≪次月 3月(2021)礼拝説教要旨 前月≫

 

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2021.3.28 棕梠の主日    

  <今週の聖句>

百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

(マタイによる福音書27章32~56節)

「めざすはゴルゴダ」 深見祥弘牧師

      <今週の聖句>

百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

(マタイによる福音書27章54節)

「めざすはゴルゴタ」        深見祥弘

 この日曜日は、「棕梠の主日」です。今日より受難週が始まりました。この棕梠の主日にイエスは「ホサナ、ホサナ」の歓呼と棕梠の葉が打ち振られる中、子ろばに乗ってエルサレムに入場されました。次の月曜日は「宮清めの月曜日」、イエスは神殿の境内で商売をする人々の台をひっくり返し「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである」と言われました。火曜日は「論争の火曜日」、イエスはファリサイ派の人々や律法学者たちと論争しました。水曜日は「香油の水曜日」、一人の女が高価な香油をイエスの頭に注ぎ、葬りの準備をしました。木曜日は「洗足木曜日」、過ぎ越しの食事の前に、イエスは弟子たちの足を洗いました。金曜日は「受難の金曜日」、イエスは大祭司やローマ総督のもとで裁判を受け、鞭うたれ、嘲弄され、十字架を担ってゴルゴタへの道を歩み、十字架に架かられました。土曜日は「墓の土曜日」、イエスはアリマタヤのヨセフが準備した墓に葬られました。そして、次の日曜日朝早くに、墓を開き復活されたのでした。

 

3月14日に、京都教区宣教セミナーが開催されました。講師は、奥田知志さん(日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会牧師)で、演題は「絆は傷を含む-自分の十字架とは何か」でした。奥田さんは、講演の中で相模原市・津久井やまゆり園の事件についてお話されました。それは、この施設の元職員であったUさんが、入所者や職員45名を死傷させた事件のことです。犯した罪の大きさだけでなく、その動機となった彼の考えに衝撃を受けました。Uさんは、入所者を「いきる意味のない命」(奥田さんの表現)とみて犯行に及びました。奥田さんがUさんと面会した時、Uさんは、「僕はあまり役に立ちませんでした」と話していたそうです。奥田さんはこの言葉を聞いて、Uさん自身も「いきる意味のある命」と「いきる意味のない命」の分断線上にいたのではないかと思ったそうです。Uさんは、今の自分は役にたたない人間だから、「いきる意味のない命」を亡きものにして、役に立つ人間「いきる意味のある命」になろうとしたというのです。奥田さんは、「いのちそのものに意味がある」のに、社会には命を、「いきる意味のある命」と「いきる意味のない命」に分ける分断が存在する、そのことが事件の発端になっているのではないだろうかと話されました。

 

 今朝の御言葉は、マタイによる福音書27章32~56節です。ここでイエスは「神の子・ユダヤ人の王」(いきる意味のある命)と「苦難を受け十字架に死ぬ罪人」(いきる意味のない命)の狭間にお立ちになり、その分断を取り除くために、ゴルゴタをめざされました。

ローマ総督ポンテオ・ピラトのもとでの裁判の後、イエスはローマの兵士たちに引き渡されました。兵士たちは、イエスに赤い外套を着せ、茨の冠をかぶせ、葦の棒を持たせて「ユダヤ人の王、万歳」と言って侮辱しました。そして、兵士たちはイエスに十字架を担がせて、官邸からゴルゴタまでの道(ヴィア・ドロロサ)を行かせました。イエスは、前夜から睡眠も食事もとらずに裁判にのぞみ、その後、鞭うたれ嘲弄をお受けになられました。兵士たちは、十字架の重みに耐えかねてよろめくイエスに代わり、キレネ人シモンに十字架を担がせました。

ゴルゴタに到着すると、兵士たちは苦いものをまぜたぶどう酒をイエスに飲ませようとしました。しかしイエスは、それを舐めただけで飲もうとはされませんでした。のどが渇いておられたでしょうし、傷ついたからだに痛みを覚えておられたでしょう。しかし、イエスはそれを和らげるぶどう酒を飲まず、その苦みだけを味わわれました。兵士たちは、イエスを十字架に付け、頭の上には「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれた罪状書きを掲げました。また、イエスの左右には二人の強盗が十字架にかけられました。朝の9時のことです。

 そこを通りかかった人々は、頭を振りながら「神の子なら、自分を救ってみろ」とイエスをののしりました。祭司長や律法学者、長老たちも「神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから」と言いました。強盗たちも同じように言ってイエスをののしりました。

 昼の12時ころ、全地は暗くなり、午後3時まで続きました。イエスは大声で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)と叫ばれました。そして、もう一度大声で叫ぶと息を引き取られました。(ヨハネ福音書19:30「成し遂げられた」)

イエスが息を引き取られた時、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けました。また、地震が起り、岩が裂け、墓が開いて聖なる者たち(信者たち)の体が生き返りました。イエスが復活した後、この人たちは墓から出て来て、都に入り、多くの人々に現れたのでした。見張りをしていた百人隊長や兵士たちは、地震やいろいろの出来事を見て、「本当に、この人は神の子だった」と言いました。その様子を、ガリラヤからイエスに従ってきた女性たちは、遠くから見守っていたのでした。

 

 説教題を「めざすはゴルゴタ」としました。「ゴルゴタ」とは、アラム語で「されこうべの場所」を意味します。ラテン語では、カルヴァリアと言います。イエスがめざしたゴルゴタは、死者と生者を分ける場所でありました。イエスは、この死者と生者の決定的な分断を取り除き、つなぐために来られました。葬られた人々の墓が開き、体が生き返ったとあるとおりです。

祭司長たちは、律法によって人を救いの恵みに与れる人と与れない人に峻別していました。彼らは、律法を守る自分たちは救われるが、イエスは神から見捨てられた者、滅びに定められた者と判断したのです。強盗たちも、イエスに期待を寄せましたが、十字架のイエスにつまずき、ののしりました。(ルカ福音書23:39 「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」)さらにローマの兵士たちも、イエスの十字架を担ったキレネ人シモンも同様でした。

しかし、王であり神の子であるイエスが、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)と叫ばれ、イエス御自身が神との分断を経験される様を見た時、百人隊長は「本当に、この人は神の子だった」と言いました。このように告白したのは、イエスが自分たちにとっても王であることがわかったからです。また、強盗の一人は、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」(ルカ23:42)と願い、それが叶えられました。さらにイエスの十字架を担ったキレネ人シモンは、十字架に架けられたイエスを見て、信仰へと導かれ、妻や息子たち(マルコ15:21、ローマ16:13、妻と息子アレクサンドロとルフォスは、初代教会の信徒)に伝道したのでした。

 

宣教セミナーの奥田さんの講演題は「絆は傷を含む」でした。イエスが傷を負い十字架で亡くなられたのは、人と神、死者と生者、罪人と義人、異邦人とユダヤ人、すなわち「いきる意味のない命」と「いきる意味のある命」の峻別を取り除き、「いのちそのものに意味を与える」ためでありました。

傷ついたイエスの十字架は、縦の柱で神と人とを繋ぎ、横の柱で人と人とを繋いでいます。イエスはこのことのために、ゴルゴタをめざしたのです。

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2021.3.21 復活前第2主日​​    

  <今週の聖句>

イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし3日目にすべてを終える』と私が言ったと伝えなさい。」(ルカによる福音書13章32節)

「今日も明日も3日目も・・・」 仁村真司教師

< 今 週 の 聖 句 >

 イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。」               (ルカによる福音書13章32節)

         「今日も明日も三日目も・・・」      仁村真司

 次週は棕櫚の主日、イエスがエルサレムに入った日で受難週が始まります。今朝は受難・十字架、その場所となるエルサレムへと進んで行くイエスに、少しでも私たちの心を近づけて行けないだろうかと思っています。

 1)

 ルカ福音書では小さなろばに乗ってエルサレムに向かうイエスを人々が迎える場面が19章28節から記されていますが、その大部前の9章51節に「イエスは天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」とあります。この時からイエスのまなざしの先にはいつも、ぼんやりとではなく、はっきりと受難の地エルサレムがある。そして、ガリラヤを離れそのエルサレムへと進んで行きます。

 追いはぎに襲われた旅人を助けたサマリア人のたとえ話を語り(10章25~37節)、マルタとマリアを訪ね(10章38~41節)、祈り(「主の祈り」)を教え(11章1~4節)、「思い悩むな、野の花を見よ」と教え(12章22~34節)、ザアカイに出会ったのも(19章1~9節)、まだまだ沢山ありますが、これらはみんなエルサレムへと進んで行く道程でのことです。

 イエスを試そうとする人もいれば教えや癒しを求める人もいる。親しい人もいれば批判的な人もいる。イエスを理解しようとしない、出来ない人もいる。そういう様々な人々とイエスは関わり続け、進み続けて行くのですが、これは十字架、死への道程です。イエスに迷いやためらい、立ち止まったりすることはなかったのでしょうか。

 2)

 今日の個所はエルサレムに向かう決意を固めた9章51節といよいよエルサレムに入って行く19章28節の間の真ん中辺りですが、イエスはここでエルサレムへの思いを現します。

 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられる・・」(34・35節)

 エルサレムは預言者たちを殺し、遣わされた人々を石で打ち殺して来た、そしてイエスの受難の地となる。もっとはっきりと言えばイエスを殺す場所です。イエスはそれをよくよくわかっている。そして、「見よ、お前たちの家は見捨てられる・・」、エルサレムが滅び行くこともわかっている。

 それならば、「だから残念ながらエルサレムには行かない、断念する」という結論になっても全然おかしくない。むしろ真っ当な、当然の判断だとも思えるのですが、この後もイエスはエルサレムへと進み続けます。

 では、イエスはどんな思いで「エルサレム、エルサレム・・」と言っているのでしょうか。一旦立ち止まって、エルサレムを思ってみて、考えて、迷いやためらいを振り払って、それでも進み続けたということなのか・・。

 ここで今日の個所の始めを見てみましょう。ファリサイ派の人々が来てイエスに「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています」と言いますが(31節)、イエスは「行って、あの狐(ヘロデ)に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい」・「わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない」と言います(32・33節)。

 「悪霊を追い出し、病気をいやし・・」とは、「治療行為」だけではなく、イエスの人々との関わりの全体を指しているのだと思います。

 それをイエスは今日も明日も、三日目に「すべてを終える」ということではなく、三日目も全うする。今日も明日も次の日、三日目も、貫き通す、関わり続ける、その関わりを全うして行くと言っています。

 ルカ福音書だけがイエスのこの言葉を伝えているのですが、これに続いて「エルサレム、エルサレム・・」(34節以下)とイエスが言ったというのはおそらくルカの勘違いです。

 というのは、ここでイエスを殺そうとしているヘロデとはイエスが生まれた時のヘロデ王ではなくて、その息子でガリラヤ領主のヘロデ・アンテイパスですから、ファリサイ派の人々が「ここを立ち去ってください」と言っている「ここ」とはガリラヤです。これはガリラヤでの話です。

 「わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない」(33節前半)というのは、ガリラヤを立ち去らない、ここで人々に関わり続けなければならないということです。

 「預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ」(33節後半)は、「自分の道を進まねばならない」をエルサレムに向かって進み続けることと勘違いしたルカが付け足したのだと考えられますが、ルカはイエスが「エルサレム、エルサレム・・」と言ったのは、迷いやためらいからではない、立ち止まったのでもない、これも「わたしは今日も明日も、その次ぎの日も自分の道を進まねばならない」ということなのだ、つまりイエスは「エルサレムへ進み続ける」と言っているのだと考えたということです。ルカのこの考え方、受け止め方はその通りだと思います。

 ガリラヤを立ち去らない、エルサレムへと進み続ける。辻褄は合っていませんが、ここに現されているのは、ガリラヤにおいても、エルサレムへ進み続ける道程においても、イエスのまなざしの先にいつも、まず、あったのは、病いに苦しむ人々、貧しい人々、虐げられている人々、そういうイエスが関わって行った人々であるということ。そして、そのまなざしのさらに先にはっきりとエルサレム、受難があったということです。

 3)

 イエスは、何度も何度も「エルサレム、エルサレム・・」と心の中で叫んで進み続けたのでしょう。そして、「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・』」(19章41・42節)。

 イエスはエルサレムのために泣いています。その思いは「・・・・」、言葉にならない。「エルサレムは自分を殺そうとしている。だからわたしは関わらない」ではない。「エルサレムは滅び行く。だがしかし、にも拘わらず、わたしは関わる」でもない。このイエスの思いには理屈も理由もない。何かの理論で説明出来るものでもありません。ただ大きい、深い。

 さて、エルサレムへ進んで行くイエスに、私たちの心を近づけて行けないだろうかと思っていたのですが、これは私の勘違いでした。話は逆です。

 イエスが人々と関わり続ける、エルサレムへ進み続ける。そして、泣いて、大きな、深い思いでエルサレムに入って行く。このことによって、このようにして、イエスが私たちに近づいて来るということです。

 イエスは、自分を殺すことも滅び行くこともわかっている、そのエルサレムに入って行く・・。イエスは何があっても、どんな人に関わる時にも、厳しく批判する時であっても、外側、離れた所に立つ人ではありません。

 いつも同じ所に立つ、一緒に立つ。そして大きい、深い思いで関わり続け、その関わりを全うして行く。決してそこから立ち去らない・・。

 イエスのこの生き方、進み続けた道程があって、それと結び付いて、受難があり、十字架がある。復活がある。そして、イエスは今私たちの傍らに立ち、決して立ち去ろうとしない。立ち去ろうせずに、(辻褄は合っていませんが)進み続けている。

 イエス・キリストは今日も明日も三日目も、今、生きて働いている。私たちのために心を砕き、関わり続けている。私たちと同じ所に立っている。私たちと一緒にいます。

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2021.3.14 復活前第3主日​​    

  <今週の聖句>

夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝く

ともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。

(ペトロの手紙第二1章19節)

「心の中に昇る明けの明星」  深見祥弘牧師

                        <今週の聖句>

夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝く

ともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。

(ペトロの手紙第二1章19節)

「心の中に昇る明けの明星」      深見祥弘

2月15日、川上潔先生(前八日市教会牧師)が逝去されました。先生とは、地区牧師会や近江野田会堂での礼拝、そして世界祈祷日礼拝などでお交わりをいただきました。ご葬儀は、ご家族と八日市教会の皆さんで行われましたので、きちんとお別れができなかったとの思いでいます。若い頃、高知の教会で働きをしていた時に、こんなことがありました。ある夏、私は、京都修学院の関西セミナ-ハウスで行われた神学協議会に出席しました。就寝中、教会員が亡くなったとの電話がありました。時計を見ると午前3時、始発で高知に戻るため支度をしてフロントに行きました。タクシ-を呼ぼうとしましたがフロントは無人で、タクシ-会社への連絡先の掲示もありません。困っていると、一人、ロビ-のソファ-に川上潔先生が座っておられて、「深見君、どうした」と声をかけてくださいました。事情を話すと、「僕が車で京都駅まで送ってあげるよ」と言ってくださったのです。近江八幡教会に赴任し、四半世紀ぶりに先生にお会いをし、その時のことを話して改めてお礼を申し上げると、笑っておられました。先生の葬儀に出席させていただき、天国行きの列車が出発する駅まで先生をお送りしたいと思いましたが、それがかなわず残念でした。 

 

 今朝の御言葉は、ペトロの手紙第二1章です。この手紙は、ペトロの名がつけられていますが、ペトロ殉教より後の時代、2世紀中ごろに書かれました。著者はロ-マ教会の指導者で、小アジアの教会に宛てて書かれたものと考えられます。この頃、信徒たちは、キリスト再臨の遅延によって不安をいだいていました。そうしたところに、偽教師が来て、信徒たちに対してキリストの再臨を否定する教えをしました。著者は、自らに迫る死期を覚えながら、この手紙にペトロの名をつけ、遅延に不安を感じている人々や偽教師の教えに惑わされている人々に、キリストの再臨と救いの確信を与えようとしたのです。「わたしたちの主イエス・キリストが示してくださったように、自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです。自分が世を去った後もあなたがたにこれからのことを絶えず思い出してもらうように、わたしは努めます。」(1:14~15))

 

キリストの再臨を否定する人々は、次のように言いました。「あなたがたは、キリストの再臨が遅れていると不安に思っているが、そもそもキリストの再臨などなく神の国も裁きもありません。だからこの世では、欲情のおもむくままに過ごそうでありませんか」と。この教えに惑わされた人々は、みだらな楽しみを見倣うようになりました。著者は、倫理的に退廃した状況を見て、これを「夜・闇」の時代ととらえました。しかし、キリストが明けの明星として来て下さることで(キリストの再臨)、人々の心の中の不安や惑い、不信仰はぬぐい去られる時が来ると、人々に伝えたのです。

著者がキリストの再臨の確かさを証しするものとして紹介したのは、イエスの「山上の変容」の出来事です。イエスが弟子たちに、御自分の死と復活を予告されたとき(マタイ16:21)から6日後のことです。イエスは3人の愛弟子(ペトロ、ヤコブ、ヨハネ)を連れて、高い山に登りました。そこでイエスの顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなりました。また、モ-セとエリヤが現れ、イエスと語り合っていました。ペトロは、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモ-セのため、もう一つはエリヤのためです。」(マタイ17:4)と言いました。ペトロが話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆い、雲の中から「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」(マタイ17:5)という声が聞こえました。ペトロたちはひれ伏し、非常に恐れていると、イエスは彼らに触れられて「起きなさい。恐れることはない」と言われました。彼らが顔を上げて見ると、そこにはイエスのほかにはだれもいませんでした。

 著者は、ペトロが見た「山上の変容」の出来事を思い起こし、キリストの再臨が作り話ではないことを伝えます。キリストの到来は神の御計画であり、旧約の預言者たちによって告げられていたことであると示しているのです。旧約の詩人は、「主はわたしに告げられた。『お前はわたしの子 今日、わたしはお前を生んだ』」(詩2:7)と神の子の誕生を預言し、預言者イザヤは、「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を」(イザヤ42:1)と神の僕の到来を告げています。ペトロたちは、山上で「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声を聞いた時、イエスこそ預言者たちが到来を告げていた、神の子であると信じたのです。また預言者バラムは、「わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。」(民数記24:17)と告げ、将来、夜や闇を思わせる状況にいるイスラエルの民に、ひとつの星(メシア)があらわれると預言しました。ペトロの手紙の著者は、この星こそ、イエス・キリストであると考えていました。さらには、イエス御自身が、終末のそのとき「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」(マルコ13:26)と言われたこと、また黙示録の著者ヨハネが、イエスより遣わされた者より、「わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である」(ヨハネ黙示録22:16)という言葉を聞いたことからも、イエスが明けの明星であると確信していたのです。

著者は、キリストの再臨はまだであるけれど、預言者たちの言葉、イエス御自身の言葉、そして弟子をはじめ信者の言葉を、暗いところに輝くともし火とし、キリストの再臨の時を待ちましょうと、勧めています。その日、輝く光によって、人々の心の中の疑惑や不安はぬぐい去られるのです。

 

 コロナ禍にあって葬儀は、家族葬で行われることが多くなりました。そのことで、前夜式を行わず告別式のみをおこなう「一日葬」や、さらには葬儀を行わず家族のみで火葬に立ち会うだけの「直葬」も行われるようになっています。こうした状況をみて、相愛大学教授で僧侶の釈徹宗さんは、「人は大きな悲しみを、みとりや葬儀などの過程で少しずつ受け止めていく。最期に立ち会えなかった人の心には、大きな爪痕を残す可能性がある」(毎日新聞2020年11月19日)と書いておられます。

ペトロは、イエスと共に行動し、その言行を、とりわけ苦難と十字架の死、そして復活をつぶさに見ていました。また彼は預言者の言葉を知っていました。ペトロは、その言葉を暗い所に輝くともし火として、イエスの死の悲しみを少しずつ受け止めることができるようになり、再臨の希望に生きるものへと導かれました。ペトロの手紙の著者は、手紙の中でこのペトロのことを紹介することで、闇の中にいる人々の心にともし火を与え、人々の心の中に明けの明星が昇る日がくることを願いつつ働きをしたのです。

 コロナ後の葬儀が、どのようになるのかわかりません。御家族だけではなく、故人とほんとうに親しい交わりの内にあった人々が集い、心のうちにキリストをお迎えし、故人の救いを確信し、集う人々の心が癒されて、神の国への希望をいただくことができる、そのような葬儀に整えられることを、私は願っています。

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2021.3.7 復活前第4主日​​    

<今週の聖句>

あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。       (マタイによる福音書16章18節)

 

「この岩の上に教会を建てる」 深見祥弘牧師

                       <今週の聖句>

あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。       (マタイによる福音書16章18節)

 

「この岩の上に教会を建てる」       深見祥弘

  東日本大震災から間もなく10年となります。ここで一つの詩を紹介いたします。

           「お願いします」

 天上から さんびかが きこえる    イエス様 イエス様

 あなたの 支配に 身をゆだねます

 あなたの ご用のために  この時を そなえて下さい

 いたみをいたみとして くるしみをくるしみとして おわらせることなく  あなたが 与えて下さる つきない めぐみを どうか この国の 

全ての 民に きづかせて下さい

 あふれるほどの さんびの中を 生きて行くことができるように

 はだかの しんこうを  はだかの いのりを 

ただ ひたすら ささげるだけの どこから みても

 よわい わたしたちを かえりみて下さい

           2011年4月12日(火)PM9:47

日キ大船渡教会 図書室にて 横澤和司(よこざわかつし)  

  

震災から1ケ月後、私は日本基督教団埼玉地区の皆さんと岩手県大船渡市にボランティアに出かけました。津波で被災した町には、大量の瓦礫の中に何本かの道ができていました。大船渡教会は、震災の2年前に会堂建築をし、地震に耐えることができ、高台にあって津波の被害を受けることもありませんでした。(「信徒の友」3月号に大船渡教会の10年の歩みが紹介されています。) 2011年3月末、牧師の交代(但馬秀典牧師から村谷正人牧師)を予定していましたが、村谷牧師は震災から10日後に着任し、但馬牧師と力を合わせて働きをしておられました。教会は社会福祉協議会の要請でボランティアセンターとなり、ボランティアが寝泊まりをしていました。私たちは、教会の近くに設置された避難所(リアスホールとよばれる市民会館)に避難しておられる方々の支援活動を行いました。震災から1ケ月たったこの頃、避難所では、避難している人々に対して、朝昼兼用の菓子パンと牛乳、そして夕にはお弁当が配られていましたが、いずれも冷たい食事でした。私たちは教会の庭で、昼の時間に温かい豚汁や野菜と肉がたっぷり入った鉄板焼きをつくり、子どもたちにも楽しんでもらおうと餅つきをして、あんころ餅やきな粉餅をつくって召し上がっていただきました。また、韓国の教会から飲料水10tが送られてきましたので、市内の各避難所にお届けいたしました。 このような活動をした後、夜には二階の礼拝堂にボランティアが集まって「まとめ」の時間をもち、終わりに讃美歌を歌って祈りの時を持ちました。先ほどの詩は、教会役員で、教会に寝泊まりしながらボランティアの受け入れ等に携わっておられた横澤和司さんが、礼拝堂から聞こえて来た讃美歌を聞いてつくられたものです。

 

 今朝の御言葉は、マタイによる福音書16章13~28節です。ここには、ペトロの信仰告白と、イエスの死と復活の予告が書かれています。イエスは弟子たちと、フィリポ・カイサリアに行きました。そこは、かつてパネアスと呼ばれた場所で、古くから森や牧童の神パンの祭壇がありました。その後、ヘロデ大王が皇帝アウグストゥスからこの地を託され、パンの祭壇の近くに皇帝の像を祭る神殿を建設しました。さらにヘロデ大王の息子フィリポ・アンティパスは、皇帝カイザルに敬意を表すために、パネアスをカイサリアと改名することにしました。その際、父ヘロデがサマリアにつくったカイサリアと区別をするため、自らの名を加えて、フィリポ・カイサリアとしました。        イエスは、この自然崇拝と人間崇拝の町で、弟子たちに、「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問いました。シモン・ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です。」と答え、イエスが神の職務を果たす「油注がれた者」であり「救い主」であると信仰を告白したのです。これを聞いたイエスは、「あなたは幸いだ。あなたにこのことを現わしたのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」と言われました。彼の信仰告白は、イスラエルの人々が先祖から受け継いできたものでも、彼の人間的な判断でもなく、父なる神より示されたものであると言われたのです。そしてイエスは、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」と言われました。ペトロとは、岩のことです。イエスはシモン・バルヨナに、別の名(ペトロ)を与えました。イエスは、彼の信仰告白を土台として、その岩の上に教会(エクレシア・集会)を建てると言われたのです。また、ペトロに天の国の鍵をさずけ、神の国の執事として、その戸の開閉を司るようにと告げられたのでした。

 

 イエスはこのときから、御自分の受難と十字架における死、そして復活を語り始めました。ペトロをはじめ弟子たちに、メシアがどのような者であるのかを教えられたのです。イエスは「御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている」と弟子たちに打ち明けました。ご自分が神の計画に従って「苦難の僕」としての道を歩むことを明らかにされたのです。しかし、それは弟子たちが期待していたメシアとは、まったく異なるものでした。ペトロは、イエスをわきへお連れして「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」といさめました。なぜならば、彼らは、イエスに対して、敵を打ち破りイスラエルに救いと勝利をもたらす王の姿を見ていたからです。イエスはペトロに対して「あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と言い、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」と言われました。「自分を捨てる」、「自分の十字架を背負う」とは、自分を空しくし、神と隣人のために尽くすことをあらわしています。

 

 横澤和司さんの詩を読んで、これはイエス・キリストへの信仰告白であると思いました。「天上から さんびかが きこえる イエス様、イエス様、あなたの支配に 身をゆだねます あなたのご用のために この時をそなえてください」横澤さんは、自分の十字架を背負って、あなたに従いますと告白しています。大船渡教会は、一人の教会員さんとそのご家族を津波で亡くしました。横澤さんも被災されたように聞きました。そんな中、自分のことではなく、かつて人々の救いのために苦難と十字架の死を経験してくださったイエス様に従いますと、告白しておられます。 「いたみを いたみとして くるしみを くるしみとして おわらせることなく あなたが与えて下さる つきないめぐみを どうか この国の 全ての民に きづかせて下さい」 ここでは、イエス・キリストの復活の希望が告白されています。しかも、被災した自分たちだけでなく、さまざまな苦難を負うすべての人々が、希望と命をいただくことができようにと願っています。 「あふれるほどのさんびの中を 生きて行くことができるように はだかのしんこうを はだかのいのりを ただ ひたすら ささげるだけの どこからみても よわい わたしたちを かえりみて下さい。」 弱い自分たちではあるけれども、十字架と復活の主が共にいてくださるのだから、また、主を信じる人々が傍らにいるのだから、私たちはありのままで、あふれるほどの讃美の中を生きて行くことができる、このように主を讃えておられます。

 以来、この詩は私の宝物となり、機会があれば紹介をしてきました。

震災から10年となるこの時、主が私たちの信仰告白(岩)の上に見えない大いなる教会を建ててくださり、その恵みをいただいたすべての者が、あふれるほどの讃美を、今、困難の中にいる人々に届けることができることを願います。