「荒れ野で叫ぶ声」 深見祥弘牧師

December 6, 2015

<今週の聖句>

ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」 (ヨハネによる福音書1章23節)

「荒れ野で叫ぶ声」         深見祥弘

 アドベント(待降節)第二の日曜日を迎えました。アドベントに入り聖書台の布の色が、紫色に変わりました。典礼色の紫は、悔い改めや希望を意味します。アドベントは、私たちが二千年前のキリスト降誕の恵みを覚えつつ、自らの信仰生活を振り返って悔い改める時であり、キリストの再臨によって実現する神の国と永遠の命を望みみる時でもあります。

 ヨハネは、ヨルダン川で人々に洗礼を授けていました。ある日、彼のところにエルサレムから祭司やレビ人たちが来て、「あなたはどなたですか。メシヤですか、エリヤですか、あの預言者(モ-セ)ですか。」と尋ねました。

洗礼を授ける者は、そうした御方だと考えられていたからです。しかしヨハネはこれを否定し、預言者イザヤの言葉を用いて「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。」と答えました。すると祭司たちは「それではなぜ、洗礼を授けるのですか。」と問いました。ヨハネは「わたしは主より委ねられて水の洗礼を人々に授けています。人々は、わたしから洗礼を受けることによって、聖霊で洗礼を授ける御方がおられることを知るのです。」と答えました。

 私たち(教会)は、ヨハネのように、「声」と「洗礼」によって再臨の主をお迎えするための備えをする存在です。でも私たちの声は、人々が教会に来て聞こうとする思いがなければ届きませんし、私たちの行う洗礼も、人々に悔い改めの思いがなければ、無意味なものです。しかし、聞こうとする人々は、教会の発する声と教会が行う洗礼によって、キリストの元に導かれます。キリストは神の言によってこの人々を新しく創造し、聖霊の洗礼によって永遠の命を与えるのです。「あなたは、どなたですか」との問いに、私たち(教会)は声と洗礼をもって「再臨の主の道備えをする者」と答えましょう。

「お言葉どおりに成りますように」   深見祥弘牧師

December 13, 2015

<今週の聖句>

聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。・・・神にはできないことは何一つない。         (ルカによる福音書1章35・37節)

「お言葉どおりに成りますように」     深見祥弘

 この教会におりますと、いろいろな方が訪ねてくださいます。しばしば、関西や中部地方の教会の方々が、「教会の小旅行で近江八幡に来たので今から行ってもいいか。」と言って私を慌てさせます。そんな中で今年一番の驚きの出来事は、和歌山の小学生時代の同級生(現在は千葉在住)が、教会の看板に私の名前があるのを見て訪ねてくれたことでした。私は、イエスさまとヴォ-リズさんの導きだと感謝しています。

 今朝の御言葉ルカによる福音書1章は、三つの「訪問」の出来事を書いています。その中の二つは「驚きの訪問」の出来事でした。一つは、天使が神殿で務めをする祭司ザカリアを訪ねた出来事、二つ目は、天使がナザレの町のマリアを訪れた出来事でした。天使は祭司ザカリアに、聖霊によって老夫婦にメシヤの先駆者となる男の子が与えられることを告げました。また、おとめマリアに対しては、聖霊によって聖なる者と呼ばれる男の子が与えられると知らせました。この訪問は、彼らに恐れと戸惑いを与えましたが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」とマリアを謙遜に導きました。 もう一つの訪問は「分かち合いの訪問」でした。マリアがユダの山里にエリサベトを訪ねた出来事です。二人が出会った時、彼女たちには主が共におられるとの信仰告白と賛美が与えられました。

 今も私たちは、聖霊の働きかけ(訪問)をいただきます。それは「驚きの訪問」というかたちで起こり、私たちを悔い改めと謙遜に導きます。また、それは「分かち合いの訪問」を通して私たちに気づきを与えて下さるので、「主が共におられる。」との信仰と賛美に導かれるのです。聖霊の働きをいただいて、「お言葉どおり、この身に成りますように」と祈りをささげましょう。

「今日救い主がお生まれになった」   深見祥弘牧師

December 20, 2015

<今週の聖句>

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。          (ルカによる福音書2章11節)

「今日救い主がお生まれになった」     深見祥弘

 クリスマスおめでとうございます。今年の世相を漢字一字で表す「今年の漢字」に「安」が選ばれました。安倍内閣のもとで安全保障関連法案の是非が議論されたこと、テロや異常気象で人々を不安にさせたことなどが、理由です。続く二位が「爆」、三位が「戦」でしたが、このような漢字の表す世の「不安」が、「平安」に変えられるクリスマス・新年となることを願います。

 クリスマスの出来事を思い返すと、不安や恐れ、戸惑いの中にいた人々が、そこから一歩をふみ出す出来事が書かれています。マリアは、天使の受胎告知に不安と恐れを感じますが、「この子は自分の民を罪から救う」との言葉に励まされ、「お言葉どおり、この身になりますように」と答えて一歩をふみ出しました。社会の中で差別され闇の中にいた羊飼いたちは、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。・・飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。」との天使たちの告知と栄光賛美に包まれると、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか。」と言って、一歩をふみ出しました。

 以前、春名康範牧師(天満教会)は「人生、一歩先は光」(教団)という本を出版されました。先生は、「深見先生ご一家様、人生、一寸先は闇、しかし一歩先は光、『光は暗闇の中で輝いている』」と書いてくださいました。一寸は3センチです。私たちは恐れと戸惑い、不安の中にいてどうしようかとまよっているうちに、闇に包まれてしまうことがあります。私たちの一歩は50センチです。私たちは闇の中にあっても、主に信頼し、自分から一歩をふみ出すならば、必ず光を見いだします。一寸先は闇ですが、一歩先には光なる御子がいてくださるのです。御子に向けて、一歩をふみ出しましょう。

 

「必要なものをすべて満たす神」    北川 博司副牧師

December 27, 2015

< 今週の聖句 >

●わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。

 (フィリピの信徒への手紙4章19節)

「必要なものをすべて満たす神」         北川 博司

●パウロは、フィリピの信徒への手紙を締め括るにあたり、フィリピの教会からの贈り物を「香ばしい香り」であると語り、さらにこの香りは「神様が喜んで受けてくださるいけにえ」(18節)だと語ります。これは、イスラエルにおいて、神様に対して動物を焼き尽くすという形でいけにえを献げる時、そこで生じる香ばしい香りが神様の怒りを宥めると考えられていたことから、パウロのために教会から送られた贈り物は、ちょうど神様が最も喜んでくださるいけにえのようなものであり、「もののやり取り」(15節)、「贈り物」「あなたがたの益となる豊かな実」(17節)、「わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています」(18節)とあえて商売に関する用語を用いることにより、私たちに贈り物の本質へと目を向けさせようとするのです。

●「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます」(19節)。神様の栄光の富とは、私たちの地上の富をはるかに超えた本当の豊かさです。私たちは、キリストによって贖い取られ、神様の救いに与っているという本当の豊かさを知り、それによって共に生かされるのであれば、自分で富を獲得し、それによって生きるのではなく、キリストの救いに満たされて生きることこそ、真の救いに与っていく道なのだということを知らされます。そして、「わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン」(20節)と語るのです。すべての人々が神様によって必要を満たされるのであれば、まさにそこにこそ神様の栄光が帰されています。それがゆえに、パウロの贈り物への感謝は、神様への頌栄として結ばれていくのです。

Please reload

© OMI HACHIMAN CHURCH. All rights reserved. W.M.ヴォーリズが愛した教会