にこの世を生きたイエスの姿に重なります。

 人は、これからも人を分け隔てする壁を作って行くでしょう。しかし、

イエス・キリストはその壁を突き崩す力です。そして、私たちがその壁の向こうにいる人たちと隣人になることを示し、私たちを、それぞれの隣人愛を導いています。

「見なさい。あなたの母です」      深見 祥弘牧師

May 09, 2020

                        <今週の聖句>

それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

(ヨハネによる福音書19章27節)

「見なさい。あなたの母です」      深見祥弘

 5月第2日曜日は、「母の日」です。今日は、ヨハネによる福音書19章25~27節より、イエスの母マリアについてお話いたします。

 マリア(ヘブライ語ではミリアム、頑強な、神の贈り物の意味)は、ガリラヤのナザレ出身です。ルカ福音書には、祭司ザカリアの妻エリサベトと親戚であったとも記されています。マリアはナザレの大工ヨセフ(ダビデの家系)と婚約をしていました。ある時、天使が来て、マリアに受胎を告げました。マリアが「どうして、そんなことがありえましょうか」と答えると、天使は「聖霊があなたに降り、いと高き方の力であなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」と言いました。マリアは、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と受け入れ、やがて、夫と共に人口調査のために訪れていたベツレヘムで男の子を産み、飼い葉桶に寝かせました。二人は天使の告げたとおり、この子をイエスと名付けました。

 イエスは、思い巡らすことの多い子でありましたが、マリアはすべてを心に納めていました。その中で特に印象に残る出来事が二つありました。まずひとつは、カナの婚礼でのことです。イエスと弟子たち、そしてマリアも出席していた婚礼の席で、お客に出すぶどう酒が足りなくなりました。マリアがイエスにぶどう酒のなくなったことを告げると、イエスは、「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」と答えました。マリアは、我が子イエスに頼めば、なんとかしてくれると思ったのでした。

もう一つの出来事は、マリアたちがイエスを連れ戻しに行った時のことです。イエスが病人や悪霊に取りつかれている者を癒すのを見て、人々が「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」「あの男は気が変になっている」と言いました。マリアとイエスの兄弟たちが、イエスを連れ戻しに行くと、イエスは家族の来訪を告げる者に「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と言い、そこにいた人々を見回して、「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」と言われました。

その後、マリアはイエスのエルサレム行きに同行し、ついに我が子の十字架の下に立つこととなりました。イエスはエルサレムのゴルゴタという場所で、二人の犯罪人とともに十字架につけられたのです。ロ-マ総督ピラトは、十字架の上に「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いた罪状書きを掲げました。それはヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で書かれていました。その十字架のイエスのそばに、母マリアと母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリア、そしてイエスの愛弟子ヨハネが立っていました。「母の姉妹」については、それが誰なのかよくわかりません。「クロパの妻マリア」については、クロパが大工ヨセフの兄弟であり、イエスの叔父であると言われています。そのクロパの妻の名がマリアでありました。また「マグダラのマリア」は、イエスより「七つの悪霊を追い出していただき」、イエスに従ってきた女でありました。このように十字架のそばにいた人々は、イエスと血のつながりのある人、また親類の人でありましたし、人間的な愛情を持つ人々でありました。イエスは十字架上で、母マリアと愛弟子ヨハネを見て、母に「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」と言われ、弟子に「見なさい。あなたの母です。」と言われました。

 母マリアは、この時カナの婚礼の席で我が子が「婦人よ、わたしの時はまだ来ていません」と言われた時のこと、そしてイエスを連れ戻しに行ったとき、そこにいた人々を見回して「見なさい。ここにわたしの母がいる。わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」と告げたことを思い出しました。母マリアは、血縁や人間的な愛情に基づく交わりとは異なる、新しい交わりの到来を知ったのでした。その新しい交わりとは、イエスの十字架によって結ばれる、主の家族の実現でありました。母マリアには、イエス以外にも幾人かの息子や娘がいましたが、彼女は息子や娘のところではなく、イエスのご意志に従い愛弟子ヨハネの家で暮らし始めたのでした。

 使徒言行録1章14節に、「彼ら(使徒たち)は皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」とあります。マリアはその後、息子たちとともにエルサレム教会に加わりました。特に、主の兄弟ヤコブ(小ヤコブ)は、イエスの死後、復活のイエスに出会い(Ⅰコリント15:7)、エルサレム教会に加わり、教会の指導者となりました。すなわち、マリアとイエスの兄弟たちは、聖霊降臨によって誕生する教会を我が家としたのです。 一方、愛弟子ヨハネは、はじめエルサレム教会のメンバ-でしたが、やがてエフェソに移ってヨハネ教団を形づくり、そこで亡くなることとなりました。こうして、母マリアがエルサレム教会を象徴する存在となり、愛弟子ヨハネは異邦人教会を象徴する存在となったのです。

 十字架のイエスは、マリアに対してヨハネを子とすること、ヨハネに対してマリアを母とすることをお示しになられました。これは、ヨハネ福音書の書かれた1世紀末、エルサレム教会と異邦人教会が、母と子の関係にあることを示すものでした。特に、諸教会の母なる教会であるエルサレム教会が、迫害等により弱さや貧しさを経験していたとき、エフェソをはじめ世界の各地に建てられていた異邦人教会が、献金を届けるなどして、エルサレム教会を支えたのでした。十字架のイエスは、聖霊降臨によって建てられる教会が主において一つであること、そこに連なる人々は主の家族であり兄弟姉妹であることを、あらかじめお教えになられたのでした。

 今年のゴ-ルデンウイ-ク、また母の日は、父母のところを訪れたり、招いたりすることができませんでした。同様に、主の家族である教会も、ともに集まることができずにいます。しかし、十字架の主は、そんな私たちに心を留めて下さり、「御覧なさい。あなたの子です」「見なさい。あなたの母です」と分断されている私たちに声をかけていてくださいます。たとえ共に集まることができなくても、主の家族として互いを尊敬し、祈り、支え合うように呼び掛けていてくださるのです。私たちの教会と世界中の教会が一つとされ、孤独や分断の中に置かれている人々の傍らにいて、人々に安らぎをあたえる母なる教会として、また人々のために働きをする子なる教会として、お仕えをしてまいりましょう。

「それぞれの十字架」  深見 祥弘牧師

May 02, 2020

                        <今週の聖句>

イエスは言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか」

                   (ヨハネによる福音書21章16節)

           「わたしの羊を飼いなさい」      深見祥弘

 本日は、私たちの教会の創立記念礼拝を守っています。1901年5月8日、八幡組合基督教会が設立され、119年の時をきざんで参りました。毎年創立記念礼拝で、教会の歴史を思い起こすことをしておりますが、今回が8回目となります。今日は、1937年〜1945年まで、「戦時体制下の教会(日中戦争の勃発から太平洋戦争による敗戦まで)」についてお話しいたします。

 1937年日中戦争が勃発し、翌1938年4月、「国家総動員法」が公布され、国民に向け「非常時」に対する協力を要請しました。この頃、キリスト教に対する国家の干渉が厳しさを増しておりました。そうした中4月24日、近江兄弟社教務部からの申し出により臨時教会総会が開かれました。それは、これまで近江ミッションが伝道し、設けてきた各地の基督教会館に八幡教会の支教会を設け、キリスト教伝道事業を八幡教会に委ねるという提案でした。教会はこれを承認しました。この時、八幡教会の支教会となったのは、米原、愛知川、能登川、八日市、武佐、近江療養院チャペル、野田、水口、堅田、今津でありました。近江兄弟社は、キリスト教に対する国家の干渉から組織を守るため、伝道事業に関わる部門を八幡教会に委譲したのです。

 次にお話をしたいのは、日本組合基督教会八幡教会から日本基督教団近江八幡教会となったことです。1940年3月「宗教団体法」(宗教団体の国家統制を図るための法律)により、1941年5月カトリックは日本天主公教教団を設立、同年6月プロテスタント各派は合同し、日本基督教団を設立しました。6月24、25日、富士見町教会で日本基督教団創立総会が開催され、日本組合基督教会は、日本基督教団第3部に所属し、私たちの教会は日本基督教団近江八幡教会となりました。これによって、国家統制の傘下に入ることになりました。メレル・ヴォーリズ氏は、1940年8月20日、日本に帰化して一柳米来留と改姓し、翌年1月24日八幡町役場に届けを出しました。

 さらにお話ししたいことは、礼拝において国民儀礼(宮城遥拝など)が行われたことです。私たちの教会の礼拝で、初めて君が代奉唱、皇居遥拝、皇軍将兵並英霊に対する感謝黙祷が行われたのは、1940年11月3日のことでした。1940年は、皇紀二千六百年に当たり、国内で大きな祝賀行事が行われました。キリスト教界では、10月17日青山学院で「皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会」が行われました。私たちの教会でも11月10日の礼拝を皇紀二千六百年奉祝礼拝とし、聖歌隊が奉祝歌を歌ったり、紀元節に賜ハリタル詔書奉読がなされています。1942年12月10日、教団は各教会に礼拝前の国民儀礼の実施を通達、私たちの教会でも君が代奉唱、皇居遥拝を「国民儀礼」と呼び方を変えて行いました。

 1941年12月8日、日本は米英に宣戦布告し、第二次世界大戦が始まりました。そして教団は、戦争協力を積極的に行ったのです。しかし、1942年6月、教団6部、9部の教師が全国で一斉に検挙され、それらの教会は閉鎖解散を命じられました。その時教団や教会は、これを助けることをしませんでした。私たちの教会では、近江八幡教会国民貯蓄組合を結成し戦時貯蓄をしたり、軍用機の献納、興亜伝道のための集金などの協力を行いました。

 戦争中の近江八幡教会の活動は、様々に制限を受けましたが、礼拝は休むことなく続けられました。

 「教会百年史」は、この時代を次のように書いています。「長い戦争期間中、『宗教団体法』成立と『日本基督教団』創立に伴う処置として、近江兄弟社の宗教行為離脱と近江八幡教会の合同教団加盟、県下各地の近江兄弟社基督教会館の八幡教会地方伝道部(支教会)化が行われた。一方教会では、礼拝場所の移動、牧師の応召や徴用、教会員たちの応召や出征、戦死等、さまざまな困難の中で中断することなく礼拝を守り続けることができたのは、神の恩寵によるものというほかない。とくに敵性団体と見なされていた近江兄弟社の教会として、牧師、教会役員たちの苦心の程も推察される。」

 今朝の御言葉は、ヨハネによる福音書21章15〜25節です。ここから復活のイエスとペトロについてお話しいたします。イエスは捕らえられる前、弟子たちに「今夜あなたがたは皆わたしにつまずく」と話されると、ペトロは「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と答えました。イエスがペトロに「あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」と言われると、ペトロは「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」と答えました。しかし、ゲッセマネの園でイエスが捕らえられ、大祭司カイアファの官邸に連行されると、弟子たちは逃げ去りました。ペトロだけは官邸の中庭で裁判の様子を見ていましたが、女中ら3人から「あなたはあの者の仲間だ」と言われると、3度「そんな人は知らない」と言ました。3度目に「知らない」と言った時、鶏が鳴きました。ペトロは「鶏が鳴く前に、あなたは3度私を知らないと言うだろう」というイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いたのでした。

 イエスは十字架で死に、墓に葬られ3日目の朝復活され、弟子たちや婦人たちに御自身を現されました。弟子たちのところに3度訪れた時、復活の主はペトロに「わたしを愛しているか」とたずねられました。ペトロが「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」と答えると、主は、「私の羊を飼いなさい」と言われました。そして、このやり取りを3度くりかえしました。

 復活の主がペトロに3度「わたしを愛しているか」と問うたのは、ペトロがイエスを3度「知らない」と言ったからです。17節に「ペトロは、イエスが3度目も『わたしを愛しているか』と言われたので悲しくなった」と書かれています。これは、主はどうしてわたしのことを信じてくださらないのかと情けなく悲しくなったということではありません。主は捕らえられた時、ペトロから3度知らないと言われ、悲しみを心に刻まれました。復活の主がペトロに3度問うことで、ペトロは主の悲しみを知り、それでも「わたしを愛しているか」と問うて下さることに主の愛を知ったのです。復活の主が、「わたしを愛しているか」と問われる時、「わたしは、あなたのことをずっと変わらず愛しています。たとえあなたがわたしを知らないと言っても、そんなあなたのために十字架に死に復活したのです。あなたはわたしを愛しますか」という思いが秘められています。主は、裏切り傷ついたペトロを放置されることはありませんでした。なおもペトロを愛し、再び招いて新しい務めを委ねられたのです。その務めとは、信じる人々を愛し、守り、導き、養うことでした。

 戦時下の私たちの教会は、主イエスを裏切り傷つけました。神でないものを神とし、礼拝することもありました。同じ教団の仲間が検挙され、教会の解散に至った時も、私たちは見捨てて逃げ去ってしまいました。主イエスを時の権力に引き渡し、再び十字架にかけるような罪を犯したのです。しかし、主は十字架において私たちの罪を自ら引き受け、償いを果たし、闇の中から復活し、「私を愛しているか。私はあなたを愛している」と言って新しい務めを与えてくださいました。主の愛の中で私たち教会は造りかえられ、主の羊を飼うという主よりゆだねられた務めを果たしているのです。

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