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≪次月 5月(2023)礼拝説教要旨 前月≫

2023. 5. 28 聖霊降臨節第1主日礼拝(ペンテコステ礼拝)
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< 今 週 の 聖 句 >

この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。

(使徒言行録11章18節)

 

      「第二の聖霊降臨」       深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、

命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。

(使徒言行録11章18節)

 

            「第二の聖霊降臨」       深見 祥弘

 今朝は、近江兄弟社高校合唱部の皆さんと、礼拝を共にすることができて感謝いたします。また、礼拝でご奉仕をいただきありがとうございます。

キリスト教には、三つの祝祭日があります。皆さんもよくご存じのクリスマス(イエス・キリストの誕生を祝う祝祭日)、イースター(十字架に架けられたイエス・キリストの復活を祝う祝祭日)、そして、聖霊降臨日(イエス・キリストが復活して50日目、聖霊が降り教会が誕生したことを祝う祝祭日)です。聖霊降臨日は「ペンテコステ」とも言いますが、「50」を意味する言葉です。そもそも聖霊(神の霊)とは何なのでしょうか。これはギリシャ語のプネウマという言葉で、いのちを与える息吹を意味します。聖霊は、神からわたしたち一人ひとりに与えられる賜物で、一人ひとりの内に入ってくださりいつも一緒にいてくださいます。そのことによって聖霊は、イエスが救い主であることを教え信仰に導きます。また聖霊はわたしたちの「弁護者」(ヨハネ14:26)として働きをいたします。伝道者パウロは「わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれている」(ローマ5:5)とこれらの聖霊の恵みを言い表しています。

 

 使徒言行録11章は、ペトロがヤッファの町で、異邦人であるローマ軍の百人隊長コルネリウスとその家族に聖霊が降ったことを、エルサレム教会に報告する場面です。ペトロが伝道を終えてエルサレムに戻ると、ユダヤ人であるキリスト者が「あなたは割礼を受けていない者たちのところに行き、一緒に食事をした」と非難しました。神の救いは、神との契約の民ユダヤ人に与えられる、また異邦人が神の救いにあずかり、主の会衆として食卓につくためには、聖書が教えるように割礼を受けなければならないとされていたからです。ですからユダヤ人キリスト者たちは、ペトロが割礼を受けていない異邦人コルネリウスのところに行き、彼と家族に神の賜物である救いの与えられることを告げ、ともに食事をしたことを非難したのです。

 人々の非難を聞いたペトロは、自分の体験を次のように話ました。

<ヤッファの町にいた時のことです。ある日祈っていると、幻を見ました。それは、大きな布のような入れ物が天から下って来て、その中に、獣や這うもの、鳥などが入っていました。そして天から「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」との声が聞こえたので、わたしは「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことはありません」と答えました。そこには、ユダヤの律法(レビ記11章)で汚れた動物と定められたものが入っていたからです。しかし「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」と天から声が返ってきて、こんなやり取りを三度くり返しました。 そのとき、カイサリアにいるローマ軍の百人隊長コルネリウスの使い三人がわたしを訪ねてきました。コルネリウスは信仰あつく、一家そろって神を畏れ、絶えず祈りをささげ施しをする人です。霊が「ためらわないで行きなさい」と言ったので、一緒にいた六人の信者たちと彼の家に向いました。コルネリウスが言うには、天使があらわれ「ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。」と告げたというのです。わたしが福音(イエスは救い主である)を話しはじめると、聖霊が降りました。福音が十分に語られ、彼らが受け入れて、聖霊が降ったのではありません。その時の様は、ちょうどエルサレムのある家に集まっていたわたしたちに聖霊が降った時と同じで、彼らの上に降り神を賛美しはじめたのです。また彼らと食事をしたとき、過日、復活の主と食事をしたときに主が話された言葉「ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける」を思い出しました。>

ペトロが「主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか」と言うと、エルサレム教会の人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えて下さったのだ」と言って、神を賛美しました。

 

 説教題を「第二の聖霊降臨」としましたが、「第一の聖霊降臨」はこのようでした。復活の主は、弟子たちに「エルサレムを離れず・・・約束されたものを待ちなさい。」(1:4)と食事の席で言われました。また、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。・・・地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(1:8)と告げられました。弟子たち(ユダヤ人)は、この約束を信じてある家に集まり、イエスの復活から50日後の五旬祭の日(麦の収穫祭)、聖霊が彼らに降りました。このようにユダヤ人に聖霊が降ったのが「第一の聖霊降臨」であります。そして「第二の聖霊降臨」は、ローマの百人隊長とその家族、すなわちユダヤ人以外の人々に聖霊が降った出来事です。神の救いは、神の民であるユダヤ人に与えられるとされていましたが、イエスの十字架の清めにより、これが覆されたのです。

 

 最近の「礼拝式文集」を見ると、「沈黙」が入っている礼拝式文があります。讃美歌、祈り、聖書朗読、説教と同じく、沈黙が位置づけられているのです。「沈黙」は、黙って一人で祈るときではありません。また礼拝で読まれた聖書の言葉を黙想するときでもありません。それは、聖霊の働きかけを待つ時です。(クエーカー派の礼拝は、沈黙の礼拝です。聖書朗読も説教もサクラメントもありません。共に集い、静かに黙静し、神の働きを待ち、静かなる細き声を聞き分けようとする礼拝です。) 聖書の教えに聞き従うことは、大切なことです。しかし、時に聖書の教えと天からの声が異なることもあるのです。ペトロは、聖書の教えや教会の慣習と、天からの声が異なることを体験し、どうすべきか悩みました。聖書の「汚れた物を口にしてはいけない」という教えに従うべきか、天からの声「神が清めた物を、清くないなどと言ってはならない。屠って食べなさい」に従うべきかペトロは悩み、このやりとりを三度もしましたが決断できずにいました。  

 その直後、カイサリアにいるコルネリウスの使いが来た時、ユダヤ人は汚れている外国人の家に入ってはいけないという聖書の教えがあるにもかかわらず「ためらわないで一緒に行きなさい」との霊の声が与えられたのです。ペトロはコルネリウスと家族に福音を語るに際しても、この人たちは外国人で割礼を受けていないと思い、救いの確信を持つことができないままでした。でも語り始めると、聖霊が彼らに降り、これまでのペトロの迷いは一掃されたのでした。あの汚れた物を清くした、食べなさいという天の声は、外国人の救いを示すものであったのだとわかったのです。礼拝で行われること(説教・信仰告白・聖餐式・洗礼式)がいつの間にか人のなすことにかわってしまい、神がなされることより重んじられることもあります。沈黙は、礼拝の中で失われている聖霊の働きを待つ時です。

 かつてエルサレム教会の人々が、ペトロの証言を聞いて「静まり」、神の霊のなされることをもって、人のなしてきたことを打ち破り、生き生きと神を賛美したことを心にとどめたいと思います。わたしたちも静まり、天からの声を聞き、聖霊の働きを待ち、それに従いましょう。わたしたちには思いも及ばぬ神の恵みが与えられ、神を賛美することができるでしょう。 

2023. 5. 21 復活節第7主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や

時期は、あなたがたの知るところではない。」

(使徒言行録1章7節)

「 なぜ天を見上げて立っているのか 」   仁村 真司教師

< 今 週 の 聖 句 >

イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や

時期は、あなたがたの知るところではない。」

(使徒言行録1章7節)

「 なぜ天を見上げて立っているのか 」    仁村 真司

次週はペンテコステですが、聖霊が降る、その出来事の前に、復活したイエスは四十日にわたって弟子たちに現れ、聖霊を待つように命じ、天に上げられます。今朝はこの「キリストの昇天」について考えて行きます。

1)

イエスのこの世での姿を伝える四つの福音書の中で「キリストの昇天」について記しているのはルカ福音書一つだけと言っていいでしょう。

マルコ福音書16章19節に「主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げ

られ、神の右の座に着かれた」とありますが、16章9節以下は後の時代の付け足しです。元々のマルコ福音書には復活したイエスが弟子たちに現れる復活顕現の記述もありません。

今日見て行く使徒言行録を記したのもルカですから、聖書の中で「キリストの昇天」、イエスが天に上げられた場面、その時のイエスや弟子の様子等の出来事そのものを記しているのはルカだけということになりますが、先に記されたルカ福音書24章50〜53節。

イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて 

祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らは 

イエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内に

いて、神をほめたたえていた。

随分と短く、あっさりとしているようにも思えるのは、イエスが天に上げられる際の弟子たちについて殆ど触れられていないからでしょう。今日の箇所、使徒言行録では使徒(弟子)たちの「言行」が記されているのですから、あっさりとは行かず、また、引っ掛かりも出て来ます。

「引っ掛かり」と言うのは、例えば9節に「・・・イエスは彼らが見ている

うちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった」とあります。この雲は「乗り物」でもありますが(他に一テサロニケ4章17節、ヨハネ黙示録11章12節でも雲は「乗り物」です)、イエスの姿をずっ見ていたかった、それなのに雲が覆ってしまったというような弟子たちのの意図、思いを遮る障害物、引っ掛かりにもなっています。

そして、よりはっきりとした、最大の引っ掛かりは雲に覆われてイエスが見えなくなってからも天を見つめている弟子たちに白い服を着た二人の人が言った「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか」(11節)、この言葉です。

二人の人、天使はイエスが離れて行って、悲しい、寂しい、心許ない、そんな弟子たちを「大丈夫、イエスはまた来るから」と慰めたり、励ましているのではなく、「どうして?」と天を見上げて立っている理由を尋ねているのでも勿論なく、「そんなことしているあなたたちは間違っている」・「天を見上げて立っていてはならない」と叱っていると考えられます。

2)

では、弟子たちは何を間違えていたのでしょうか。

使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。(6飾)

弟子たちがイエスに尋ねているのは「この世が終わり、神の国が来る、神の支配がもたらされるのはこの時、今ですか」ということです。

この世の終わり、終末は間近、神の国がすぐに来る、今にも来るというのが当時の、初期のキリスト教会の一般的な思想・考え方です。使徒たちもそう考えていた、そうであってほしいと願っていたのでしょう。

パウロも終末が迫っていると考え「今危機が迫っている状態にあるので、こうするのがよいとわたしは考えます。つまり現状にとどまっているのがよいのです」とコリントの信徒への手紙一(7章26節)に書いています。

「危機が迫っている」というと何か今にも恐ろしいことが起こるみたいですが、パウロ(そしてキリスト者)にとって終末の審判の時は永遠の救いの時、それがすぐ来るというのですから恐ろしくはなくて、希望です。なので、ここを「危機が迫っている」と訳すのはどうなのかと思いますが、それはそれとして、危機が迫っているからこそ、この世が終わり、すぐに神の国が来ることを願い、信じるということはあります。

イエスが天に上げられ、離れて行く時の弟子たちもそうだったのでしょう。イエスが犯罪者として十字架に架けられたのはついこの間のことです。そのイエスがキリストであると、これから使徒として宣べ教えて行くのですから、自分たちに危機が迫っていると感じ、不安や恐怖に囚われたとしても無理はない、それが不信仰だとは私には思えません。そして今すぐにでもこの世が終わり、神の国が来ることを願った、そう信じた。そうすればイエスがキリストであることはだれの目にも明らかになります。

ですが、この世の終わり、神の国が来るのはこの時ではなかった。今もこの世は終わっていないのですから、およそ二千年前にすぐにこの世が終わり、神の国が来ることを望み、そう信じたことが間違いだったのかと言えば、後になってからならばそう言えるのかもしれません。しかし、白い服を来た二人の人、天使が叱っているのはそのことではありません。

「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(8節)というイエスの言葉、イエスから託されたこの世における役割、今この世にある人々に対してなすべきことについて、そんなことが本当に出来るのだろうか、自分たちがしなくても何とかならないだろうか、神の国はいつになったら来るのだろうかなどと思って天を見上げて立っている、途方に暮れている、それがこの時の弟子たちの間違いだったのだと思います。

3)

終末の時を希望とし「主の再び来たりたまふを待ち望む」のがキリスト教です。キリスト教の長い歴史において今まで、過去に、すぐに終末、神の国が来ることを願い、そう信じた人たちは多くいました。

日本でも1930年代、世界恐慌の頃だと思いますが、この世の終わりということだったのでしょう、家を売り、仕事も辞めて、富士山の上で祈って神の国の到来を待っていた人たちがいたという話を聞いたことがあります。

私たちも「み国(神の国)を来らせたまえ」と祈っている訳ですが、今の私たちは、少なくとも私は今すぐにこの世が終わり、神の国が来ることを切実に願ったことも、そう信じたことも、多分ないと思います。

ですが、「天を見上げて立っている」、自分が置かれている現実をしっかりと見ようとせず、もうどうしようもないとただただ途方に暮れている、そういうことはありましたし、今もあると気づかされました。

「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない」(7節)。ですから、私たちにはいつこの世が終わり、いつ神の国が来るのか分かりません。では、終末を希望として神の国を待ち望むとはどういうことなのか、私たちはどうすればいいのか。

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(8節)。

「待ち望み方」というようなものはない、あるのはただイエスから託された役割、この世において、世の人々に対してなすべきことである。つまり、すぐにこの世の終わりが来るとしても、どうすることも出来ないという絶望的状況に置かれたとしても、私たちにはそれぞれに相応しい役割が与えられている、世にある限り神によって用いられるということです。

「なぜ、天を見上げて立っているのか。」これは叱責であると共に、私たちがこのことに気づくように促す導きの言葉でもあります。

2023. 5. 14 復活節第6主日礼拝(母の日礼拝)
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< 今 週 の 聖 句 >

主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。

(ルカによる福音書7章13節)

 

 「もう泣かなくともよい」            深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。

(ルカによる福音書7章13節)

 

          「もう泣かなくともよい」            深見 祥弘

 英国の葬儀は、多くの場合20~30分で終わり、別れを惜しむ時間もなく、遺体は火葬炉に運ばれます。また遺族は、火葬の終わるのを待つことをせず、葬儀社が火葬後、遺灰を遺族のもとに届けます。また直葬の場合、遺族が立ち会うことなく、葬儀社が火葬炉に遺体を搬入し、火葬後、遺灰を遺族に届けます。こうした中、英国では、葬儀の際も直葬の場合も、きちんと送りたいという人が増えているとのことです。

                (毎日新聞5/7 滝野隆浩の掃苔記より)

 

今朝の御言葉ルカによる福音書7章11~17節は、イエスが「やもめの息子を生き返らせる」話です。イエスとその一行がナインの町(ガリラヤ地方南部)を訪れたとき、町の門で葬列と出会いました。やもめの一人息子が亡くなり、棺が町の外に担ぎ出されるところで、彼女のそばには大勢の人が付き添っていました。イエスは母親を見て憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言い、棺に手を触れ葬列を止めると、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われました。すると死んだ若者は起き上がり、ものを言い始めました。人々は「大預言者が我々の間に現れた」「神はその民を心にかけてくださった」と言って、神を賛美いたしました。

 

 イエスの時代ユダヤでは、人が亡くなると、その日のうちに死者を町の外に送り出し葬りました。人々は、町に「死」の力や支配の及ぶことを恐れたからです。どのようなことで息子が亡くなったのかわかりませんが、母親は息子と十分に別れの時をもつことができなかったことでしょう。付き添う町の人々は、先に夫を亡くし、また一人息子を亡くした彼女に深く同情しつつも、葬列の先導者となって一刻も早く死者を送り出さねばなりませんでした。人々は、彼女への同情の涙とともに、自らの非情の涙を流したのでありました。イエスは、母親と付き添う人々を見て憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われました。「憐れに思う」(スプランクニゾマイ)という言葉は、はらわたの痛むほどの激しい心の動きを意味します。

イエスの思いがどれほどであったかを、次の事で知ることができます。

 イエスは後に、エルサレムの町の外、ゴルゴタで十字架に架けられて死に、安息日の迫る中、急いで墓に葬られました。イエスを見守ったのは、母親マリア(夫ヨセフを亡くしたやもめのマリア)でした。ナインの母親と息子が体験した同じことを、母マリアと息子イエスも体験してくださったのです。ナインの母親を憐れに思うイエスの思いは、これほどまでに深いものでした。さらにイエスは、墓に葬られて3日目の朝、復活されました。復活のイエスは、ナインの町があるガリラヤ地方に行かれ(「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。」マタイ28:7)、またエルサレムと近郊の町や村、そして迫害を恐れて部屋に閉じこもる弟子たちのところを訪れたのでした。

  

 この礼拝のはじめに読まれた招詞は、詩編68編「主をたたえよ 日々、わたしたちを担い、救われる神を。この神はわたしたちの神、救いの御業の神 主、死から解き放つ神」でした。詩人は、死から人々を解き放つ神の到来を知り、主に賛美をいたします。その計画が、主イエスによって実現したのです。これまでの牧会生活の中で、わたしは多くの方々の死に立ち会い、葬りの奉仕をさせていただきました。幼子の葬儀をいたしました。自死した若者と向き合ったこともありました。働きざかりの方が、事故で亡くなられたり、突然の病で飛び去るように召された方もおられました。長き闘病の末に召された方、長寿を全うしロウソクの火が消えるように召された方もおられました。そうしたお一人お一人の姿や言葉、思いがわたしの中にあります。しかし私自身、そうした方々とご家族にどう向き合うことができたのか、何を語ることができたのかと思わされています。

 伝道師として働きをした時、年配の姉妹が亡くなられました。この方は早くに夫を亡くし、お子さんがおられませんでしたから、若い伝道師たちを支え励ましてくださいました。葬儀で司会をいたしましたが、いろいろなことが思い出され、声がうわずってしまう場面がありました。司式をした牧師が、今日の聖書(ルカ7章)から、司式者・司会者は、激しく心を動かしながら働きをされる、イエスの背後にいる弟子たちの位置にあって、仕えなさいと教えてくださいました。

 また副牧師として働きをした時、若者が亡くなりました。知らせを聞いて駆け付けた牧師は、枕元に座ると彼の顔をじっと見、彼に身を重ねるようにして慟哭されました。感情をあらわにして、そこにいる人々と共に泣き、主に祈って御手に委ねたのでした。

 まったく対象的な二人の牧師ですが、二人の中に「主を主とする」、このことに徹しようとする姿を見ることができました。

 

 イエスがやもめの一人息子を生き返らせた時、人々は「大預言者が我々の間に現れた」と言いました。これは旧約の預言者エリヤのことです。

エリヤは、飢饉の際、主に示されてサレプタという町のやもめの家に逃れました。その時、やもめの一人息子が亡くなりました。エリヤは、食べ物を自分に与えてくれたこの貧しいやもめから、主はどうして息子を奪うのかと激しく心を動かしました。そして自らの体を亡くなった息子の体に三度重ね「主よ、わが神よ、この子の命を元に返してください」(列王記上17:21)と祈ると、息子は生き返ったのでした。イエスが、やもめの一人息子を生き返らせたとき、人々は大預言者エリヤが現れたと思ったのです。

 ルカによる福音書は、イエスがエリヤの再来ではなく主である、救い主であると書いています。イエスはこの時、預言者エリヤのように主に救いを祈ることはしていません。主であるイエスは、母親に「もう泣かなくともよい」と言い、「若者よ、起きなさい」と命じ、母親の悲しみを喜びに変え、死んだ息子に新しい命を与えてくださったのです。

 こうして町の門を出ようとしていた葬列は、町の中に向う喜びの隊列に変えられました。ナインの町は、主イエスを迎えることで、生きている者、また死んだけれども復活の時を待つ人々が共に過ごす所となりました。町と外(死が支配する世界)の隔てが取り払われ、いずれの場も神の支配の及ぶところとなりました。「ナイン」とは、「ここちよい」という意味です。生きている者も死んだ者も「ここちよい」ところ、それが、主が来て下さった町ナインです。わたしは、ナインとは、教会ではないかと思うのです。イエスがナインにおいて実現された「ここちよい」世界、それが教会であり、教会は、神の支配の完成である神の国をさし示すところであります。

 

 わたしたち(生きている者も死んだ者も)は、この教会で「もう泣かなくともよい」という言葉、そして「あなたに言う。起きなさい」という言葉を聞いて、大いなる恵みと力をいただきました。そして、「神はその民を心にかけてくださった」と共に賛美をささげています。わたしたち生きている者も死んだ者も、この教会で、主イエスによって勝ち取られたまことの命(決して滅びることのない命)の恵みにあずかり、「安らぎの教会」としての歩みを進めてまいりましょう。

2023. 5. 7 復活節第5主日礼拝(教会創立122周年記念)
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< 今 週 の 聖 句 >

希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。

(ローマの信徒への手紙12章12節)

 

   「たゆまず祈りなさい」        深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。

(ローマの信徒への手紙12章12節)

 

          「たゆまず祈りなさい」        深見 祥弘

 教会創立122周年を迎えました。わたしたちの教会は、1901年5月9日「八幡組合基督教会」という名で設立されました。着任以来、少しずつ、教会の歴史をお話してきました。昨年のこの礼拝では、1961年~1967年頃の教会や地区について、「自立教会への歩みと痛み―滋賀地区伝道協議会と脱近江兄弟社」とのテーマでお話をいたしました。12回目となる今回のテ―マは、「社会的混迷の中の教団と教会」(「百年史」より)、1968年~1977年ころの教会や教区・社会についてです。

 1960年代初頭の教会は、希望に満ち斬新な気風の下にありました。やがて、激動する社会にあって、教団・教区そして教会もまた、社会の様々な課題を前に自らの有り様を問われることとなりました。その課題とは、「靖国神社の国家保護」に対する反ヤスクニの取り組み、ベトナム戦争に対する反戦運動、万博「キリスト教会館設置」に対する反対運動、「同和対策事業特別措置法」の公布を受けての部落解放への取り組み、東京神学大学においての機動隊導入問題、「日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同」と「合同のとらえなおし」をめぐる問題等でありました。このことをめぐって、教団や教区は紛争の状態に陥り、およそ四年間、教団総会や教区総会を開催できなかったり、開催されても議事を審議したり選挙を行うことのできない状態となりました。また各教会においてもこうした課題について、主に青年たちが教会のあり様を問い、議論が交わされることとなりました。

 当初、教会に連なる青年たちは、こうした課題を前にして、教会や社会になんらかの希望を見出していました。わたしたちの教会では、1968年クリスマスに、青年たち14名が洗礼を受け、2名が信仰告白をしています。1970年7月20日、京都教区総会は、議場が紛糾し議事も選挙もできない状態で終わりました。7月26日、わたしたちの教会では、臨時総会が開催されますが、その場でも担任教師と青年たちが「靖国問題」についてのチラシを配布し話し合いをもとめ、議事を取り扱うことができませんでした。その後、青年たちと執事たちとの話し合いがなされ、8月9日「執事会見解」の表明がなされました。

 1973年には、教団総会や各教区総会が開催され、次第に混乱が終息することとなりましたが、課題を問うた青年たちや問われた教会の人々は、互いに傷つき、希望を失い、教会と距離をとる人々もいましたし、教会に留まった人々においてもわだかまりを残すこととなりました。1977年クリスマスの受洗者・信仰告白者は各1名でありました。この時代に教会が問われ課題としたことは、現在でも教団や教区の課題として担われています。

 赤阪英一牧師は、お話してきた期間を含め、1961年~1977年までの16年間働きをされました。担任教師・在籍教師は、岡村松雄教師、高橋虔教師、岸本恒夫教師、村上宏教師、笹田一成教師、山本文雄教師、田中英一教師、西八条敬洪教師、大門義和教師です。これまでお話してきた以外では、1969年9月7日一柳滿喜子姉召天、1971年新畑キャンプサイトの購入と72年の開設、1974年12月23日(株)近江兄弟社の「倒産」、1977年8月「近江八幡教会75年史」の発行、同年9月赤阪牧師辞任の承認などです。特に(株)近江兄弟社の倒産は、教会員の多くが社員やOBであったことから、大きな衝撃をもたらしましたが、1975年には自主再建の方向が示されました。1968年の礼拝出席平均が108名であったに対して、1976年の平均は77名となっています。1970年代はじめから徐々に礼拝出席者が減少しはじめます。要因の一つは紛争による教会離れ、もう一つが近江兄弟社の「倒産」の影響によると考えられます。1975年の教会年間標語は「艱難、忍耐、練達、希望」(ローマ5:3~5)でありました。

 

 今朝の御言葉は、ローマの信徒への手紙12章9~21節です。聖書の小見出しには「キリスト教的生活の規範」と書かれています。9~13節は同じ信仰を持つ兄姉に対する愛の教え、14~21節はキリスト者でない人々に対する愛を教えています。そして、これらの基であるのが、9節の「愛には偽りがあってはなりません」であります。「偽りのない愛」とは、善と悪に対しはっきりとした姿勢をとることです。「善」とは、神が良しとされること、「悪」とは神がみ旨としないことです。キリスト者の愛は、神が良しとされることか否かによって判断されるべきだと述べているのです。

 まず同じ信仰を持つ兄姉に対する愛についてこう述べています。①愛は、同じ信仰を持つ兄姉の中に、兄弟愛を生み出します。「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」(10)  ②愛は、同じ信仰を持つ兄姉の中に、さめることのない熱心を生み出します。往々にして状況の良いときは熱心でも、悪くなるとさめてしまうものです。しかし愛は、聖霊によってどんな時も怠らず、主に仕えることを可能にします。③愛は、同じ信仰を持つ兄姉の中に、どのような時にも、希望と喜びを生み出します。苦難を耐え忍び、たゆまず祈ることを可能にします。④愛は、同じ信仰を持つ兄姉において、困難の中にある兄姉を助けます。聖なる者たちの貧しさを助け、旅人をもてなすことを可能にします。

 次に信仰をもたない人々に対する愛についてこう述べています。①愛は、キリスト者を迫害する者のために祝福を祈ることを可能にします。②愛は、一般の人であっても喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣くことを可能にします。③愛は、高ぶらず、うぬぼれず、身分の低い人との交わりを可能にします。④愛は、誰に対しても善を行うことを可能にします。⑤愛は、すべての人と平和に暮らすことを可能にします。⑥愛は、自分で復讐せず、神に怒りを任せることを可能にします。『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』(申命記32:35) 『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる』(箴言25:21~22) キリスト者は、悪をもって臨んでくる者に対し自ら報復することをせず、その者に愛をもって接するなら、神は悪をもって臨む者を救いに導くために激しい痛み(「燃える炭火を頭に積む」)を与えて悔い改めに導きます。⑦愛は、善をもって悪に勝つことを可能にします。

 

 2023年度の年間標語は「安らぎの教会―たゆまず祈りなさい」、聖句は

ローマの信徒への手紙12章12節「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい」です。「艱難、忍耐、練達、希望」を標語に掲げた1975年とその状況を重ねることもできます。この三年間コロナによって、教団、教区、地区、教会で総会を開催できない年もありました。しかしわたしたちは、教会の課題に向き合い、少しずつ取り組みを始めようとしているところです。わたしたちは、ここが主のお立てになられた教会であること、それゆえに主が共にいてくださることを信じ、どんな状況にあっても希望を持って喜び、苦難に耐え、たゆまず祈ってゆきたいのです。また、兄弟姉妹、そして世界の人々に心を向けて主の安らぎと平和を祈り仕えるものでありたいと願います。わたしたちが「たゆまず祈る」のは、神の御心を知るためです。わたしたちが「善」(神がよしとされること)に生きるところに「偽りのない愛」は生まれます。今朝の御言葉に示されている愛を実現させてくださるのです。1968~1977年の歩みは、艱難と忍耐の中で「偽りのない愛」を求めて祈った日々でありました。わたしたちも、たゆまず祈り「偽りのない愛」の実現を望みつつ、創立122年の歩みをはじめましょう。

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