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≪次月 4月(2023)礼拝説教要旨 前月≫

2023. 4. 30 復活節第4主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。

          (ヨハネによる福音書6章40節)

 

  「わたしの父の御心」       深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。

                   (ヨハネによる福音書6章40節)

 

           「わたしの父の御心」       深見 祥弘

「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。」(ヨハネ6:38~39) 

「しかし、あなたたちの内には神への愛がないことを、わたしは知っている。わたしは父の名によって来たのに、あなたたちはわたしを受け入れない。」(ヨハネ5:42~43) いずれも、イエスの言葉です。

この二つの言葉に語られるようにイエスは、父なる神の御心と人々の不信仰の狭間にあって、父なる神の御心の実現のために、御自分を献げる決意をなさいました。

 

 6章に書かれていることです。イエスは、不信仰な弟子たちや群衆を見て、少年の持っていた五つのパンと二匹の魚を手に取って祈りをささげ、それを分け与えて五千人を満腹させました。またイエスは、湖に漕ぎ出した弟子たちが強い波風に翻弄されるのを見て、湖を歩いて彼らのところに来られ、不信仰な弟子たちを目指す地に導かれました。

 にもかかわらず人々はそれを理解せず、イエスに対し「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。・・・わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」(6:30~31)と言いました。この時行われた五千人の給食の出来事は、神が荒れ野で人々をマナで養った出来事を思い起こさせるものであり、嵐の湖をイエスが歩いて渡る出来事は、モーセに導かれイスラエルの人々が紅海を渡った出来事を思い起こさせるためになされました。それにもかかわらず、人々はそれが分からずにしるしを求めたのでした。

 

 イエスは、人々の無理解を見て、御自分がどのような者であるのかを示すために、「わたしは~である」と七つの言葉を語られました。

①わたしが命のパンである。(6:35) ②わたしは世の光である。(8:12)   ③わたしは羊の門である。(10:7) ④わたしはよい羊飼いである。(10:11)⑤わたしは復活であり、命である。(11:25) ⑥わたしは道であり、真理であり、命である。(14:6) ⑦わたしはまことのぶどうの木である。(15:1)

 七つの言葉のうち、今朝は「わたしが命のパンである」という言葉から福音をいただきましょう。ここで注目したいのは、「わたしが与えるパン」ではなく、「わたしが命のパンである」と言っておられることです。イエスご自身が命のパンそのものであり、それを食べた人は、イエスの命がその人の内にあって生き生きと生きるのです。イエスの命は、飢え渇きをくり返す人の命を、「決して飢えることのない」「決して渇くことのない」イエスの命へとかえられるのです。人の命は、常に満たされない思いをもたらし、それゆえに次々としるしを求めます。イエスは、ご自分がそれとはまったく異なる命、飢えることも渇くことのない命であると宣言されました。

 

 ずいぶん前のことですが「しば漬け食べたい」というCMが流れていました。OLさんが、駆け込むようにして帰宅すると、お茶漬けにしば漬けをのせて食べ、ホットと一息つきます。思うに彼女は、朝はヨーグルトにサラダ、昼はスパゲティ、夜は友人とステーキにワインで食事をしたのではないでしょうか。満腹なのに、お茶漬けにしば漬けをのせてサラサラと食べたいとの欲求にかられたのです。

 イエスは、「わたしは命のしば漬けである」とは言われませんでした。「わたしが命のパンである」、日本流にいうと「命のごはんである」と言われました。わたしたちの主食です。食事の時に、ちょっと摘まんで食べるしば漬けではありません。わたしたちが、他に何も食べなくても、これを食べなければ生きられない主食、それがイエスであるというのです。

 

 命のパンは、わたしたちに渇くことも飢えることもない命を約束するかけがえのない主食であるとわかりました。では、この命のパンは、どのようにすれば食べることができるのでしょうか。

「わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」(35)  命のパンを食べるということは、イエスのところに来て、信じるということです。よく「自分の身になると信じて食べないと身につかない」と言います。イエスというパンは、神の御心(イエスのところに来た人を一人も失わないで、終わりの日の復活させること)を行うために、天から降ってきた恵みです。人は、自分の身になると信じてこの命のパンを食べなければ、実現しません。 

 イエスを信じたけれど、あまり変わらないと言う人もいます。そうした人は主食の生活、イエスの言葉や行いをしっかりとかみしめ咀嚼することに問題があるのです。主食を食べますが、一緒に並ぶおかずの方を大切に考え、おかずで空腹を満たそうとします。この主食を中心におく生活がなおざりになると、飢え渇きを感じるようになります。いろいろと求めてごちそうを食べるけれど、主食であるごはんは、最後にしば漬けと一緒にお茶漬けでサラサラと食べます。イエスという命のパンをいただきながら、不信仰によって、しるしを求め続けるのです。

 幸いなことに、イエスは「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない」(37)と約束してくださいました。イエスは、求めて来る人を追い出すことはなさらず、皆に復活の命、永遠の命を与えると約束されます。イエスは命のパンとしてわたしたちのところに来てくださいました。それは父なる神の御心を行うためです。その父なる神の御心とは、与えてくださった者をひとりも失わないこと、そして終わりの日によみがえらせることです。

 

 若い頃、路上で生活する方々のための炊き出しボランティアに出かけていました。卵と鶏肉と野菜を入れ味噌で味付けをした雑炊をお渡しすると、一口一口かみしめるように食べられました。食べ終わるとどんぶりと引き換えに、朝食用のパンとお茶をお渡しします。わたしは、パンとお茶を渡す係りでしたが、聖餐式でパンとぶどう酒をお渡しするように、それをさせていただきました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」このことの実現を願いました。

 ヨハネによる福音書のテーマの一つは、「永遠の命」です。今を生きるわたしたちの中に、十字架と復活のイエスの命が宿ることを、また死をもって終わるわたしたちの命の中に永遠の命のあることを福音として述べています。愛する御子イエスを十字架に架け復活させた父なる神は、御子を信じる者を一人残らず、養い、永遠の命へと導いてくださいます。父の御心と人の不信仰の狭間にあってなされる、イエスの愛の業に感謝いたします。

2023. 4. 23 復活節第3主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

三度目にイエスは言われた。 「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。 わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」

           (ヨハネによる福音書21章17節)

 

「 イエスの祈り 」        仁村 真司教師

< 今 週 の 聖 句 >

三度目にイエスは言われた。 「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。 わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」(ヨハネによる福音書21章17節)

 

「 イエスの祈り 」        仁村 真司

シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。門番の女中はペトロに言った。あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。ペトロは「違う」と言った。僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。 (ヨハネ福音書18章15 ~18節) シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々が「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」と言うと、ペトロは打ち消して、違うと言った。大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。「園であの男と一緒にいるのをわたしに見られたではないか。」ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が泣いた。

(同18章25 ~27節)

 イエスの受難の時にペトロが三度イエスとの関わりを否定したことは、マルコ・マタイ・ルカの共観福音書も伝えているあまりにも有名なエピソードですが、ヨハネ福音書ではペトロが一回目にイエスとの関わりを否定したところで炭火がおこされ、その炭火にあたりながら更に二回イエスとの関わりを打ち消したことになります。そして今日の箇所では、「さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった」とあります( 9節)。

  1)

 ヨハネ福音書は元々20章で終わっています。21章は後になってから、別の人によって書き加えられましたから、20章までと21章の間にははっきりとした切れ目、断絶があります。ですが「炭火」が21章を20章までのイエスと弟子たち、特にペトロとの関わりをつなげて、そのつながりの中で受け止めることを促しています。

この 「炭火つながり」によって、今日の箇所を見て行くならば、まず思いつくのはペトロの「汚名返上」・「名誉挽回」ということです。炭火の側でイエスの弟子、イエスと一緒にいたと言われて三度「違う」と言ったペトロが、今度は炭火の側でイエスから「わたしを愛するか」と問われて「あなたを愛しているは、あなたがご存じです」と三度言うのですが、イ工スは問うと共に、ペトロに「わたしの小羊を飼いなさい」・「わたしの羊の世話をしなさい」・「わたしの羊を飼いなさい」と使命を与えています。

「小羊」とは一般の信徒グループ、「羊」とは教会の指導者グループのことで、イエスはペトロにこの両方のグループ、キリスト者・教会の群れ全体の「世話」、牧することを命じた。となると「汚名返上」・「名誉挽回」どころか、ペトロはイエスから権威を与えられた特別な指導者、指導者の中の指導者であり、全教会の指導者であるということになります。

マタイ福音書がイエスの言葉として「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」・「わたしはあなた(ペトロ)に天の国の鍵を授ける」( 16章18・19節)と記しているように、ヨハネ福音書の21章を記した(書き加えた)人にペトロの権威はイエスからのものであることを示そうとする意図があったのは間違いないと思います。

ただそれだけではない、と言うよりも、むしろそういったことではないことが今日の箇所のテーマなのではないだろうか・・・と、私はそんな気がして来たのですが、これも「炭火つながり」によってです。

  2)

 イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。( 14節)

一度目と二度目については20章( 19~23節、24~29節)に記されていますが、三度目にしてはイエスがいることに気づいた時のペトロの「オタオタ振り」は尋常ではなく、滑稽ですらあります。

シモン・ペトロは『主だ』と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。( 7節)

そして、陸に上がるとそこには炭火がおこしてある。この炭火はペトロにとって早朝の湖に飛び込んで冷えた体を暖めるものではなく、イエスを三度「知らない」、「わたしはイエスの弟子ではない」と言った時の自分自身、炭火にあたっていても暖かさを感じることのない程に冷えきっていた心と体を再び思い起こさせるものであったはずです。

このように考えると、ぺトロのことを尋常ではないとか、滑稽とは思えなくなります。ベトロの胸中、心と体の感覚とでも言うのでしようか、巧く言えませんが、そういったものが伝わって来ます。

そうなるのはイエスとの関わりの中でのこのような経験・体験(間違えて失敗して、それを思い出して落ち込んで、それでもまた間違えて失敗して・・・)がぺトロだけのものではないからだと思います。

 3)

21章の始め、弟子たちが夜通し漁をしても何もとれなかったのに、イエスの指示通りにすると網を引き上げられないぐらい沢山の魚がとれる、これと殆ど同じ話がルカ福音書にあります( 5章1節以下)。ベトロたち弟子の召命の場面ですが、そこではひれ伏して「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」というぺトロに、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」とイエスは言います。

後の時代の人に関わる、今の私たちを招いているのは復活したイエス・キリストです。

ヨハネ福音書21章は、イエス・キリストとの関わりによって人、私たちがどのようになって行くのかをペトロの姿・歩みに託して語っている、簡単に言うと(多少乱暴に言ってしまえば) 21章を「ぺトロは私だ」と思って読んでいいのではないか、もしかしたら21章を書いた人はそういうつもりだった(そういうつもりもあった)のでないか・・・ということです。

気づいていなくてもイエスはいる、こちらを見ている。私たちがイエスに気づいた時に、自分の弱さ・間違い・失敗に気づき、思い知らされ、滑稽な程オロオロする。あるいは心も体も固まってしまって動けなくなる。

そんな私たちにイエスは「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と呼びかける。それから「わたしを愛しているか」と問い、一人一人に相応しいものを与え、託す。問われる間でもなくイエスを愛している(つもり)なのに、また間違える、失敗する。そんな自分が嫌になったり、こんな目に遭っているのに、イエスは助けてくれない等と思うこともある。そんな時にもう一度イエスは一人一人に問いかける。

 「あなたはわたしを愛しているのか。 」 これは本当は問いではなく、 また三度で終わりということでもないのではないか。私たちが何度倒れても、何度でも立ち上がるようにというイエスの祈りではないかと私は思います。

ルカ福音書22章31・32節。このイエスの言葉も「ぺトロ(シモン)は私だ」と思って読んでも、聞いてもいいとしましよう。

「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために信仰がなくならないように祈った。 だから、 あなたは立ち直ったら、 兄弟たちをカづけてやりなさい。」

2023. 4. 16 復活節第2主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿が見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。

(ルカによる福音書24章31~32節)

 

「闇や死に直面しても」      深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿が見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。

(ルカによる福音書24章31~32節)

 

「闇や死に直面しても」      深見 祥弘

 滋賀地区で共に働きをした教師が、6日(木)召天し、12日(水)、13日(木)と葬儀が行われました。この教師は、昨年3月それまで働きをしてきた教会を辞任し隠退されました。しかし、その後も子どもたちに関わる仕事をしたり、平和運動への取り組みをしたりしておられました。先月19日(日)には、地区総会において平和集会へのお誘いのアピールをしてくださいましたので、それから間もない時に召天の知らせを聞き、わたしも他の教師たちもまだ信じられない思いでおります。

 

 イエスが復活されたその日、二人の弟子たち(一人はクレオパといい、彼らは広い意味で弟子グループに属する者たちです)は、エルサレムからエマオにむけて歩いていました。エマオとは、「温かい井戸」「温泉」という意味があり、この村はエルサレムから六十スタディオン(11キロ強)にありました。エマオには、温かい水が湧き出るところがあったのでしょう。しかし聖書では、ほとんど注目されることのない村でありました。二人は復活されたイエスに「一緒にお泊りください」と言っているので、彼らのいずれかの家がこの村にあったのかもしれません。十一人の弟子たちは、迫害を恐れてエルサレムのある家に身を隠していましたし、クレオパたちは逃れの場としてこの村にむかっていたのでしょう。二人は、「わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました」と言っているように、エルサレムへの道は救いと解放の道でありました。一方エマオへの道は、敵からの逃れの道、夢破れた彼らが自らを温かい水で癒し、現実にたち帰る道であったのです。

 エマオにむかう途中、二人がこの数日の出来事について話し合っていると、復活のイエスが近づいて来て一緒に歩き始めました。でも二人には、それがイエスであるとは分かりませんでした。イエスが「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われると、二人は暗い顔をして立ち止まり、「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか」と答えました。彼らはイエスを過越しの祭りに来た巡礼者と思ったのです。イエスが「どんなことですか」と言われると、二人は「ナザレのイエスのことです」と言い、このように語りました。イエスについて人々は、力ある預言者と考えていましたが、わたしたちはこの方こそイスラエルを解放してくださるメシアであると望みをかけていました。それなのに、祭司長たちや議員たちは、この方を捕らえ総督に引き渡して十字架につけてしまったのです。そのことから今日で三日目になりますが、朝早くに婦人たちが墓に行ってみると遺体がなく、天使が「イエスは生きておられる」と告げたというのです。仲間の弟子たちも墓に行ってみたのですが、婦人たちの言うとおりでした。

 これを聞いてイエスが、「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」と言われ、モーセと預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書いていることを説明されました。すなわちメシアの受難はイザヤ書52章13節~53章12節に、また三日目の復活についてはホセア書6章2節にあります。さらにすべての国々への悔い改めの宣教については、イザヤ49章6節に記されています。モーセ(モーセ五書)や預言者(預言者の諸書)によって、約束のメシアがどのようなお方であるかがわかり、待ち望みの熱い思いに満たされるのです。

 彼らがエマオに近づいたとき、イエスはなおも先へ行こうとされたので、二人は「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って無理に引き止めました。食事の席でイエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、二人にお渡しになられました。すると二人は、そのお方が復活されたイエスであるとわかったのです。でもそれと同時に、イエスの姿は見えなくなりました。二人は、「道で話しておられたとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と話し合い、すぐにエルサレムにもどりました。エルサレムの家では、仲間たちが、本当に主は復活してシモンに現れたと言っていたので、二人も、エマオへの道でのことや、パンを裂いてくださったときにイエスだとわかったことを話したのでした。

 

わたしは、なぜイエスがエマオより先に行こうとされたのか、二人がなぜ無理に引き止めたのかがわかりませんでした。イエスは、ご自分が復活したことを示すために、二人にあらわれましたが、エマオへの道の途上では、まだ彼らは、同行者が復活のイエスであることを知りません。とするならばイエスには、エマオより先に目的地があったわけではないはずなのに、なぜ先に行こうとされたのでしょうか。イエスは聖書全体の解き明かしをしたあと、二人にそのことがわかったかどうかを試そうとされたのかもしれません。二人はというと、聖書の解き明かしを聞き、そこで語られるメシアの到来に心を燃し、もっと話を聞きたいし食事もともにしたいという思いに満たされ、無理に引き止めたのでした。

 

 説教題を「闇や死に直面しても」といたしました。まさに、イエスの弟子たちが直面したことです。十一人の弟子たちは、エルサレムのある家に鍵をかけてとじこもりましたし、クレオパたち二人はエマオに逃れました。彼らは、闇や死に直面し「暗い顔をして」いました。しかしこの後、復活のイエスは十一人のいる鍵のかかった家を訪れ、彼らの真ん中に立って「安かれ」といわれ、彼らは喜びにみたされました。クレオパたちも聖書の解き明かしと食事により、同行者が復活のイエスとわかり、笑顔でエルサレムに向かったのでした。 

 今朝の御言葉によって明らかにされる福音は、これらのことです。

復活の主は、わたしたちそれぞれの生涯の旅路を共に歩んでくださっています。そして、主が聖書を解き明かしてくださり、食卓を祝してくださいます。その聖書の解き明かしと食事(聖餐)によってわたしたちは、共にいてくださる復活の主を見出すことができるのです。さらに、復活の主を見出したわたしたちは、立ち上がり、イエスの復活を告げ知らせる者とされます。また闇や死に直面する人々と共にあって、復活の主を指し示しつつ、神の国に向けての道を、希望をもって歩む者となるのです。

 

 はじめに滋賀地区で働きをした教師が、召天されたことをお伝えいたしました。教師が受難週であった6日(木)逝去されたこと、受難日、イースターを経て、12日(水)、13日(木)に葬儀が行われことから、主の十字架の死、埋葬、復活、そしてエマオ途上の出来事を思いました。葬儀への途中、参列者は、暗い顔をしてどうしてこんなに早くにと話ながら道を急いだことでしょう。しかし闇や死に直面してもわたしたちは、希望をいだくことができます。聖書の解き明かしを聞くこと、聖餐にあずかること、そして「イエスは生きておられる」との証言を聞くことによって、共にいてくださる復活の主を見出すことができるからです。この教師の心にあった平和の宣教への熱い思いにはくらべえないわたしではありますが、そのために立てられ、働きをなすことができることを願っています。 

2023. 4. 9 イースター礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。         

        (コリントの信徒への手紙第一15章20節)

 

    「キリストの復活」        深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。          (コリントの信徒への手紙第一15章20節)

 

           「キリストの復活」        深見 祥弘

 イースターおめでとうございます。

新年度を迎え、子どもたちや若い人たちは、学びの場や職場で新しい生活をはじめました。また定年を迎え、第二の人生を歩みはじめた方もおられることでしょう。そのように人生の転機をむかえた方々だけでなく、これまでと変わらぬ日々を過ごす私たちも、新たな思いをあたえられるこの時であります。新年度を迎えたということに加え、私たちキリスト者は主の復活の恵みを覚えさせていただきながら、その生活をはじめるからです。

 

 わたしは、42年前の4月に教師として初めて教会に赴任をし、4つの教会での働きを経て、12年前の4月にこの教会にまいりました。42年間、わたしは教会において何をしてきたのでしょうか。こんなことができた、こんな失敗をした、いろいろ思いおこしますが、ひと言で言えば、十字架と復活の福音を伝えることにお仕えしてきたということでしょう。

 今日の御言葉、コリントの信徒への手紙第一15章3節以下には「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。・・・そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。」とあります。教会の迫害者であったパウロが、砕かれ導かれて、使徒たちの中で一番小さな者として主に用いられました。パウロは、これまでの自分が死んで新しい命によみがえった、この死と復活の恵みの体験を宣べ伝えたのです。

 

 2月の教区講壇交換礼拝で、わたしは同志社教会で礼拝奉仕をいたしました。以前お話をしましたが、この教会はわたしが洗礼を受けた母教会です。学生時代の7年間、この教会に連なることをゆるしていただきました。大学1年生の時に初めて出席し、3年間求道者の日々をすごしました。わたしより後から出席するようになった方々が、次々と洗礼を受けましたが、わたしはずっと求道者でした。顧みてわたしは、自分自分という思いが強く、砕かれなければならなかったからです。大学4年生の秋、自分から申し出て、牧師に洗礼の準備をしていただきました。準備会の最後の日に、牧師が「クリスマスの日は、礼拝前に教会の方々が君のために祈ってくれるので出席しなさい。それが終わったら、会堂の一番前の席に座っていなさい」と言われました。わたしは「~しなさい」と言われるのが苦手で、その言葉を聞いた時、当日は少し遅れて行って一番後ろの席に座ろう、洗礼式になったら前に進み出て洗礼を受けよう、と考えたのでした。

 クリスマスの日、少し遅れて行って一番後ろの席に座ると、わたしのところに友だちが来て、「深見、何をしてたんや。早く前に座れ」と言われ、友だちに連れられるようにして前の席についたのです。こんなはずではなかったとの思いでいると、体が震えてきて、それを止めることができません。洗礼式では、誓約や信仰告白をしますし、牧師が水で浸した手を受洗者の頭に置いて祈りをささげますが、わたしはその時のことを何も覚えていません。覚えているのは礼拝後、年配の婦人が、「おめでとうございます」と言って押し花の色紙をくださったことです。それは、色紙に押し花を貼り、聖句を書いてくださったもので、セロファンの袋に入れられていました。この方は、わたしが洗礼の準備をしていると聞いて押し花を作ったり、聖書の言葉を選んだりして、祈っていてくださったのです。これを見たとき、わたしは何と傲慢なものだったかと思い、主は洗礼に際して、そんなわたしを砕いて洗礼を受けるにふさわしいものに整えてくださったのだと感謝をしたのでした。これがわたしにとっての、主が与えてくださった死と復活の体験です。その後、召命が与えられて献身し、教会の教師として働きをするようになった時、今日のコリント第一15章、パウロの言葉をわが事のように受け止めました。以来42年間、この言葉は、わたしが何を宣べ伝える者としてたてられているのか、わたしはどのような者なのかを、明確に示してくれています。「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。」

 

  パウロたちは、第二伝道旅行の途中、コリントを訪れて伝道し、教会を設立しました。その後、パウロたちはこの町を離れてエフェソに滞在しますが、彼らが去った後、教会内に様々な問題が発生しました。この手紙は、紀元54年の春、諸問題に対する指示を与えるために書かれました。諸問題の一つが、教会に属する人々の中に、パウロの教えとは異なる、死者の復活はないと言う人たち(知識派)があらわれことです。コリント教会の信徒の多くはギリシャ人でありましたが、ギリシャ人は霊魂不滅の思想を持っていました。その思想とは、人は崇高な霊魂と卑しい肉体の二つをもって生きていて、生きている間、霊魂は卑しい肉体の牢獄につながれているが、死に際して肉体はちりに返り、霊魂は解き放たれて、宇宙の大霊と一つになるとのものでした。彼らは、もし復活があるならば、死者がどのようなからだで、どのようにしてよみがえるのか、納得のいく説明をしてほしいと言いました。パウロは、麦や他の穀物を例にあげ説明をいたしました。それらは、もとはただの種粒であるが、それぞれの種が蒔かれると土の中で死に、それぞれ異なる新しい命をもってよみがえり、やがて実をむすぶ。人も同じで、ちりとなった体とその御霊は、来るべき時に、それぞれに個性を持った命の体に復活するのです。パウロは、知識派の人々の言うように死者の復活が無ければ、キリストも復活しなかったはずで、わたしは神に対して偽証したことになる。また私たちの宣教は無駄であったし、あなたたちの信仰も無駄であると述べるのです。

 パウロは「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」と証言をいたしました。「眠る」とは、キリスト者の死を表現する言葉ですが、これは滅びを意味するものでなく、目覚めることを前提にしている言葉です。キリストは、十字架で死んで葬られ、眠りについて3日目に復活されました。キリストの復活は、眠りについた人々の「初穂」となり、眠りについた人々は、その後、次々と復活(実り)をするのです。キリスト者にとって死は終わりではなく、復活の希望を与えられて眠りにつくのです。

 

 ある牧師のお連れ合いさんの葬儀に出席したとき、遺族である先生が、白いネクタイをつけてそこにおられました。式の中で友人の方々が、山口百恵さんの「いい日旅立ち」を歌われました。先生は、「死は別れであるけれど、同時にキリストの新しい命をいただく旅立ちのとき、まことに喜ばしい時でありますから、こうした姿で挨拶をさせていただきます」と述べられました。わたしたちは、「主は復活なさったのだ」(マタイ28:6)との言葉に生かされ、自らに与えられた恵みを証する者でありますし、死に際しても「主は復活なさったのだ」との言葉に、復活の希望をいただくのです。

 イースターおめでとうございます。

新年度を迎え、子どもたちや若い人たちは、学びの場や職場で新しい生活をはじめました。また定年を迎え、第二の人生を歩みはじめた方もおられることでしょう。そのように人生の転機をむかえた方々だけでなく、これまでと変わらぬ日々を過ごす私たちも、新たな思いをあたえられるこの時であります。新年度を迎えたということに加え、私たちキリスト者は主の復活の恵みを覚えさせていただきながら、その生活をはじめるからです。

 

 わたしは、42年前の4月に教師として初めて教会に赴任をし、4つの教会での働きを経て、12年前の4月にこの教会にまいりました。42年間、わたしは教会において何をしてきたのでしょうか。こんなことができた、こんな失敗をした、いろいろ思いおこしますが、ひと言で言えば、十字架と復活の福音を伝えることにお仕えしてきたということでしょう。

 今日の御言葉、コリントの信徒への手紙第一15章3節以下には「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。・・・そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。」とあります。教会の迫害者であったパウロが、砕かれ導かれて、使徒たちの中で一番小さな者として主に用いられました。パウロは、これまでの自分が死んで新しい命によみがえった、この死と復活の恵みの体験を宣べ伝えたのです。

 

 2月の教区講壇交換礼拝で、わたしは同志社教会で礼拝奉仕をいたしました。以前お話をしましたが、この教会はわたしが洗礼を受けた母教会です。学生時代の7年間、この教会に連なることをゆるしていただきました。大学1年生の時に初めて出席し、3年間求道者の日々をすごしました。わたしより後から出席するようになった方々が、次々と洗礼を受けましたが、わたしはずっと求道者でした。顧みてわたしは、自分自分という思いが強く、砕かれなければならなかったからです。大学4年生の秋、自分から申し出て、牧師に洗礼の準備をしていただきました。準備会の最後の日に、牧師が「クリスマスの日は、礼拝前に教会の方々が君のために祈ってくれるので出席しなさい。それが終わったら、会堂の一番前の席に座っていなさい」と言われました。わたしは「~しなさい」と言われるのが苦手で、その言葉を聞いた時、当日は少し遅れて行って一番後ろの席に座ろう、洗礼式になったら前に進み出て洗礼を受けよう、と考えたのでした。

 クリスマスの日、少し遅れて行って一番後ろの席に座ると、わたしのところに友だちが来て、「深見、何をしてたんや。早く前に座れ」と言われ、友だちに連れられるようにして前の席についたのです。こんなはずではなかったとの思いでいると、体が震えてきて、それを止めることができません。洗礼式では、誓約や信仰告白をしますし、牧師が水で浸した手を受洗者の頭に置いて祈りをささげますが、わたしはその時のことを何も覚えていません。覚えているのは礼拝後、年配の婦人が、「おめでとうございます」と言って押し花の色紙をくださったことです。それは、色紙に押し花を貼り、聖句を書いてくださったもので、セロファンの袋に入れられていました。この方は、わたしが洗礼の準備をしていると聞いて押し花を作ったり、聖書の言葉を選んだりして、祈っていてくださったのです。これを見たとき、わたしは何と傲慢なものだったかと思い、主は洗礼に際して、そんなわたしを砕いて洗礼を受けるにふさわしいものに整えてくださったのだと感謝をしたのでした。これがわたしにとっての、主が与えてくださった死と復活の体験です。その後、召命が与えられて献身し、教会の教師として働きをするようになった時、今日のコリント第一15章、パウロの言葉をわが事のように受け止めました。以来42年間、この言葉は、わたしが何を宣べ伝える者としてたてられているのか、わたしはどのような者なのかを、明確に示してくれています。「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。」

 

  パウロたちは、第二伝道旅行の途中、コリントを訪れて伝道し、教会を設立しました。その後、パウロたちはこの町を離れてエフェソに滞在しますが、彼らが去った後、教会内に様々な問題が発生しました。この手紙は、紀元54年の春、諸問題に対する指示を与えるために書かれました。諸問題の一つが、教会に属する人々の中に、パウロの教えとは異なる、死者の復活はないと言う人たち(知識派)があらわれことです。コリント教会の信徒の多くはギリシャ人でありましたが、ギリシャ人は霊魂不滅の思想を持っていました。その思想とは、人は崇高な霊魂と卑しい肉体の二つをもって生きていて、生きている間、霊魂は卑しい肉体の牢獄につながれているが、死に際して肉体はちりに返り、霊魂は解き放たれて、宇宙の大霊と一つになるとのものでした。彼らは、もし復活があるならば、死者がどのようなからだで、どのようにしてよみがえるのか、納得のいく説明をしてほしいと言いました。パウロは、麦や他の穀物を例にあげ説明をいたしました。それらは、もとはただの種粒であるが、それぞれの種が蒔かれると土の中で死に、それぞれ異なる新しい命をもってよみがえり、やがて実をむすぶ。人も同じで、ちりとなった体とその御霊は、来るべき時に、それぞれに個性を持った命の体に復活するのです。パウロは、知識派の人々の言うように死者の復活が無ければ、キリストも復活しなかったはずで、わたしは神に対して偽証したことになる。また私たちの宣教は無駄であったし、あなたたちの信仰も無駄であると述べるのです。

 パウロは「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」と証言をいたしました。「眠る」とは、キリスト者の死を表現する言葉ですが、これは滅びを意味するものでなく、目覚めることを前提にしている言葉です。キリストは、十字架で死んで葬られ、眠りについて3日目に復活されました。キリストの復活は、眠りについた人々の「初穂」となり、眠りについた人々は、その後、次々と復活(実り)をするのです。キリスト者にとって死は終わりではなく、復活の希望を与えられて眠りにつくのです。

 

 ある牧師のお連れ合いさんの葬儀に出席したとき、遺族である先生が、白いネクタイをつけてそこにおられました。式の中で友人の方々が、山口百恵さんの「いい日旅立ち」を歌われました。先生は、「死は別れであるけれど、同時にキリストの新しい命をいただく旅立ちのとき、まことに喜ばしい時でありますから、こうした姿で挨拶をさせていただきます」と述べられました。わたしたちは、「主は復活なさったのだ」(マタイ28:6)との言葉に生かされ、自らに与えられた恵みを証する者でありますし、死に際しても「主は復活なさったのだ」との言葉に、復活の希望をいただくのです。

2023. 4. 2 棕梠の主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」      

                       (ルカによる福音書23章34節)

 

  「十字架の恵み」       深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何を

しているのか知らないのです。」         (ルカによる福音書23章34節)

 

            「十字架の恵み」       深見 祥弘

 2月22日(水)に始まった受難節(レント)も、今日が棕梠の主日です。この日、人々が棕梠の葉を振りながら「ホサナ、ホサナ」(救ってください)と叫ぶ中、イエスは子ろばに乗ってエルサレムに入城されました。今日から、イエスの十字架への道程を覚える受難週が始まります。

 

 今朝の御言葉は、ルカによる福音書23章です。ここには、イエスがローマ総督ポンテオ・ピラトと領主ヘロデ・アンティパスの尋問を受け、死刑の判決が下されて、十字架に架けられ葬られたことを書いています。

 イエスは、「されこうべ」と呼ばれる所(ゴルゴタ)で、二人の犯罪人と共に十字架に架けられました。十字架の下には、議員たち、兵士たち、そして民衆がいました。議員たちは、「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい」とあざ笑いながら言いました。

兵士たちは、酸いぶどう酒を突きつけながら「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」と侮辱して言いました。民衆は、そうした様子を立って見つめていました。十字架上のイエスは、この人たちのために「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と祈りをささげられました。

 この時、イエスと一緒に十字架に架けられた犯罪人の一人も「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」とののしりました。するともう一人の犯罪人がたしなめて、「お前は神を恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」と言い、「イエスよ、あなたの御国においでになるときは、わたしを思い出してください。」と願いました。イエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われました。

 イエスが十字架につけられたのは、午前九時でありました。(マルコ15:25「イエスを十字架につけたのは、午前九時であった」)昼の十二時ごろ、全地は暗くなり、それが午後三時ごろまで続きました。そしてイエスは、大声で「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と叫び、息をひきとられました。この後イエスのからだは、十字架から降ろされ、アリマタヤ出身の議員ヨセフにひきとられ、亜麻布に包まれて、彼の用意した新しい墓に葬られました。イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、イエスの納められた墓を見届け、家に帰って、香料と香油を準備いたしました。

 

 イエスは、十字架上で七つの言葉を語られました。「十字架上の七言」と言いますが、時間の流れの順に並べればこのようになります。

①「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34) 議員や兵士、民衆に語られた言葉です。

②「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」

(ルカ23:43) 十字架に架けられた一人の犯罪人に語られた言葉です。

③「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」「見なさい。あなたの母です」

(ヨハネ19:26~27) イエスの母マリアと弟子のヨハネへの言葉です。

イエスは、残される母と弟子に、新しい信仰の家族を備えられました。

④「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨

てになったのですか)」(マタイ27:46)[「エロイ、エロイ、レマ、サバ

クタニ」(マルコ15:34)]  人となられたイエスの言葉です。神との断

絶をあらわしています。

⑤「渇く」(ヨハネ19:28) やはり人となられたイエスの言葉で、肉体の渇

  き苦しみをあらわしています。  

⑥「成し遂げられた」(ヨハネ19:20) 神の計画された救いの業が、十字架

  によって実現したと、神を賛美します。

⑦「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(ルカ23:46)

   

 ルカによる福音書には、「十字架上の七言」のうちの三つがおさめられています。この三つの言葉について、もう少しだけお話いたします。

 ①「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」これは十字架の下にいてあざ笑う議員や兵士たち、それを見ている民衆に対する、とりなしの祈りです。この人たちは、自分たちに、とりなしなど必要ないと思っています。それに対してイエスは、十字架において御自分の血と命をささげることに集中しています。この人たちの罪が赦される道は、この十字架ととりなしの祈り以外にないと確信していたからです。イエスは、彼らに変わって、神との断絶と人としての苦しみを負うのです。

 ②「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」

これは、「我々は、自分のやったことのむくいを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。・・・イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と願った犯罪人への言葉です。この犯罪人は、十字架のイエスに、罪人と共に裁かれ神、苦しみを共にされる神、そして共に死んでくださる神(インマヌエル)を見出しています。イエスはその御力を、自らの罪に気づき悔い改め、心から救いを望む人のために用いられます。

 ③「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」

かつてダビデ王は、「まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしを贖ってください。」(詩編31:6)と祈りました。彼は、油を注がれて王となり、以来神の霊が臨むようになりましたが、同時に罪を犯す者でありました。忠実な家来であったウリヤの妻を、自らの妻にしょうとし、ウリヤを戦いの最前線に送り、戦死させました。しかしダビデは、罪深い自らを委ねることのできる御方を知っていました。そこで彼は、「まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしを贖ってください」と祈りました。十字架のイエスは、このダビデの祈りに答えて彼の罪を担い、またダビデの祈りをご自身の祈りとし、彼のために贖いの小羊となられるのです。

 

 ルカによる福音書は、イエスの十字架上の七言のうち、三つの言葉を記して、次の三つの「十字架の恵み」を私たちに告げています。

すなわち「十字架の恵み」は、イエスを十字架に架けた議員や兵士、民衆に備えられる救いの道です。この人々は、イエスのとりなしを必要とせず、自らの力と正しさ・信仰で救いを獲得できると思っています。

また「十字架の恵み」は、犯罪人の一人のように、自分の罪に気づき、悔い改めて救いを望む人のために備えられる楽園に至る道です。

さらに「十字架の恵み」とは、ダビデのように、信じながらも罪を犯し、贖いを祈りつつ召された人々のために備えられた楽園に至る道であります。

 十字架の恵みである「楽園」は、罪人と共に裁かれ、その苦しみを共にし、そして共に死ぬ主イエスがいてくださるところに実現します。主イエスのおられる十字架の下にも、十字架の上にも、そして葬られた墓の中にも、すなわち主イエスのおられるところならどこにでも楽園はある、これが「十字架の恵み」であるのです。 

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