W.M.ヴォーリズが愛した教会
近江八幡教会
日本キリスト教団
2025. 5.25 復活節第6主日礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
「主はこう誓われ、その御心を変えられることはない。『あなたこそ、永遠の祭司である。』」 (ヘブライ人への手紙7章21節)
「永遠の祭司」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
「主はこう誓われ、その御心を変えられることはない。『あなたこそ、永遠の祭司である。』」 (ヘブライ人への手紙7章21節)
「永遠の祭司」 深見 祥弘
去る5月8日、次期ローマ教皇を決める選挙(コンクラーベ)で、米国出身のロバート・プレボスト枢機卿が選出され、教皇名はレオ14世と決まりました。初代教皇はイエスの弟子ペトロでありますが、ペトロから数えて267代目の教皇となります。新教皇はアメリカ・シカゴに生まれ、長年、南米ペルーで布教活動を続けてこられました。米国トランプ大統領が就任して以来、世界は分断と混乱の中にあります。新教皇は選挙前には有力候補者ではなかったようですが、同じアメリカ出身でトランプ大統領とは異なる価値観を持つ人として期待され選出に至ったようです。選出後の演説で、「武力に頼らない平和」の重要性を訴え、「私たちは苦しむ人々に寄り添おうと努める教会でありたい」と述べました。さらに18日の就任式ミサで、カトリック教会が「世界の和解の象徴」となること、現状のグローバル経済が「地球の資源を搾取し、最も貧しい者を周縁に追いやっている」と指摘し、「世界の平和に向け、一人一人の個人的な歴史や社会的・宗教的文化を尊重する」ことの重要性を訴えました。とりわけ紛争の続くパレスチナ自治区ガザの状況に「ガザでは子どもたちや高齢者らが飢餓に苦しんでいる」と懸念を表明し、ウクライナ情勢については「公正で持続的な平和のために交渉を待ち望んでいる」と述べました。この「レオ」の名を初めて冠したレオ1世(在位440~461年)は、大教皇と呼ばれ、ローマが異民族の侵略を受けた時、平和を説き市民を守ったことで知られます。
今朝の御言葉は、ヘブライ人への手紙7章11~28節です。この箇所は、この主日の聖書日課の一つで、1か月前に選んだのですが、少々後悔しました。なかなかに難解であったからです。皆さんには、できるかぎり解かりやすくお話しいたします。
この手紙は、80~90年頃に、アレクサンドリア、エフェソ、アンティオキアなどのいずれかの地で書かれました。著者の名はわかりませんが、第二世代のキリスト者で、旧約聖書の最初のギリシャ語訳、「70人訳」聖書に通じているヘレニスト(主にギリシャ語を話すユダヤ人)でありました。あて先は、ローマの教会はじめ諸教会に属するユダヤ人キリスト者たちであります。著者は、ユダヤ人キリスト者に向けて、旧約聖書(「70人訳」)を引用しつつ、キリスト教の信仰はユダヤ教の信仰から引き継いだもの、どちらも神の生ける御業であることを伝えるためにこの手紙を書きました。
この箇所を理解する上で、あらかじめ知っておいていただきたいことは、「レビの系統の祭司制度とアロン」のことです。アロンは、モーセの兄で
この兄弟はイスラエル12部族のレビ族の出身です。モーセに律法が委ねられた後、アロンとその一族は大祭司の家系となり、レビ族は祭司の家系となりました。
知っておいていただきたいことのもう一つは、「メルキゼデク」のことです。それはアブラハムのいた時代のことで、メルキゼデクはサレム(エルサレム)の王です。シンアル・エラサル・エラム・ゴイムの王と、ソドム・ゴモラ・アドマ・ツェボイム・ツォアルの王が戦いをし、ソドム側の軍勢が敗れて山に逃れました。シンアル側の軍勢がこれを追いかけ、ソドムに住んでいたアブラハムの甥ロトを連れ去りました。アブラハムは、318名の者と共にシンアルの軍勢を追いかけロトを救出しました。アブラハムがロトを連れて帰還したとき、メルキゼデクがパンとぶどう酒を持って出迎えてアブラハムを祝福し、アブラハムは戦利品の1/10を彼に献げたのでした。以来メルキゼデクは、理想的な王そして祭司としてユダヤの人々に覚えられるようになりました。時を経てダビデ王は、やがてメルキゼデクに連なる者で、理想的な王であり祭司である方が現れると預言し歌いました。詩編110編「あなたの民は進んであなたを迎える 聖なる方の輝きを帯びてあなたの力が現れ 曙の胎から若さの露があなたに降るとき。主は誓い、思い返されることはない。『わたしの言葉に従って あなたはとこしえの祭司 メルキゼデク(わたしの正しい王)』(2~4)。今日の御言葉の17節と21節の言葉は、詩編110編(70人訳聖書)の言葉です。
手紙の著者は、この手紙で、かつてダビデが預言した「とこしえの祭司・正しい王」がついにおいでになられたと宣言しています。レビの系統に連なる大祭司・祭司は、モーセを通して与えられた律法によって働きをしました。祭司は神と人との間を仲介し、人を神の座に近づけようと働きをしましたが、かえって人の罪をあらわにすることとなりました。
レビの系統の大祭司・祭司は、世襲ということでは永続性がありますが、一人一人の祭司は皆死んでしまいます。祭司が、民の罪のためにいけにえを献げる時には、「まず自分の罪のため」(27)にいけにえを献げなければなりませんでした。モーセの律法によって立てられた大祭司や祭司は、民と変わらない弱い人であったのです。
そのために神と人とを仲介し、人を神の座に近づける働きをする「別の祭司」が立てられることが望まれていました。ここに登場した「別の祭司」イエスは、朽ちることのない命の力によって立てられ、永遠に生きていて、人々のために執り成してくださるので、ご自分を通して神に近づく人たちを完全に救うことができます。また「別の祭司」イエスは、ただ一度ご自身を献げることで清めの業を成し遂げられ、罪なく、汚れなく、聖である大祭司であります。イエスがご自身を献げた行為は、完全であり、くり返しを必要としないものでありました。
28節の言葉を読んでみましょう。「律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。」また21節の言葉も読んでみましょう。「この方は、誓いによって祭司となられたのです。神はこの方に対してこう言われました。主はこう誓われ、その御心を変えることはない。『あなたこそ、永遠の祭司である。』」「誓いの言葉」、それは主の御意志をあらわす言葉です。
教皇には正式名称があります。それは「ローマ司教、キリストの代理人、使徒の継承者、全カトリック教会の統治者、イタリア半島の首座司教、ローマ首都管区の大司教、バチカン市国の首長、神のしもべのしもべ」という長い名称です。その中の「神のしもべのしもべ」という名称を初めて用いたのは、グレゴリウス1世(在位590~604)です。彼は貴族の家に生まれ、ローマ市長を務めましたが、全財産を献げて修道院を設立しました。教皇に選出された時期、ローマはロンバルド族の侵略を受け、人々は飢餓や疫病に苦しんでいました。彼は、貧困者や難民への食料配給をするなど、慈善活動と社会正義への献身を示しました。また真の指導者は、謙虚と奉仕が必要であると信じ「神のしもべのしもべ」という称号を用い、後の教皇たちにも引き継がれることとなりました。異民族の侵略を受けた時に、平和を訴え、ローマ市民を守ったレオ1世と、今話したグレゴリウス1世は、大教皇と呼ばれます。「この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。」(25)、プロテスタント教会には、教皇はいませんが、「永遠の祭司」イエス・キリストがおられます。「神のしもべ」として主と隣人に仕え、平和と和解のために祈りをささげましょう。
2025. 5.18 復活節第5主日礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
「さあ、行って、弟子たちとぺトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」
(マルコによる福音書16章7節)
「先立ち導く」 仁村 真司教師
< 今 週 の 聖 句 >
「さあ、行って、弟子たちとぺトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」 (マルコによる福音書16章7節)
「先立ち導く」 仁村 真司
二十歳の頃のことです。大学で一人ベンチに腰掛けてボーッとしていると、不意に「仏法を知ってますか」と声をかけられました。「フランスの法律?」等と間の抜けた受け答えをしつつ、仏教系サークルの勧誘だと気づきました。その後のやり取りは大体こんな感じです。(<>は私の発言)
<ぼくはキリスト教の教会に行っているので・・・>「では、キリストは復活したと信じているのですか?死んだ人が生き返るなんてあると思いますか?」<どうでしょう・・・>「えっ?でもキリストは復活したと信じるのがキリスト教ですよね。」<(口には出さず心の内で)ご尤も。>
「復活を信じている」とは言い切れず「どうでしょう・・・」というのは何とも心許ない話ですが、そんなふうだった私が今はどうなのかということは後にして、マルコ福音書によるとイエスの復活を最初に伝えられたのは三人の女性です。この人たちはどうだったのか・・・。見てゆきましょう。
1)
イエスが息を引き取ったのが午後三時ですから(15章34節)、十字架から降ろされ墓に葬られた頃には夕方になっていたでしょう。ユダヤ教では夕方になって日が暮れるとその日は終わり、日付がかわります。逮捕、死刑判決、夜通しの拷問・・・。傷つき、疲労困憊した体で十字架を担ぎ、イエスが十字架上で死を迎えたその日、金曜日が終わりました。
マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ。イエスを慕い、信じ、ガリラヤからずっと従って来たこの女性たちには予感めいたものはあったでしょう。だとしても十字架上でのイエスの死、その凄惨さは言語に絶する。心は引き裂かれて、受け止めるなど出来ようはずもありません。
夕方から土曜日です。土曜日は安息日で何も出来ません。安息日が終わる土曜日の夕方を、おそらく寝ていなかったでしょう、じっと待っていた。
安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。 (16章1節)
「イースター、復活の日曜日が来た」ということでは勿論ないです。女性たちの「受難・死の金曜日」は終わっていなかったのだと思います。
大切な人失う等の喪失体験を経た人の心がたどるプロセスは「グリーフワーク」、「悲しみの作業」と言われます。未だ「受難・死の金曜日」にある女性たちの引き裂かれ、深い傷を負った心が自ずから必要とし、求めたのは、忘れることでも、振り切ることでもなく、イエスの側で、姿を見て、しっかりと悲しみ、涙して、その死を悼み、受け止めてゆくことであったはずです。大きな石があって入れないかもしれない、それでも墓へと向かったのはそうせずにはいられない心の働きによると考えられます。
ところが墓は空。そこにイエスの姿はなかった。白い長い衣の来た若者がイエスの復活を告げるのですが、女性たちには「復活」は「フッ・カ・ツ」、意味をなさない音の連なりでしかなかったのではないかと思います。
病気や傷が癒えるのに時間を要するのは心も体と同じです。「悲しみの作業」には時間が必要です。必要な時間(月日、年月)はそれぞれですが、「初七日」·「四十九日」等は人の心の働きに適った目安と言えます。弟子たちもペンテコステまでにほぼ四十九日(五十日)を要しています。
しかしながら女性たち(の心)に必要な時間は失われました。「悲しみの作業」はなされず女性たちは心に深い傷を負ったまま、再び言語に絶する、受け止めることの出来ない事態に見舞われたことになります。
婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである
そしてこの16章8節でマルコ福音書は終わっています。16章9節以下の
復活したイエスがマグダラのマリアや弟子たちに現れた(「復活顕現」)という話はマルコ福音書の原本にはなかった後代の加筆です。
2)
「復活顕現」の記述がないことから、マルコはイエスの復活を信じていなかった、否定していると考える人たちもいます。ですが、マルコが否定しているのはイエスの復活ではなく、ペトロたち(弟子)自身が出所であろうエルサレム辺りで復活のイエスに出会ったという話だと考えられます。
「空の墓」での女性たちを通して示されているのはイエスの復活は人知を遥かに超える、人が受け止め切れることではないということです。だからすぐに喜んで、あれこれ語ったりできるようなものではなく、また人の願望や想像から生み出されるようなものとは全く異なるということです。
そしてもう一つ。イエスの死も本当は受け止め切れるものではない。けれども、あるいはだからこそ、考え続けなければならないということです。
イエスが死を迎えた金曜日は英語圏では「グッド・フライデー(良き金曜日)」と呼ばれます。「グッド」とは言わずとも殆ど全てのクリチャンが実はイエスの死を「良いこと」として受け止めています。「私たちの救い・人々の罪の贖いのために、私たち・人々の代わりに、神の子イエスが十字架につい
てくださった」、故に人にとって「グッド」という訳です。
ただ、このように「良いこと」として受け止めた場合、イエスの受難・死を見守った女性たちの引き裂かれた心の痛み、それでもイエスを慕い、信じ続け、その死を受け止めようとした思い、これらがなかったことのように、顧みられなくなっているのではないか。私はそれが気になります。
それに・・・。罪のない人間が一人、その極めてすぐれた働きの故に殺された、イエスの死は現実としてはそういう事件です。それを「良いこと」とする等本当は出来ませんし、してはいけないとも私は思います。
3)
「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(10章45節)
前後関係から、イエスは自らの「死の意味」ではなく、「仕えるために来た」、自らがこの世に来て「在る意味」を語っていると考えられます。
「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、
わたしに従いなさい。」 (8章34節)
イエスは最初の死と復活の予告の際、「そんなこと言うな」と言うペトロを叱りつけ、弟子たちと群衆にこう語りかけています。(8章31節以下)
神の子イエスはこの世に来て人々、虐げられた人たちと共に生きた。そして一人十字架へと赴いた。この道行きにおいてイエスは共に生きる人々に「あなたたちのために、代わりに、わたしはゆく」とは言っていませんし思っていなかった。いつも「わたしに従いなさい」・「一緒に生きよう」と呼びかけていたと思います。そして墓にいた若者の女性たちへの言葉・・・。
「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」 (16章7節)
弟子たちはイエスの死の後ガリラヤには行っていません。マルコはそれを承知の上でこう伝えています。これは後代の人々、私たちへの言葉です。
ガリラヤは、病いに苦しむ人たちには癒しを与え、教えを求める人々には親しく教えを語り、そうやってイエスが人々と共に生きた場所です。
ということはつまり、「先にガリラヤに行かれる」とはイエスがこれからも、先に立って人々を「ガリラヤ」へと、「わたしに従いなさい」・「一緒に生きよう」と呼びかけ、導いてゆくということだと思います。
そして、それがキリストの復活を信じていることになるのかどうか分かりませんが、イエスは今も生きて働き、人々を、私たちを、先立ち導いている、そう私は思っています。
2025. 5.11 復活節第4主日(母の日)礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。 (マタイによる福音書20章26~28節)
「母の願い」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。 (マタイによる福音書20章26~28節)
「母の願い」 深見 祥弘
この日、5月第2日曜日は「母の日」です。「母の日」の由来についてお話しましょう。1907年5月12日、アメリカ、ウエスト・ヴァ―ジニア州ウェブスタ―の教会で、ジャービスさんの追悼記念会が行われました。彼女は、この教会の教会学校の先生として26年間奉仕をしました。ある日曜日、彼女は子どもたちに「あなたの父母を敬え」(出エジプト20:12)という言葉を紹介し、「皆さんは、お父さんやお母さんにどんな方法で感謝しますか」と尋ねました。そこにはジャービスさんの娘アンナさんもいました。
1905年、ジャービスさんが亡くなりました。今から120年前のことです。
そして2年後の1907年5月、追悼礼拝が行われました。アンナさんは、「皆さんは、お父さんお母さんにどんな方法で感謝しますか」という言葉を思い起こし、お母さんの好きだったカーネーションを礼拝堂に飾り、また出席者全員にカーネーションを渡して記念会を行いました。
翌1908年5月、この教会で最初の「母の日」礼拝が行われ、子どもたち、
母親たち合わせて470名が出席いたしました。また同年、百貨店王ジョン・ワナメーカーさんが、店にカーネーションを飾り「母の日」の催し物を行いました。1914年、アメリカ大統領ウィルソンは、5月第2日曜日を「母の日」に制定し、国民の祝日としました。
わたしたちの国で「母の日」が祝われたのは1915年のことでした。青山学院のアレキサンダーさんが「母の日」を紹介し、やがて教会や日曜学校で「母の日」を祝うようになりました。記録によると私たちの教会で「母の日」が行われたのは、1932年5月5日のこと、「母の日講演会」が開催され一柳滿喜子さん他の講演がありました。しかし一般に「母の日」が広まったのは戦後のことでした。
今朝の御言葉は、マタイによる福音書20章20~28節、ゼベダイの息子たち(ヤコブとヨハネ)の母がイエスに、王座にお着きになられる時、息子たちを王座の右と左に座らせてくださいと願った話です。20章には、「ぶどう園の労働者」のたとえ、イエスの「第三の受難・十字架・復活の予告」、「ゼベダイの息子たちの母の願い」、そして「エリコで盲人をいやす」話があり、21章「エルサレム入場」記事へとすすむことになります。
エルサレムに向う途中のことです。イエスは、12人の弟子たちを呼び寄せて言われました。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子(イエス)は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。」(20:18~19)イエスはこれまで二度御自分の受難予告をされましたが、ここで三度目の予告をされました。御自分が、ユダヤの最高議会で裁判にかけられ、死刑を宣告された後、ローマ総督ポンテオ・ピラトに引き渡され、総督の元で侮辱され鞭打たれ、ゴルゴタで十字架に架けられて死ぬ。しかし、三日目に復活すると告げられたのでした。
イエスが二回目の予告をした時、弟子のペトロがイエスをいさめて、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」(16:22)と言うと、イエスは「あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」(16:23)と言われました。
さて三回目の予告を聞いた時、ゼベダイの息子たち(ヤコブとヨハネ)はペトロと同じくイエスの受難予告を受け入れられないまま、母親にイエスが「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。」と言われたことを伝えました。母親は息子たちを連れてイエスのところに来てひれ伏し、何かを願おうといたしました。でもその場には他の10人の弟子たちもいましたので、ためらいを覚え願うことができませんでした。
イエスが「何が望みか」と言われると、彼女は「あなた様がエルサレムに入場し、メシヤとして王の座に着くとき、あなたにつぐ重要な地位を息子たちに与えると約束してください」と願いました。イエスは母親にではなく、ヤコブとヨハネに言いました。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯は、祝杯ではなく、神より差し出される苦難の杯である。あなたがたはこの杯を飲むことができるか」。 二人が「できます」というと、イエスは「確かに、わたしの杯を飲むことになる。しかし、苦難と十字架、そして復活を経て、神の国が到来しわたしが王座に着くとき、わたしの右と左に誰が座るかは、父なる神のお決めになられることである。」と言われました。
さてこのやり取りを聞いていた10人の弟子たちは、抜け駆けをされたと思い、2人に腹を立てました。これを見たイエスは、一同を呼び寄せて言われました。「わたしは、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た。と同じようにあなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。」
イエスは御自分が人々に「仕える」という目的のために来たこと、御自分を多くの人の「身代金」として献げるために来たことを弟子たちに伝え、あなたがたも「皆に仕える者」の道、「皆の僕」の道を歩めと勧められたのでした。
イエスは、「偉くなりたい者」は「皆に仕える者」になりなさい、「いちばん上になりたい者」は「皆の僕」になりなさいと教えられました。まず人はなぜ偉くなりたのでしょうか。それは、母に認めてもらいたいという思いや人に認めてもらいたいという思いなど、人の評価で自らの存在を確認したいという思いがあるからではないでしょうか。ヤコブとヨハネの場合、彼らには主に認めてもらいたい、母に認めてもらいたい、他の弟子たちに認めてもらいたい、多くの人に認めてもらいたいとの思いがありました。また彼らの母は、息子たちが主に認められ、他の弟子たちや人々に認められることで、母である自分自身の存在を確認したいと思っていました。
対するイエスは、父なる神からも誰からも認めてもらう必要はありません。イエスは、すべての人の存在をそのままの姿で良しとするために来られた御方です。またイエスは、人の偉くなることで認められたいという思いを担って十字架に架かかり、これを滅ぼし、その人をありのままの姿で受け入れ、良しとし、新たに生きることへと導いてくださいます。十字架と復活のイエスが共にいてくださることで、ヤコブとヨハネは偉くなってお母さんに認められたいという思いから解放され、母親は偉い息子を持つことで人に認められたいという思いから解放されます。僕イエスが十字架と復活をもって仕えてくださったことで、その人が偉いか否かに関わらず、神からも人々からも愛され認められる存在となるのです。
「あなたは、お母さんにどんな方法で感謝しますか」、ジャービスさんの問いに、アンナさんは礼拝堂にカーネーションを飾り、集まった人々にカーネーションを渡すことで応えました。カーネーションの花ことばは、「あなたへの愛は生きている」です。僕となって仕えてくださったイエス・キリストの、わたしたちへの愛は今も生きています。仕える者とされたわたしたちの、イエス・キリストへの愛も生きています。さらにイエス・キリストによって、わたしたちは互いに愛に生きることもできるのです。
2025. 5.4 教会創立124周年記念礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
子孫に隠さず、後の世代に語り継ごう 主への賛美、主の御力を
主が成し遂げられた驚くべき御業を。 (詩編78編4節)
「後の世代に語り継ごう」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
子孫に隠さず、後の世代に語り継ごう 主への賛美、主の御力を
主が成し遂げられた驚くべき御業を。 (詩編78編4節)
「後の世代に語り継ごう」 深見 祥弘
私たちは、この日教会創立124周年を記念し礼拝を守っています。私たちの教会は、1901年5月8日、近江八幡で開催された日本組合教会京都部会の承認を得、「八幡組合基督教会」の名で設立されました。
先週27日に行われた教会総会において、来年5月3日に教会創立125周年記念礼拝及び記念式典の開催を承認いただきました。さらに来年12月20日、クリスマス礼拝において「近江八幡教会125年史」を発行配布することも報告されました。創立125年は、創立百周年以降の歩みを顧み、主の恵みと導きに感謝するとともに、教会のこれからを覚えて祈り希望を語ることのできる良き節目の時であります。
今私は、時間のやりくりをしながら「近江八幡教会125年史」の執筆作業を進めています。私の担当は、「2002年12月~2026年3月、教会の歩み・働き」についてです。その作業の中で、今朝紹介しますのは、美藤章牧師の在任中、教会が目標・課題としたことです。
美藤先生は、2000年4月に就任され、現職のまま2011年12月に召天されました。先生の在任中の年間標語は、「教会の一致と成長」で、これは変わることがありませんでした。また教会の存続の意義については、「こうして年輪を重ねていることは、私たちの教会がこの地における福音宣教のために必要とされ、豊かに用いられている主の民・神の家族(エフェソ2:19)であることの証しにほかならない」と述べておられます。このことも変わることがありませんでした。さらに取り組みの目標・課題としたことは、信仰の継承と教会員の高齢化についでありました。この目標・課題も先生の在任期間、継続して取り組みをしてきたことでありました。
信仰の継承について:「私たちが常にそのような主の民・神の家族であり続ける土台は、教会員がそれぞれの信仰生活・教会生活において主日礼拝を守ることであります。しかし様々な状況にあって日曜日に夫婦、親子ともに家族そろって教会に出席するのはなかなか難しいことですが、その実現のために両親、或いは夫婦の不断の祈りが必要です。その祈りによって≪時≫が必ず備えられます。そして日曜日には家族で教会に出席し、子たち孫たちが教会学校につながり、幼き時に主を覚える信仰の継承の基礎作りをすることです。」(2007年教会総会)
高齢化について:「高齢化の課題は日本の社会における現在的、将来的な課題と相俟って、日本の教会における重要な課題の一つです。私たちの教会はその課題への具体的取り組みとして、教会施設や備品のバリアフリー化、高齢者と介護保険制度の現状、施設情報等、また牧会活動として孤独の問題、魂の配慮、看取りの問題等、これまで様々な視点から取り上げ実施してきました。そして教会の現状では、在宅の介護、デイケア施設を利用される方々、介護施設に入所される方々、あるいは元気なうちに子息子女の許に身を寄せられる方々、また殊にこの3年間で、神の御許に召された20名余りの兄弟姉妹の遺族の方々へのケアなどは牧会的配慮、働きとともに、教会の全体的視野に基づく総体的対応が必要であります。」(同)
今朝の御言葉は、詩編78編1~4節です。これは韻文による詩です。1節に「マスキール」とありますが、「マスキール」とは教訓詩という意味です。この詩の題は「歴史の教訓―人の罪と神の忍耐」とでもつけることができるでしょうか。その内容は、出エジプトから荒れ野の旅、カナン到着、ダビデ王国の成立に至るまでの歩みを思い起こし、そこにあらわれてくる人々の罪と神の忍耐、そして主の救いの御業を述べるものです。
この詩の作者はアサフという人物です。詩編73編~83編には「アサフの詩」と記されています。彼は、ダビデ・ソロモン王室に仕えた神殿楽隊長で作詞・作曲、編集に携わりました。しかし彼の名が記されている詩編の中には、ダビデ・ソロモン後の時代状況を現わす記載もあります。それらは神殿で詠唱者として務めをはたしたアサフの子孫によるものです。歴代誌上25章1~2節に「ダビデと将軍たちはアサフ、ヘマン、エドトンの子らを選び分けて、奉仕の務めに就かせた。彼らは竪琴、琴、シンバルを奏でながら預言した。・・・アサフの子らについては、ザクル、ヨセフ、ネタンヤ、アサルエラ。アサフの子らは王の指示に従って預言したアサフの指示に従った。」
人々の罪と神の忍耐、そして神による救いの業について、詩編78編にはこう書かれています。まず人々の罪については17~22節「彼らは重ねて罪を犯し 砂漠でいと高き方に反抗した。・・・『荒れ野で食卓を整えることが神にできるのだろうか。・・・民にパンを与えることができるだろうか。』・・・彼らは神を信じようとせず 御救いに依り頼まなかった。」と述べています。
次に、神の忍耐については、23~24節「それでもなお、神は上から雲に命じ 天の扉を開き 彼らの上にマナを降らせ、食べさせてくださった。」とあり、神の救いの御業については、52~53節「神は御自分の民を羊のように導き出し 荒れ野で家畜の群れのように導かれた。彼らは信頼して導かれ、恐れることはなかった。」、72節「彼は無垢な心をもって彼らを養い 英知に満ちた手をもって導いた。」と歌っています。
アサフは、かつて民が不信仰であったことを子孫に隠すことなく知らせるとともに、主は忍耐し救いに導いてくれたことを「後の世代に語り継ごう」と言っています。それは6~8節「(今の人々に)子らが生まれ、後の世代が興るとき 彼らもそれを知り その子らに語り継がなければならない。子らが神に信頼をおき 神の御業を決して忘れず その戒めを守るために 先祖のように 頑な反抗の世代とならないように 心が確かに定まらない世代 神に不忠実な霊の世代とならないように。」するためです。
2025年度年間標語は「後の世代に語り継ごう―教会創立125年に向けて―」です。「教会創立125年に向けて」の備えとは、わたしたちのために主がなしてくださった御業を後の世代に語り継ぎ、主を賛美することです。
来年5月の創立礼拝には、私たちの教会の関係教師をお招きし、「後の世代に語り継ぐ」をテーマにお話を伺いたいと願っています。さらに教会に連なる私たち一人ひとりも、自分たちの弱さや罪、神の忍耐、そして救いの喜びの体験を証ししてゆきます。「宣教牧会方針」にも書かせていただきました。「教会員一人ひとりが、イエス・キリストに連なることの喜びを周りの人々に伝える、証しの生活をする。」、それは私たちの弱さや罪を知っても、主は忍耐してくださり、イエス・キリストによるゆるしと救いに導いてくださった、そのことを家族や周りの人に証しし主を賛美するということです。
宣教牧会方針にもう一つ書かせていただいたことは「教会は、礼拝・集会・行事等に来会される方々に、教会に連なることの喜びを伝えていく」です。教会は、時に主への信頼を弱くし、怠惰になったり諦めてしまうこともあります。そうした中、教会が歩んできた25年間を、また125年間を顧み、教会のもつ弱さや罪を子孫に隠すことなく述べるとともに、主が忍耐し成し遂げてくださった驚くべき御業(イエス・キリストの十字架と復活)を覚え、主を力強く賛美いたします。 わたしたちは祈ります。
「主が成し遂げてくださった御業を、後の世代に語り継がせてください。
喜びをもって教会創立125年を迎えることができますように。
主の平和がこの町に、この国に、この世界に実現しますように。」