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≪次月 10月(2022)礼拝説教要旨 前月≫

2022. 10. 30 降誕前第8主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。               (創世記9章13節)

              

 「契約の虹」    深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。               (創世記9章13節)

              

             「契約の虹」         深見 祥弘

 教会では、今週11月5日(土)に「ハルモニウムオルガン修復感謝コンサート」(演奏 中村証二兄)を開催いたします。昨年、わたしたちの教会は創立120年をむかえましたが、記念事業としてオルガンの修復を計画し、浜松の和久♯ピアノ工房の和久井真人兄に依頼し、およそ1年の期間をかけて修復を行いました。

 ここでわたしたちの教会において、礼拝で用いられたオルガンの幾つかを紹介いたします。まずヴォーリズさんは、来幡の1905年から数年間、個人所有のポータブル「ベビー・オルガン」をバイブルクラスや教会の礼拝で用いました。1911年には、コロラド州グレンウッド・スプリングス長老教会の婦人会より、東洋向けに特別に設計したアメリカ・エステー社製のオルガンが寄贈されました。しかし1924年、教会堂の拡張がなされ、このオルガンによって会衆の賛美をリードするには物足りなさが感じられるようになりました。

 そうした時、アメリカ・ミルウォーキー州に住むA.T.ホルブルック夫妻が、ホルブルック夫人の母、故エラ・マトソン・アンドリュースを追悼して、近江ミッションにフランス・デュモン社製のハルモニュウムオルガンを寄贈してくださいました。(エラ・マトソン・アンドリュースは、ヴォーリズの友人で早世したハーバート・アンドリュースの母。ホルブルック夫人は、ハーバート・アンドリュースの9歳年上の姉。)

  このハルモニュウムオルガンは、2マニュアル、23ストップ、ゴシック・オークの外装で、その音色は聞き取りにくいほどのエオリアン・ハープからパイプオルガンに劣らないフル・オルガンまで、広い演奏効果を生み出すことができます。内部も外部も東洋の気候に合わせた特別な構造になっています。

 また、このオルガンは「エラ・マトソン・アンドリュース記念オルガン」と名付けられ、1929年5月5日、教会創立28年記念礼拝の奏楽ではじめて用いられ、その日の夜、記念コンサートが行なわれました。

  (※これは、吉田与志也氏が「マスターシード」1929年4~6月号掲載

のヴォーリズの記事を翻訳してくださったものを用いました。)
 ある時期、このオルガンは、礼拝堂にありながら覆いをかぶせられ、礼拝で使われてはいませんでした。また1981年12月の火災時には、火と水をくぐり抜けて運び出され、その後修理がなされました。そして1983年新会堂が完成した後は、このオルガンを礼拝で用いるようになりました。オルガンが寄贈されて93年となりますが、このオルガンは、わたしたちの教会を象徴する品の一つとなっています。

 もう一つわたしたちの教会を象徴する品は、ステンドグラスです。これは、火災後、新会堂が建築された際に故三浦啓子さん(1935~2021)に制作を依頼したものです。ノアの箱舟(平和を象徴する鳩と契約の虹)をテーマとする作品で、分厚いガラスをハンマーで打ち砕き、エポキシ樹脂でつなぎ合わせる「ロクレール」(輝く岩)と呼ぶ手法で制作されました。

 

 今朝の御言葉は、旧約聖書・創世記9章8~17節です。ここには、ノアの箱舟の出来事が記されています。ノア(慰めの意)は、最初の人アダムから数えて10代目に当たる人ですが、その頃、「この地は神の前に堕落し、不法に満ちていました。」(6:11) 神は、その有様を見て世界を創ったことを後悔し、人も生き物も大洪水によって、滅ぼすことを決意されました。それに際して神は、神に従う人ノアに箱舟を造らせ、彼とその家族、全生物の雄雌の一組(清い生き物は七組)を箱舟に入れることを命じられました。「第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。雨は四十日四十夜地上に降り続いた」(7:11~12) この大洪水によって地上にいたすべての生き物は滅びましたが、箱舟に乗ったノアと家族、そして全生物の雄雌は水面を漂い守られました。洪水の発生から五か月後、ようやく水がひきはじめ、七か月目に、箱舟はアララト山の頂に着底しました。さらに数か月が経った時、ノアは、箱舟の窓を開けて烏を放しました。烏は、水に浮かぶ死肉を食べに箱舟から出ていきますが、止まる場所がなくて、箱舟に帰ってくることをくり返しました。次いで、ノアは鳩を放しました。鳩もまた、最初に放された時は、止まる場所がなく箱舟に帰ってきました。七日後、ノアが再び鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて帰ってきました。ノアはどこかに土があらわれて、若葉が芽生えていることを知りました。さらに七日後、ノアが鳩を放すと、もう帰ってきませんでした。ノアは、洪水が去ったことを知りました。

 ノアとその家族、そして生き物たちが、箱舟を出ると、彼らは祭壇を築いて神を礼拝しました。すると神は、ノアとその息子たち、そしてすべての生き物に対して、契約をお立てになられました。 

「二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してしない。・・・わたしが立てる契約のしるしはこれである。すなわち、わたしは雲の中に虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」(9:11~13)

  この契約は、神のリードによってノアとその子孫との間に立てられたもので、その契約の恩恵はすべての生き物にまで及ぶものでした。契約の内容は、神が再び全生物を滅ぼすようなことをしないということです。そして、「虹」を契約のしるしとされました。

「虹」は、雨の後にあらわれます。神は、人がどんなに罪深くても、この虹を見て、ノアたちと結んだ契約(再び全生物を滅ぼすようなことをしないという契約)を思い起こして忍耐をされます。人は、雨の後に出る虹を見て、ノアの大洪水を思い起こし、罪の悔い改めをするのです。

また「虹」は、本来弓を意味する言葉です。神は、ご自分の武器である弓を雲の中に置いて、それを赦しと救いのしるしとされたのです。

 

 ベドフォードの時祷書の挿絵「箱舟から出るノアと動物たち」は、箱舟を教会のように描いています。神は、聖霊によって神の言葉に聞き従う人々に対して新たな箱舟=教会を創ってくださいました。この世界は、人が神をないがしろにして、自らを神のようにして振る舞い、人や造られたものすべてを支配しようとする罪に満ちています。神の言葉に従う人は、神の裁きの到来を告げ、箱舟なる教会に入るように誘っても、なんとばかげたことを言うのか、この世界が滅びることなどないといって、人々からさげすまれ、あざけりを受けます。そうした中でも、信者は神が示された設計図に従って、箱舟なる教会を造り、箱舟なる教会に入る人を募り、決して滅びることのない神の国に導かれることを祈ります。

 神は「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。」(創世記8:21)と言われましたが、そのようなわたしたちと、神は新たな契約を結んでくださいました。それは、イエス・キリストの十字架です。慰めの御方イエスがわたしたちの罪を担って十字架に死に、その罪を贖い、救ってくださいました。今、わたしたちは、現在の箱舟・教会に乗って旅するものですが、やがて神の国に到達し、箱舟から出て、ともに神を礼拝する時を待っているのです。私たちの教会に設置されたステンドグラスとオルガンは、世を渡る教会の姿と来るべき日の神の国での礼拝をさし示すしるしです。

2022. 10. 23 降誕前第9主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパん種とヘロデのパン種によく気を付けなさい」と戒められた。

     (マルコによる福音書8章15節)

​「まだ理解しないのか」  仁村真司教師

< 今 週 の 聖 句 >

そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。

(マルコによる福音書8章15節)

 

「 まだ理解しないのか 」    仁村 真司

 前回は、今日の箇所のすぐ後、22節からのベトサイダでイエスが目の見えない人を癒す物語を見ました。イエスは人々が連れて来た一人の目の見えない人とこのように関わった、その人は癒された、目が見えるようになった。他の何事でもなく、ただそのこと、ここに書いてある通り・見ての通りのことをマルコは伝えている・・・と、そういうことをお話ししました。

 ・・・で、その根拠と言いますか、今日見て行く物語の最後、21節のイエスの弟子たちへの言葉「まだ悟らないのか」。これは「悟りを開く」というようなおいそれとは到達できない深い認識に「まだ至らないのか」ということではなく、「まだわからないのか、理解しないのか」、もっと言えば、「普通に見ていればわかるだろう」ということだと言いました。

 では、今日の物語の場合は何を普通に見ていればわかる・・・はずなのか、

18節からです。

 「・・・目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか思い出さないのか。わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」「七つです」・・・。(~20節)

 つまり、五つのパンと二匹の魚で五千人が満腹して更に十二籠がパン屑で一杯になった(5章30~44節)、そして今日の箇所の直前(1~10節)で七つのパンと少しの小さな魚で四千人が満腹して七籠がパン屑で一杯になった、これらの出来事を見ていたのだからわかるだろう、どうしてまだわからないのかと、こうイエスは言っている訳です。

  1)

 弟子たちはいずれの場合もその場にいたのですから、しっかりとではなくても、普通には見ていたことになります。でも、今の私たちにとってはこの二つの、あるいは二度の出来事を普通に(直接)見ることは出来ませんが、普通に、そのまま読むのも案外難しいことなのかもしれません。

 と言うのはどうしても、それこそ普通に、同じ(ような)ことが二回書いてあると読める、思えるからです。どちらか省略しても問題ないのではないか?でも全く同じではない。違いはあります。もっともわかりやすいのは「数の違い」です。一度目は五つのパンと二匹の魚で五千人が満腹して残ったパン屑は十二籠を一杯にした、二度目は七つのパンと少しの小さな魚で四千人が満腹して残ったパン屑は七籠を一杯にした。

 これらの数の違いに意味を見出す考え方もあるのですが、わたしは数の違いに大した意味はないと思っています。どちらの場合も五つのパンと二匹の魚で五千人が満腹、残ったパン屑が十二籠であったとしても、それぞれ別の人たちがイエスによっておなかも、身も心も満たされたということです。

 イエスはそれぞれの時、それぞれの場所で、自分を慕って、イエスを求めてやって来た人たちにこのように関わった、そういうことだと思います。こういうこと(奇跡)が二回あった、だから二回書いてあるのでしょう。

  2)

 では、これらの出来事を見れば何がわかる・・・はずなのか、何についてイエスは弟子たちに「まだ理解しないのか」と言っているのかと言うと、15節「イエスは、『ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい』と戒められた」、直接的にはこのイエスの言葉です。

 これに対して弟子たちは「自分たちがパンを持っていないからなのだ」と議論しています。弟子たちの議論が見当違いらしいのはわかるのですが、でも正直言って私も「何のことだか」という感じです。「よく気をつけなさい」と言われても、何にどう気をつければいいのか・・・。「ファリサイ派の人々のパン種」とか「ヘロデのパン種」とはどういうことなのでしょう。

 今日の箇所では、まずファリサイ派の人々がやって来て、イエスに天からのしるしを求めていますが(11節)、これは七つのパンと少しの小さな魚で四千人が満腹して、更に残ったパン屑で七つの籠が一杯になった、この出来事、奇跡(しるし)が示されたすぐ後です。ファリサイ派の人々はこのことを知っています。見ていたかもしれない。それなのにイエスを試そうとして、天からのしるしを求め、議論をしかけている。

 これはもっと凄い奇跡を見せてみろということではなくて、ファリサイ派の理論、ユダヤ教の伝統的な考え方、神学にマッチする、預言者なら預言者、メシアならメシア、神の子なら神の子であることを示すしるしを見せてみろということです。かと言って、この求めに応じればイエスに従う、イエスを信じるということではく、イエスを自分たちの考え方、思い込みの枠にはめ込む、これが最重要、目的だということです。

 ヘロデ・アンティパスも同じようなことをしています。

 以前取り上げましたが、五千人が満腹する所の直前のヘロデの大宴会、そこで洗礼者ヨハネが殺されたのですが(6章14~28節)、この話が語られるキッカケとしてヘロデがイエスについて「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言ったとありました。罪悪感からか、不安や恐れからか、奇跡を行う力が働いているというイエスをヘロデは生き返ったヨハネだと思い込むことによって、イエスを枠にはめ込もうとしました。

 ファリサイ派の人々にしても、ヘロデにしても、イエスにより示されている事実から目を背け、見たいものだけを見る、見たいように見ようとしていると言えます。

 それまでの自分の考え、思いに固執して、イエスをそのまま、普通に、見ることを妨げる心の動き・働き、それが「ファリサイ派の人々のパン種」であり「ヘロデのパン種」なのではないでしょうか。

  3)

 このような「ファリサイ派の人々のパン種」も「ヘロデのパン種」もだれの心の中にも、キリスト者の心の中にあると考えられます。

 そして時に、イエスに従おうとする、イエスを信じる、信仰を告白する時でさえ、むしろそのような時にこそ、人の心の中で活発に働きます。

 不安であれ期待であれ、自分の考え・思いが膨らんでイエスを自分の思い込みの枠にはめ込もうとしてしまう、自分が望む、自分にとって都合のよいイエスを思い描こうとするということですが、これはイエスを自らの思いに従わせようとしていることになります。

 弟子たちも度々そのようになってしまったのでしょう。イエスが示すことを普通に見ること、そのまま受け止めることができなくなった。それでイエスに厳しく叱られています。

 ただ、イエスは弟子たちに「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種とを無くさなければならない」とは言っていません。「よく気をつけなさい」と言っています。

 おそらく「ファリサイ派の人々のパン種」と「ヘロデのパン種」このイエスを普通に見る、イエスによって示されていることをそのまま受け止めることを妨げる人の心の働きを完全に無くすことは出来ないのでしょう。

 では、私たちはどうすればいいのか。

 今日の物語の最後のイエスの言葉(21節)「まだ悟らないのか」。これは始めにも言いましたように「理解しないのか」、「普通に見ればわかる」ということです。つまりイエスを見る、「この人を見よ」。その時、心の中で何かが動く、自分の中で何かが変わる。その動き・変化、それがたとえ痛みであっても受け止める。そこから始めるということだと思います。

 
2022. 10. 16 聖霊降臨節第20主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

   (マタイによる福音書5章3節・9節)

 

  「天の国の人々」    深見 祥弘牧師

  < 今 週 の 聖 句 >

  心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

  平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

               (マタイによる福音書5章3節・9節)

 

             「天の国の人々」       深見 祥弘

 「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」

 この言葉を読んで、思い起こした方がいます。日本のナショナルトラスト運動の先駆けである「天神崎の自然を大切にする会」を立ち上げられた外山八郎さんです。外山    さんは、和歌山の日本キリスト教団田辺教会の教会員であり、田辺高校の教師でありました。(1913年生まれ、1996年逝去)

 田辺市天神崎は、森と磯と海が一体となって、一つの安定した生態系を形づくっています。子どもたちが、自然観察をし、学びをするのに、とても良い場所です。ところが1974年、外山さんは、天神崎の海岸沿いの見晴らしの良い森の斜面を別荘地として造成する計画を知りました。そこですぐに「天神崎を大切にする会」をつくり、美しい自然を子どもたちはじめ、後世の人々に残すために働きを始めました。外山さんは、ご自分の退職金に加え、土地建物を抵当に銀行から借り入れをして、造成地を買い取ることをはじめました。さらに全国の賛同者たちの助けを得て、次々と森を買っていったのでした。

 わたしが岐阜の教会におりました時に、外山さんに特別伝道礼拝の奉仕をお願いし、おいでいただきました。お話を聞いて印象に残ったことは、会の名を「天神崎の自然を守る会」ではなくて、「大切にする会」としたことでした。「守る会」では、敵がいることになる(造成会社、土地の所有者、市、県など)、この運動は、敵がいてはいけない、みんなでかけがえのない自然を大切にしてゆくとの思いを実現するために、「大切にする会」と名をつけたと話されました。

 外山さんは、和歌山南部(みなべ)の生まれで、大学生の時に改革派の教会で洗礼を受け、卒業後は、土地の開発にあたる大企業に就職が決まっていたそうです。しかし病を得て、帰郷することとなり、強い挫折を感じられました。快復された後は、高校で教師として働きをされましたが、ちょうど退職のころに、天神崎の開発の話しが出てきました。外山さんは、神さまが、このことのために、自分を用いようと御計画なさっていたのだと思うと、証しされました。

 1996年に召天されましたが、外山さんの意志で葬儀は行なわず、その体を医学生の学びのために献体されました。

 

 今朝の御言葉は、マタイによる福音書5章1~12節「山上の説教(垂訓)」のはじめのところです。イエスの山上の説教は、ここから7章まで続きます。ある日、イエスは山に登り、弟子たちに教えられました。「山」そこは、神の御意志が示される所です。モーセが神から「十戒」を受けたのは、シナイ山でした。イエスは、第二のモーセとして、その教え(十戒・律法)を完成する者として来られたのです。律法の中で最も大切な教えが「十戒」でありますが、イエスの教えで最も大切な教えが5章3~10節「八至福の教え」です。それでは、この教えがどのようなものかを、見てみましょう。

 まず、八至福の教えの前半四つの教えは、絶望的な状況の中におかれながらも神に心を向け、神の助けを待つ人々に対しての言葉です。ここでは、神を待つ人々と神(イエス・キリスト)との交わりがもたらす幸いを教えています。 

 その一つが、「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」です。「心の貧しい人々」とは、その人の根源的なところまで貧しい人、自分の中により頼むものを一切持たず、全面的に神により頼む人のことです。こうした人々は「幸いである」の「幸い」は、ギリシャ語のマカリオスという言葉で、最高のしあわせのことです。神は寄り頼む人を、イエス・キリストにおいて、ご自分の民として迎え入れ、「天の国」すなわち「神の支配」(最高の幸せ)のもとにおいてくださるのです。その後の「悲しむ人々」、「柔和な人々」、「義に飢え渇く人々」も、キリストにおいて、慰められ、神の約束の地(天の国)を受け継ぎ、その願いが満たされるのです。

 八至福の教えの後半四つの教えは、イエス・キリストにならって信仰に生きる者にもたらされる幸いについて教えています。これは、人と人との交わりによってもたらされるものです。

その一つは「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」です。この「平和」は、ギリシャ語のシャローム、神の平和、神の国のことです。 平和を実現する人とは、イエスにその姿を見ることができます。イエスは、苦難と十字架という代償を払ってこれを実現してくださいました。人は、この十字架の恵みをいただき、その身を人々のために献げてゆくことで、神の子とされるのです。「憐み深い人」、「心の清い人」、「平和を実現する人」、「義のために迫害されている人」、これらは皆、イエス・キリストの姿です。人がイエス・キリストから「憐み」をいただくことで、人は他の人に対して、憐み深く、心清らに、さらに平和で、義に忠実であることができるのです。

 最後に、11~12節では、弟子たちがこれから経験することを教えられました。「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。」イエスは弟子たちに、あなたがたがこれから経験する迫害は、喜びをもたらし、同じように迫害を経験した信仰の先人たち・預言者たちとの交わりによって信仰を強められ、天の国の人々とされると教えられたのです。

 

 「山上の説教」「八至福の教え」は、次の三つのことを教えています。

 まず、神なき状態を思わせる中にいるわたしたちが、神に心を向けて寄り頼み、助けを待ち望む思いを持つならば、神との交わり(イエス・キリスト)がわたしたちを幸いへと導いてくださいます。

 次に、わたしたちがイエス・キリストにならう生き方をし、人々との交わりをひろげるならば、神はわたしたちに幸いを増し加えてくださいます。

 最後にわたしたちが、イエス・キリストの弟子としてその働きに加わるならば、信仰の先人たちとの交わりが与えられ、信仰を強められて義の栄冠を受けることができます。

 このように「山上の説教」の「八至福の教え」は、交わりに生きる人々に備えられる「幸い」を教えます。神がモーセによって与えた律法(十戒)は、それを個人として如何に守るかで得ることのできる幸いでありました。それに対し神がイエス・キリストによって与えた八至福の教えは、交わりのもたらす幸いを教えています。すなわち、神と人との交わりにおいて義を、人と人との交わりにおいて愛を、そして人と先人たちとの交わりにおいて信仰を完成させてくださるのです。

 

 初めに、外山八郎さんのことをお話しました。「わたしたちの教会の伝道礼拝でご奉仕いただけませんか」と連絡をさせていただいた時、外山さんは、「その働きは神さまの働きですから、田辺教会の牧師と長老会の了承をいただいて伺いますので少し待ってください」と言われました。心の貧しい人として、また平和を実現する人として、神との交わり、人とのまじわり、そして信仰の先人たちや教会での交わりを大切になさった方として、神が備えてくださる「幸い」を証ししてくださったと感謝しています。

2022. 10. 9 聖霊降臨節第19主日礼拝(神学校日・伝道献身者奨励日)
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< 今 週 の 聖 句 >

 ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロは、それに仕える者とされました。

  (コロサイの信徒への手紙1章23節)

   「キリストの苦しみの欠けたところ」  

             深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

 ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロは、それに仕える者とされました。

                  (コロサイの信徒への手紙1章23節)

     

       「キリストの苦しみの欠けたところ」     深見 祥弘

 わたしたちの教会が属してしております日本基督教団は、10月第二日曜日を「神学校日・伝道献身者奨励日」と定めています。現在伝道者の養成を担う教団関係神学校は6校です。

その教団関係神学校とは、関西学院大神学部、東京神学大学、東京聖書学校、同志社大神学部、日本聖書神学校、農村伝道神学校です。関西学院大神学部や同志社大神学部は、伝道者を志す人だけでなく、広くキリスト教や他宗教等について学びのできる環境を整え、多くの志願者があります。他方、伝道者を養成することに教育の主軸を置いている神学校は、志願者が少なく、様々な点で苦慮している状況にあり、全国の教会が献金等で支えています。

 2021年度、これら教団関係神学校6校で学び、教団の教師検定試験に合格し、教団の教師となられた方々は35名でありました。関西学院大神学部や同志社大神学部のように多くの学生が在籍している神学校でも、教会で働く教師は、少ないのです。

 こうしたことの背景には、日本基督教団に属する教会(1700余りの教会・伝道所)の教勢の低下や教会に若い人が少ないという状況があるように思います。神学校で学び、牧師や教師として働きをするのは、神の召命によるものです。しかし、若い人たちが、献身しようか、神学校を進路の候補としようかと考える時、現在の教会の状況とその中で働きをする牧師の姿を見て、将来に不安を覚え、神学校への入学を断念してしまうこともあるのではないかと思います。そうした中、定年退職した後、神学校で学び、牧師・教師として働きをされる方々もおられます。

 

今朝の御言葉は、コロサイの信徒への手紙です。この手紙は、コロサイの信徒たちのいだく不安や恐れに対し、キリストこそ世界の和解の基であり、神から遣わされた仲介者であると励ましています。

 コロサイは、小アジア中央西部フルギア地方の町です。パウロが第三伝道旅行でエフェソに滞在していた期間中に、弟子であるエパフラスが伝道をいたしました。その後、パウロは幽閉されますが(「わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。わたしが捕らわれの身であることを、心に留めてください。」4:18)、その幽閉先にエパフラスが来て、コロサイ教会の状況を報告しました。その報告は、教会の中に異端思想が入りこみ、宣べ伝えた福音がゆがめられ、そのことによって教会の平和が乱されているというものでした。これを聞いたパウロは、福音信仰と教会形成を教えるために、この手紙を書きました。

 さて1章には、15~20節のキリスト賛歌(キリストによる創造と和解)、

21~23節のコロサイ教会への励ましの言葉、そして24~29節のパウロに与えられた務めについて書かれています。

 まずパウロは、15~23節において、改めてコロサイに伝えられた福音について次のように書いています。福音、それはキリストのことです。

 キリストは、見えない神の姿であり、万物に先立ち神からうまれた御方で、万物はこの御子において造られました。それゆえにすべてのものは、キリストに支えられています。しかし、人は以前、神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。それゆえ神は、持てるすべてをキリストの内に注ぎ出し、十字架の血によって、すべてのものを神と和解させ、とがめられるところのない者にしてくださいました。神は聖霊によってキリストの体である教会を造り、キリストを教会の頭とされました。神は、キリストを主と信じる人をキリストの体なる教会に連ならせ、すべての人がキリストに結ばれて完全なものになるようにと願っておられます。それゆえに、コロサイの教会に連なる人々も、信仰にしっかりと踏みとどまり、神の救いを得なければなりません。 

 次にパウロは、24~29節で、自らに与えられた務めについて述べます。「今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを、身をもって満たしています。神は御言葉をあなたがたに余すところなく伝えるという務めをわたしにお与えになり、この務めのために、わたしは教会に仕える者となりました。」(24・25)

 この言葉の中で、どういうことであろうかと思いめぐらせた箇所がありました。それは「今やわたしは、・・・キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。」の「キリストの苦しみの欠けたところ」という言葉です。

 まず思ったことは、人々を救うためになされた、キリストの苦しみ(十字架)に不十分なところがあって、それをパウロが補っているという解釈です。現に異端の中には、救われるためには、キリストへの信仰だけでは不十分で、それを補う行為が必要であると教え、人々を惑わしていました。しかし、贖いの苦しみは、キリストが十字架で死んだことで終り、その罪の贖いはキリストの十字架において完全になされるとのことです。(「キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。・・・罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。」(ヘブライ人への手紙10:14・18) 

 それでは、パウロが「今やわたしは、・・・キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。」と書いているのは、何を伝えようとしているのでしょうか。思いめぐらす中でパウロは、キリストの体である教会とそこに連なる人々の苦しみが、不十分であると言っているのではないかと思いました。教会は、福音を信じ宣べ伝えることやそのことで臨んでくる苦しみを回避している、福音への信仰や奉仕を曖昧なものにし、重荷になることには関わらない。パウロは、そんなコロサイの教会のことを聞き、伝道者として自分が受けている苦しみ(迫害や投獄)をもって、コロサイ教会の不十分さを満たしていると言っているのです。

 

 神による救済の計画は、ユダヤ人だけでなく、異邦人をも含んでいました。神は、そのご計画に従ってエパフラスをコロサイに遣わしました。コロサイの人々は、信じてキリストの死による神との和解を得て、聖なる者、とがめるところのない者とされ、今、栄光の希望をいただいています。さらにコロサイの教会の人々の内には、キリストが宿っていてくださいます。パウロが、自らは無力な土の器であるけれど、「わたしの内に力強く働く、キリストの力によって闘っています」(29)と言うように、コロサイの教会もそのように告白し、働きをすることができるようにと願っているのです。

 

「神学校日」は、1961年より始まりました。またそれまで1月第三主日に行なっていた「伝道献身者奨励日」は、1963年から「神学校日」と同じ日に守るようになりました。栄光の希望を抱きつつ、各教会において伝道献身者が立てられ、福音の希望をいだいて教育を受け、準備ができるように、伝道献身者と神学校のために祈り、仕えてゆきましょう。

2022. 10. 2  聖霊降臨節第18主日(世界聖餐日・世界宣教の日)
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< 今 週 の 聖 句 >

イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。

  (マルコによる福音書14章22~23節)

 

 「これはわたしの体である」 深見祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。

                (マルコによる福音書14章22~23節)

 

         「これはわたしの体である」      深見祥弘

 10月第一日曜日は、世界聖餐の日・世界宣教の日です。世界聖餐日の始まりは、1930年代のアメリカで、10月第一日曜日に長老派の教会が申し合わせ、教会の一致と平和を願い聖餐式を行ないました。戦争の危機が迫る時代のことでした。

戦後、世界教会協議会(WCC)が世界聖餐日の意義を全世界の様々な教派に呼びかけ、日本では日本キリスト教協議会(NCCJ)がこの呼びかけに応じました。そしてNCCの加盟教団である日本基督教団も世界の教会が一つとなることと平和を願い、世界祈祷日を守るようになりました。

また教団では、1966年開催の教団総会において世界宣教協力を推進する議案が提出され、世界聖餐日を海外伝道の日とすることを承認しました。これが、世界宣教の日の始まりです。今、日本基督教団から世界各地に派遣している宣教師は11名、海外から来て教団所属の教会や関係学校等で働きをする宣教師は58名です。(参考:「信徒の友」9月号)

 

  御言葉は、マルコによる福音書14章10~25節です。除酵祭の第一日、すなわち過越しの 小羊を屠る日、ベタニアにいた弟子たちがイエスに「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」とたずねました。

 過越しは、イスラエルの民の出エジプトに由来する祭りです。ユダヤの暦であるニサンの月の10日に人々は、雄の小羊を選び、14日にそれを屠って、その血を家の柱や鴨居に塗り、日没に過越しの食事をします。さらにそれ以後の一週間、人々は酵母を除いたパンを食べます。

 かつて、エジプトで奴隷であったイスラエルの民に、神の救いが与えられました。その日、神の災いは、柱などに塗られた小羊の血を印にしてイスラエルの家を過越し、エジプト人の家に臨みました。その混乱の間にイスラエルの民は、旅支度と食事をしてエジプトを脱出しました。時間がなくて、パンを発酵させることができず、パン種を入れないパンを持って出発し、約束の地カナンを目指したのでした。過越しの祭りは、この時の神の救いを思い起こし、感謝する祭りでありました。

  

「過越しの食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」との問いに、イエスは、「都(エルサレム)へ行きなさい。水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越しの食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています』すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」と答え、2人の弟子を遣わしました。夕方イエスは、弟子たちと過越しの食事をしましたが、その途中に「あなたがたの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている」と言われました。弟子たちは心を痛めて「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言いはじめました。イエスは、「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去っていく。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」と言われました。この時、イエスと一緒に鉢に食べ物を浸していたのは、イスカリオテのユダでありました。

 その後も、食事は続けられ、イエスはパンを取り、祈り、それを裂いて与え「取りなさい。これはわたしの体である。」と言われました。また杯も同様にして「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」と言われました。弟子たちは皆パンを受け取り、杯から飲みました。

 

 さて、イスカリオテのユダは、イエスの体であるパンとイエスの血であるぶどう酒を食べ、そして飲んだのでしょうか。すなわちユダは、イエスが過越しの小羊として人々の罪を贖うために十字架で死に、血を流されたその恵みを受け取り、裏切りの罪を赦され救われたのでしょうか。

 マルコ福音書には、ユダが食事の途中で出て行ったとは書かれていません。23節には「彼らは皆その杯から飲んだ。」と書いています。

 マタイ福音書も、ユダが途中で出て行ったと書いていません。イエスは「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(26:27)と言っておられます。

ルカ福音書は、「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている」(22:20~21)とあります。ユダは杯の席にいたのです。この杯の前にイエスは、パンを祝福し、ユダを含む弟子たちに与えられたのです

 ヨハネ福音書は、イエスがユダにパンを与えたとあり、かれはそれを受け取ると、すぐに出て行ったと書いています。「ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、『しようとしていることを、今すぐ、しなさい』と彼に言われた。・・・ユダはパン切れを受け取ると、すぐに出て行った。夜であった。」(13:27~30)

 このことは、神の小羊イエスの十字架による贖いの恵みが、ユダにも与えられたことをあらわしています。過越しの小羊とされたイエスの贖いの力が及ばない人、また及ばない罪はないのです。

 それでは、マルコ14章21節の言葉「人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」とはどのような意味でしょうか。聖書に書いてあるとおりとは、神が計画しておられたことという意味で、それは詩編41編10節「わたしの信頼していた仲間、わたしのパンを食べる者が、威張ってわたしを足げにします。」に書かれています。「生まれなかった方がよかった」、と言っておられますが、ユダは生まれました。彼は、裏切る者として生まれることをゆるされたのです。この世の続く限り、イスカリオテのユダの名は、裏切り者として語り継がれていきます。でもこの時、パンと杯を受け取ったペトロもイエスを三回知らないと言って裏切りますし、他の弟子たちもオリーブ山でイエスが逮捕されると逃げ去っていきました。聖書は、ユダのみならず、ペトロも、他の10弟子たちも、裏切者として記しているのです。「生まれなかった方が、その者のためによかった」と言われる弟子たちは、過越しの小羊の死(その罪を担って死んでくださった)と復活(滅びに定められた人が新たな命に生きる)によって、救いの道が備えられるのです。

 

 わたしたちの体は、アダムが犯した罪(自分が神である)により死の支配にあります。しかしパウロは、キリストによって、その罪の体・死の体が、「霊の体に復活する」(Ⅰコリント15:44)と宣言しました。わたしたちは聖霊の働きによって「イエスは主です」と告白することで、キリストの体である教会に連なることを赦されます。わたしたちは、キリストの体なる教会において、聖餐をいただき、罪を赦され、霊の体に復活できるのです。

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