W.M.ヴォーリズが愛した教会
近江八幡教会
日本キリスト教団
2025. 6.29 聖霊降臨節第4主日礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
「あなたがたは地の塩である。・・・あなたがたは世の光である。」
(マタイによる福音書5章13・14節)
「世の光として歩む生涯」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
「あなたがたは地の塩である。・・・あなたがたは世の光である。」
(マタイによる福音書5章13・14節)
「世の光として歩む生涯」 深見 祥弘
本日6月29日は、「日本基督教団京都教区と韓国基督教長老会大田(テジョン)老會両教区・老會の交流を覚えて祈る日」です。両教区・老會(教区)は、1998年6月30日相互交流のための同意書に調印し、以来26年に渡り、相互の交換プログラムや宣教協議会などの取り組みを行ってきました。交流プログラムで、昨年は京都教区大会(大津教会)に大田老會から6名の皆さんが来てくださいました。今年は10月に京都教区から大田老會を訪問(特に若い世代の方々)することになっています。
京都教区が大田老會の方々に祈ってくださいと示していることは、次の4つのことです。まず前文に「共に祈ってくれる友、大田老會の方々がいてくださることに感謝します」とし、⑴日本の侵略支配と戦争の反省に立ち、歴史の歪曲、憲法の改悪、軍備増強による支配と戦争への道を許さず、平和のために祈ります。⑵教区が社会から問われている差別と人権の問題に取り組み、ヘイトスピーチなどの差別煽動をゆるさず、格差と貧困のなかで人々の絆をつくっていくことができるように祈ります。⑶教会の教勢が低下している現状にあって、宣教の働きが守られ、教会が守られますように。⑷京都教区諸教会(75教会)の宣教の進展と連帯の深化のために祈ります。
大田老會が京都教区のわたしたちに祈ってくださいと示していることは、次の4つのことです。まず前文に「大田老會は、韓国社会の民主化と人権、そして、平和統一のために献身してきた教会の肢として、宣教の働きを担わせてくださった神の恵みに感謝し兄弟姉妹教会として協力している京都教区と共に、次のように祈ります」とし、⑴社会的不平等と差別を乗り越え、だれもが安定した平和な生を享受でき、政治的両極化を克服し民主主義が一層発展するように祈ります。⑵韓半島における南北間の緊張が解消し、平和的な共存が実現し、さらに東北アジアの平和が実現するように祈ります。⑶深まる生態危機の中、自然を棄損してきた生活の方式を反省し、教会が生命の保全のため、先頭に立つことができるよう祈ります。⑷人口減少と高齢化の時代に大田老會のすべての教会(77教会)が共同体性を回復し、一層成熟して世に向かう宣教に献身することを祈ります。
今朝の御言葉は、マタイによる福音書5章13~16節、イエスの山上の説教の中の「地の塩、世の光」の教えです。「イエスの山上の説教の中の」と言いましたが、山上の説教は5章3節から7章27節に及びます。
「山上の説教」というと、わたしたちは5章3~10節を思います。モーセはシナイ山で民に神の「十戒」を語りましたが、イエスはガリラヤの山で弟子たちに、福音の中の福音「至福の教え」を語りました。ここで教えられている「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」(3)は、「(イエス・キリストのように)心の貧しい人々は、幸いである。(イエス・キリストとの交わりによって)天の国はその人たちのものである。」と読んでいただきたいと思います。後の8つの教えも同じです。真に「至福の教え」に生きる人の姿は、イエス・キリストに見出すことができます。わたしたちは、イエス・キリストを救い主と信じることで(イエス・キリストとの交わりにおいて)、これらの教えに生きることができ、幸いをもいただくのです。
次の13節以下「地の塩、世の光」の教えも、お話した「至福の教え」との関連で語られています。すなわち「心の貧しい人、悲しむ人、義に飢え渇く人」である弟子(信者)たちが、真に貧しい人、真に悲しむ人、真に義に飢え渇く人、真に義のために迫害される人であるイエス・キリストを知り信じ従うならば、その人は「地の塩、世の光である」(13、14)と教えているのです。この箇所は「あなたがたは地の塩になりなさい、世の光になりなさい」とは言っていません。イエスを信じる人(弟子)は、すでに「地の塩、世の光である」と教えています。
「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば・・・もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられる」(13)。弟子たちが地の塩であるという意味は、たとえ小さく無力に見えても、キリストを信じ従う一握りの弟子たちによって、この地は清められ、罪から守られ、神に喜ばれるということです。しかし弟子(信者)がイエスとの交わりや信仰を失うならば、捨てられ、約束の幸いを失ってしまうのです。
「あなたがたは世の光である。・・・あなたがたの光を人々に輝かしなさい」(14、16)。イエスは、「わたしは世の光である」(ヨハネ8:12)と言われました。そのイエスが弟子たちに「あなたがたは世の光である」と言われたことは、弟子たちがイエスへの信仰と交わりによって、弟子たちの姿をもって光であるイエスを証しするということです。さらに弟子たちが、イエスへの信仰と交わりにより「立派な行い」(至福の教えに生きる)をするならば、人々があなたがたを見て、天の父をあがめるようになるのです。
今朝の御言葉は、わたしたちが地の塩として生きること、世の光として生きること、すなわち「地の塩・世の光として歩む生涯」に励ましを与えてくれます。
まず「塩」の働きは、目に見えない形、隠れた形に徹することでその働きがなされるものです。わたしたちが、今置かれている状況の中で、塩として地に入っていき溶け込み生きることで、人々が罪に気づき清められ、その人らしく生きることができます。次に「光」の働きは、「世の光」「山の上に町」「燭台のともし火」にたとえられているように、隠すことのできないものです。わたしたちはたとえ迫害を受けても、隠れたり逃げ出したりせず、世にあって「光」として生きること(憐み深い人、心の清い人、平和を実現する人)です。それは人々が、世の光である私たちを見て、天の父をあがめるようになるためです。地の塩であるわたしたち、世の光であるわたしたちとは、イエス・キリストとの交わりに励まされ、天の父のために生きる者のこと、また世にあってそれぞれの地に住む人々のために生きる者ことです。
昨年11月に開催された京都教区大会で、ハンセム教会の韓鐘実(ハン ジョンシル)牧師に久しぶりにお会いしました。韓牧師は、大田老會において長年、国際宣教部門の責任者をしてこられました。私が近江八幡教会に来てからも、同行の方々とともに何度もこの教会を訪問してくださり、ロープーウェイで八幡山に登ったり、朝鮮人街道の碑や百済寺にもご案内したり致しました。また2019年には、私も大田を訪問させていただきました。日韓関係に問題が起こった時も、同信の韓牧師はじめ大田老會の皆さんがおられる国であり、イエス・キリストによって交わりを結んでいただいているということから、その問題を考えることができました。コロナ禍は交流事業が中断し、韓牧師とお会いできませんでしたが、昨年お会した時は思わず抱き合いました。
京都教区と大田老會は、「世の光」として東北アジアの平和のために、全世界の平和のために、両国の差別や人権の課題のために祈り仕えています。また京都教区と大田老會の教会と信者は、出会いを通して罪に気づかされ、清められ、神に喜ばれる兄弟姉妹教会となり、励まし合いながらそれぞれの地において「地の塩」となって宣教に励んでいます。両教区老會に連なる全ての信徒教師の「地の塩・世の光として歩む生涯」に祝福を祈ります。
2025. 6.22 聖霊降臨節第3主日礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。
(使徒言行録17章23節)
「知られざる神に」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。
(使徒言行録17章23節)
「知られざる神に」 深見 祥弘
今年は、アメリカン・ボード京都宣教150周年です。5月16日(金)~17日(土)に開催された京都教区総会は、これを覚えて記念礼拝と記念講演会を行いました。「アメリカン・ボード」は、1810年に結成された米国の外国伝道を推進する団体で、ボストンに本部を置きました。アメリカン・ボードは、結成後、インド・中国・ギリシャ・アフリカ・そして中近東への伝道を行い、1828年には日本への伝道の準備を始めました。そして1869年10月に開催されたアメリカン・ボード第60回年会は、「日本伝道開始の件」を決議し、26歳のD・C・グリーンを日本に派遣することといたしました。1869年11月30日、彼は横浜に到着、まだ伝道のなされていない神戸に向いました。以後、アメリカン・ボードの宣教師たちが次々と来日し神戸、大阪、京都、岡山などで伝道をしました。その結果、グリーン宣教師によって神戸教会、E・タルカット、J・E・ダッドレーによって神戸女学院、新島襄、デイヴィスによって同志社、M・L・ゴードンによって大阪教会が創設され、関西における伝道活動が進められていきました。
アメリカン・ボード京都宣教150周年と言いましたが、それは1875年同志社の設立、翌年京都に三つの公会(教会)が結成されるに至ったことによります。この三つの公会は、外見の組織において独立した個別の教会のように見られますが、新島と宣教師たちを指導者とする同志社の学生と関係者をメンバーとする同志社の教会でありました。そうした中、京都の町人たちへの伝道を行ったのは、M・L・ゴードン宣教師でした。ゴードンは、1843年、ペンシルベニア州に生まれました。大学在学中に南北戦争に従軍し、人間の罪と生死の問題を考えるようになり、アンドーヴァ神学校とニューヨーク医学校で学び、1872年アメリカン・ボード宣教師として来日しました。彼は大阪に住み、日本語を学びながら、青年たちに英語を教え、梅本町公会(大阪教会)を設立しました。彼は目を患っていましたが、1875年京都に赴き山本覚馬に中国で出版されたキリスト教入門書「天道遡原」を送りました。山本も目を患ってほとんど視力を失っている状態でありましたので、二人は相通ずるものを感じ、やがて信仰の友となりました。
ゴードンと新島は、アンドーバー神学校の同級でありました。ゴードンは1879年京都に移り、同志社で教えると共に、1883年五条に住む中村栄助宅で家庭集会を開き、やがて四条教会(京都教会)が設立されるに至りました。彼が、アメリカン・ボードへ送った書簡には、宣教師は任務を受けて働く国の言葉を学び、またその国の文化や宗教を理解することがいかに重要であるか、また民衆の間に福音を宣べ伝えるためには、民衆の日常生活を理解することが大切であると書かれています。京都で伝道した三人の宣教師たち、デイヴィスは熱血漢で心情を吐露する伝道的宣教師、ラーネッドは古典語を習得した知的で教育的な宣教師、そしてゴードンは日本の宗教に通じ、庶民の心情を理解する牧会的宣教師でありました。
今朝の御言葉は、使徒言行録17章22~34節です。ここには、パウロが第二伝道旅行中、アテネのアレオパゴスで行った説教が記されています。第二伝道旅行においてパウロたちは、初めてヨーロッパに入り、フィリピ、テサロニケ、べレアを訪れました。彼らはこれらの町のユダヤ教の会堂において、旧約聖書に基づきイエスの生涯、十字架、復活を語りました。すなわち、彼らはイエスの死と復活の福音を旧約聖書の預言の実現と述べ、イエスこそ救い主であると伝えたのです。その結果、いずれの町においても少数の信じる者と多数の反発する者を生み出しました。反発する人々は、町のならず者を集めて暴動を起し、パウロたちを町から追い出しました。ベレアの町でも同様で、パウロは先にアテネに行って、シラスとテモテの到着を待ちました。
二人を待つ間、パウロがアテネの町を歩くと、至る所に偶像のあるのを見ました。そこでパウロはユダヤ教の会堂のみならず、町の広場でも居合わせた人々と論じ合いました。これを聞きつけたエピクロス派やストア派の哲学者たちは、パウロに「あなたが説いている新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。(イエスという者の復活という)奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ」と言い、パウロをアレオパゴスの評議所に連れて行きました。アテネの人々は新しいことを求めていましたし、またアテネには新しいことを期待し、世界の各地から学問や芸術、観光を目的とする人々が集まっていたのです。
パウロは、アテネの人々が信仰にあつく宗教的な生活をしていること、3千に及ぶ神殿と神像があり、「知られざる神に」と刻まれた祭壇のあることも知りました。パウロは、「あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをお知らせしましょう。」と言い、「世界とその中の万物を造られた神」について話しはじめました。22~31節はパウロの説教です。
私が伝えるこの神は、万物創造の神・天地の主であるので、人の手で造られた神殿にはお住みにならないし、人に仕えてもらう必要もありません。またこの神は、全ての人に命を与え、人が必要とするものを与えてくださいます。この神はアダムという一人の人から、すべての民族を造り出し、地上のいたるところに住まわせてくださっています。人を造り配慮なさる神であるので、人が神を求めるならば、どこにいても神を見出すことができます。それは、あなたがたも良く知っているクレテ人エピメニデスの詩にも記されているとおりです。ですからこの神は、金や銀や石を用いて人間の技や考えで造った偶像なる神ではありません。あなたがたはこれまでこの神を知らなかったのですから、人の手でつくられた偶像を礼拝していたとしてもそれをゆるしてくださいます。しかし同時に、神はここにいるあなた方を含めてどこにいる人に対しても悔い改めを求めています。それは、神の子イエスが、神でないものを神として礼拝していたわたしたちを、その罪から救うために来て下さり、わたしたちに代わって十字架に死んで罰を受け、そしてわたしたちの新たな命を与えるために復活されました。この十字架と復活のイエスを救い主として信じる者は、赦しと救いの恵みをいただくことができるのです。神は、この世を正しく裁く日もお決めになっておられます。これまであなたがたが「知られざる神に」と言って礼拝していたのは、この神であったのです。
アテネの人々は、パウロの説教を聞いてあざ笑い、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしょう」と言って立ち去っていきました。人々は霊魂の不滅を信じていたからです。しかしアレオパゴスの議員ディオニシオ、ダマリスという婦人など、少数ですが信じる人も与えられました。
京都の寺社仏閣の数は2500、今、新しいものを求めて外国人観光客が多く訪れています。お話してきた当時のアテネを思います。150年前、宣教師たちが「彼らの居住地の境界」を越えて京都の人々に「知られざる神」の福音を伝えました。宣教師たちの働きに対しては反発もありましたが、信仰に導かれた人々がいました。「探し求めさえすれば、神を見いだすことができる」(27)、神はこのように言って、宣教師たちの賜物を用い、京都や滋賀に福音を伝えてくださったことに心から感謝をいたします。
2025. 6.15 聖霊降臨節第2主日礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。」
(ヨハネによる福音書3章29節)
「 イエスを前にする時 」 仁村 真司教師
< 今 週 の 聖 句 >
「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。」
(ヨハネによる福音書3章29節)
「 イエスを前にする時 」 仁村 真司
今更ですが念のため⋯。「ヨハネによる福音書」の「ヨハネ」は洗礼者ヨハネではありません。十二弟子の一人ゼベダイの子ヨハネが著したとする伝承に依って「ヨハネによる福音書」とされました。もっともこの伝承は史実とは考え難く、ヨハネ福音書の著者(名)は分かりません。
それは兎も角、他の(マルコ・マタイ・ルカ)福音書に比べて、ヨハネ福音書の洗礼者ヨハネはイエスについてより多くを語り、証ししています。
その翌日、ヨハネは、自分の方ヘイエスが来られるのを見て言った。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られ
る。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』と
わたしが言ったのは、この方のことである。」(1章29〜30節)
その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。 (1章35〜36節)
自分の弟子であった二人(内一人はペトロの兄弟アンデレ、1章40節)
にイエスに従うよう促してもいます。そうして今日の箇所では・・・
1 )
・・・イエスと洗礼者ヨハネが近くで別々に活動していれば、これは一体どういうことなのだろう、どちらに行けば良いのだろう等とあれこれ思いを巡らす人が出て来るのは、それはそうなるでしょう。そういった人々の疑問・質問(25・26節)に答えて、ヨハネがイエスと自分との関係を語るのですが(27節以下)、まずは22〜23節。
その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、洗礼[バプテスマ]を授けておられた。他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼[パプテスマ]を授けていた。
マルコ福音書では「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、
神の福音を宣べ伝えて」(1章14節)、つまりイエスの活動開始はヨハネの投獄後とされています。ヨハネ福音書ではイエスが活動する近くでヨハネはヨハネで洗礼活動を続けていたというのですから、ヨハネの投獄前から既にイエスは活動していたことになります。この辺りの史実に即しているのは多分ヨハネ福音書の方です。文脈上全く必要のない「ヨハネはまだ投獄されていなかったのである」(24節)は、ヨハネ福音書の著者としてはマルコの記述を訂正する註のつもりで書き込んだのかもしれません。
それと、22節の「洗礼[バプテスマ]を授けておられた」とはイエスが洗礼を授けていたということですが、4章2節では「一洗礼[バプテスマ]を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである―」と、事実イエス自身が洗礼を授けていたとは考えられませんから、訂正(?)されています。ですが、イエスの弟子たちが洗礼活動を行っていたのなら、イエスとヨハネが張り合っているようにも見えたでしょうし、双方の弟子たちには張り合うような気持ちが多少なりともあったのではと思います。
そこでヨハネはイエスと自分との関係を語ります。イエスは花婿であり、自分は花婿の介添え人(友人)に過ぎない(29節)、「あの方(イエス)は栄え、わたしは衰えねばならない」(30節)。
はじめに言いました、この福音書の著者は洗礼者ヨハネではありません。
しかし「ヨハネによる福音書」は、当時のユダヤ教最大の活動家と言ってもよい洗礼者ヨハネによって、そのヨハネではなく、イエスがすべての人
を照らすまことの光である(1章8〜9節)と繰り返し示しています。
2)
ここで気になっていることがあるので、少し話を戻すことにします。
今言った通りイエスが人に洗礼を授けるようなことはしなかったが、弟子たちは洗礼を授けていた。となると、イエスが自分はやらないのに弟子たちにはやらせていた等とは考えられないので、弟子たちが勝手に洗礼を授けていたのか、そんなことをして良いのか・・・気になるところです。
一つの可能性としては、今日の箇所にはイエスの時代の状況と後の時代の
状況がまぜこぜになって記されているということです。イエスの弟子たちが洗礼者ヨハネの活動から継承した洗礼をアレンジして後にキリスト教会の儀礼・儀式としたのは使徒言行録の記述などからも明らかです。
それと同時に、イエスがこの世に在った時、洗礼者ヨハネのもとを離れててイエスの弟子になった後でも善かれと思って洗礼活動を継続していた人たちがいた、イエスはそれを無理にやめさせようとはしなった、そういうことも十分に有り得ると思います。
弟子たちが、イエスにくっついて歩きながらも、イエスの考えとは異なることをしたり言ったり、イエスを理解していなかったことは、マルコ福音書
を読めばわかります。イエスは弟子たちを叱りつけたりしています。
ヨハネ福音書の今日の箇所ではイエスは何もせず何も言っていません。
弟子たちは洗礼を授けたり思い思いに活動していたのでしょう。だがイエスは一緒に滞在している(22節)、一緒にいる。そのようにイエスが"在ること"によって、実はイエスを理解できていない、そういう弟子たちの本当の姿、「どんなものなのか」が明らかにされているのかもしれません。
3)
このように考えると、洗礼者ヨハネの最初の言葉、1章15節・・・
「わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである。」
これはイエスを前にした時、人のイエスとの関係における本当の姿、その人がどんなものなのかが明らかになる、明らかにされるということ、そのようにも受け取れるのではないかと思います。
そして、今日の箇所でヨハネが語っているのはイエスと自分との関係であると同時に、イエスを前にして明らかになった自分の本当の姿、「どんなものなのか」であるとも言えそうです。28節・・・
「私は、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だと』と言ったが・・・」
ここで重要なのは、ヨハネは「自分はメシア、キリストではないと言っていますが、「イエスがキリストである」とは言っていないということです。他の箇所でも、「自分はキリストではない」・「あの方(イエス)こそ来るべき方だ」という趣旨のことは繰り返し言っていますが、「イエスがキリストである」とは一度も言っていません。ヨハネはただ自分はイエスの前に遣わされた者だと言っているだけです。
「イエスがキリストである」とはっきり言い切らない、あるいは「イエスはキリストである」と信じ、告白することにさしたる意味を見いださない、重きを置かない、これはヨハネ福音書の特徴と言っていいと思います。
だからと言って、ヨハネ福音書はクリスチャンとは「イエスがキリストであると信じ告白する者」ということを否定している訳ではありませ。
「イエス・キリスト」を信じて、それぞれが、その人なりにイエスに従っ
てゆこうとする・・・。それは今の私たちも今日の箇所の弟子たちも同じだと思います。そうやって生きてゆく中で、イエスを前にする時が来る。そこで、イエスとの関係において自分がどんなものなのか明らかにされる、本当の姿が明らかになる。それも、それが、私たちと弟子たち、そしてある意味では洗礼者ヨハネとも同じだと思います。
「イエスを前にする時」は「終わり」ではなく、「はじまり」です。そして一度限りではなく、何度も来る。弱い私たちが何度間違えても、何度挫けても、そこが新たなはじまりとなるよう導かれているということです。
2025. 6.8 ペンテコステ礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。・・・そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが
話しているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
(使徒言行録2章4・6節)
「聖霊による交わりの回復」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。・・・そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが
話しているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
(使徒言行録2章4・6節)
「聖霊による交わりの回復」 深見 祥弘
キリスト教には、「誕生」を記念する三つの祝祭日があります。御子イエスの誕生を祝う降誕日(クリスマス)、十字架に架けられ墓に葬られたイエスが、新しい命をもって復活・誕生する復活日(イースター)、そして一つになって集まっていた弟子たちに聖霊が降り、教会が誕生した聖霊降臨日(ペンテコステ)です。これら「誕生」の出来事は、人々を驚かせる(あっけにとられる)出来事でした。今日は、教会の誕生を記念する聖霊降臨日(ペンテコステ)です。
今朝の御言葉は、使徒言行録2章1~11節です。ここには、「五旬祭の日」イエスの弟子(使徒)たちが集まっていると、聖霊が降って彼らを満たし、ほかの国々の言葉を話しだした出来事が書かれています。
「五旬祭の日が来て」(1) 五旬祭は、麦の収穫を感謝し、その初穂を神に献げる祭りです。それは過越しの祭りの二日目から数えて50日目に行われるので「第50(ペンテコステ)の祭り」とも呼ばれます。またこの日は、神がシナイ山においてモーセに十戒を与えたことを記念する日でもあります。
なぜ五旬祭の日に、使徒たちが集まっていたのでしょうか。それは、復活したイエスの呼びかけに従ってのことでした。復活したイエスは、使徒たちに現れ「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。・・・あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(1:4、8)と言われました。
その日、使徒たちが一つになって集まっていると、聖霊が激しい風の吹いて来るような音として、また炎のような舌として臨みました。すると彼らは力を得て、「霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだし」(2:4)、この日三千人ほどが仲間に加わりました。
御言葉を読んで、示されたことは次の三つのことでした。まず使徒たちは、熱心に祈りながら父なる神の約束されたもの(聖霊)を待つ群れ(教会)となりました。この祈りが聞かれ、五旬祭の日に父なる神の約束されたものである聖霊が与えられました。
次に使徒たちは、神の御意志を聞く群れ(教会)となりました。「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。」(2) 「風」は、神の御意志をあらわすものです。それが家中に響いて、彼らの耳を支配しました。
さらに使徒たちは、神の言葉を語る群れ(教会)となりました。「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」(3) 「炎」は神の臨在を現すもの、また清めるものです。また「舌」は言葉の象徴です。聖霊が、使徒たち一人一人と共にあり、彼らを清めたので、かれらは神の言葉を語る者、その群れとなったのでした。
ところで神の言葉を語る使徒たちは、多くが「ガリラヤの人」(7)でありました。過ぐる日ペトロは、捕らえられたイエスの様子を見るため密かに大祭司の屋敷の中庭におりました。その際人々から「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる」(マタイ26:73)と言われました。ペトロをはじめ使徒たちには、ガリラヤなまりがあったのです。そのうえ使徒たちは、どのような人にも通じる言葉を使って宣教することができませんでした。彼らは、イエスにより弟子として召されたこと、愛されたこと、裏切り十字架に架けたこと、復活の主を見たこと、イエスを救い主と信じたこと、その一つ一つを「霊が語らせるままに」話したのです。
他方、使徒たちの話を聞く人々といえば、「天下のあらゆる国から(エルサレムに)帰って来た、信心深いユダヤ人」でした。この人たちは、聖霊が降ったときの「物音」(「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ」)によって集まって来ました。聖霊が、聞く人々を大勢集めてくださったのです。そこでこの人たちは、ガリラヤ人である使徒たちから、それぞれ自分たちが生まれた故郷(外国)の言葉を聞いたのでした。
ところで使徒たちは、普段どんな言葉を使っていたのでしょうか。彼らが普段使っていたのはアラム語です。十字架上でイエスが「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれましたが、それがアラム語です。アラム語はアッシリア帝国の公用語でありましたが、この時代も広く使われ、宗教教育を受けていない人はアラム語を話しました。それからヘブライ語です。これはユダヤ教の会堂で教えを受けることができました。さらに民政上の事柄(役所)はギリシャ語が用いられ、軍政上の事柄はラテン語が用いられました。ですからガリラヤ出身の使徒たちは、アラム語か、ガリラヤなまりのヘブライ語を用いていたし、外国からエルサレムに戻って来ていたユダヤ人は、ヘブライ語かギリシャ語を話していました。でも不思議なことに人々は、最もよくわかる「生まれた故郷の言葉」(8)を使徒たちから聞いたのでした。
はじめに、五旬祭はシナイ山において十戒(神の言葉)を与えられた記念の日と言いました。モーセが十戒を受け取った時、民は雷鳴がとどろき、稲妻が光り、山が密雲に覆われるのを見ました。民は恐れてモーセに言いました。「あなたがわたしたちに語ってください。・・・神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」(出エジプト20:19) 以来モーセによる神の言葉(律法)が語られ、またイエスによって福音が語られましたが、五旬祭の日より、神が直接人々に語られるようになりました。「語る使徒たちがいるじゃないか」と思われるかもしれません。神は、使徒たちを聖霊で満たし、霊が語らせるままに、彼らを舌として用い語らせたのでした。
また聞く人々は、聖霊によって集められ満たされ、使徒の言葉を神御自身の言葉として聞き、信じる者となりました。ガリラヤ人である使徒たちがなまりのあるヘブライ語で語り、外国で生まれたユダヤ人たちが、それを生まれ故郷の言葉として聞きました。このギャップをつなぐものが「イエスは主である」(Ⅰコリント12:3)という新しい神の言葉でありました。聖霊が、神の言葉をまるで自分の故郷の言葉で聞くように、よくわからせてくださいます。聖霊が語る者に神の言葉を与えて語らせ、聖霊が聞く者にその言葉を理解させ、信じる者へと導いてくださるのです。
聖霊降臨を通して「イエスは主である」という新しい言葉をいただくことによって、私たちの間にある様々な隔てが取り除かれます。聖霊降臨(ペンテコステ)は、聖霊による神と人との交わりの回復、そして人と人との交わりの回復を示す出来事です。今わたしたちは、イエスの再臨を、この神の家(教会)で一つとなり信じ待っています。その日のために、神がわたしたちに聖霊を与えてくださり、わたしたちを清め、わたしたちを神の舌として用いてくださることを願います。聖霊による交わりの回復によって、わたしたちの語る「イエスは主である」との言葉が、多くの人々にとってまるで故郷の言葉のように聞けますようにと願います。
2025. 6.1 子どもの日(花の日)CS合同礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
(ルカによる福音書10章36~37節)
「隣人になれるかな」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
(ルカによる福音書10章36~37節)
「隣人になれるかな」 深見 祥弘
今日は、私たちの教会の「子どもの日(花の日)」礼拝です。教会暦で「子どもの日(花の日)」は6月第二日曜日ですが、私たちの教会では6月第一日曜日にこれを守っています。 1856年、アメリカ・マサチューセッツ州チェルシー市のメソジスト教会において、レオナルド牧師が6月に子どものための特別のプログラムを作り集会を行ったことが、この日の由来です。1866年、アメリカ・メソジスト教会は総会において、6月第二日曜日を「子どもの日」として教会行事に加えることを決議しました。またアメリカでは、1年で最も多くの花の咲く季節であることから、この日信者が各々花を持ち寄って礼拝堂に飾り、礼拝後、その花を子どもたちが持って病院の患者を見舞い、また各社会施設を慰問いたしました。
先週礼拝後の祈祷会で、ガザ北部にあるアハリー・アラブ病院がイスラエル軍のミサイル攻撃(4月13日未明)を受け、男の子一人が亡くなり、病院施設が損壊したことをお知らせいたしました。アハリー・アラブ病院(アラブの人々の病院の意味)は、英国国教会(聖公会)エルサレム教区が運営する病院です。2023年10月イスラエル軍のガザ侵攻以来、この病院は4回の攻撃を受けましたが、この日まで北部で唯一、病院としての機能を保持し、ガザの人々にとっては命綱のような存在でした。キリスト教会関連病院ということで、日本のキリスト教会やキリスト者が「アハリー・アラブ病院を支援する会」を立ち上げ、支援を行ってきました。私たちの教会も、「支援する会」に2023年、2024年と対外献金をお送りし、傷ついた人々の癒しのために、また停戦のために祈ってきました。今回の攻撃後、スハイラ・タラズィ院長は、このように呼びかけています。「アハリー・アラブ病院は先日の空爆により大規模な被害をうけ、救急および外来対応が機能不全に陥りました。事態はきわめて困難ですが、われわれは臨時の拠点を数カ所立ち上げ、緊急に医療を要する人たちを支援しています。医療品は決定的に不足しており、今も続く検問所の封鎖のために補給がほとんどできない状態です。今回の攻撃以前から、すでに最低限の物資で病院を稼働させていましたが、もはや限界が近づいています。どうかわたしたちのために皆の意識を高め、声をあげ続けてください。すべてのメッセージ、祈り、連帯の行動は、わたしたちに力を与えてくれます。わたしたちとともにいてくださり、ありがとうございます。主にあって。」 この呼びかけに応え私たちの教会は、即時停戦とこの病院のために祈り、支援を続けていきたいと思います。
今朝の御言葉は、ルカによる福音書10章25~37節です。ここには、有名な「善きサマリア人」の話が記されています。ある時、イエスのところに律法の専門家(律法学者)がやってきて尋ねました。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」 イエスは、「あなたの専門である律法にはどう書いていますか。それをあなたはどう読んでいますか。」と問うと、律法学者は得意げに「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』(申命記6:5)とあります。また『隣人を自分のように愛しなさい。』(レビ記19:18)とあります。」と答えました。イエスが「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」と言うと、彼は「では、わたしの隣人とはだれですか。」と問いました。そこでイエスは、善きサマリア人の話をしました。
ある人(ユダヤ人)がエルサレムからエリコへ下って行く途中(エルサレム標高760m、エリコ標高-258m、エルサレム~エリコの距離20㎞)、追いはぎに襲われました。この人は、持っていた物も着ていた服も奪われ、さらに殴りつけられて瀕死の重傷を負いました。この人が倒れていると、祭司がそこを通りかかりました。祭司もエルサレムからエリコに向う道を下ってきたのです。祭司は、神殿で神に仕える人でありますし、「隣人を自分のように愛しなさい」という律法をよく知り守る人でありました。しかし祭司は、なぜか、見て見ぬふりをして道の向こう側を通って行ってしまいました。(イエスの話を聞いて律法学者は、祭司は務め上、死者に触れてはならないという決まりがあるので、その人が死んでいると思ったのかもしれないと思いました。)
次にやってきたのはレビ人です。彼は神殿に務める役人で、直接祭儀を行う者ではないので、死者に触れてはならないという決まりの対象外でした。またレビ人は「隣人を自分のように愛しなさい」との律法をよく知っていました。(イエスの話を聞き律法学者は、今度は助けられると思いました。)
しかし、レビ人も見て見ぬふりをして行ってしまいました。(律法学者は、このレビ人が神殿の仕事を終え家に帰る途中で、疲れていて厄介なことに巻き込まれるのを嫌ったのかと思いました。) 次に来たのは、旅をしているサマリア人でした。(イエスの話を聞いた律法学者は、この人も行ってしまうと思いました。なぜなら、倒れている人(ユダヤ人)とサマリア人は、500年以上に渡って敵対し、つき合いをしていなかったからです。) このサマリア人は、倒れている彼を見ると近づいてきて、憐れに思い、傷にぶどう酒を注いで消毒し、傷口に油を注いで埃が付かないようにし、包帯を巻いて治療を行いました。またこの人を自分のロバに乗せて宿屋につれていき、一晩介抱しました。翌日サマリア人は、宿屋の主人に銀貨二枚をわたし、「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」と頼んだのでした。
イエスは律法学者にこの話を聞かせた後、「あなたは、祭司とレビ人、そしてサマリア人の三人の中で、誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」とたずねました。律法学者は、「その人を助けた人です」と答えると、イエスは「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われました。
説教題を「隣人になれるかな」としました。イエスのところに来た律法学者は、「わたしの隣人とはだれですか」と尋ねています。律法学者にとって「隣人」とは、彼と同じユダヤ人です。しかしイエスは「善きサマリア人」の話をすることによって、たとえ同胞であっても「隣人」として愛することのできないことがあると伝えました。「善きサマリア人」の話はたとえ話です。「傷つき倒れている旅人」は私たちのこと、「祭司やレビ人」とは隣人のこと、そして「サマリア人」とはイエス・キリストのことです。自分で自分を助けることができず、隣人からも見捨てられた私が、思いがけない人(サマリア人、イエス・キリスト)により、思いがけない仕方(手当てと介抱と宿賃。イエスの十字架)で助けられます。これまで敵のように思っていたイエスが、私たちの救いのために十字架に架かってくださり救ってくださったのです。
私たちには、「隣人とはだれか」と、相手を限定してしまう愛の限界があります。しかし、イエスが、私たちの「隣人」になってくださり押し出してくださいますから、私たちも主への愛、隣人への愛に生きようとすることができますし、限界を突き破ることができるのです。私たちがイエスの愛に押し出されて、困難な状況にいる人の「隣人」になろうとするとき、イエスがそれを実現してくださいますし、永遠の命を受け継ぐ者としてくださいます。
イエスの名によってなされる私たちの業に祝福がありますように。