W.M.ヴォーリズが愛した教会
近江八幡教会
日本キリスト教団
2025. 6.15 聖霊降臨節第2主日礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。」
(ヨハネによる福音書3章29節)
「 イエスを前にする時 」 仁村 真司教師
< 今 週 の 聖 句 >
「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。」
(ヨハネによる福音書3章29節)
「 イエスを前にする時 」 仁村 真司
今更ですが念のため⋯。「ヨハネによる福音書」の「ヨハネ」は洗礼者ヨハネではありません。十二弟子の一人ゼベダイの子ヨハネが著したとする伝承に依って「ヨハネによる福音書」とされました。もっともこの伝承は史実とは考え難く、ヨハネ福音書の著者(名)は分かりません。
それは兎も角、他の(マルコ・マタイ・ルカ)福音書に比べて、ヨハネ福音書の洗礼者ヨハネはイエスについてより多くを語り、証ししています。
その翌日、ヨハネは、自分の方ヘイエスが来られるのを見て言った。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られ
る。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』と
わたしが言ったのは、この方のことである。」(1章29〜30節)
その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。 (1章35〜36節)
自分の弟子であった二人(内一人はペトロの兄弟アンデレ、1章40節)
にイエスに従うよう促してもいます。そうして今日の箇所では・・・
1 )
・・・イエスと洗礼者ヨハネが近くで別々に活動していれば、これは一体どういうことなのだろう、どちらに行けば良いのだろう等とあれこれ思いを巡らす人が出て来るのは、それはそうなるでしょう。そういった人々の疑問・質問(25・26節)に答えて、ヨハネがイエスと自分との関係を語るのですが(27節以下)、まずは22〜23節。
その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、洗礼[バプテスマ]を授けておられた。他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼[パプテスマ]を授けていた。
マルコ福音書では「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、
神の福音を宣べ伝えて」(1章14節)、つまりイエスの活動開始はヨハネの投獄後とされています。ヨハネ福音書ではイエスが活動する近くでヨハネはヨハネで洗礼活動を続けていたというのですから、ヨハネの投獄前から既にイエスは活動していたことになります。この辺りの史実に即しているのは多分ヨハネ福音書の方です。文脈上全く必要のない「ヨハネはまだ投獄されていなかったのである」(24節)は、ヨハネ福音書の著者としてはマルコの記述を訂正する註のつもりで書き込んだのかもしれません。
それと、22節の「洗礼[バプテスマ]を授けておられた」とはイエスが洗礼を授けていたということですが、4章2節では「一洗礼[バプテスマ]を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである―」と、事実イエス自身が洗礼を授けていたとは考えられませんから、訂正(?)されています。ですが、イエスの弟子たちが洗礼活動を行っていたのなら、イエスとヨハネが張り合っているようにも見えたでしょうし、双方の弟子たちには張り合うような気持ちが多少なりともあったのではと思います。
そこでヨハネはイエスと自分との関係を語ります。イエスは花婿であり、自分は花婿の介添え人(友人)に過ぎない(29節)、「あの方(イエス)は栄え、わたしは衰えねばならない」(30節)。
はじめに言いました、この福音書の著者は洗礼者ヨハネではありません。
しかし「ヨハネによる福音書」は、当時のユダヤ教最大の活動家と言ってもよい洗礼者ヨハネによって、そのヨハネではなく、イエスがすべての人
を照らすまことの光である(1章8〜9節)と繰り返し示しています。
2)
ここで気になっていることがあるので、少し話を戻すことにします。
今言った通りイエスが人に洗礼を授けるようなことはしなかったが、弟子たちは洗礼を授けていた。となると、イエスが自分はやらないのに弟子たちにはやらせていた等とは考えられないので、弟子たちが勝手に洗礼を授けていたのか、そんなことをして良いのか・・・気になるところです。
一つの可能性としては、今日の箇所にはイエスの時代の状況と後の時代の
状況がまぜこぜになって記されているということです。イエスの弟子たちが洗礼者ヨハネの活動から継承した洗礼をアレンジして後にキリスト教会の儀礼・儀式としたのは使徒言行録の記述などからも明らかです。
それと同時に、イエスがこの世に在った時、洗礼者ヨハネのもとを離れててイエスの弟子になった後でも善かれと思って洗礼活動を継続していた人たちがいた、イエスはそれを無理にやめさせようとはしなった、そういうことも十分に有り得ると思います。
弟子たちが、イエスにくっついて歩きながらも、イエスの考えとは異なることをしたり言ったり、イエスを理解していなかったことは、マルコ福音書
を読めばわかります。イエスは弟子たちを叱りつけたりしています。
ヨハネ福音書の今日の箇所ではイエスは何もせず何も言っていません。
弟子たちは洗礼を授けたり思い思いに活動していたのでしょう。だがイエスは一緒に滞在している(22節)、一緒にいる。そのようにイエスが"在ること"によって、実はイエスを理解できていない、そういう弟子たちの本当の姿、「どんなものなのか」が明らかにされているのかもしれません。
3)
このように考えると、洗礼者ヨハネの最初の言葉、1章15節・・・
「わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである。」
これはイエスを前にした時、人のイエスとの関係における本当の姿、その人がどんなものなのかが明らかになる、明らかにされるということ、そのようにも受け取れるのではないかと思います。
そして、今日の箇所でヨハネが語っているのはイエスと自分との関係であると同時に、イエスを前にして明らかになった自分の本当の姿、「どんなものなのか」であるとも言えそうです。28節・・・
「私は、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だと』と言ったが・・・」
ここで重要なのは、ヨハネは「自分はメシア、キリストではないと言っていますが、「イエスがキリストである」とは言っていないということです。他の箇所でも、「自分はキリストではない」・「あの方(イエス)こそ来るべき方だ」という趣旨のことは繰り返し言っていますが、「イエスがキリストである」とは一度も言っていません。ヨハネはただ自分はイエスの前に遣わされた者だと言っているだけです。
「イエスがキリストである」とはっきり言い切らない、あるいは「イエスはキリストである」と信じ、告白することにさしたる意味を見いださない、重きを置かない、これはヨハネ福音書の特徴と言っていいと思います。
だからと言って、ヨハネ福音書はクリスチャンとは「イエスがキリストであると信じ告白する者」ということを否定している訳ではありませ。
「イエス・キリスト」を信じて、それぞれが、その人なりにイエスに従っ
てゆこうとする・・・。それは今の私たちも今日の箇所の弟子たちも同じだと思います。そうやって生きてゆく中で、イエスを前にする時が来る。そこで、イエスとの関係において自分がどんなものなのか明らかにされる、本当の姿が明らかになる。それも、それが、私たちと弟子たち、そしてある意味では洗礼者ヨハネとも同じだと思います。
「イエスを前にする時」は「終わり」ではなく、「はじまり」です。そして一度限りではなく、何度も来る。弱い私たちが何度間違えても、何度挫けても、そこが新たなはじまりとなるよう導かれているということです。
2025. 6.8 ペンテコステ礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。・・・そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが
話しているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
(使徒言行録2章4・6節)
「聖霊による交わりの回復」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。・・・そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが
話しているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
(使徒言行録2章4・6節)
「聖霊による交わりの回復」 深見 祥弘
キリスト教には、「誕生」を記念する三つの祝祭日があります。御子イエスの誕生を祝う降誕日(クリスマス)、十字架に架けられ墓に葬られたイエスが、新しい命をもって復活・誕生する復活日(イースター)、そして一つになって集まっていた弟子たちに聖霊が降り、教会が誕生した聖霊降臨日(ペンテコステ)です。これら「誕生」の出来事は、人々を驚かせる(あっけにとられる)出来事でした。今日は、教会の誕生を記念する聖霊降臨日(ペンテコステ)です。
今朝の御言葉は、使徒言行録2章1~11節です。ここには、「五旬祭の日」イエスの弟子(使徒)たちが集まっていると、聖霊が降って彼らを満たし、ほかの国々の言葉を話しだした出来事が書かれています。
「五旬祭の日が来て」(1) 五旬祭は、麦の収穫を感謝し、その初穂を神に献げる祭りです。それは過越しの祭りの二日目から数えて50日目に行われるので「第50(ペンテコステ)の祭り」とも呼ばれます。またこの日は、神がシナイ山においてモーセに十戒を与えたことを記念する日でもあります。
なぜ五旬祭の日に、使徒たちが集まっていたのでしょうか。それは、復活したイエスの呼びかけに従ってのことでした。復活したイエスは、使徒たちに現れ「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。・・・あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(1:4、8)と言われました。
その日、使徒たちが一つになって集まっていると、聖霊が激しい風の吹いて来るような音として、また炎のような舌として臨みました。すると彼らは力を得て、「霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだし」(2:4)、この日三千人ほどが仲間に加わりました。
御言葉を読んで、示されたことは次の三つのことでした。まず使徒たちは、熱心に祈りながら父なる神の約束されたもの(聖霊)を待つ群れ(教会)となりました。この祈りが聞かれ、五旬祭の日に父なる神の約束されたものである聖霊が与えられました。
次に使徒たちは、神の御意志を聞く群れ(教会)となりました。「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。」(2) 「風」は、神の御意志をあらわすものです。それが家中に響いて、彼らの耳を支配しました。
さらに使徒たちは、神の言葉を語る群れ(教会)となりました。「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」(3) 「炎」は神の臨在を現すもの、また清めるものです。また「舌」は言葉の象徴です。聖霊が、使徒たち一人一人と共にあり、彼らを清めたので、かれらは神の言葉を語る者、その群れとなったのでした。
ところで神の言葉を語る使徒たちは、多くが「ガリラヤの人」(7)でありました。過ぐる日ペトロは、捕らえられたイエスの様子を見るため密かに大祭司の屋敷の中庭におりました。その際人々から「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる」(マタイ26:73)と言われました。ペトロをはじめ使徒たちには、ガリラヤなまりがあったのです。そのうえ使徒たちは、どのような人にも通じる言葉を使って宣教することができませんでした。彼らは、イエスにより弟子として召されたこと、愛されたこと、裏切り十字架に架けたこと、復活の主を見たこと、イエスを救い主と信じたこと、その一つ一つを「霊が語らせるままに」話したのです。
他方、使徒たちの話を聞く人々といえば、「天下のあらゆる国から(エルサレムに)帰って来た、信心深いユダヤ人」でした。この人たちは、聖霊が降ったときの「物音」(「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ」)によって集まって来ました。聖霊が、聞く人々を大勢集めてくださったのです。そこでこの人たちは、ガリラヤ人である使徒たちから、それぞれ自分たちが生まれた故郷(外国)の言葉を聞いたのでした。
ところで使徒たちは、普段どんな言葉を使っていたのでしょうか。彼らが普段使っていたのはアラム語です。十字架上でイエスが「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれましたが、それがアラム語です。アラム語はアッシリア帝国の公用語でありましたが、この時代も広く使われ、宗教教育を受けていない人はアラム語を話しました。それからヘブライ語です。これはユダヤ教の会堂で教えを受けることができました。さらに民政上の事柄(役所)はギリシャ語が用いられ、軍政上の事柄はラテン語が用いられました。ですからガリラヤ出身の使徒たちは、アラム語か、ガリラヤなまりのヘブライ語を用いていたし、外国からエルサレムに戻って来ていたユダヤ人は、ヘブライ語かギリシャ語を話していました。でも不思議なことに人々は、最もよくわかる「生まれた故郷の言葉」(8)を使徒たちから聞いたのでした。
はじめに、五旬祭はシナイ山において十戒(神の言葉)を与えられた記念の日と言いました。モーセが十戒を受け取った時、民は雷鳴がとどろき、稲妻が光り、山が密雲に覆われるのを見ました。民は恐れてモーセに言いました。「あなたがわたしたちに語ってください。・・・神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」(出エジプト20:19) 以来モーセによる神の言葉(律法)が語られ、またイエスによって福音が語られましたが、五旬祭の日より、神が直接人々に語られるようになりました。「語る使徒たちがいるじゃないか」と思われるかもしれません。神は、使徒たちを聖霊で満たし、霊が語らせるままに、彼らを舌として用い語らせたのでした。
また聞く人々は、聖霊によって集められ満たされ、使徒の言葉を神御自身の言葉として聞き、信じる者となりました。ガリラヤ人である使徒たちがなまりのあるヘブライ語で語り、外国で生まれたユダヤ人たちが、それを生まれ故郷の言葉として聞きました。このギャップをつなぐものが「イエスは主である」(Ⅰコリント12:3)という新しい神の言葉でありました。聖霊が、神の言葉をまるで自分の故郷の言葉で聞くように、よくわからせてくださいます。聖霊が語る者に神の言葉を与えて語らせ、聖霊が聞く者にその言葉を理解させ、信じる者へと導いてくださるのです。
聖霊降臨を通して「イエスは主である」という新しい言葉をいただくことによって、私たちの間にある様々な隔てが取り除かれます。聖霊降臨(ペンテコステ)は、聖霊による神と人との交わりの回復、そして人と人との交わりの回復を示す出来事です。今わたしたちは、イエスの再臨を、この神の家(教会)で一つとなり信じ待っています。その日のために、神がわたしたちに聖霊を与えてくださり、わたしたちを清め、わたしたちを神の舌として用いてくださることを願います。聖霊による交わりの回復によって、わたしたちの語る「イエスは主である」との言葉が、多くの人々にとってまるで故郷の言葉のように聞けますようにと願います。
2025. 6.1 子どもの日(花の日)CS合同礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
(ルカによる福音書10章36~37節)
「隣人になれるかな」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
(ルカによる福音書10章36~37節)
「隣人になれるかな」 深見 祥弘
今日は、私たちの教会の「子どもの日(花の日)」礼拝です。教会暦で「子どもの日(花の日)」は6月第二日曜日ですが、私たちの教会では6月第一日曜日にこれを守っています。 1856年、アメリカ・マサチューセッツ州チェルシー市のメソジスト教会において、レオナルド牧師が6月に子どものための特別のプログラムを作り集会を行ったことが、この日の由来です。1866年、アメリカ・メソジスト教会は総会において、6月第二日曜日を「子どもの日」として教会行事に加えることを決議しました。またアメリカでは、1年で最も多くの花の咲く季節であることから、この日信者が各々花を持ち寄って礼拝堂に飾り、礼拝後、その花を子どもたちが持って病院の患者を見舞い、また各社会施設を慰問いたしました。
先週礼拝後の祈祷会で、ガザ北部にあるアハリー・アラブ病院がイスラエル軍のミサイル攻撃(4月13日未明)を受け、男の子一人が亡くなり、病院施設が損壊したことをお知らせいたしました。アハリー・アラブ病院(アラブの人々の病院の意味)は、英国国教会(聖公会)エルサレム教区が運営する病院です。2023年10月イスラエル軍のガザ侵攻以来、この病院は4回の攻撃を受けましたが、この日まで北部で唯一、病院としての機能を保持し、ガザの人々にとっては命綱のような存在でした。キリスト教会関連病院ということで、日本のキリスト教会やキリスト者が「アハリー・アラブ病院を支援する会」を立ち上げ、支援を行ってきました。私たちの教会も、「支援する会」に2023年、2024年と対外献金をお送りし、傷ついた人々の癒しのために、また停戦のために祈ってきました。今回の攻撃後、スハイラ・タラズィ院長は、このように呼びかけています。「アハリー・アラブ病院は先日の空爆により大規模な被害をうけ、救急および外来対応が機能不全に陥りました。事態はきわめて困難ですが、われわれは臨時の拠点を数カ所立ち上げ、緊急に医療を要する人たちを支援しています。医療品は決定的に不足しており、今も続く検問所の封鎖のために補給がほとんどできない状態です。今回の攻撃以前から、すでに最低限の物資で病院を稼働させていましたが、もはや限界が近づいています。どうかわたしたちのために皆の意識を高め、声をあげ続けてください。すべてのメッセージ、祈り、連帯の行動は、わたしたちに力を与えてくれます。わたしたちとともにいてくださり、ありがとうございます。主にあって。」 この呼びかけに応え私たちの教会は、即時停戦とこの病院のために祈り、支援を続けていきたいと思います。
今朝の御言葉は、ルカによる福音書10章25~37節です。ここには、有名な「善きサマリア人」の話が記されています。ある時、イエスのところに律法の専門家(律法学者)がやってきて尋ねました。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」 イエスは、「あなたの専門である律法にはどう書いていますか。それをあなたはどう読んでいますか。」と問うと、律法学者は得意げに「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』(申命記6:5)とあります。また『隣人を自分のように愛しなさい。』(レビ記19:18)とあります。」と答えました。イエスが「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」と言うと、彼は「では、わたしの隣人とはだれですか。」と問いました。そこでイエスは、善きサマリア人の話をしました。
ある人(ユダヤ人)がエルサレムからエリコへ下って行く途中(エルサレム標高760m、エリコ標高-258m、エルサレム~エリコの距離20㎞)、追いはぎに襲われました。この人は、持っていた物も着ていた服も奪われ、さらに殴りつけられて瀕死の重傷を負いました。この人が倒れていると、祭司がそこを通りかかりました。祭司もエルサレムからエリコに向う道を下ってきたのです。祭司は、神殿で神に仕える人でありますし、「隣人を自分のように愛しなさい」という律法をよく知り守る人でありました。しかし祭司は、なぜか、見て見ぬふりをして道の向こう側を通って行ってしまいました。(イエスの話を聞いて律法学者は、祭司は務め上、死者に触れてはならないという決まりがあるので、その人が死んでいると思ったのかもしれないと思いました。)
次にやってきたのはレビ人です。彼は神殿に務める役人で、直接祭儀を行う者ではないので、死者に触れてはならないという決まりの対象外でした。またレビ人は「隣人を自分のように愛しなさい」との律法をよく知っていました。(イエスの話を聞き律法学者は、今度は助けられると思いました。)
しかし、レビ人も見て見ぬふりをして行ってしまいました。(律法学者は、このレビ人が神殿の仕事を終え家に帰る途中で、疲れていて厄介なことに巻き込まれるのを嫌ったのかと思いました。) 次に来たのは、旅をしているサマリア人でした。(イエスの話を聞いた律法学者は、この人も行ってしまうと思いました。なぜなら、倒れている人(ユダヤ人)とサマリア人は、500年以上に渡って敵対し、つき合いをしていなかったからです。) このサマリア人は、倒れている彼を見ると近づいてきて、憐れに思い、傷にぶどう酒を注いで消毒し、傷口に油を注いで埃が付かないようにし、包帯を巻いて治療を行いました。またこの人を自分のロバに乗せて宿屋につれていき、一晩介抱しました。翌日サマリア人は、宿屋の主人に銀貨二枚をわたし、「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」と頼んだのでした。
イエスは律法学者にこの話を聞かせた後、「あなたは、祭司とレビ人、そしてサマリア人の三人の中で、誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」とたずねました。律法学者は、「その人を助けた人です」と答えると、イエスは「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われました。
説教題を「隣人になれるかな」としました。イエスのところに来た律法学者は、「わたしの隣人とはだれですか」と尋ねています。律法学者にとって「隣人」とは、彼と同じユダヤ人です。しかしイエスは「善きサマリア人」の話をすることによって、たとえ同胞であっても「隣人」として愛することのできないことがあると伝えました。「善きサマリア人」の話はたとえ話です。「傷つき倒れている旅人」は私たちのこと、「祭司やレビ人」とは隣人のこと、そして「サマリア人」とはイエス・キリストのことです。自分で自分を助けることができず、隣人からも見捨てられた私が、思いがけない人(サマリア人、イエス・キリスト)により、思いがけない仕方(手当てと介抱と宿賃。イエスの十字架)で助けられます。これまで敵のように思っていたイエスが、私たちの救いのために十字架に架かってくださり救ってくださったのです。
私たちには、「隣人とはだれか」と、相手を限定してしまう愛の限界があります。しかし、イエスが、私たちの「隣人」になってくださり押し出してくださいますから、私たちも主への愛、隣人への愛に生きようとすることができますし、限界を突き破ることができるのです。私たちがイエスの愛に押し出されて、困難な状況にいる人の「隣人」になろうとするとき、イエスがそれを実現してくださいますし、永遠の命を受け継ぐ者としてくださいます。
イエスの名によってなされる私たちの業に祝福がありますように。