「わたしの息子よ」深見祥弘牧師

September 6, 2015

<今週の聖句>

わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。               (サムエル記下19章1節)

「わたしの息子よ」        深見祥弘

 二学期が始まるこの時期、子どもたちの自死する割合が普段に比べて多くなるそうです。ある図書館が、自死を考える子どもたちに、図書館に来ませんかと呼びかけをしました。子どもたちがそこを逃れの場として救われ、我が子の死を嘆き悲しむ親たちがいなくなることを願っています。

 今朝の御言葉は、サムエル記下18章24節~19章1節です。今から3千年ほど前のこと、ダビデ王の三男アブサロムが、父に反旗をひるがえしました。ダビデは都エルサレムを明け渡し、彼の軍勢と共にマハナイムに逃れました。やがてアブサロムの率いるイスラエルの軍勢とダビデの率いる軍勢がエフライムの森で闘い、アブサロムはダビデ軍の司令官ヨアブに殺されました。ダビデはあらかじめヨアブに、「アブサロムを手荒に扱わないでくれ。」と命じていました。しかし、ヨアブは樫の木に引っ掛かって動けなくなっているアブサロムを棒で刺して殺してしまったのです。このことは、マハナイムにいたダビデに、知らされました。ダビデは勝利の報告と共に、我が子の死をも知ることになり、深く嘆き悲しんだのでした。

 アブサロムの死の報告は、同時に勝利の報告でもありました。このことは、イエス・キリストの十字架の死の報告が、勝利の報告でもあったことを思い起こさせます。父なる神は、我が子イエスを十字架に架けて同じ悲しみを味わい、我が子を墓から復活させました。それは、亡くなった子とその死を嘆く親たちの救いが、イエスの十字架と復活にあることをお示しなられるためです。主がダビデの罪や弱さや悲しみを顧みてくださったように、私たちの弱さをも顧みられ、祝福を与えようとしてくださるのです。

『まだ遠く離れていたのに」深見祥弘牧師

September 13, 2015

<今週の聖句>

ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。    (ルカによる福音書15章20節)

「まだ遠く離れていたのに」      深見祥弘

 ファリサイ派の人々や律法学者たちは、徴税人や罪人と食事をするなど親しく交わりをしているイエスを批判しました。その時、イエスは「放蕩息子とその兄のたとえ」を話されました。

ある人に二人の息子がいました。弟は父親から財産分与をしてもらい、それをお金に換えて家を離れ、放蕩の生活をして全てを失いました。しかし彼は悔い改め、父の家の召し使いになることを決めて戻って来たところ、父は彼を息子として迎え入れ、帰還を祝って宴を開きました。一方、兄は畑仕事から帰って来て、弟の帰還を祝う宴に怒り、家に入ろうとしませんでした。父は家の外に出てきて、兄も宴に加わるように勧めました。このたとえの父親とは主イエスのことです。また放蕩息子とは徴税人や罪人のこと、そして兄は、神の家にいながら神を遠くに感じ、その生活に喜びを見いだせないでいたファリサイ派や律法学者のことです。

 今朝の福音は、父親の姿に示されています。弟が父親を忘れていた放蕩の日々も、息子のことを一時も忘れず、帰還を信じて毎日待っていたこと、そして、召使いではなく我が子として受け入れたことです。すなわち主イエスは、神の子でありながらその元を離れている罪人を、一時も忘れることなく、彼の悔い改めを信じて、愛を注ぎ与え、神の子としてくださるのです。もう一つの福音は、自ら家の外に出てきて、怒って家に入ろうとしない兄を招き入れたことです。すなわち主イエスは、救いの確信を持てずにいたファリサイ派や律法学者に、神の国を受け継ぐ者であることを約束してくださいます。主イエスは、神から遠く離れている者たちをも愛し、神の子として、御国における食事を実現してくださるのです。

「近江八幡教会とヴォーリズ」深見祥弘牧師

September 20, 2015

<今週の聖句>

わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。     (コリントの信徒への手紙第一3章6~7節)

「近江八幡教会とヴォ-リズ」      深見祥弘

 今朝は、近江兄弟社高校吹奏楽部の皆さんと一緒に礼拝を守ることでき感謝いたします。この教会とヴォ-リズとの関わりをお話いたします。

 八幡に福音の種が蒔かれたのは、1879年6月のことです。八日市教会信徒広瀬又治が、八幡の友人野間憲吉に教会設立の感激を伝えました。1880年、野間は自宅で聖書講義の集いを始めます。(1880年はヴォ-リズ誕生の年です。)この集まりは、多くの困難を抱えながらも成長し、1888年「八幡基督教講義所」設立へ、さらに1901年「八幡組合基督教会」設立へと導かれました。 ヴォ-リズ(25歳)が県立商業学校の教師として来幡したのは、1905年でしたが、この時彼は、この地に教会があることを知りませんでした。彼は同年、商業学校YMCAを結成し、その後就任した八幡教会大橋五男伝道師(25歳)と協力して青年伝道にあたりました。1905年、教会執事西幸次郎は教会堂建設のため、為心町に土地を購入、1906年、大橋伝道師に土地の寄付を申し出ました。その際、敷地の半分をYMCA会館の敷地としてヴォ-リズに貸すようにとも伝えていました。こうして、1907年、八幡基督教青年会館(YMCA)と八幡組合基督教会の献堂がなされたのでした。教会と近江ミッションは、一体となってこの地での宣教を行なうことになりました。

 神は、この地に信仰の先達を用いて福音の種を蒔き、教会を設けてくださいました。そして、ヴォーリズの働きによって、教会は大きく成長することができました。水を注いだのは、ヴォ-リズと言うことができるでしょう。しかし、すべてのことは、成長させてくださる神様が、この町の人たちを救いに導くためにご計画された御業であることを覚えたいと思います。

「主によってしっかりと立ちなさい」北川博司副牧師

September 27, 2015

< 今週の聖句 >

●だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。

 (フィリピの信徒への手紙4章1節)

「主によってしっかりと立ちなさい」    北川 博司

●信仰とは、教義や聖書の御言葉を通してなされるキリストについての知識の伝達によってのみ、私たちに示されるものではなく、人々の実際の生活、生き方のなかで示されていくような具体的なものです。私たちは自分一人で、聖書を読み、聖書の知識を得ていくことによってのみ、キリストを知らされ、信仰生活が整えられていくのではありません。私たちの信仰生活は、<いま-ここ>で信仰に生きる人々の姿を模範とすることで整えられていくのです。

●パウロは、救いとは自分自身の内側に見出すものではなく、自分の外側にあるがゆえに、自分の不完全さを自覚しつつ、救いの完成を目指して走る。まずそのような姿勢に倣えと語ります。さらに「皆一緒に」(17節)倣う者になれと続けます。信仰とは、キリストの救いに与り、キリストによる救いを求めて歩んでいる者同士が、互いの歩みに目を留め、それを模範とし合うものです。私たちは周囲の信仰者が、自らの不完全さのなかで、キリストの救いに与りつつ、約束された救いの完成に希望をもって歩んでいる姿を見つめ、その姿を模範とする時に自らの信仰生活を整えられます。つまり、救いを求めて走る歩みと、共に同じ信仰に生きる人々に目を向け、模範とし、倣っていくこととは、密接に結び付いているのです。それがゆえに、彼は「主によってしっかりと立ちなさい」(4章1節)と続けます。自分自身を誇りとするのではなく、ただキリストを誇りとし、キリストによって約束された救いの完成を求める人々の姿を模範としていくなかで、真の交わりが生まれる。それが「本国」(20節)であり、教会です。私たちは自分の力によってではなく、主の交わりのなかで生かされ、しっかりと立つ者とされるのです。

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