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2021.5.2 教会創立記念礼拝   

<今週の聖句>

心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。・・・

「わたしは道であり、真理であり、命である。」

(ヨハネによる福音書14章1・6節)

 

「わたしは道であり、真理であり、命である」      深見祥弘牧師

                       <今週の聖句>

心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。・・・

「わたしは道であり、真理であり、命である。」

(ヨハネによる福音書14章1・6節)

 

「わたしは道であり、真理であり、命である」  深見祥弘

 教会創立120周年を迎えました。私たちの教会は、1901年5月9日「八幡組合基督教会」という名で設立されました。

 

 着任以来、教会創立記念礼拝で少しずつ私たちの教会の歴史についてお話をしてきました。10回目となる今回は、戦後すぐの教会について(1945年~1960年ごろ)お話いたします。お話したいテーマは、「キリスト教ブームと教会創立50周年」、そして「別れ」についてです。

 1945年8月の敗戦、同年10月の宗教団体法の撤廃により、キリスト教各派は束縛から解放されて、組織を再編し、海外からの宣教支援を受けて大規模な伝道活動を開始しました。それによって、私たちの国で「キリスト教ブーム」(1945年~51年頃)が起こりました。私たちの教会・近江兄弟社においても、外部から講師を招いて数多くの講演会や集会を開催し、多くの人々が洗礼を受けました。1946年6月ペンテコステ礼拝では、内炭政三牧師よる「御霊によって歩め」との説教があり、223名が出席し、30名が受洗いたしました。1946年は合わせて74名の洗礼者が与えられ、「キリスト教ブーム」とよばれる1945年から1951年の間には、210名が受洗しました。また日曜学校に集う子どもたちは、日曜学校本校・分校合わせて500名に及びました。その後のマッカーサーの更迭、進駐軍の撤退により、全国的には、キリスト教ブームが去ります。しかし私たちの教会は、近江兄弟社との関係によって、1950年代末まで多くの受洗者が与えられました。

 1951年、私たちの教会は、教会創立50年周年を迎え、11月11日に近江兄弟社教育会館で記念礼拝と記念式が行われ412名が出席しました。この時、「近江八幡キリスト教会50年史」が出版されました。また1953年、隣家(牧師館・伝道師館)を購入いたしました。

1954年、「日本基督教団信仰告白」案文が教団総会で決議されました。また日本聖書協会は「口語訳聖書」を、日本基督教団は「讃美歌(54年版)」を出版し、私たちの教会でも礼拝で用いるようになりました。

 もう一つのテーマは、「別れ」です。キリスト教ブームに沸いていた1947年10月11日、教会員であり近江兄弟社の社員である兄姉によって、戦病死した方々を追悼する近江兄弟社社葬が行われました。教会また近江兄弟社に連なる方々で応召・応徴した兄姉は90名で、その内19名が戦病死されました。この方々以外にも家族等で戦争によって犠牲となった人々が、17名おられました。

ヴォーリズは、1942年「NOT DEAD! 死んでいない」という詩をつくりました。(「Poems of the East and West」 1960収録、訳:奥村直彦)

「友よ!ぼくは君たちが死んだとは考えられない つい昨日、わたしと一緒に この地上を歩いていた君たちが;ぼくらが皆、生きて来たすべてが終わる 遠い神秘の王国に 君たちがいる などと考えられるか;だが、この世と天国とが一つとなり、創造主が 当然支配する、かの世界で、ぼくが心を鎮めて祈り、信仰によって 主に向かい 魂を上らせるとき、僕は君たちに出会う。しかし、争いで一杯の この世の中でさえも ぼくは脈や呼吸のように 身近に君たちの存在を感じ、君たちが生きて 神と一つであり また

死の征服者として 主と一体であり そして、君たちは、僕がなすべきこと、言うべきこと、そしてあるべき方向へと導いてくれる、神と一体であることが分かるのだ。」 この詩をとおしてヴォーリズは、死は決定的な別れでないことをうたっています。

 1958年8月、ヴォーリズは滞在先の軽井沢で発病しましたが、その後病状が安定したため、12月に近江八幡に帰りました。しかし病気が回復することはなく、7年後の1964年5月7日、83歳6ケ月の生涯を終えて天に召されました。その生涯は、「全身全霊をもって神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する」というイエス・キリストの教えの実現をめざしたものでした。近江の地に「神の国」というヴィジョンを抱き、祈りつつイエスの教えを実践した54年の日々でありました。

 1960年3月、23年間激動の時代にあって働きをした内炭政三牧師が辞任されました。後任の鎌田信牧師は就任間もなく辞任し、1961年10月、赤阪英一牧師が就任することとなりました。

 

 今朝の御言葉、ヨハネによる福音書14章1~11節は、最後の晩餐でのイエスの告別の言葉(13章~17章)の一部です。イエスは、弟子たちに、この後、あなたがたと別れることになる、わたしが行く所にあなたたちは来ることができないと、話されました。ご自分が捕らえられ、十字架に架けられ、墓に葬られ、復活して父なる神のもとに行くことを告げられたのです。ペトロが、どこにいかれるのですか、なぜついていけないのですか、あなたのためなら命を捨てますと言うと、イエスは鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろうと答えられました。この言葉を聞いたペトロと弟子たちは、心を騒がせました。

イエスは、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」と言われました。イエスが、捕らえられ十字架に架けられ、墓に葬られ、復活して父なる神のところに行くことは、別れを意味するのではなく、これまで以上に堅く結ばれるためであると伝えたのです。それは、生きている時だけでなく、死も引き離すことのできない結びつきで(「わたしのいるところに、あなたがたもいることになる」)、それは父なる神の家において実現します。またイエスは、「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われました。イエスこそが、弟子たちを父なる神の家に導く唯一の道であり、イエスによってのみ、「真理」(神の救いの計画)と「命」(永遠の命)を見出すことができるのです。イエスは、最後の晩餐の席で弟子たちに対し、これから起こる別れに心を騒がせず、救いの計画を立ててくださる神を信じ、実現へと導く私を信じなさいと、勧めたのでした。

この時トマスは、「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」と問いました。トマスは、復活の主を信じることができず、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、わたしは決して信じない」(20:25)と言った人物です。イエスは、疑いぶかいトマスを憐れみ、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。・・・信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(20:27)と言って信仰に導きました。

 

 今朝は、新時代に向けて希望を抱きつつ、歩み始めた戦後すぐの教会の様子をお話いたしました。そこには、別れや死の影をも見出すことができます。しかしその時、主が備えてくださったのは、新しい聖書(口語訳聖書)と讃美歌(54年版)と日本基督教団信仰告白でありました。神の言葉と兄姉の讃美と信仰告白、この主と兄姉の応答関係が、教会に命と力を与えたのです。

そして今、主は私たちに「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。・・わたしは道であり、真理であり、命である。・・わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう」と呼びかけてくださいます。私たちは、それにお応えして「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。我は聖霊を信ず。」と信仰を告白いたします。これによって私たちは、主が共にいてくださることを信じ、神の国と命をめざして、主イエスの道を歩むのです。

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