≪次月 5月(2021)礼拝説教要旨 前月≫

 

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2021.5.30三位一体主日礼拝   

 今 週 の 聖 句 >

わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。 (マタイによる福音書11章29~30節)

 

「だれでもわたしのもとに来なさい」

             深見祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。 (マタイによる福音書11章29~30節)

 

    「だれでもわたしのもとに来なさい」    深見祥弘

 子どもの頃、「巨人の星」というテレビ漫画を見ていました。その主題歌はこんな歌詞でした。

「思いこんだら 試練の道を 行くが男の ど根性 真赤にもえる 王者

 のしるし 巨人の星を つかむまで 血の汗流せ 涙をふくな ゆけゆ

 け 飛雄馬 どんとゆけ」

ある時、思い違いをしていることに気づきました。歌の最初の言葉「思いこんだら」をわたしは、「重いコンダラー」と歌っていたのです。飛雄馬が、過酷なトレーニングに耐えている姿を見て、重いコンダラーを引っ張って試練の道を行くと歌っていると思いこんでしまっていたのです。「重いコンダラー」とは、小学校のグラウンドの隅に置かれている整地の時に使う、引き手付きのコンクリートローラーをそのように呼ぶのだと思ったのです。ある時、間違いに気づき、人の前で大恥をかかずにすんだことにホットとしました。聖書の言葉、「わたしの軛を負いなさい。・・・わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」を読むと、「重いコンダラー」のことを思い出します。

 

 今日の御言葉は、マタイによる福音書11章です。11章1~19節には、牢にいたヨハネが、自分の弟子をイエスのところに遣わし「来るべき方は、あなたでしょうか。」と問わせたことが書かれています。イエスはヨハネの弟子たちに「聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り」(5)と伝えるように言われました。またイエスは群衆に対して、ヨハネがメシヤの先駆者として働きをしたけれど、人はヨハネの言葉に耳をかたむけなかったと語りました。

 20~24節では、イエスがガリラヤの町コラジンやベトサイダ、そしてカファルナウムで数多くの奇跡を行ったけれども、ヨハネに対するのと同じように、イエスを救い主と信じ悔い改めることはなかったと書いています。イエスはカファルナウムをしばしば訪れ、この町を「自分の町」と呼んで愛されました。しかし、「カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりもまだ軽い罰で済むのである。」(23~24)と叱り、悲しみ嘆いています。ソドムはゴモラの町とともに、創世記にその名が記される最も忌むべき町で、すでに滅びてしまった町です。けれども、もしイエスが訪れていたら、ソドムの町の人々は悔い改めて無事であったはずだと言っているのです。またティルスとシドンは、地中海沿岸の異邦人の町です。イエスは、このまま悔い改めることがなければ、イエスを知らなかったソドム、ティルス、シドンよりも厳しい裁きを受けることになると、ガリラヤの町々を叱り、悲しみ、うめいています。

 

 そして今朝の御言葉25~30節は、人々の救いを願うイエスの祈りです。

「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。」 イエスは、まず父なる神をたたえます。この祈りは、イエスと父なる神との信頼の中で祈られるのです。

「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」 「これらのこと」とは、救いの道ことです。知恵ある者や賢い者は、自分で救いの道を見出そうとします。しかし救いの道は、親に聞き従う幼子のように、父なる神に聞き従う者にお示しになられます。

「そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。」 御子イエスは、父なる神の御心(救いの道)をよく知り、これに聞き従います。それゆえに、父はイエスにすべてをゆだねておられます。イエスは、イエスの言葉に聞き従う者にのみ、父なる神がお示しになっておられる救いの道を教えられます。イエスを救い主と信じることのできない人や、自分で救いの道を見つけ出そうとする人々には、裁きをお示しになられるのです。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」 まことの安らぎは、イエスのところにあります。知恵ある者であっても、賢い者であっても、自らの力で救いを求めることに疲れてしまった者、それを重荷と感じている人は、だれでもわたしのところに来なさい、休ませてあげようと言われるのです。

「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」 軛は、家畜の首にかけて作業をさせる時に用います。それは家畜を拘束し、重作業を課すものです。しかしイエスの軛は、負うことで安らぎの得られる軛であると祈っています。それは、イエスが柔和で謙遜であるからという理由です。フィリピの信徒への手紙2章に「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(6~8)とあります。イエスの負う軛とは、十字架のことです。人はその十字架の軛をイエスとともに負い、イエスから柔和と謙遜を学ぶのです。その軛は、本来私たちが一人で負わねばならないわたしの軛でした。それをイエスが一緒に負ってくださるのです。その軛によってイエスと人がしっかりとつながることで、人はまことの安らぎをいただくことができます。そして、その軛は負いやすく、軽いものとなるのです。

 

 イスラエル軍とパレスチナ自治区ガザ地区を実行支配するイスラム組織ハマスとの戦闘によって、イスラエル、ガザ双方に多くの死傷者がでました。すでに停戦となっていますが、始まりは東エルサレムの土地をめぐる裁判で、イスラエルの裁判所がそこに住むパレスチナの住民13家族に立ち退きを命じたことによります。パレスチナ人がこれに反発、「ナクバ」の時期であったことから、イスラエル当局が、イスラム教の聖地に通じるエルサレム旧市街の門と周辺を「安全上の理由」で閉鎖したことで衝突が起こりました。イスラエルとパレスチナは、長い対立の歴史の中にあります。問題の解決には、パレスチナ国家の樹立が最善のように考えますが、それは容易なことではありません。ユダヤ教、イスラム教、そしてキリスト教は、この軛をともに負い、この重い課題の解決のために、そして父なる神の平和の実現のために、歩まねばなりません。3つの宗教が共にキリストの柔和と謙遜に学び、その軛を共に負うものとなることを祈ります。救いと平和を願ってそれぞれに軛を負うことから解放され、三者が謙遜で柔和なイエス・キリストの軛に結ばれて、平和と救いの道を歩みたいものです。

(ナクバとは、1948年のイスラエル建国によって、パレスチナの地に住んでいたアラブ人が居住地を追われ、難民となったことを嘆く日) 

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2021.5.23 ペンテコステ礼拝   

< 今 週 の 聖 句 >

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。

        (使徒言行録2章1~2節)

 

「 一つになって集まっていると 」 

             深見祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。

                    (使徒言行録2章1~2節)

 

「 一つになって集まっていると 」      深見祥弘

 キリスト教には、誕生を記念する3つの祝祭日があります。御子イエスの誕生を祝うクリスマス、十字架に架けられ墓に葬られたイエスが新しい命に誕生したイースター、弟子たちに聖霊が降り教会が誕生したペンテコステです。そして、今日は教会の誕生を記念するペンテコステ(聖霊降臨日)です。「教会」という言葉が初めて聖書に出てくるのは、使徒言行録4章11節です。この教会と訳される言葉は、ギリシャ語の「エクレシア」で、「呼び集められた者たち」という意味があります。ですから近江八幡教会は、「近江八幡の呼び集められた者たち」となります。

 

 復活の主は、弟子たちにこう語りました。

「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」(1:4) この父の約束とは、「わたしはすべての人にわが霊を注ぐ」(ヨエル3:1)と語られた預言のことです。

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(1:8)

 これを聞いた弟子たち(婦人やイエスの兄弟を含む)は、エルサレムのある家の上の部屋(最後の晩餐を行った部屋)に集まり、聖霊が与えられるようにと心を合わせて祈りました。しかし、その時彼らはまだ「集まっていた」(1:6)者たちでした。

 

 主の復活から50日目(ペンテコステとは第50の意味)、五旬祭の日(小麦の収穫感謝と十戒拝受を記念する日)のことです。一同が一つになって集まり祈っていると、聖霊が降りました。

この「聖霊」なる神とは、どのようなお方なのでしょうか。「聖霊」は、ギリシャ語で「プネウマ」という言葉です。それは命を与える息、また風を意味する言葉で、ヘブライ語の「ルーアッハ」と同じ意味です。使徒言行録には、「聖霊」をこのように書いています。「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」

 ここでは、聖霊を「風」や「炎」と言いあらわしています。「風」で思い出すのは、創世記1章2節の「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」という聖句で、この「神の霊」にルーアッハという言葉が使われています。もう一つはエゼキエル書37章で、神が枯れた骨に満ちた谷に霊(ルーアッハ)を吹き込むと、生き返ったという記事です。「霊よ、四方から吹き来たれ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る。」(37:9)すなわち「聖霊」は、天地創造と命の創造をなすのです。

 もう一つの「炎」で思い出すのは、出エジプト3章、モーセが神の山ホレブにおいて燃え尽きることのない柴の中に神を見出し、この御方の臨在と清めを体験した出来事です。「聖霊」は、人々のところに臨在し、彼らを清め、新しい命を与え、世界(教会)を再創造するのです。

 

 今日は聖霊降臨日、次の日曜日は三位一体主日です。「三位一体」とは、父なる神、子なるキリスト、聖霊なる神、この三つの神が、一つの神であることを言いあらわします。父なる神がこの世界を創られた時、聖霊なる神がそこに動いていました。また、父なる神は「光あれ」と言って世界をお創りになられた時、子なるキリストがそこに働いていました。ヨハネ福音書1章には、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。・・・言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」と書かれていますが、「言」とは子なるキリストのことです。

 ところが父なる神によって創られたアダムとエバは、神の「食べてはならない」との言葉に背いて、園の中央の木の実を食べました。そのことによって人は、神のようになり、自らの言葉で神に対抗しようとしたのです。ある時、人はバベルの塔の建設を計画しました。しかし神は一つであった言葉を乱し、互いの言葉を聞き分けられないようにし、彼らを全地に散らされました。その後、神の霊が人から去り、人は神の言葉を聞き分けられず罪を犯し、また人は互いを理解できず裁き合うようになりました。

 そのような状況の中、人は罪人である自分たちを神の霊によってもう一度、新しくつくりかえてくださいと叫びました。詩編51編に「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しい確かな霊を授けてください。・・・罪人が御もとに立ち帰るように。」とありますが、これが彼らの叫びでした。

 叫びを聞いた神は、預言者ヨエルを通してこのように告げました。

「その後 わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る。」(3:1)

 人々の救いを求める叫びを聞いた神は、その約束を果たすために「言」である御子キリストを遣わしてくださいました。さらに神は、二階の部屋に集まり祈っていた人々のところに、聖霊を降してくださいました。そのことで、弟子たちはほかの国の言葉で話しはじめ、外国人や外国に生まれたユダヤ人たちを驚かせたのでした。

 これは、どのような出来事なのでしょうか。先ほどバベルの塔の出来事で、人は言葉を乱され、散らされたと話しました。しかしこの時、父なる神は、この世界に共通の言葉「イエス・キリスト」を与えてくださったのです。人は世界のどこにあっても一つの言葉、「イエスは主である」と語り告白いたします。Ⅱコリント12章3節には「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」と書かれているとおりです。

 

 このように見てくると、聖霊降臨(ペンテコステ)は、恵みの出来事であることがわかります。まず聖霊降臨によって聖霊なる神が、共にいてくださることが実現します。また、聖霊降臨によって聖霊なる神が、わたしたちの罪を清め、「イエスは主です」との告白へと導き、聖霊による洗礼を授けてくださいます。さらに聖霊降臨によって聖霊なる神が、わたしたちに新しい命を与えてくださいます。枯れた骨のようになり夢も幻も見ることのできなかったわたしたちは、神より息を吹き入れていただき、新しい命をいただきます。最後に、聖霊降臨によって聖霊なる神が、この世界を再創造してくださいます。すなわち教会(エクレシア)ができ、「イエスは主です」と語る人々によって福音が宣べ伝えられ、教会が世界中に広がってゆきます。こうして「集まっていた人々」が、聖霊降臨によって「呼び集められた人々」(エクレシア)へと変えられるのです。

 

 120年前、一つところに集まり祈る人々の上に、聖霊なる神が降り、近江八幡教会が誕生しました。以来、聖霊なる神(呼び集める御方)と「呼び集められた者たち」によって教会が立てられ、「イエスは主です」と宣べ伝えてきました。聖霊降臨日は教会の誕生日であると共に、呼び集められた者たちが命を受けるわたしたちの誕生日であり、また世界の再創造の日、この世界の誕生日であります。聖霊降臨の恵みに感謝いたします。

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2021.5.16 復活節第7主日礼拝   

< 今 週 の 聖 句 >

「そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。( 使徒言行録1章4節) 

 

「約束されたもの」      仁村真司  

< 今 週 の 聖 句 >

「そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」

                             ( 使徒言行録1章4節) 

 

「約束されたもの」      仁村真司  

前回見たマルコ福音書では、復活したイエスは「あなたがた(弟子たち)より先にガリラヤへ行かれる。…そこでお目にかかれる」(16章7節)とありましたが、今回見ていくルカ福音書の続編の使徒言行録では、復活したイエスは弟子たちに現れ、「エルサレムを離れず」(4節)「エルサレムにいなさい」と命じたとあります。マルコとルカでは話が違います。

 ただ、事実として弟子たちはガリラヤへは行かず、エルサレムにいました。イエスが「エルサレムを離れず」と命じたのなら、弟子たちはイエスに従ってエルサレムに留まったということになります。弟子たちに批判的なマルコとは違い、ルカはそのように考えていたということです。

 1)

 ルカ福音書と使徒言行録の著者とされるルカは、パウロの協力者だったと考えられてきました。パウロがフィレモンへの手紙で協力者(同労者)の一人としてルカという名前を挙げていて(24節)、それがルカ福音書と使徒言行録の著者ルカだということですが、これへの反対説も19世紀後半から多く出されています。使徒言行録のパウロについての記述は事実に反する所が多い、この著者はパウロの協力者ではない、直接パウロを知らない二、三世代後の人だろうということです。

 なのですが、使徒言行録には地の文の主語が「わたしたち」になっている所が結構 大量にあります(16章10~18節、20章5節~21章18節、27章1節~28章16節)。その中から16章10節を見てみます。

 

  パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと確信するに至ったからである。

 

こういう所を素直に受け取れば(と、普段素直でない私が言うと かえって説得力がなくなるかもしれませんが)、この「わたしたち」の中に著者がいて、パウロを直接知っていたということになります。

 この他にも理由があって、勿論 確かだとは言い切れませんが、私は使徒言行録の著者はパウロの協力者ルカと考えて、今日の箇所をみていきます。

 2)

聖書の中では「ルカによる福音書」と「使徒言行録」と、別々の文書になっていますが、二つ合わせて例えば「キリスト教史」とも呼び得る文書、上下二巻の大著をルカが著したのは70代と考えられます。パウロは既に殉教していて(60年頃)ルカは晩年を迎えていたことでしょう。

 ルカが福音書だけではなく使徒言行録まで記した、その動機としては、ルカ自身が始まったばかりのキリスト教・教会の歴史の現場にいて目撃者・当事者になったということ。そして、直接、間接に多くの事柄を知り得る立場にいたということが考えられます。

 それともう一つ。私はこれが大きいのではないかと思っているのですが、キリスト教・教会はその始まりから確かにイエス・キリストに導かれ、従って来たことを示す。それによって、これから教会に連なる人たち、この世を生きたイエスに直接従うことはできない人たちに、それでも確かにイエス・キリストに結び付き、従うことができるということを伝えなければならない、そういう思いをルカが強く持ったということが考えられます。

 とするならば、ルカが 、復活したイエスは弟子たちに「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたもの(聖霊)を待ちなさい」と命じたと伝えているのは(4節)、弟子たちはイエスに従ってエルサレムにいた、ペンテコステの出来事、聖霊降臨は復活のキリストによって約束されていたということを「歴史的事実」として伝えるためだけではなかったはずです。

3)

 4節を始めから見ると、「そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた、『エルサレムを離れず…』」とありますが、ここで「食事を共にしていた」と訳されている動詞は「一緒に泊まっていた」とも訳せます。ルカがどちらのつもりだったのか確かめる術はありませんが、ルカ福音書24章に「食事を共にする」と「一緒に泊まる」という表現がセットで出てくる所があります。(24章28節~32節)

 

 一行(イエスと、それがイエスだと分かっていない二人の弟子)は目指す村(エマオ)に近づいたが、イエスはなおも先に行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンをお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明して下さったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。

 

  イエスが「エルサレムを離れず…」と命じたのが、食事を共にしていた時か 一緒に泊まっていた時か、いずれにせよエマオで二人の弟子に起こったのと同じことが、この時に弟子たちに起こったのではないかと思います。

 エマオへ向かっていた二人の弟子は、ずっと一緒だったのにイエスが分からなかった。「目は遮られていて」(ルカ24章16節)とありますが、イエスが復活し、今一緒にいる…この事実を見る、受け止めるには、イエスの受難・死から目を背け、逃げ出した、そういうどうしようもない弱さを持つ自分自身を見つめ、受け入れなければなりませんが、人の意志の力、人の弱く小さな心で出来ることではないと思います。

 人の力ではどうしようもない弱さが二人の目を遮っていた。しかし、一緒に泊まっていた時、食事を共にしていた時、目が開け、イエスだと分かった。その前、イエスが共にある時、既に心は燃えていた。弱く小さな心に力が与えられ、満たされていたことに気づいた。

 「エルサレムを離れず」、エルサレムに留まれとイエスは命じている。これも弟子たちには理解できない、受け止められないことだったはずです。

 エルサレムはイエスを殺した場所です。弟子たちが、イエスを見捨て、逃げ出した場所です。エルサレムにいれば自分もどんな目に会うかわからない、殺されるのではないか、そういう不安、恐怖を引き起こす場所です。

 しかし、弟子たちは受け止めた、受け入れることが出来た。そして、そこから、エルサレムから 教会が始まります。

 「エルサレムを離れず」。不安で怖くて、かつて逃げ出した、今も逃げたい、忘れてしまいたい…。そういう所からもう一度、何度でも、始める、始まる。それがイエス・キリストにつながり、導かれ 従って行くキリスト教、教会であるということです。

 そして、「父の約束されたものを待ちなさい」。そのうち 聖霊が降るのだから、今は不安で怖くても我慢していなさい;これはそういう先の約束ではありません。今、イエス・キリストが共にいる、既に心は燃えている。弱く小さな心に力が与えられ、満たされている、ということです。だから、弟子たちは待つことが出来た、イエス・キリストに従うことが出来た。

  今、私たちにも イエス・キリストは「父の約束されたものを、待ちなさい」と命じている、語りかけているのではないでしょうか。

  コロナ禍だけではありません。様々な苦しみ、不安、恐怖があります。それぞれが担わなければならないことがあまりにも大きく、沢山ある。

  しかし、後からではなく、今、神は私たち一人一人に、託しておられるものを担うにふさわしい力、賜物を与えて下さっているということです。 

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2021.5.9 復活節第6主日礼拝   

< 今 週 の 聖 句 >

「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。」

(ヨハネによる福音書2章11節)

「イエスの母がそこにいた」  深見祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。」

(ヨハネによる福音書2章11節)

「イエスの母がそこにいた」      深見祥弘

 本日は、「母の日」です。「母の日」は、1905年5月9日、アンナ・ジャービスさんが、アメリカ、ウェブスターの教会で母親の召天一年記念会を行ったことに始まります。その日、彼女は礼拝堂に母親が好きであったカーネーションの花を飾りました。

  毎朝、新聞が届くと、一面に掲載されている川柳を読みます。「近藤流健康川柳」と題するこの小さなコ―ナ―は、読者から寄せられた川柳を掲載しています。先週5月3日の作品は、「注射する子よりゆがんだ母の顔」でした。想像するに、体調の悪い幼い子どもを母親が病院につれてきました。「かぜですね。注射をしておきましょう。二・三日安静にしてください。」と医師が言いました。白衣を着た医師や看護師を見て緊張していた子どもが、「注射」という言葉を聞いてさらに不安や緊張が強くなりました。いよいよ、医師が腕を取って注射をしようとすると、子どもは体を固くして目をつぶりました。見ると、一緒にいる母親もまた体を固くして顔をゆがめています。子どもの傍らには、我が子の不安や緊張・恐れ、痛みなどすべてを自らのこととして受け止める、母親がいるのです。

 

 今朝のみ言葉は、ヨハネによる福音書2章「カナの婚礼」です。ここから、イエスの公的な活動が始まります。ガリラヤ地方のカナの町で婚礼があって、イエスの母マリアは宴席の手伝いをし、イエスと弟子たちも出席していました。祝宴も佳境に入った頃、母マリアがイエスのところに来て、「ぶどう酒がなくなりました」と言いました。マリアは不思議な力を持つ我が子に、この窮地を救ってほしいと思い来たのです。しかし、イエスの返事は、冷たいものでした。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」イエスは、母を「婦人よ」と呼びました。でも、母は我が子を叱りません。母マリアはその家の召し使たちに「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と伝えました。この家には、清めの水を入れる石の水がめが六つ置いてありました。イエスは召し使たちに命じて、水がめに水を入れさせ、それをくんで、宴会の世話役のところに持って行くように言いました。世話役が運ばれてきた水の味見をすると、すぐに花婿を呼んで彼を褒めました。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたに良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」イエスは、ガリラヤのカナでこの最初のしるしを行って、その栄光を現わされました。

 

 「カナの婚礼」は、聖書のダイジェストと言えるお話です。

始めに、天地創造の7日間が覚えられています。一日目(1章19~28節)ユダヤの指導者が人を遣わしてヨハネを尋問すると、ヨハネは「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」と答えました。その翌日の二日目(1章29~34節)ヨハネは、イエスを見て「世の罪を取り除く神の小羊・・・聖霊によって洗礼を授ける人、この方こそ神の子である」と言いました。三日目(1章35~39節)ヨハネはアンデレともう一人の弟子に、イエスが神の子であると伝え、二人はイエスの泊まっていた家に出かけました。四日目(1章39~42節)アンデレは、兄弟シモンをイエスのところに連れて来ました。五日目(1章43~51節)イエスはガリラヤに行く途中、フィリポを弟子とし、フィリポはナタナエルをイエスのもとに導きました。その日から数えて「三日目」(2章1節)、つまり八日目がその「三日目」になるわけですが、この日にカナの婚礼の奇跡が行われたのです。1章50節でイエスは、「もっと偉大なことをあなたは見ることになる」と言っています。天地創造がなされた7日間、その後に新たな天地創造の業が始まると、イエスは「カナの婚礼」の奇跡によって告げているのです。

次に、花婿が用意したぶどう酒がなくなり、イエスが水を良いぶどう酒に変えたことは何を意味するのでしょうか。

まず「ぶどう」は、イスラエルを象徴しています。このイスラエルは、かつて神と隣人をないがしろにして、罪を犯しました。これについて預言者アモスは、「お前たちは弱い者を踏みつけ 彼らから穀物の貢納を取り立てるゆえ 切り石の家を建てても そこに住むことはできない。見事なぶどう畑を作っても その酒を飲むことはできない」(アモス5章11節)と言ってその罪を指摘し、悔い改めを求めました。しかしアモスは、再びイスラエルに繁栄が戻ることも預言をしました。「見よ、その日が来れば、と主は言われる。・・わたしは、わが民イスラエルの繁栄を回復する。彼らは荒らされた町を建て直して住み、ぶどう畑を作って、ぶどう酒を飲み 園を造って、実りを食べる。」(アモス9章13~14節) ぶどう酒がなくなることは、罪により神の祝福が与えられないことをあらわしています。そのようなイスラエルが、イエスの用意した水(イエスの名による洗礼)と良いぶどう酒(十字架のイエスの血)によって、清められ罪ゆるされ、小羊の婚宴に招かれるのです。聖書の最後の書、ヨハネの黙示録19章5~10節には、来るべき日の婚宴の様子が記されています。「わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。・・・書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」(19章7・9節)

 さらにイエスが、母を「婦人よ」と呼んでいることです。このよそよそしさは何を意味しているのでしょうか。この言葉で思い出すのは、イエスの家族が連れ戻しに来た時、イエスは弟子たちを指して、「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」(マタイ12章49~50節)と言われたことです。また、イエスが十字架に架けられた時、母マリアに対して「婦人よ」と呼び掛け、傍にいた愛弟子ヨハネをさして「あなたの子です」と言われました。そしてヨハネに対しては「あなたの母です」と言われたように、イエスは、十字架によって、新しい家族を創出されるのです。

 

「カナの婚礼」の話は、神の救いの計画がイエスによって始まったことを語っています。そうした中で、私たちは母マリアの存在に心を留めさせられます。母マリアは、人間の代表、第二のアダム・エバです。神の救いの歴史の始まる場に母マリアがいて、イエスに「ぶどう酒がなくなりました」と訴えるのです。以来、母マリアは、活動をする我が子と共にいて、その痛みや苦しみ、喜びを共に味わいました。母マリアは、我が子の傍らにいて、十字架の我が子の痛みを、人間の代表として我が子以上に感じていたのです。

 

 昨年に続き、ゴールデンウイーク、そしてこの「母の日」は、父母のところを訪れたり、息子や娘、孫たちを招いたりできませんでした。また、主が創ってくださった主の家族(教会)も、全員ここに集まることができません。でも、主は必ずこの苦難からわたしたちを救い出してくださり、共に集まり、家族であることを喜ぶ時が備えられると信じています。神の救いの計画は、確実に進んでいるからです。そうした中、教会が孤独や分断の中におかれている人々の傍らにいて、その痛みや不安を共にする母なる教会であることを願います。

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2021.5.2 教会創立記念礼拝   

<今週の聖句>

心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。・・・

「わたしは道であり、真理であり、命である。」

(ヨハネによる福音書14章1・6節)

 

「わたしは道であり、真理であり、命である」      深見祥弘牧師

                       <今週の聖句>

心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。・・・

「わたしは道であり、真理であり、命である。」

(ヨハネによる福音書14章1・6節)

 

「わたしは道であり、真理であり、命である」  深見祥弘

 教会創立120周年を迎えました。私たちの教会は、1901年5月9日「八幡組合基督教会」という名で設立されました。

 

 着任以来、教会創立記念礼拝で少しずつ私たちの教会の歴史についてお話をしてきました。10回目となる今回は、戦後すぐの教会について(1945年~1960年ごろ)お話いたします。お話したいテーマは、「キリスト教ブームと教会創立50周年」、そして「別れ」についてです。

 1945年8月の敗戦、同年10月の宗教団体法の撤廃により、キリスト教各派は束縛から解放されて、組織を再編し、海外からの宣教支援を受けて大規模な伝道活動を開始しました。それによって、私たちの国で「キリスト教ブーム」(1945年~51年頃)が起こりました。私たちの教会・近江兄弟社においても、外部から講師を招いて数多くの講演会や集会を開催し、多くの人々が洗礼を受けました。1946年6月ペンテコステ礼拝では、内炭政三牧師よる「御霊によって歩め」との説教があり、223名が出席し、30名が受洗いたしました。1946年は合わせて74名の洗礼者が与えられ、「キリスト教ブーム」とよばれる1945年から1951年の間には、210名が受洗しました。また日曜学校に集う子どもたちは、日曜学校本校・分校合わせて500名に及びました。その後のマッカーサーの更迭、進駐軍の撤退により、全国的には、キリスト教ブームが去ります。しかし私たちの教会は、近江兄弟社との関係によって、1950年代末まで多くの受洗者が与えられました。

 1951年、私たちの教会は、教会創立50年周年を迎え、11月11日に近江兄弟社教育会館で記念礼拝と記念式が行われ412名が出席しました。この時、「近江八幡キリスト教会50年史」が出版されました。また1953年、隣家(牧師館・伝道師館)を購入いたしました。

1954年、「日本基督教団信仰告白」案文が教団総会で決議されました。また日本聖書協会は「口語訳聖書」を、日本基督教団は「讃美歌(54年版)」を出版し、私たちの教会でも礼拝で用いるようになりました。

 もう一つのテーマは、「別れ」です。キリスト教ブームに沸いていた1947年10月11日、教会員であり近江兄弟社の社員である兄姉によって、戦病死した方々を追悼する近江兄弟社社葬が行われました。教会また近江兄弟社に連なる方々で応召・応徴した兄姉は90名で、その内19名が戦病死されました。この方々以外にも家族等で戦争によって犠牲となった人々が、17名おられました。

ヴォーリズは、1942年「NOT DEAD! 死んでいない」という詩をつくりました。(「Poems of the East and West」 1960収録、訳:奥村直彦)

「友よ!ぼくは君たちが死んだとは考えられない つい昨日、わたしと一緒に この地上を歩いていた君たちが;ぼくらが皆、生きて来たすべてが終わる 遠い神秘の王国に 君たちがいる などと考えられるか;だが、この世と天国とが一つとなり、創造主が 当然支配する、かの世界で、ぼくが心を鎮めて祈り、信仰によって 主に向かい 魂を上らせるとき、僕は君たちに出会う。しかし、争いで一杯の この世の中でさえも ぼくは脈や呼吸のように 身近に君たちの存在を感じ、君たちが生きて 神と一つであり また

死の征服者として 主と一体であり そして、君たちは、僕がなすべきこと、言うべきこと、そしてあるべき方向へと導いてくれる、神と一体であることが分かるのだ。」 この詩をとおしてヴォーリズは、死は決定的な別れでないことをうたっています。

 1958年8月、ヴォーリズは滞在先の軽井沢で発病しましたが、その後病状が安定したため、12月に近江八幡に帰りました。しかし病気が回復することはなく、7年後の1964年5月7日、83歳6ケ月の生涯を終えて天に召されました。その生涯は、「全身全霊をもって神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する」というイエス・キリストの教えの実現をめざしたものでした。近江の地に「神の国」というヴィジョンを抱き、祈りつつイエスの教えを実践した54年の日々でありました。

 1960年3月、23年間激動の時代にあって働きをした内炭政三牧師が辞任されました。後任の鎌田信牧師は就任間もなく辞任し、1961年10月、赤阪英一牧師が就任することとなりました。

 

 今朝の御言葉、ヨハネによる福音書14章1~11節は、最後の晩餐でのイエスの告別の言葉(13章~17章)の一部です。イエスは、弟子たちに、この後、あなたがたと別れることになる、わたしが行く所にあなたたちは来ることができないと、話されました。ご自分が捕らえられ、十字架に架けられ、墓に葬られ、復活して父なる神のもとに行くことを告げられたのです。ペトロが、どこにいかれるのですか、なぜついていけないのですか、あなたのためなら命を捨てますと言うと、イエスは鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろうと答えられました。この言葉を聞いたペトロと弟子たちは、心を騒がせました。

イエスは、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」と言われました。イエスが、捕らえられ十字架に架けられ、墓に葬られ、復活して父なる神のところに行くことは、別れを意味するのではなく、これまで以上に堅く結ばれるためであると伝えたのです。それは、生きている時だけでなく、死も引き離すことのできない結びつきで(「わたしのいるところに、あなたがたもいることになる」)、それは父なる神の家において実現します。またイエスは、「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われました。イエスこそが、弟子たちを父なる神の家に導く唯一の道であり、イエスによってのみ、「真理」(神の救いの計画)と「命」(永遠の命)を見出すことができるのです。イエスは、最後の晩餐の席で弟子たちに対し、これから起こる別れに心を騒がせず、救いの計画を立ててくださる神を信じ、実現へと導く私を信じなさいと、勧めたのでした。

この時トマスは、「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」と問いました。トマスは、復活の主を信じることができず、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、わたしは決して信じない」(20:25)と言った人物です。イエスは、疑いぶかいトマスを憐れみ、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。・・・信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(20:27)と言って信仰に導きました。

 

 今朝は、新時代に向けて希望を抱きつつ、歩み始めた戦後すぐの教会の様子をお話いたしました。そこには、別れや死の影をも見出すことができます。しかしその時、主が備えてくださったのは、新しい聖書(口語訳聖書)と讃美歌(54年版)と日本基督教団信仰告白でありました。神の言葉と兄姉の讃美と信仰告白、この主と兄姉の応答関係が、教会に命と力を与えたのです。

そして今、主は私たちに「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。・・わたしは道であり、真理であり、命である。・・わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう」と呼びかけてくださいます。私たちは、それにお応えして「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。我は聖霊を信ず。」と信仰を告白いたします。これによって私たちは、主が共にいてくださることを信じ、神の国と命をめざして、主イエスの道を歩むのです。