「わたしは既に世に勝っている」  深見 祥弘牧師

April 30, 2016

                                                              <今週の聖句>

あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。    (ヨハネによる福音書16章30節)

                   「わたしは既に世に勝っている」      深見祥弘

 教会創立115周年を迎えました。毎年創立記念礼拝時に、教会の歴史を学んでいますが、この時は1908年(M41)から1918年(T7)の教会の歩みをお話いたします。百年史は、この時期を「本教会と近江ミッションとの複雑な融合協力関係が始まった」(P68)と評しています。1907年、教会堂とYMCA会館の献堂がなされると、ヴォ-リズらは1910年「ヴォ-リズ合名会社」と「近江ミッション」を設立し、活発に伝道を行いました。すなわち大津・米原の「鉄道YMCA」の開設、「湖畔の声」の創刊、ガリラヤ丸の建造、近江療養院の開設、野田・安土・今津・堅田への伝道などです。他方当教会においては、西幸次郎・千貫久次郎両兄の永眠(1910年)に見られるように、これまで組合教会の伝統に立って懸命に教会に仕えてきた兄姉方が亡くなり、近江ミッション関係の教会員が急増することになりました。また教会が招聘した宮森武次郎牧師、田中金造伝道師の働きと共に、近江ミッションが招聘したウォ-タ-ハウス宣教師、武田猪平牧師も当教会において働きをするようになりました。田中伝道師辞任後は、近江ミッションの牧師が八幡教会に出向するという形をとるようになりました。

 今朝の御言葉は、イエスが弟子たちに最後の晩餐で語った決別説教です。この説教でイエスは、やがてくる御自分と弟子たちとの別れについて語られました。しかし、この決別を経験した弟子たちには聖霊が与えられ、彼らがイエスの名によって願うならば、その願いは叶えられると告げたのでした。1910年ヴォ-リズたちは、彼らを懸命に支えた教会の先達との別れを経験しました。彼らは別れの経験の中から、イエスの名による祈りと聖霊によって新たな道が開かれ、信仰をもって力強く歩みをはじめることになりました。

「ハガルよ、恐れることはない」      深見 祥弘牧師

May 07, 2016

               <今週の聖句>

神はハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋を水で満たし、子供に飲ませた。神がその子と共におられた。(創世記21章19~20節)

          「ハガルよ、恐れることはない」      深見祥弘

 5月第2日曜日は「母の日」です。今朝は、旧約聖書に登場するアブラハムとその家族についてお話します。アブラハムの家族は、およそ4千年前、死海の東、ヘブロンで暮らしていました。アブラハムとサラ夫妻には子がなく、サラは自分に仕えるエジプトの女ハガルによって後継ぎを得ようとしました。しかしハガルが夫の子を妊娠すると、サラは彼女につらく当たるようになり、ハガルは荒れ野に逃れました。ハガル(逃げた者の意)が荒れ野の泉に来ると御使いがあらわれ、生まれてくる男の子にイシュマエル(神は聞かれたの意)と名付けるよう、またアブラハムの家に帰るよう命じました。イシュマエルが生まれて10数年後、サラに息子イサク(彼は笑うの意)が与えられました。イサクを得たサラは、夫にハガル親子を家から追放するよう願ったのです。ハガル親子は、ベエル・シェバの荒れ野でアブラハムが持たせた水がなくなった時、死を覚悟しました。神は御使いを遣わし、「ハガルよ、恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。お前の腕でしっかりと抱き締めてやりなさい。わたしは必ずあの子を大きな国民とする。」と呼びかけ、ハガルの目を開いたので、井戸を見つけることができました。親子はその後、パランの荒れ野で暮らしました。

神は、渇きと死の恐れの中にいたハガル親子と共にいて、もう逃げる必要はないことを示すために井戸(泉)と命を備えてくださいました。4千年を経た現在も、困難を負う母や子がいます。神はその母に命の泉(イエス・キリスト)を指し示し、「わたしが与える水を飲みなさい」と言われます。そして、その命の水は、わたしたち一人一人のためにも備えられているのです。

「霊が語らせるままに」  深見 祥弘牧師

May 14, 2016

                                                                    <今週の聖句>

すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 (使徒言行録2章4節)

                                       「霊が語らせるままに」        深見祥弘

 今朝は、聖霊降臨日(ペンテコステ)です。この礼拝で一人の姉妹が、信仰告白をなさいます。「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」(Ⅰコリント12:3)と聖書にありますが、聖霊の豊かな働きのもと、姉妹が信仰告白へと導かれたことを喜んでいます。

 復活のイエスは、40日にわたり使徒たちに現れ、「父の約束されたものを待ちなさい。・・あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受け・・地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(1:4.8)と告げました。

使徒をはじめ多くの人々は、これを信じ聖霊の到来を祈りました。イエスの復活から50日目、この日も一つになって祈っていると、聖霊が臨みました。すると人々は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだしたのでした。

 聖霊は、どのような恵みを与えて下さるのでしょうか。その恵みとは、次の四つです。①聖霊なる神が、わたしたちと共にいてくださいます。イエスが天に昇られた後、聖霊がわたしたちと共にいて、弁護者(ヨハネ14:16)となって執り成してくださいます。②聖霊なる神が、これまでのわたしたちの生き方(罪)を新たにされます。「自分が神・主です」と生きてきたわたしたちが、その生き方を方向転換し、聖霊によって「わたしの主はイエスです」と信仰を告白するのです。③聖霊なる神が、わたしたちに新しい命を与えてくださいます。夢や幻を失っていた人々が、この世界にあって生き生きと生かされ、神の国・永遠の命への希望をいただくのです。④聖霊なる神が、この世界に新たな創造をしてくださいます。聖霊の力により、人々は「言」(イエス)によって、信じる人々の群れ(教会)を世界中に広げてゆくのです。

「キリスト教と人の心」 仁村 真司教師

May 21, 2016

<今週の聖句>

「だから、あなた方は行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる。」 (マタイによる福音書28章19~20節)

「キリスト教と人の心」  仁村 真司

 マルコ福音書は、イエスのいない「空の墓」で、イエスの復活を知らされた女性たち(マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ)が、「墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも言わなかった。恐ろしかったからである」(16章8節)で終わってますが、後に記されたマタイ・ルカ・ヨハネの各福音書には、「空の墓」での出来事から弟子たちが復活したイエス・キリストに出会い、宣教・伝道の使命を与えられるまでが、それぞれ内容は違っていますが、記されています。

 ルカ・ヨハネ福音書では、復活したイエスに会うために、弟子たちは自らは何もしていませんが(出来ませんが)、マタイ福音書では「十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そしてイエスに合い、ひれ伏した」(28章16~17節)とあります。復活したイエスに会うためにイエス・キリストへと向かって、歩んで行ったということです。

 イエスの受難と死んで打ちひしがれていた弟子たちが、立ち上がり、ガリラヤに向ったのは二人の女性(マグダラのマリアともう一人のマリア)からイエスの復活を知らされ、ガリラヤに行くように伝えられたからです。

全ての福音書において、受難の時も、十字架の死に際しても、イエスから目を背けようとせず、石でふさがれて入れないはずの墓にも行き、イエスへと向かい続け、最初にイエスの復活を知らされているのは女性たちです。

​ 今期は、キリスト教・教会のおよそ二千年の歴史の初めに、大きな役割を担うことになった女性たちを動かしていたものは何なのか考えて行きます。

「主の名を呼び求めるもの」 深見 祥弘牧師

May 28, 2016

<今週の聖句>

「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。

(ロ-マの信徒への手紙10章13節)

「主の名を呼び求める者」        深見祥弘

  洗礼や信仰告白を志願される方が、御高齢やお体が不自由である場合には、次の問いと答えにより、その方の誓約及び信仰告白とすることがあります。

①問い 「イエス・キリストは、あなたを愛してくださっています。あなたは、イエス・キリストを愛しますか。」 答え「愛します」(たとえこの方が「愛します」と言葉にできなくてもその姿によって) ②問い 「イエス・キリストは、十字架によってわたしたちの罪を赦してくださいます。また、復活によって新しい命を与えてくださいます。イエス・キリストの十字架と復活が、あなたのためであることを覚え、イエスを主と信じますか。」 答え「信じます」 ③問い 「イエス・キリストはあなたのために、神の国と永遠の命を備えてくださいます。あなたは、この神の国と永遠の命をこれからの日々の希望としますか。」 答え「希望とします」 ④問い 「あなたは、イエス・キリストの救いのしるしである洗礼を受けることを願いますか。」 答え「心から願います」

 ロ-マの信徒への手紙10章8節の「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」は申命記30章14節の引用です。この「御言葉」とは主イエスのことで、パウロは旧約に告げられていたことが実現したと言うのです。私たちの口や心は、神を汚す道具でした。しかし主が近くにいてくださることにより、私たちの口は神と人々の前で「イエスは主である」と告白し、私たちの心は「イエスは死者の中から復活された」と信じことができるのです。主は、すべての人と共におられ、主の名を呼び求める人はだれでも救われるのです。「イエスは死者の中から復活された主である」この信仰に立つ者は、どのような状況にあっても失望することがありません。

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