W.M.ヴォーリズが愛した教会
近江八幡教会
日本キリスト教団
2022. 6. 26 聖霊降臨節第4主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。
(使徒言行録16章31節)
「あなたも家族も救われます」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。
(使徒言行録16章31節)
「あなたも家族も救われます」 深見 祥弘
先週19日(日)、石川県能登地方で震度6弱の地震が発生し、ケガをされた方がありましたし、家や職場等にも被害が出ました。この地方では4年ほど前から地震が増えていました。観測を続けてきた京都大学と金沢大学の合同研究チームは、この地震のメカニズムをこのように考えています。日本列島の陸のプレートに太平洋プレートが沈み込んでいます。この太平洋プレートに含まれる高温高圧の流体(水)が、能登半島の地下200キロよりしみ出して上昇します。そしてこの流体が、断層のすき間に入り込むと潤滑油のような役割を果たし、その結果断層が滑りやすくなって地震を起こします。また、この地下の流体がどんどん上昇するにつれて、震源が浅くなり、今回のように大きな地震を引き起こします。さらにこれが、海底活断層の破壊につながると大地震を引き起こす恐れもあるとのことです。
能登地方に限らず、最近、各地で比較的震度の大きな地震が次々と発生し、南海トラフ地震、東南海トラフ地震、首都直下地震などの前触れの地震ではとも言われます。南海トラフ地震はこれから40年のうちに、発生する確率を90%と予測しています。それは今日のことかもしれません。滋賀県も震度5、震度6が想定されています。私たちも、滋賀県は災害の少ないところ、大丈夫という、自分の思いを基準にするのでなく、自然災害に対しては、外からの呼びかけに耳を傾けたいものです。気象庁の地震津波監視課長さんは、「寝室では倒れてくるものがないようにしてほしい。」と呼びかけています。地震の時、家具などが倒れて身動きができなくなること、ドアが開かなくなって外に出られなくなることを防げば、後は、互いの助け合いでなんとかなるものです。私たちが、自分は大丈夫と思う正常バイアスに支配されることから解放されることで、あなたも家族も救われます。
今朝の御言葉は、使徒言行録16章です。ここにも大地震が起こったと書かれています。「突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。」(26)
パウロたちがこの大地震にあったのは、フィリピの町でした。パウロはシラスたちと、シリアのアンティオキアを出発し、第二伝道旅行に出かけました。計画ではアジア州エフェソとその周辺での伝道を考えていましたが、聖霊がそれを禁じ、トロアスまで来たのです。パウロはそこで、夜、幻にマケドニアの人が現れ、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」との声を聞きました。パウロたちは、なぜここに導かれてきたのかを理解し、呼びかけに応えて海を渡り、フィリピに到着しました。こうして福音がはじめて、ヨーロッパに渡りました。この町には、紫布を商うリディアという女がいて、パウロの話を注意深く聞き、彼女も家族も洗礼を受けました。ヨーロッパの初穂となった彼女は、家を解放し、ここにフィリピの教会ができたのでした。
パウロたちはまた、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会いました。占いの霊は、蛇や竜の霊で未来を預言しました。この霊が、パウロたちを神の僕と見ぬき、霊は彼女を用いてパウロたちに付きまとうなどのいやがらせをしました。パウロは困って「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出ていけ。」と命じると、占いの霊は女から出ていきました。ところで、この女奴隷には複数の主人がいて、未来を預言する彼女から利益を得ておりました。怒った彼らは、パウロとシラスを捕らえ、この者たちはユダヤ人で町を混乱させる者、またローマ市民が受け入れがたい宗教習慣を宣伝していると訴えたので、町の高官たちは、パウロとシラスを鞭打ち、牢に入れて足枷をはめました。
投獄されたパウロたちが、夜、賛美の歌を歌い神に祈っていると、ほかの囚人たちは聞き入っていました。すると突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動き、戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れました。うたた寝をしていた看守が、地震で目を覚まし、灯を持って来てみると、牢の戸が開いていました。看守は、開いた戸と静まり返った牢を見て、囚人たちが逃げたと思い、剣を抜いて自殺しようとしました。ところが真っ暗な中から「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」と叫ぶパウロの声を聞きました。看守は牢の中を明かりで照らしてみると、囚人たちが皆そこにいたのです。看守はパウロとシラスを外に出すと、二人の前に震えながらひれ伏し、「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」と問いました。二人は、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」と答え、看守と家族に主の言葉を語りました。真夜中、看守は二人を連れ出して、水で打ち傷を洗い、自分も家族もその水で洗礼を受けました。さらに看守は、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだのでした。
翌日、町の高官たちは、パウロたちの釈放を命じました。鞭打ちの刑と留置により、見せしめとしての目的を果したと判断したのです。これに対して、パウロは自らがローマ市民であり、不当な取り扱いを受けたと抗議しました。市民は、鞭打ちや十字架などの刑罰を免除されることが、法律で決められていたからです。高官たちは、パウロたちがローマの市民権を持つ者であることを知り狼狽しました。このことが明らかになれば、その地位が危うくなるからです。高官は、獄舎に来て詫びると、この町から出ていってくれるように願ったのでした。
釈放されたパウロとシラスは、あのヨーロッパの初穂となったリディアの家(家の教会)にいきました。そこには同行者であるテモテが待っていたからです。パウロたちが捕らえられた後、家では、二人の無事を願って一晩中、祈りがなされていました。パウロたちは、そこに集まっていた人々に会い、彼らを励ましてから、フィリピを出発いたしました。
囚人は逃げる者、看守はそのように思って務めをしてきました。看守は、地震によって牢の戸が開いたのを見て、囚人たちが逃げ出したと考え、自害して責任をとろうとしましたが、パウロもシラスも、他の囚人たちも皆、牢の中に留まっていました。看守は、信じてきたことの土台が揺らぎ、幾筋も亀裂が入ったように思い、さらに彼の内の亀裂に、熱い何か(イエス・キリストの愛)が入り込んできたことを感じて、パウロたちの前に身を投げ出し、「 救われるためにはどうすべきでしょうか」とたずねたのでした。パウロは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と答えました。イエスを救い主と信じ、これからはイエス・キリストを土台とし、愛に生きなさいと勧めたのです。そうするならば、たとえ闇の中にあっても、主イエスへの信仰によって光を見いだすことができますし、束縛の中にいても、主イエスに賛美と祈りを献げることで、自由と救いを得て生きることができるのです。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」自分を信じる私たちの心の小さな亀裂の中に、熱くて強い主イエスが入って来てくださり、変革を与えてくださいます。その変革とは、私たちの「イエスは主です」との告白によって私と家族に救いが与えられること、また私たちの祈りと賛美によって、闇と束縛の世に、光と自由が与えられることです。「マラナ・タ(主よ、来てください。)」主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。わたしの愛が、キリスト・イエスにおいてあなたがた一同と共にあるように。」(Ⅰコリント16:22~24)
2022. 6. 19 聖霊降臨節第3主日礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
また、イエスは言われた。「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。」
(マルコによる福音書4章21節)
「もたらされるために・・・」 仁村 真司教師
< 今 週 の 聖 句 >
また、イエスは言われた。「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。」
(マルコによる福音書4章21節)
「 もたらされるために・・・ 」 仁村 真司
22節、「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。」
これは「悪事は隠し立てしたところで必ず白日の下に晒される」というようなことではありません。21節の「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか」を受けて「ということはつまり、隠れているもの、秘められたもので現れるためでないもの、明るみにもたらされるためでないものはない」、「そもそも隠すこと、秘めておくことには何の意味もない」ということだと思います。
では、現れるため、もたらされるために持って来る「ともし火」とは一体何のことなのか、何のたとえなのでしょうか・・・。
1)
この「ともし火」についてはいろいろと考えられて来ました。
例えば、24節には「あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ・・・」とあります。ギリシア語の原文には「与えられ」は無いので、「あなたがたは・・・秤で量られる」ですが、これは最後の審判のこと、そして「ともし火」は神の国をたとえているのではないだろうか・・・。
あるいは、ともし火とはイエスのメシア性、イエスはキリストであるということではないだろうか。確かにイエスがメシア、キリストであることは隠したところで現されて行きます。
その他にもいろいろと考えられるのですが、マタイ福音書では「あなたがたは地の塩、世の光である」に続いて「ともし火を・・・燭台の上に置く」と語られたとあり、これは5章15節ですが、10章26節に「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである」と語られたとあります。
つまり、マルコ福音書とマタイ福音書ではそれぞれの言葉が語られたとされる状況が全く違っていて、元々はどのような状況で語られたのか残念ながらわかりません。ですから、「ともし火とは何か」といくら考えてみても確かだと言える結論を導き出すことは出来ません。
ただ、「ともし火を持ってくるのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか」・・・何かを置くべき所にちゃんと置いている、何かに相応しい、適切な行動をとっている人たちに対してこういう言い方はしないだろうと思います。
「あなたがたはともし火を升の下や寝台の下に置くようなことをしているのではないのか」、イエスはそう言っているのではないでしょうか。
2)
今日の箇所の手前は、道端に落ちた種は鳥に食べられ、石だらけの所に落ちた種は枯れ、他に茨に遮られて実を結ばない種もあるが、良い土地に落ちた種は芽生え、育って実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなるという有名な「種を蒔く人」のたとえ話にまつわってのイエスと弟子たち、一緒にイエスの周りにいた人たちとのやり取りです。少し見てみましょう。
イエスがひとりになられたとき、十二人と一緒にイエスの周りにいた人
たちとがたとえについて尋ねた。そこで、イエスは言われた。「あなたがた
には神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたと
えで示される。それは、『彼らが見るには見るが、認めず、聞くには聞く
が、理解できず、こうして立ち帰って赦されることがない』ようになるた
めである。」(4章10~12節)
イエスがたとえで語るのは「外の人々」、他の多くの人たちにはわからないようにするため、「十二人と一緒にイエスの周りにいた人たち」、限られた人たちだけにしか打ち明けられていない「神の国の秘密」を隠しておくためだということのようです。
わかるようにするためではなく、わからないようにするためにたとえで語っているというのですから、釈然としないと言うか、納得しにくい話ですが、これはイエスが言ったことではないです。
言葉づかい、内容等からして、マルコ福音書が記される以前に最初期の「十二人」(弟子たち)を指導者、中心とするエルサレム教会の人たちの間で生み出された伝承だと考えられます。
「種を蒔く人」のたとえ話を巡ってのやり取りの背景にあるのは、少数の限られた「弟子」、キリスト教信者だけが「神の国の秘密」、隠された真理を、イエスから打ち明けられて知っているのだという考え方です。
これはイエスが親しく関わった人たち、イエスを慕ってやって来た人たち、イエスを信じて従おうとする人たちを分け隔てすることに繋がります。
このような権威主義的で閉鎖的他考え方、当時の教会指導者たちは、教会の在り方に対してイエスならきっとこう言う、今イエスはこう言って叱っている・・・。
「あなたがたはともし火を升の下や寝台の下に置くようなことをしている。もたらされるためのものを隠すこと、秘密にすることには何の意味もない。正しさもない。一体何をしているのか。」
マルコはこのようにイエスの言葉を受け止めているということです。
3)
イエスがこの世にいる時には教会はまだありませんでしたから、イエスが教会の在り方を批判してともし火のたとえを語ったとは考えられません。
ですが、今教会に連なっている私たちも、ともし火を升の下や寝台の下に置くようなこと、もたらされるためのものを隠すこと、秘密にするようなことをしていないかと絶えず問うていかなければならないと思います。
「自分たちは信じている。」これがいつの間にか「自分たちだけが本当に信じている、本当のことを知っている」・「自分たちだけが正しい」という思い込みとなって、あたかも正しく当然のことであるかのように人を分け隔てする。これはいつの時代でも人が陥り易い過ち、誘惑です。
また、人を分け隔てしたくなくても、するつもりはなくても、人を分け隔てしてしまっていることもあります。
この世界には困っている、苦しんでいる多くの人たちがいることを私たちは知っています。しかし、思いはあったとしても、その人たちの全てに手を差し伸べることは出来ません。どこかで線をひかないといけなくなります。そしてまた、私たちの狭い心では思いを寄せることも、想像することすら出来ない人たちもきっといるでしょう。
私たちは弱さ、力の無さの故に、人を分け隔てせざるを得なくなります。そのような私たちを導く、それが今日のイエスの言葉だと思います。
一人一人が生きて行く、生きて来た。その中で間違えることもある。失敗することもあった。何も成し遂げられていない。いつも一生懸命に、誠実にと思っても、力が出ない、心ここにあらずという時もある、あった。
しかし、たとえそうであったとしても、それぞれがその歩みの中で蒔く種は全体としては、三十倍、六十倍、百倍にもなって実を結ぶ、私たち一人一人が神によってそのように用いられている。
もしも「神の国の秘密」というようなものがあるのならば、こういうことなのではないかと私は思います。
限られた人たちだけにしか打ち明けられていないから秘密なのではなく、人間の尺度、人の秤では量れない、確かめることが出来ないから秘密なのでしょう。しかし、それは全ての人々にもたらされるためにある。そして、確かに全ての人々にもたらされているということです。
2022. 6. 12 こどもの日花の日CS合同礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。」 (出エジプト記2章10節)
「命を引き上げてくださる神さま」
深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。」 (出エジプト記2章10節)
「命を引き上げてくださる神さま」 深見 祥弘
今日6月12日(日)は、キリスト教の暦で、「子どもの日・花の日」です。日本の社会では、子どもの日というと5月5日端午の節句を思いますが、キリスト教会で行う子どもの日は、世界日曜学校運動の中で生まれた日です。第一次世界大戦後、教育の力で世界平和を実現しようとする運動が、世界各地に広がりました。また、その日がアメリカの教会の「花の日曜日」とも重なり、「子どもの日・花の日」と呼ばれるようになりました。この日私たちは、教会に連なる子どもたちや社会で育つ子どもたちのために、神の恵みを祈ります。
今朝の御言葉は、主エジプト記2章1~10節です。ここには、モーセの誕生をめぐる出来事が書かれています。今から3200年程前のことです。イスラエルの人々は、エジプトで暮らしていました。ヤコブ(別名イスラエル)の子ヨセフは、兄たちに売られてエジプトに来ました。ヨセフは、エジプトの王の夢を解くことで、飢饉からエジプトを救い、やはり飢饉に苦しんでいたカナンに暮らす父ヤコブや兄弟たちをエジプトに迎えました。しかし、ヤコブやヨセフが亡くなり、ヨセフの事を知らない王となったとき、王はエジプトに暮らす多くのイスラエルの人々を見て、脅威を覚えました。いつか、この国がイスラエルの人々に奪われてしまうのではないかと恐れたのです。そこで王は、イスラエルの人々を奴隷とし、重労働を課して虐待し、これ以上増えることのないようにしました。しかし、神はイスラエルに守りを与えたので、さらに数は増し強くなりました。そこで王は、イスラエルの家に男の子が生まれたら、ナイル川にほうり込めとの命令を出したのでした。さて、イスラエルのレビ族にアムラムとヨケベデという夫婦がいて、男の子が生まれました。二人は、王の命令に従わず、3ヶ月の間、この子を隠しました。しかし、この子が成長するにつれて、泣き声も大きくなり隠しきれなくなりました。二人はやむなく、パピルスの籠にアスファルトを塗って防水にし、籠の中に男の子を入れて、ナイル川河畔の葦の茂みに置き、この子の姉ミリアムに見張りをさせました。
ミリアムが見張っていると、エジプトの王の娘が、お伴をつれて水浴びをしようと、川に下りてきました。王女は葦の茂みに置かれている籠を見つけ、お伴に取りに行かせました。王女が籠を開けてみると、男の赤ちゃんが入っていて、泣いています。赤ちゃんをくるんでいる布は、イスラエルの人々が使っている布でしたので、王女はその子がイスラエルの家に生まれた子であると分かりました。王女は泣いているこの子が、なぜここに置かれたのかがすぐにわかりましたので、ふびんに思いました。
するとそこに、ミリアムがあらわれ、「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか。」と申し出ると、王女は「そうしておくれ」といいました。そこでミリアムは、男の子の母であるヨケベデを連れてきました。王女は、乳母として連れてこられたこの女がこの子の母とわかり、「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。手当はわたしが出しますから」と言いました。ヨケベデはこの子を引き取って育て、この子が大きくなると王女のところに連れていきました。王女は、「この子は水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから」と言ってモーセと名付け、我が子としたのでした。
今年ヴォーリズ学園は、創立100周年を迎えます。1922年(T11)8月
23日、県より清友園幼稚園の設立が認可されました。この子どもたちへの働きは、1917年(T6)池田町にプレイグラウンドが開設されたことに始まります。1920年(T9)、武田猪平牧師によって「清友園」と名付けられ、運営は一ツ柳滿喜子に委ねられました。一ツ柳滿喜子「教育随想」(1959)に、こんな一節があります。「軒下にポリポリおやつを食べながら何をするともなくたたずんでいる子どもたちに、建設的な遊び場を造る必要を感じたのが、そもそもの始めでした。・・・近江ミッションの空き地を用い、自分の小遣いや少しの持ち物を現金に替えて、その費用を足していました。そのうちに、社内の青年たちの援助を受けて、遊びに来る子どもたちのために、雑誌部、英語部、料理部等の活動を開始しました。」
はじめに「子どもの日」は、世界日曜学校運動の中で生まれたと話しました。このプレイグラウンド清友園も、世界日曜学校運動と無関係とは言えません。世界日曜学校協会主催の世界日曜学校大会は、1889年に第一回がロンドンで開催されました。1920年(T9)には東京で、第8回世界日曜学校大会(会場帝国劇場)が10月5日から10日間、開催されました。世界32ヶ国から約1000人、そして国内から約1400人が参加する大規模な大会で、これにヴォーリズ、高橋卯三郎、吉田悦蔵も出席しました。この大会は、第一次世界大戦後初の開催で、世界同胞主義をうたった大会決議文を発表し、教育の力で世界平和を実現しようという運動が、世界各地で展開されることとなりました。この大会終了後、ヴォーリズらは、大会に参加していた英米の数名の人々を八幡に招きました。この時、この人々にプレイグラウンド清友園の取り組みを紹介し、助言を求めたにちがいありません。さらにこの頃は、大正デモクラシーの風潮で、国内には自由な教育をめざす私学が次々と設立され、子どもたちの自発性や自由を重視した教育の試みがなされました。昨年召天されたTさんは、1926(S2)年に清友園幼稚園に入園し、卒園後、土田町にあった昭和学園という学校で学びました。この学校は日本一小さな学校と言われ、大正期に高潮した個性尊重、児童中心を教育方針とし、午前中は学習、午後は労作に取り組む学校でした。ヴォーリズ学園も「イエス・キリストを模範とし、自己統制力のある自由人、独立自主の創造力に富む人、知性豊かな国際人を育成する。」(ヴォーリズ学園寄付行為)を掲げています。[参照 「ヴォーリズらの教育事業100年小史」(ヴォーリズ学園2020年)]
モーセの名の意味は、「引き上げる」です。エジプトの王女が、河畔に下りてきて、モーセが入れられている籠を見つけ、泣いているモーセをふびんに思い、手を差し伸べて引き上げてくれたのです。モーセは、本当ならば、川に投げ込まれて、死んでしまわねばならない運命でありました。
イエスもまた、2000年前、天の神さまのところから下りてきてくださり、ヘロデ王やローマ皇帝の支配に苦しんでいる人々を見つけてくださり、泣いている人々をふびんに思い、手を差し伸べて、引き上げてくださいました。このイエスは、赤ちゃんのときに、モーセと同じような体験をしています。ヘロデ大王が、東の国の博士からユダヤの国の新しい王の誕生の知らせを聞いたとき、ベツレヘム周辺の二歳以下の男の子を虐殺するように命令を出したからです。その時、父ヨセフと母マリアは、幼子イエスを連れてエジプトに逃れたのでした。モーセは、神の働きとして奴隷であったイスラエルの人々を解放しカナンの地に導きましたが、イエスは、神の計画により、信じる全ての人を救い、命を与え神の国に導いてくださいます。
イエスは、今も働いておられます。籠の中に身を隠す人のところに下りて来て下さり、その籠を開いて、手を差し伸べ、引き上げ、我が子としてくださるのです。私たちは、主が子どもたちのもとに来てくださり、その命を見つめ、愛をもって引き上げてくださることを祈ります。
2022. 6. 5 聖霊降臨日礼拝(ペンテコステ礼拝)

< 今 週 の 聖 句 >
主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。
(使徒言行録11章17節)
「神がなさること」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。
(使徒言行録11章17節)
「神がなさること」 深見 祥弘
「♪赤いきつねと緑のたぬき♫」とは、カップ麺のコマーシャルです。
聖霊降臨日(ペンテコステ)が来ると、このコマーシャルソングを思い出します。どういうことかというと、聖霊降臨の出来事は、「赤いクリスマス」、または「緑のクリスマス」と言われるからです。
ペンテコステの典礼色は赤です。聖霊が降ったとき、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまったと記されています。赤は炎の色、舌の色を、聖霊降臨によって生まれた教会をあらわす色、さらには殉教者の血の色をあらわしています。イエスが降誕したクリスマスに対して、聖霊が降臨したことと、それによって教会が誕生したことを受けて、「赤いクリスマス」と呼びます。
さらに宣教によってキリスト教がヨーロッパ中部・北部に広がると、民間習俗であった夏の到来と命を喜ぶ「緑の祭り」と聖霊降臨日が一緒に祝われるようになりました。教会を緑の葉で飾って守るペンテコステ礼拝は、「緑のクリスマス」と呼ばれるようになりました。ペンテコステ後の、聖霊降臨節の典礼色は緑、いのち、成長、平和をあらわします。
〔参照 今橋朗著「よくわかるキリスト教の暦」(キリスト新聞社〕
今朝の御言葉は、使徒言行録11章1~18節です。ここには、エルサレムで行われた教会会議の様子が書かれています。教会会議の議題は、異邦人伝道に関することでした。
この教会会議が開催されることとなったのには、次のような出来事がありました。地中海の港町カイサリアに、コルネリウスという者がおりました。彼は、ローマ軍の百人隊長で、カイサリアに駐留していました。また彼は、信心深く、一家そろって神を畏れ、民に施しをし、絶えず祈りをしておりました。ある日、コルネリウスが午後3時の祈りをしていると、神の使いがあらわれ、「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。」と告げました。コルネリウスは、部下の者ら3人をペトロのところに送りました。
その時ペトロは、同じく地中海の港町ヤッファの皮なめし職人シモンの家に滞在していました。ペトロもまた、昼12時に祈っていると、このような幻を見ました。彼が見ていると、天が開き、大きな布の入れ物が四隅でつるされて、地上に降りてきました。入れ物の中には、あらゆる獣や地を這うもの、そして鳥が入っていて、天の声が、ペトロにこれを屠って食べよと命じました。ペトロは、その中に宗教的に汚れている動物が入っていたので、これを拒みました。しかし、声は「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」と言い、このやりとりが三度繰り返されました。
ペトロが、これは何を意味するのかと思いめぐらしていたとき、コルネリウスの使いの者が到着しました。霊が、「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」と告げると、ペトロはこれに従ったのでした。
翌日、ペトロとヤッファ教会の信徒6人が出発し、次の日、カイサリアに到着しました。そこでは、コルネリウスが親類や友人たちを呼び集めて待っていました。ペトロとコルネリウスは、互いに見た幻について語り、その後、ペトロは集まった人々に次のように説教をしました。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」ペトロの説教が終わらないうちに、御言葉を聞いている一同の上に、聖霊が降りました。
それは、ペトロたちに聖霊が降った時と同じで、コルネリウスたちは異言を話し、神を賛美しました。ペトロは、驚くヤッファの教会の人たちに対して、「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言い、コルネリウスたちに、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるように勧め、洗礼をさずけたのでした。
さて外国人が、神の言葉を聞いて信じ、聖霊を受けたという知らせは、
エルサレムの教会の人々に衝撃を与えました。特に「割礼を受けている者たち」(ユダヤの伝統を重んじるキリスト者)は、ペトロが外国人と交わりをもったことを非難しました。ペトロは、事の次第を順序正しくエルサレム教会の人々に話しました。
ペトロは、このように言いました。神はこれまで、イスラエルという選ばれた民にその救いの計画を明らかにしてこられました。しかし、今回、神はイエス・キリストの十字架と復活を通して、イスラエルと外国人の区別はなく、すべての人が救いの対象となっていることを明らかにしました。外国人たちが、聖霊を受けるためには、割礼を受けることやユダヤの慣習を守る必要はありませんでした。ただ、神の言葉(イエス・キリストの福音)を受け入れ、信じることで十分でした。この度の事は、神の側からの一方的な恵みであり、神の自由な行為でありました。
この言葉を聞くと、これまで非難していた人々も静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、非難の言葉は神への賛美に変えられたのでした。こうして、エルサレム教会は、神の救いの計画として、外国人への宣教を承認したのでした。
使徒言行録10章1節~11章18節は、カイサリアにおける外国人への聖霊降臨が書かれていました。2章1~13節のエルサレムにおけるユダヤ人への聖霊降臨と対称になっています。これは、今回お話した港町ヤッファとカイサリアにもあらわれています。ペトロが滞在したヤッファは、エルサレムとの関係が深い、ユダヤ主義の町です。対してカイサリアは、ヘロデがローマ皇帝アウグストゥスにちなみ、カイサリアと名を付けた町です。ローマとの関係が深く、皇帝礼拝のための神殿や劇場、競技場などがありました。二つの町は、60キロほどの距離にありますが、大きな隔てがあったのです。神は、このヤッファのペトロとカイサリアのコルネリウスに働きかけ、イエス・キリストによる救いの福音を、カイサリアに届けました。ローマの支配下、力においてコルネリウスは、ペトロたちを支配するものです。信仰においては、ペトロはコルネリウスたちを指導するものです。こうした関係の中でコルネリウスは、ペトロを迎えたとき、足もとにひれ伏しました。するとペトロは、「お立ちください。わたしもただの人間です。・・・神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。」と言い、コルネリウスも、「今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」と答えています。二人は、神のなさろうとしていることを前にして、これにひれ伏し従います。また、愛国者の町ヤッファの教会とエルサレムの教会の人々も、神の前に静まり、神の救いの業を賛美いたしました。神の福音は、カイサリアから時代も地域も越えて、私たちに届けられました。神のなされる事に感謝し、聖霊降臨を祝います。