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2022. 5. 22  復活節第6主日礼拝 
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< 今 週 の 聖 句 >

主は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」

      (創世記18章32節)

 

 「その十人が世界を救う」  深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

主は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」

                          (創世記18章32節)

 

         「その十人が世界を救う」       深見 祥弘

 ロシアのウクライナに対する侵略が始まったのは、2月24日のことでしたので、間もなく3ヶ月となります。一方的に武力による侵略を受けたウクライナには、国民や国を守るためという戦いの正義があります。他方ロシアにも、ウクライナ国内に住むロシア系住民を守るため、また自国の安全保障のためという正義があるようです。ウクライナを支持支援する国々においても、武力による一方的な現状変更を認めないという正義を掲げていますし、態度を明確にしない国々においては、自国の利益等のためという正義を持っています。「正義」とはいったい何なのだろうか、「神の正義」はどこにあるのかと考えさせられる3ヶ月でありました。

 

 今朝のみ言葉は、旧約聖書・創世記18章23~33節です。ここには、アブラハム(17章で主と契約を結ぶまでの名はアブラム)が登場してきます。今から3900年ほど前のことです。アブラムは、ユーフラテス川のほとりウルで暮らしていました。そこは肥沃な土地で、彼と一族は大変豊かな生活をしていました。

 ところがある時、主がアブラムに言いました。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。」(12:1) 彼は、その言葉に従い、妻サラと父親のテラ、そして甥のロト(彼の父ハランは亡くなっていた)を連れてウルを出発しました。旅の途中、アブラムは父テラを亡くしましたし、飢饉のためにエジプトに逃れたこともありました。彼らがエジプトからカナンの地に戻り、ベテルの近くまで来た時、アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間で争いが起こりました。その土地は、彼らが一緒に住むには水も草も十分ではなかったのです。アブラムはロトに「わたしたちは親類どうしだ。・・・争うのはやめよう。」(13:8)と言い、目の前に広がる地を示して、好きな方に行くように言いました。

ロトが目を上げると、東側のヨルダン川流域の低地帯がよく潤っていたので、彼はその地を選び、低地の町々に住み、やがてソドムに天幕を移しました。一方アブラムは、ロトと別れた後、反対の西側、山や荒れ野の多い地に行くことにしました。主がアブラムに言いました。「さあ、目を上げて、・・・見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。」(13;14~15) アブラムは、ヘブロンのマムレの樫の木の下に天幕を移しました。

アブラムが99歳のときのことです。主はアブラムと契約を立てました。「あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。わたしはあなたとの間に、契約を立てる。」(17:5~7)  アブラムの名の意味は、「高められた父」であり、アブラハムの名の意味は、「多くの民の高められた父」です。

 

 ある日のことです。三人の旅人が、アブラハムのところを訪れました。それは主と二人の天使で、アブラハムとその妻サラに子が与えられることを告げました。サラは天幕の中にいて、これを聞くと、ひそかに笑いました。サラもまた高齢であったからです。主はサラが笑ったことを知って、アブラハムに「主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」(18:13~14)と話しました。その子こそ、イサク(笑いの意)でありました。

 

 アブラハムは三人を見送るために、ソドムを見下ろすところまで来ました。主はアブラハムに「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うように命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。」(18:17~19)と言い、「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、・・・わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう」(18:20~21)と言って、二人の天使を遣わしました。

 ソドムとゴモラの町は、経済的には繁栄をしていましたが、道徳的には退廃をしておりました。アブラハムもそのことを知っていましたが、ソドムには、ロトとその家族が暮らしています。そこでアブラハムは、主に「正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。・・・全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」と執り成しを願い、あの町に五十人の正しい者がいても、町をお赦しにならないのですか、と問うと、主は「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」と答えられました。さらにアブラハムが、正しい者が四十五人かもしれません、四十人かもしれません、三十人しかいないかもしれません、二十人しかいないかも、十人しかいないかもしれませんと言うと、主は、「その十人のためにわたしは滅ぼさない」と約束されたのでした。しかしアブラハムの懸命の執り成しにもかかわらず、ソドムの町にはロト以外に正しい人はいませんでした。主は、ロトに対して、「命がけで逃げよ。後ろを振り返ってはいけない。」と命じ、天使たちにロトと妻と二人の娘の手を取らせて逃れさせました。主は、ソドムとゴモラの上に天から硫黄の火を降らせ、この町を滅ぼしたのでした。逃れの道の途中、ロトの妻は、主の命令を破り、後ろを振り返ったので塩の柱になってしまいました。

 

 アブラハムは、ソドムの救いのために、主に執り成しを願いました。それは、甥のロトとその家族が暮らしていたからです。さらにアブラハムは、たとえ少数であっても正しい人がいれば、その者たちのために、悪い者たちを赦し、彼らが悔い改めるのを待ってほしいと願いました。アブラハムは、主が「アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る」と約束してくださったことを覚え、そこに神の正義があるはずだと言っています。主はアブラハムに対して、「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」と言われました。しかしソドムには、ロトしか正しい人はいなかったのです。

 

 アブラハムの時代、十人の正しい人が主の赦しの限界でした。正しい人がロトだけであったので、主が救って下さったのは、ロトとその家族のみでありました。しかしアブラハムの執り成しは、主に聞かれていました。「世界のすべての国民は彼によって祝福に入る」、この「彼」とはイエス・キリストのことです。神が与えて下さった一人の正しい人イエス、彼の苦難と十字架によって、全ての人々の罪が赦され祝福をいただくことができるのです。イエスは、十字架上で、父なる神に執り成しをなさいました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)  イエスは、このとき人々を憐れんで振り返り、自ら神の裁きである塩の柱となって一度はほろび、復活して私たちを救ってくださったのです。正しい者イエス・キリストのゆえに、神はすべての罪人を赦し、滅ぼさないと言われます。ここに「神の正義」があるのです。主は、アブラハムの子孫である私たちにも「主に従って正義を行なえ」と命じておられます。

2022. 5. 15  復活節第5主日礼拝 
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< 今 週 の 聖 句 >

ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。                

   (マルコによる福音書1章14~15節)

 

「 イエスはガリラヤへ行き 」 仁村 真司教師

< 今 週 の 聖 句 >

ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。                (マルコによる福音書1章14~15節)

 

「 イエスはガリラヤへ行き 」    仁村 真司

14節に「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き(来て)」とあります。ではイエスはどこからガリラヤへ来た、行ったのでしょうか。

 それとも、イエスはガリラヤのナザレ出身ですから、「ガリラヤへ帰った」とか「戻った」ということなのでしょうか。

イエスがガリラヤへ来る、行くまでの1章1節から13節を見ておきます。

1)

1節の「神の子イエス・キリストの福音の初め」。写本によって「神の子」があったりなかったりするのですが、多分元々はなかったと思います。

そして「イエス・キリスト」ですが、私はキリスト教系の学校で、入学したばかりの、それまで殆どキリスト教に触れたことがない若い人たちに聖書の話をすることがあって、大抵始めに「“イエス・キリスト”というのはイエスが名前でキリストが名字ということではありません。元々はイエスはキリスト、救い主であると信じることです」等と言います。ですが、これはマルコ福音書については当てはまらないかもしれません。

マルコ福音書全体の中で「イエス・キリスト」という呼び方をしているのは1章1節だけで、後は単に「イエス」という呼び方になっています。

そして、原文ではこの「キリスト」には定冠詞がついていません。ややこしい話で申し訳ないのですが、定冠詞がついていないということはここでの「キリスト」は「救い主」を意味する普通名詞ではなく固有名詞、名字ではないですが単なる呼び名・通称である可能性が高いです。

つまり、ユダヤ人にはイエスという名前が非常に多い(聖書の中ではコロサイの信徒への手紙4章11節に「ユストと呼ばれるイエス」という人が出て来ます。また、マタイ福音書27章15節以下によるとイエスの代わりに釈放されたバラバもバラバ・イエス、「バラバと呼ばれるイエス」だったようです)、それでマルコはこれから物語って行くイエスが数多くいるイエスの中のどのイエスなのかはっきりさせるために、始めだけ「イエス・キリスト」、「キリストと呼ばれるイエス」としているということです。

「福音の初め」というのは、「ここから福音について物語り始めますよ」ということであり「福音の出来事そのものが既にここに始まっていますよ」ということでもあって、この後の記述のどこまでが「福音の初め(始め)なのだろうか」等と考え込む必要はないと思います。

 2)

続く2~13節は洗礼者ヨハネの登場(2~8節)・イエスの受洗(9~11節)・サタンの誘惑(12~13節)と内容が盛り沢山ですが、4節「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて」・12節「“霊”はイエスを荒れ野に送り出した」・・・イエスは荒れ野に現れたヨハネのもとに来て洗礼を受け、荒れ野に送り出されてサタンから誘惑を受ける、2~13節は荒れ野が舞台になっているという点でつながっていると言えそうです。

「荒れ野」は、人々が日常を過ごす場所ではなく非日常的な場所です。淋しく恐ろしく危険でもありますが、超越的な存在に出会う、「神に近い場所」でもあります。だからヨハネは人々の日常から遠ざかり荒れ野に行ったのでしょう。

では、イエスがサタンから誘惑を受けたのも荒れ野ですが、この場合はどうでしょう。

マタイ・ルカ福音書の「荒れ野の誘惑」では、「神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることがないように、天使たちは手であなたを支える」、詩編(91編11~12節)の言葉ですが、これが「(だから)神の子なら、飛び降りたらどうだ」ということでサタンの誘惑の言葉になっています(マタイ4章6節、ルカ4章10~11節)。

ですが、マルコ福音書では13節「イエスは四十日間そこ(荒れ野)にとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」、天使たちがイエスを支え、守っていた。詩編の言葉が誘惑としてではなく、“理想の状態”として荒れ野において実現している・・・。イエスにとって荒れ野は淋しく恐ろしく危険な場所ではなく、むしろ平和で安全な場所であったということになります。

イエスはそのような荒れ野からガリラヤへと赴いて行きます。

 3)

14節「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて・・・」。

ここでの「ガリラヤ」は地理的な、地図上に示された地方、イエスの出身地ということ(だけ)ではなく、人々、世から離れた「神に近い場所」、平和で安全な場所としての「荒れ野」に対する「ガリラヤ」です。

荒れ野から人々に、世に向かって語ったヨハネに対して、イエスは荒れ野には留まらなかった。荒れ野から、苦しみや悩み、悲しみや痛みに満ちた人々の日常、この世の現実へと赴いて行った。人々と同じ場所に行って語り、貧しい人々・虐げられた人々と同じ場所で生きたということです。

15節「『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」

「福音を信じなさい」は「福音において信じなさい」とも訳せます。

イエスはこの世を生きた、そして十字架につき復活した、そうして過去に完成されたのが福音なのではない、イエスがこの世に生きたこと、イエス自身が福音であり、イエスのこの世の歩み、生き方がそれぞれの人が生きて行く根拠である、そのことを信じなさいということではないかと思います。

マルコは復活を否定しているのではありません。元々のマルコ福音書には復活したイエスが現れる、復活顕現の記述がありませんが、16章7節に「さあ、行って弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方はあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と」とあります。

イエスのいない空の墓にいた若者の、そこを訪れた女性たちへの言葉ですが、「あの方(イエス)は・・・ガリラヤへ行かれる」と今日の箇所、1章14節の「イエスはガリラヤへ行き」はつながっていると思います。

イエスの復活とは、特定の人たち(使徒と呼ばれることになる弟子たち)にしか見ることが出来ない、確かめることが出来ない、そんなことではない。そうではなく、イエスは「ガリラヤ」(人々の現実の中)で生きて働いている、今もこれからもイエスによって生かされている人々がいる、イエス、即ち福音を根拠にして生きている人がいる、それがマルコ福音書が伝える復活です。

1章14節も16章7節もどちらも過去のことです。しかし、現在のことでもあるということです。

後の時代の人々、およそ二千年後を生きる今の私たちにとっても、「イエスはガリラヤへ行く」とは、今イエスは私たちの所へ来るということです。そして、私たちが信じ、生きる、その確かな根拠となっています。

2022. 5. 8  復活節第4主日礼拝 (母の日礼拝)
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< 今 週 の 聖 句 >

あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。        (ヨハネによる福音書13章34~35節)

 

 「互いに愛し合いなさい」  深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。        (ヨハネによる福音書13章34~35節)

 

           「互いに愛し合いなさい」     深見 祥弘

 今日は、母の日です。母の日は、1905年5月9日、アメリカのアンナ・ジャービスさんが、ウエブスターの教会で母親の召天一年の記念会を行ったことに始まります。この日、彼女は礼拝堂に、母親の好きであったカーネーションを飾りました。

 今年2月、和歌山におりました父を御国に送りました。葬儀を終え、おおよそ片付けを済ませると、一人になった母を近江八幡に迎えて、ともに生活するようになりました。高校を卒業後、親元を離れて47年、夏休みなど年に何度か帰省することはあっても、生活を共にすることはありませんでした。ですから、生活習慣の違いなど、互いに気を使いながら、この2ヶ月を過ごしてきました。遠慮なく気軽に暮らしてゆくにはどうすればよいか、模索中です。今朝のみ言葉を読んで、こんなことを思い出しました。子どものころ、田んぼに水を入れる季節だったでしょうか、夏休みのころだったでしょうか、外で遊んでどろどろになって帰って来ると、そのまま風呂に入れられました。風呂から出ると、夕食までの間に、またカエルのお尻をつつきに田んぼに行き、足に泥をつけて帰ってきました。せっかく風呂に入ったのにと叱られながら、母に冷たい井戸水で足を洗ってもらいました。

 

 ヨハネによる福音書13章から17章は、最後の晩餐での出来事やそこでなされたイエスの告別説教を書いています。イエスは、イスカリオテのユダが、悪魔によって裏切りの考えをもたされていることを知りました。これによってイエスは神のもとに帰る自分の時が来たこと(十字架)を覚え、上着を脱ぎ、手ぬぐいを腰にまとい、たらいに水をくんで、弟子たち一人ひとりの足を洗いました。イエスは僕となって、彼らを愛されたのでした。イエスは、弟子たちに対し、間もなく別れの時を迎えるけれど、わたしがあなたがたの足を洗ったことを思い起こし、これからの日々、互いに愛し合い仕えあうようにと教えられたのでした。

 洗足の際、ペトロは、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言って拒みました。イエスが「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と言うと、「主よ、足だけでなく、手も頭も」と答えました。イエスは、「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」と言われました。そしてペトロは、足を洗っていただいたのでした。他の弟子たちもまた、イエスの「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい」という言葉に従い、足を洗っていただきました。イエスはまた、ユダの足も洗われました。この時ユダは、すでに悪魔によって全身が汚されていて、洗っていただいた足だけが清い者になりました。「皆が清いわけではない」とは、ユダのことを言っておられたのです。

 「体を洗った者」、「足を洗っていただいた者」とは、何を意味しているのでしょうか。それは洗礼と聖餐(洗足後の食事)、そして互いの奉仕をあらわしています。ペトロは、洗礼を受けて全身をきれいにしていただいたにもかかわらす、その後の日々の罪を自覚しない人々を象徴しています。この人々は、日々の汚れは自分で清くできるし、そもそも自分は罪を犯していない、汚れていないと考えました。また、イスカリオテのユダは、洗礼を受けて全身をきれいにしていただいたのに、再び汚れてしまった人々を象徴しています。ユダは、この時、聖餐のパンを受け取って、食事の席を離れました。聖餐は、彼を救うことができたのでしょうか。他の弟子たちは、洗礼をうけて全身をきれいにしていただき、さらに日々の罪を、聖餐の恵みと互いの愛の奉仕できれいにする人々を象徴しています。

 

 ユダはパンを受け取ると、その場から出ていきました。イエスは「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。」と言われました。この時イエスは、何を言っておられるのでしょうか。ユダが出て行ったことは、イエスにとって受難の始まりを意味します。すなわち「今や、人の子は栄光を受けた」と言っている栄光とは、イエスの受難と十字架と復活のことです。この世的にみると苦難と十字架は、敗北を意味します。しかしイエスの苦難と十字架は、人々の救いのためになされる無償の愛をあらわしています。イエスはその栄光を今、父なる神からいただいたのです。またイエスによってその愛が世に現れることにより、イエスに栄光を与えた父なる神に栄光を帰すことになります。さらに父なる神は、十字架に死んだイエスを復活させ、イエスにさらなる栄光をお与えになるのです。

 イエスの十字架によって愛が明らかになろうとする時、イエスは弟子たちに「新しい掟」を与えられました。その掟とは、「互いに愛し合いなさい」でありました。この掟の何が新しいのでしょうか。すでにユダヤの人々は、「自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい」(レビ19:18)という教えを得ておりました。隣人愛の元となるものは、自分自身を愛することにあります。しかしイエスは、隣人愛の新しい根拠を教えられました。それは、「わたしがあなたがたを愛したように」ということです。すなわちイエスは、洗足と十字架によって明らかになった愛を根拠にして、「互いに愛し合いなさい」と命じられるのです。そして、互いに愛し合うならば、彼らがイエスの弟子であることを知られ、イエスによる愛と栄光の証となるのです。

 

 ウクライナ民話「てぶくろ」は、ウクライナへのロシアの侵略後、多くの人に読まれています。森の中で、子犬を連れたおじいさんが落とした片方の手袋に、森の動物たちが暮らします。ネズミにカエル、ウサギにキツネ、オオカミにイノシシ、そしてクマまでも手袋の中にはいりました。しばらくすると、おじいさんが、手袋を探しにもどってきました。子犬が手袋を見つけて吠えると、手袋の中の動物たちが、森のあちこちに逃げていきました。おじさんは、その手袋を拾って行ってしまいました。

 私はこのお話に出てくる手袋とは、イエスさまではないかと思いました。民族も宗教も違う人々、ふだんは敵である者どうしが、一緒に暮らせる平和な国の実現を願っているのではとも思いました。さらにこれは自分のものだと持って行ってしまったおじいさんも、手袋の中で一緒に暮らせばよかったのになどと思うのです。

 

 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」、私たちが自分を愛する思いで愛するのでなく、イエスが足を洗って下さり、十字架に架かってくださったその愛によって、私たちは互いに愛し合うのです。そのことで、私たちはイエス・キリストの栄光を世界の人々に証をし、キリストを与えてくださった父なる神を讃えることができるのです。自分を愛することを基準とする愛は、ユダやペトロのように破綻いたします。イエス・キリストの私たちに対する愛を基準とし、私たちが互いに愛し合い仕え合うことで、平和を模索し、実現してゆきましょう。

2022. 5. 1  復活節第3主日礼拝 (創立記念礼拝)
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< 今 週 の 聖 句 >

思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。    (ペトロの手紙第一5章7節)

 

 「思い煩いは、主に任せよ」 深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。    (ペトロの手紙第一5章7節)

 

         「思い煩いは、主に任せよ」     深見 祥弘

 教会創立121周年を迎えました。私たちの教会は、1901年5月9日「八幡組合基督教会」という名で設立されました。

 着任以来、教会創立記念礼拝で少しずつ、教会の歴史についてお話をしてきました。昨年のこの礼拝では、戦後すぐの教会(1945~1960年ごろ)、すなわち「キリスト教ブームと教会創立50周年」について話しました。

11回目となる今回のテーマは、「自立教会への歩みと痛み―滋賀地区伝道協議会と脱近江兄弟社」(「百年史」より)で、1961年~1967年頃の教会や地区についてです。

 1960年3月、内炭政三牧師が辞任し、同年9月、教会は鎌田信牧師を招聘しました。しかし鎌田牧師は、1961年3月に辞任し、新たに赤阪英一牧師の招聘を決め、11月、赤阪牧師が着任しました。1962年4月開催の教会総会は、教会方針として、①交わりの回復、②町への伝道、③教会学校の見直し、④会員名簿の見直し、⑤礼拝献金の実施を決議しました。この中の「礼拝献金の実施」とは何か。それは、長年にわたり近江兄弟社より物心ともに支援を受けてきた教会が、創立時の自立教会に戻ることを決意し、その一歩を踏み出したことを示すものです。それまで教会は、礼拝席上献金を行わなくても、支援によって教会の運営ができていたのです。近江兄弟社設立の目的は、その事業による果実を、伝道に充てることでありました。それは私たちの教会だけでなく、関係をもつ県内の教会に人を遣わし、伝道のために資金を献げ、その働きの主体となっていたのです。しかし戦時下にあって近江兄弟社は、キリスト教の組織体に対してなされる圧迫を恐れ、関係を結んできた諸教会を組織から分離することをも行なったのでした。

 戦後のキリスト教ブームが去り、1960年代の潮流の中(安保・ベトナム戦争など)で、教団も、滋賀県内諸教会も、これまでの在り方を厳しく問われることとなりました。日本基督教団は、1967年に「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦責告白)を内外に公表いたしました。滋賀県下の教会も、近江兄弟社との関係を問い、1963年「日本基督教団京都教区滋賀地区伝道協議会」(滋伝協)を創立しました。滋伝協は、県下の諸教会が互いに交わりを深め、協力して近江伝道を推進してゆくこと(伝道圏伝道)を目的とします。1967年開催の滋伝協総会において、若い教職者より「滋賀地区伝道白書」が提案されました。それにより、これまでの滋賀県下の諸教会は、近江兄弟社に依存するような形でなされてきた教会形成や伝道のあり方を厳しく問われることとなりました。こうした中、私たちの教会でも、神学生や伝道師たちを中心にして、若い人たちが地区内、教区内の若い人たちと共に、活発に活動をおこないました。時には、牧師や教会員と若い人たちの間に軋轢が生ずることもありました。この頃の教会は、多くの痛みを抱えながら、教会や信仰のあり方と正面から向き合い、問い直しをしたのでした。

 

 今朝のみ言葉は、ペトロの手紙第一5章1~11節です。この手紙は、「公同書簡」と呼ばれ、ローマ帝国内の諸教会にあてて書かれた回状です。紀元90年代、ローマ皇帝ドミティアヌスの治世、迫害に苦しむ信者たちを励ますために、イエスの弟子ペトロの名を冠して、教会指導者が書きました。 著者は、信者たちが迫害に苦しむ中、それはキリストの死の苦しみにあずかっているのであり、キリストの死が復活によって覆されたように、終末の時、あなたがたもキリストの栄光の恵みにあずかることができると述べています。 同時に著者は今、苦しみとともに、信仰の実りと魂の安らぎをいただいていることも伝えています。「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。」(1:8) さらにあなたがたがキリストを信じ、愛することができるようになったのは、福音を伝えてくれた人々のおかげなのだというのです。

 5章は、迫害による苦しみの中にいる信者たちへの勧めです。まず著者は、長老たちに対して「あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい」と勧めます。長老たちが、人々の模範となり献身的に働きをするならば、大牧者イエスが再び来られる時、決してしぼむことのない栄冠を受けることになります。次に、若い人たちに対し「長老に従いなさい」と勧めます。若い人たちは、苦難の中にあっても、長老たちの献身的な奉仕(伝道と牧会)によって導かれ守られています。そして最後に、教会に連なる全ての人々に対し「互いに謙遜を身に着けなさい」と勧めをします。「謙遜」は、神との関係からくるもので、神の前に罪を告白し、その愛と赦しの御手(十字架で傷ついた手)の下に自らを置くということです。5章5節は、箴言3章34節の言葉です。著者はこの言葉「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる」を引用し教えています。

そして、この神への謙遜は、人々に信頼と抵抗と確信を与えます。信頼とは、「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」と書いているように、委ねることを勧めています。抵抗とは、「信仰にしっかりと踏みとどまる」ことです。信仰を同じくする人々と苦しみを共にしながら、信仰を守ることこそ、敵である悪魔への抵抗となります。そして確信とは、「キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光に招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者にし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます」という信仰を持ち続けることです。

 

 水野源三さんは「もしも私が苦しまなかったら」という詩を書きました。この詩は、新聖歌292番でも歌われています。

 「もしも私が 苦しまなかったら 神様の愛を知らなかった 

  多くの人が苦しまなかったら 神様の愛は伝えられなかった  

  もしも主イエスが 苦しまなかったら 神様の愛は現れなかった」

神様は、人の高慢とそこに生じる人々の苦しみを知り、神の子イエスを十字架に架け、復活させてくださいました。復活のイエスは、人々に傷ついた手を見せることで、赦しと愛を現わしました。そして赦しと愛をいただいた人々が、苦しむ人々のところを訪れて赦しと愛の福音を伝えました。その苦しむ人の中に私もいて、神様の愛を知ったのです。

 はじめに、1961年~1967年頃の教会の様子をお話しいたしました。それは、生みの苦しみの中にいる教会でありました。長老が権威をもって教会を治めてきたこと、若い人たちがその権威や力に反発し新たなあり方を模索したこと、教会とは何かを互いに問うたこと、教団が戦争責任告白をし、滋賀地区伝道協議会が宣教の課題を平和と定めたこと、こうした痛みの中に、十字架と復活のイエスが来てくださいました。そして、赦しと愛をもって、もう一度教会を建て直して行こうとする営みに送り出してくださったのです。この頃を「荒れ野」の時代と呼んでマイナスイメージでとらえる方々がいます。しかし、もしあの苦しみがなかったら、私たちは神の愛を知ることはなかったし、神の愛を伝えることもなかったように思います。創立の時より、長老から若い人たちに神の愛を伝える営みが、苦しみの経験の中、間断なく続けられていることを覚え、創立121年の歩みを始めたいと思います。