W.M.ヴォーリズが愛した教会
近江八幡教会
日本キリスト教団
2025. 1.26 降誕節第5主日礼拝
< 今 週 の 聖 句 >
イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。 (ヨハネによる福音書2章11節)
「 カナでの婚礼にて 」 仁村 真司教師
< 今 週 の 聖 句 >
イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。 (ヨハネによる福音書2章11節)
「 カナでの婚礼にて 」 仁村 真司
「ヨハネ福音書はむずかしい」とよく言われます。
「この世でのイエスの事実を伝えている(マタイ・マルコ・ルカの)共観福
音書とは違い、ヨハネ福音書には神の子イエスについての神学的思弁が述べられている。」注解書等でよく見られるヨハネ福音書の解説ですが、こういった解説も分かりやすくはないので、益々「ヨハネ福音書はむずかしい」ということになっているのでは・・・そんな気もしなくもないです。
そして「ヨハネ福音書はむずかしい」と端から思い込んでしまって、余計に分かりにくく、むずかしく感じるということもあるかもしれません。
今回の箇所は「カナの婚礼」、おめでたい祝宴でのエピソードですから、あれやこれやむずかしく考える前に、まずは和やかな祝福ムードに包まれた場面を思い浮かべながら見ていくことにしましょう。
1)
三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。(1~2節)
イエスの母マリアさんがいたのは縁者(親戚?) の婚礼だったからでしょう。それでイエスも招かれ、弟子たちもそれぞれ地縁や血縁で招かれたのだと思います。例えば弟子の一人ナタナエルはカナ出身です(21章2節)。
ユダヤ教父権社会において“一家の主”たる父(マリアさんの夫)の姿がないのは、イエスの父が神だからなのではなく、この世の父ヨセフさんは既に亡くなっていたからだろう・・・と、ここは普通に考えて良い所です。
マリアさんはきっとお客さん気分ではいられなくて、いろいろと気を回していたのだと思います。そしてぶどう酒がなくなっていることに気づいて、息子イエスに「ぶどう酒がなくなりました」と言う(3節)。
「私の母、父もよくこんなふうに言う(言っていた)なあ」という人は、私もそうですが、結構いるのではないかと思います。
「どこそこに行って○○を持って来て、買って来て」とか「××がない」とだけ言うこともあって、結局はすることになるのですから最初から「は
い、はい」と言ってやっておけば良さそうなものですが、その都度「なんでぼくが」とか「で、ぼくにどうしろと言うの」とか言ってしまう。
こういうのとイエスがマリアさんに言った「わたしとどんなかかわりがあるのです」(4節)が同じだとは言いませんが、多少は重なるような気もします。マリアさんの方はそのように受け取ったのだと思います。
「この人(私の息子のイエス)が何か言いつけたら、その通りにしてください」と召し使いたちに言ったのは(5節)、「あまのじゃくのあの子(イエス)のこと。ああは言っても、何とかしてくれるかもしれない」と思って、期待してのことでしょう。
そうして母の期待通りにイエスは何とかする訳です。その時マリアさんが「まったくあの子は・・・。はじめから素直にしてくれればいいのに」と思ったのかどうかは定かではありませんが、ぶどう酒の調達方法が奇跡(しるし)であったことを別にすれば、普通の母と息子としての姿を伝える、マリアさんとイエスが身近に感じられる、珍しいエピソードだと思います。
2)
ただイエスのマリアさんへの態度は、いつまでも子ども扱いする母親にムッとしていたというようなことだけでは説明がつきません。
イエスは母に言われた「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」(4節)
お母さんに「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです」なんて、いくら何でも冷たすぎると思いますが、これでも(マリアさんになのか、イエスになのか)随分と気を遣った訳し方だと思います。
「婦人よ」は「女よ」が直訳です。「わたしとどんなかかわりがあるのです」はマルコ福音書(1章24節)で汚れた霊がイエスに言った「かまわないでくれ」と原文(ギリシア語)では全く同じです。
そして「わたしの時はまだ来ていません」。イエスが本当の姿、神の子としての姿を示すのは十字架と復活の時であり、それまでは本当の姿を示すことはできないということです。でもマリアさんは神の子に奇跡(しるし)を求めているのではなく、息子に「ぶどう酒がなくなりました」と言っているだけです。どうも全く話がかみ合っていないようです。
3)
「かみ合っていない」と言えば、「わたしの時はまだ来ていない」と言いながら水をぶどう酒に変え、最初のしるしを行い栄光を現した(11節)、これは言っていることとやっていることがかみ合っていないと思います。
それでもこの後もイエスは次から次へとしるしを行っていくのですが、一方でしるしを見て信じることへの否定的な見解も度々述べられます。
(例えば2章23~24節「・・・そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。」)
ヨハネ福音書では、「しるし」・奇跡を行うことはイエスが神の子であることを示す「印(マーク)」でも「証拠」でもないということです。
「しるし」の他に既製の宗教理論や観念に拠る「・・・だからイエスは神の
子である」という説明の仕方・論証を一切しない、拒絶して、ただ「イエスは神の子である」・「神の子が本当に人間としてこの世に現れたのだ」と伝える、それがヨハネ福音書の特徴、目的と言っても良いと思います。
ですから、イエスがしるしを行う(行ってしまう)のは、イエスがこの世のあらゆる制約を越えた神の子である、だからです。その行為がこの世の人々には「しるし」のように見える、奇跡となってしまうこともある。
イエスと母、マリアさんとのやり取りがかみ合っていないように見えるのも、マリアさんは母として息子イエスに接していましたが、それは神の子と普通の人間とのやり取りだった。イエスは神の子である、だからです。
ただ、「わたしの時はまだ来ていません」と言いながらも水をぶどう酒に変えた(マリアさんにしてみれば「イエスが変えてくれた」)「カナの婚礼」を、マリアさんの我が子イエスとのあまりなかったであろう穏やかな、楽しい思い出としても私は受け取っておきたいです。
イエスの言う「わたしの時」が来る、その時には、母マリアさんに語りかける息子、イエスは十字架の上にいます。(19章26節)
さて、今日の箇所の終わり、11節後半の「それで(しるしを見て)弟子たちはイエスを信じた」。
ヨハネ福音書はしるしを見て信じることに否定的ですから、この世にあったイエスの直弟子であってもその「信仰」は信用ならぬということです。
それと共に、弟子の他に「しるし」と受け止めた人はいなかったということでもあると思います。そもそも殆どの人はイエスが水をぶどう酒に変えたことに気づいていなかったのではないかと思います。(9~10節)
弟子たちを含め、この世に在るイエスに元々近しかった人々がカナでの婚礼においてその場、その時を共にしていた訳ですが、イエスへの思い、イエスとの“距離”は人それぞれ、違っていたということです。しかし、等しくイエスによってぶどう酒に変えられた水がもたらされました。
イエスは地理的、時間的な隔たり、その他一切のことに制約されずに、この世にあって同じ場所・同じ時を過ごした人々だけではなく、全ての人々と等距離に、共に在るということだと私は思います。
全ての人々が、今の私たちも、例えば重い病の床にあって、もう心も体も動かない、動かせないという時でも、イエスと出会い得る、信仰を持ち得る、そしてイエスに従い得る。なぜならば、イエスは神の子だからです。
2025. 1.19 降誕節第4主日礼拝
< 今 週 の 聖 句 >
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。
(マタイによる福音書4章18~20節)
「イエスに従った人々」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。
(マタイによる福音書4章18~20節)
「イエスに従った人々」 深見 祥弘
私は和歌山の海辺で育ちました。父親は勤め人でしたが、冬のこの時期、
土曜日の夕方、小さな船で網を仕掛けに行きました。夜行性のエビやカニ、魚を捕るために、一晩仕掛けておくのです。そして日曜日の朝、網を上げて、浜に吊るし、寒風の中、濡れた網から獲物をはずします。わたしも手伝いをさせられました。網に引っかかっているのは、ほとんどが海藻の切れっぱしや木片、ビニールといったゴミです。そうしたものが細い網糸にくいこみ、よじれているのを取っていきます。手が真赤になって、冬の日曜の朝が、いやでいやでたまりませんでした。早く大きくなって、ここから脱出したいなあと思っていました。
私はアメリカに叔母さん(母親のきょうだい)がいます。中学を卒業する頃、ひよこの鑑別師になるためにこちらに来ないかと、声をかけられました。早く脱出したいと思っていましたが、私には想像できない世界で、行きますとは言えませんでした。
次に声をかけられたのは高校を卒業する頃です。イエスさまが、神学校に行かないかと声をかけてくださったのです。そのことも私には未知の世界でしたが、濡れた網からゴミを取っている私を「人間をとる漁師養成所」に導いてくださいました。「ついにその時が来た、パラダイスは近づいた」、そうした思いに満たされて、私は網を捨て、舟と父親とを残して、イエスさまに従ったのでした。
今朝のみ言葉は、マタイによる福音書4章18~25節、イエスが四人の漁師を弟子にする話、そして各地で病人をいやした話です。バブテスマのヨハネが領主ヘロデの不品行を非難し捕らえられた後、イエスは荒れ野からガリラヤに行き「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って伝道を始めました。かつて預言者イザヤは、次のように預言をいたしました。「後には、・・・異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。・・・ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」(イザヤ8:23~9:5)
イザヤはガリラヤを「異邦人のガリラヤ」「闇の中を歩む民」と呼びました。都エルサレムから離れたガリラヤ地方は、周囲を異邦人の地に囲まれ、さらにガリラヤの住民の半数が異邦人という状況でありました。都の人々は、ガリラヤの人々に救いは与えられないと言ってさげすんでいたのです。しかしイザヤは、みどりごが生まれ、この男の子が神の救いを与えると預言をいたしました。ガリラヤに到着したイエスは、イザヤの預言した「光」「ひとりの男の子」とはわたしのことである、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言い伝道を始めました。
さてイエスが弟子とするために声をかけたのは、ガリラヤ湖で漁師をしていたシモン(ペトロ)と兄弟アンデレ、またゼベダイの子であるヤコブと兄弟ヨハネでありました。イエスが彼らに呼びかけたのは次のようなことからでした。まず彼らがガリラヤの人であり、闇の中にあって解放と救いを願う人々であったことです。もう一つは、彼らが漁師であったことです。旧約聖書で「漁師」は、神の裁きの遂行者として書かれています。エレミヤ書16章16~17節には「見よ、わたしは多くの漁師を遣わして、彼らを釣り上げさせる、と主は言われる。・・・彼らはわたしの前から身を隠すこともできず、その悪をわたしの目から隠すこともできない。」とあります。
シモンとアンデレが、イエスから「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた時、彼らは湖に網を打って漁をしている最中でした。二人は「ちょっと待ってください。これが終わったら従います」とは言わず、「すぐに網を捨てて従」いました。またヤコブとヨハネは父親と一緒に、舟の中で網の手入れをし、次の漁の準備をしていました。イエスが二人に「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言うと、彼らは、明日のことを思わず、父と舟とを残してイエスに従いました。
ところで、イエスは彼らに呼びかける前に、「御覧になった」と書かれています。(「湖で網を打っているのを御覧になった」、「舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると」) どうやらイエスが声をかけられたのは、いつであってもよかったのではなく、その様子を見た時でありました。また声をかけたのは、誰でもよかったわけではなく、漁師である彼らであったからです。
ガリラヤ、そこは罪を犯して身を隠している者が釣り針で引き上げられ、裁かれる地でありました。しかし神は愛をもってガリラヤを御覧になられ、イザヤの預言のとおりひとりの男の子を与えられました。また漁師であるシモンたちは神の裁きの遂行者ではなく、イエスの弟子として人々の救いのために働きをするものとされました。
今朝のみ言葉を読んで、改めて気づかされたことがあります。あの時私は「天の国は近づいた」という呼びかけを聞き、家を飛び出したけれど「悔い改めよ」という言葉を聞いていなかったのではないか。あの時私は「わたしについて来なさい」という主の声に聞き従ったけれど、「人間をとる漁師にしよう」という言葉を理解していなかったのではないか。網に魚がかかれば、うぬぼれるし、ゴミばかりだと不満が口をついて出てくる。そんな私は、かつての海辺の私と何も変わっていません。でも主が、そのような私に40年間「悔い改めよ」と呼びかけつづけてくださり、「人間をとる漁師にしよう」と言ってくださっていることに感謝をいたします。私がイエスの思いやまなざしを感じ、イエスに従う人であることを続けられたことは、ひとえに神の赦しの賜物だと思います。
好きな聖書の言葉はどこですかと問われた時、私はローマの信徒への手紙7章24節と答えます。「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」絶望の深みから、突如として感謝する私へと釣り針で引き上げてくださる。私の罪のために裁かれる十字架のイエスが、私のところに降りて来てくださり、私をとらえて、深みから一気に引き上げてくださったのです。
私は今、「人間をとる漁師」として湖に釣り竿を出しています。釣り糸の先には、「悔い改めよ。天の国は近づいた」という言葉を語るイエスさまがおられ、湖の底に降りてゆかれます。そうして湖の底に沈んでいる人や身を隠している人を御覧になると「わたしについて来なさい」と呼びかけ、その人を捕らえると、私に合図を送ります。私はかって自分自身が救われたことを思いおこしながら、釣り竿を操り、イエスさまと救われた人を深みから引き上げるのです。これが「わたしについて来なさい」と言ってくださったイエスさまに対する、私の証しです。初めてイエスに従った四人の弟子から始まり、これまで従った人々、今従っている人々の証しに耳を傾けてみてください。そうすれば、神の愛の多様な働きを見出すことができるでしょう。
2025. 1.12 降誕節第3主日礼拝
今 週 の 聖 句 >
主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。 (サムエル記上16章12~13節)
「油を注がれたダビデ」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。 (サムエル記上16章12~13節)
「油を注がれたダビデ」 深見 祥弘
明日は「成人の日」です。今年の新成人(18歳対象)は、全国で109万人です。戦後、新成人(20歳対象)が一番多かったのは1970年の246万人、第一次べビーブーム(1947~1949年)に生まれた人たちが新成人となった時です。次に多かったのは第二次ベビーブーム(1971~1974年)に生まれた人たちが新成人となった1994年の207万人です。第二次ベビーブームに生まれた人たちが新成人となった1994年から30年を経て、今年が109万人ですから半減しています。新成人数は、減少の一途をたどっています。
近江八幡市の成人式は、本日(12日)行われます。2022年4月に成人年齢が20歳から18歳に引き下げられましたが、近江八幡市では従来どおり20歳の人たちを対象に成人式を開催しています。先週の日曜日、教会で「新成人祝福祈祷」を行いました。礼拝後、教会でお祈りする新成人は18歳ですか、20歳ですかとお尋ねがありました。近江八幡市の成人式が20歳を対象にしていますので、教会でも20歳の方々を対象にお祈りをしております。国の発表は18歳の新成人者数、近江八幡市は20歳を対象とする成人式・・・なんともややこしいことですね。
今朝のみ言葉は、旧約聖書・サムエル記上16章1~13節です。ここには、3千年前、預言者サムエルがダビデに油を注ぎ、イスラエル第二代の王とした時のことを書いています。イスラエル初代の王は、サウルです。サウルもまた、サムエルから油を注がれて王となりました。しかしサウルは、アマレク人との戦いで、主の「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ」(15:3)との命令に背き、アマレク人の家畜や財産を戦利品としました。主は預言者サムエルに「わたしはサウルを王に立てたことを悔む」(15:11)と言われ、サムエルをベツレヘムのエッサイのところに派遣しました。主がエッサイの息子たちの中に、王となるべき者を見出したからです。
さてサムエルは、自らの行動にサウル王が神経をとがらせていることを知っていました。サムエルが次の王を探すために動き出したことを知るならば、サウル王は彼を殺しかねない状況でした。サムエルが主に「どうしてわたしが行けましょうか。サウルが聞けばわたしを殺すでしょう。」(16:2)と答えると、主は若い雌牛を引いて行き、「主にいけにえをささげるために来ました」(16:2)と言えと命じられました。主はいけにえをささげた後に会食をし、そこにエッサイとその息子たちを招き、それと告げる者に油を注ぎなさいと言われたのでした。
サムエルがベツレヘムに到着すると、町の長老たちが不安げに尋ねました。「おいでくださったのは、平和なことのためでしょうか。」(16:4)彼らは、サムエルとサウル王とが緊張関係にあることを知っていたのです。サムエルは「平和なことです。主にいけにえをささげに来ました。身を清めて、いけにえの会食に一緒に来てください。」(16:5)と答えました。「いけにえの会食」とは、雌牛をいけにえとしてささげる儀式の後、ささげられたものを皆で食べる聖なる会食のことです。しかしこの会食の目的は、新しい王を見出し、油を注いで王位につけることです。サムエルは、招いておいたエッサイの息子たちが会食の場に来ると、彼の前を通らせました。最初に長男エリアブが通ると、サムエルは彼こそ主の前に油を注がれる者だと思いました。以前に油を注いだサウル王と同じく、ととのった容姿をもち、背も高かったからです。主は、「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」(16:7)と言われました。
その後も、エッサイの息子たちがサムエルの前を通りました。サムエルは会食の場に来た七人の息子たちを通らせましたが、「この者をも主はお選びにならない」(16:9)と言って退けました。サムエルがエッサイに「あなたの息子はこれだけですか」(16:11)と尋ねると「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」と答えました。末の子は未成年で、「いけにえの会食」には出席できなかったのです。サムエルが、「人をやって、彼を連れて来させてください」と求めたので、エッサイは人を遣わして、この子を連れてこさせました。この末の子の名前は、ダビデと言います。血色が良く(幼さを残している)、目が美しく、姿も立派(元気な少年)でありました。主はサムエルに「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」(16:12)と告げました。預言者サムエルがダビデに油を注ぐと、その時から主の霊が激しくダビデに降るようになりました。
主イエスの公現日(1月6日)後の日曜日は、「主イエスの洗礼記念日」です。今日の聖書日課は、サムエル記上16章1~13節「ダビデに油が注がれた」、マタイによる福音書3章13~17節「イエスの洗礼」を選んでいます。イエスはバプテスマのヨハネから洗礼を受け、水の中から上がられると、神の霊が鳩のように降り、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マタイ3:17)という声が天から聞こえてきました。
なぜ、この箇所を同じ日の聖書日課にしているのでしょうか。「油注ぎ」は、王・祭司・預言者の任職に際して行われました。油が注がれた者には、主の霊が降りその働きを導きます。また、「洗礼」は、回心者に対して行われました。受洗者には、主の霊が降り信仰生活を導くのです。
ダビデは、未成年でいけにえの会食に出席することもゆるされない者でありました。サムエルが容姿や背の高さを見て長男エリアブこそ次の王と思ったのに対し、主は「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」(16:7)と言われました。それはダビデの心がすばらしかったという意味ではありません。「主は心によって見る」とは、主ご自身の愛の心によってダビデを見るという意味です。ダビデが王に選ばれたのは、ダビデの側に何か選ばれる理由があったわけではありません。主は、人の目からみて最もふさわしくないと見られる人を選んだ、未成年でいけにえの会食にもまだ参加できないダビデを選んだということです。そして王となったダビデは、時に主の心に適わぬこともありましたが、主の愛と霊の導きによって、生涯、主に従うことができました。
わたしたちは、主イエスの名によって洗礼を受けると、聖霊が臨むようになり、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と呼んでいただけます。しかし主がわたしを愛する理由、「心に適う者」と言ってくださる理由はわたし自身にあるわけではありません。主が愛の心によってわたしを見てくださったことで(愛の心とは、イエスの十字架の贖いのこと)、洗礼の恵みが与えられました。
始めに、新成人の人口が減少していることをお話ししました。このままだと国が衰えていく、これからの若者も年配者も大変だと「人は目に映ることを見て」そうした議論をいたします。でもわたしたちには「愛の心によって見て」くださる主がいてくださいます。わたしたちは、若い信仰者たちも年配の信仰者も、聖霊の導きと、「わたしの愛する子、わたしの心に適う者」という天からの励ましの声により、主より与えられた使命に生き、目に見えない永遠の命と神の国を望み見ることをゆるされているのです。
2025. 1.5 降誕節第2主日礼拝
< 今 週 の 聖 句 >
神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちに及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。 (コリントの信徒への手紙第二1章4~5節)
「満ちあふれているわたしたち」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちに及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。 (コリントの信徒への手紙第二1章4~5節)
「満ちあふれているわたしたち」 深見 祥弘
新年あけましておめでとうございます。ご降誕の恵みの中で、主の年2025年を迎えることができました。どうぞ、この年もよろしくお願いいたします。
今年の干支は、蛇です。創世記3章には蛇にまつわる出来事が書かれています。「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。」(3:1)とあります。人は、賢い蛇に誘惑されて罪を犯し、苦しむ存在となりました。神は女に言いました。「園の木の果実を食べてもよい。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない。触れてもいけない。死んではいけないから。」 それを聞くと蛇は女に言いました。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」 女がその木を見ると、いかにもおいしそうで、賢くなるように唆していたので実を取って食べ、一緒にいた男にも渡しました。実を取って食べた事を知った神は女に「お前は、苦しんで子を産む」と言い、男には「お前は顔に汗を流してパンを得る 土に返るときまで。」と言いました。これが蛇にそそのかされて、賢い者になろうとした人(自分の賢さに頼む人)の苦しみのはじまりでした。
今朝のみ言葉は、コリントの信徒への手紙第二1章3~11節です。この手紙は、パウロとテモテによって紀元54~55年頃、アジア州エフェソで書かれました。パウロたちは第二伝道旅行中、アカイア州コリントで宣教し教会を設立しました。その後コリントを離れたパウロたちは、第三伝道旅行で再びコリントを訪れることを願いましたが、エフェソで迫害と投獄にあい訪問することができなくなりました。訪問を願ったのには理由がありました。パウロたちが去った後、コリントに巡回伝道者たちが来て、パウロの教えとは異なる教えをし、コリントの人々はその教えに聞き従いました。その結果、コリント教会とパウロたちとの関係が悪くなってしまいました。この手紙は、悪化した関係の修復を願うために書かれました。
パウロたちは、このように手紙を書き始めました。「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。」 愛と慰めに満ちた神は、主イエス・キリストによって、わたしたちに愛と慰めを豊かに与えてくださいます。主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。
そしてこのように言葉を続けます。「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」 パウロたちがこの手紙に書いている苦難とは、宣教活動によって引き起こされる苦難(これまでの苦難、今の苦難、これからの苦難)のことです。しかし神は、あらゆる苦難に際して慰め(主イエス・キリストによる慰め)を与えてくださいます。それゆえにわたしたちは神から与えられた慰めによって、苦難の中にいる人を慰めることができます。
それでは、パウロたちの今の苦難とは、どのようなものなのでしょうか。 パウロたちは、第三伝道旅行中、紀元53年頃から2年半、アジア州エフェソに滞在し、この町と周辺地域に宣教をいたしました。その結果、彼らは激しい迫害と投獄を経験しました。その苦難は、パウロが「生きる望みさえ失ってしまいました」、「死の宣告を受けた思いでした」と表現するほどのものでありました。パウロたちは、こうした経験から、頼るべきは自分ではなく、苦難と十字架の主イエスを復活させた神であると示され、救いを求めて祈ったのです。その結果、パウロとテモテは再び立ち上がることができました。パウロはこのことを伝えた後、コリントの人々に対して「あなたがたは大丈夫ですか、苦難の中にいるのではありませんか、わたしたちはあなた方のために祈っています」「あなたがたも祈りで援助してください。」と書きました。
パウロたちの経験した「生きる望みさえ失ってしまうほどの」苦難は、失意のうちに終わることはなく、次のように導かれました。
「パウロたちは死の宣告を受けたと思わせるほどの苦難を経験しました。」→「パウロたちは、自分の賢さに頼ることなく、十字架のイエスを復活させた神を頼りにしました。」→「その結果、パウロたちはキリストから満ちあふれる慰めをいただきました。」→「その満ちあふれる慰めによってパウロたちは、コリントの教会をはじめ、苦難の中にいる人々を慰めることができます。」→「コリント教会は与えられた慰めによって苦難に耐え、パウロたちのみならずあらゆる苦難の中にある教会や人々を慰めることができます。」
蛇の誘惑によって実を食べた人は、自らを神のように賢い者とする罪人となりました。以来、人は数知れぬ苦難を経験してきました。
神は、人を憐み、主イエス・キリストを世に遣わし、人の罪を負わせて十字架に架け、イエスの死によって人を滅びから贖い出してくださり、この御方の復活によって慰めと救いと希望を備えてくださいました。
パウロたちはこの十字架と復活の主の福音を宣べ伝え、主イエスと同様に迫害と投獄の苦難を経験いたしました。迫害と投獄は、人が自分を賢いものとすることや自分を頼りにすること(罪)から脱却し、神を賢いものとすること(神の義)や神に寄り頼むこと(信仰)へと方向転換をしたことで生じたことでした。
パウロはそのような状況を「キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちに及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。」(5)と述べました。 わたしたちにのぞんでくる苦難は、キリストの苦しみそのものであるけれど、それはキリストの苦しみの一部です。それに対しわたしたちがいただく慰めは、キリストの慰めであり、それはキリストの慰めの全部です。それゆえに、パウロは「神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。」と述べ、今もこれからも救われると確信しています。
わたしたちには、この年がどんな日々であるのかはわかりません。でも大丈夫、イエス・キリストに委ねましょう。わたしたちに与えられる苦難は、キリストが体験された苦難の一部であり、キリストはすでにあらゆる苦難に勝利しておられます。わたしたちは苦難にあった時、自分の賢さに頼るのでなく、神の賢さにお委ねいたしましょう。そうするならば、キリストの満ちあふれる慰めをいただくことができます。さらにわたしたちはいただいた慰めによって、他の苦難の人を慰めることもできます。このようにしてイエス・キリストに満ちあふれる慰めが、信仰の人から人へと広がってゆきます。キリストの慰めに満ちあふれているわたしたちには、あらゆることが可能です。主の祝福をお祈りいたします。
2025. 1.1 元旦礼拝
2025.1.1
「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるため
に、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕われている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」
(ルカによる福音書4:18~19)
「主の恵みの年」 深見 祥弘牧師
2025元旦礼拝 2025.1.1
「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるため
に、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕われている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」
(ルカによる福音書4:18~19)
「主の恵みの年」 深見 祥弘
新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。主の年2025年を迎え、私たちはまず、み言葉に聞き、み名を賛美することから始めることができ感謝いたします。それぞれの現実の中でみ言葉に聞き、み言葉から現実を見つめ、現実から神の愛と救いのご計画の実現を確信する、そのような一年を過ごしてゆきたいと願います。
イエスは、荒れ野で悪魔から三つの試みを受け、それらを退けた後、ガリラヤに帰られました。イエスは40日間、何も食べていませんでしたから、肉体的に疲れておられましたが、霊的には力に満たされていました。ガリラヤは、イエスが幼いころから育った地方であり、ナザレにはイエスを良く知る人々もたくさんいました。
思えば正月には多くの人が故郷に帰省をいたします。親しい家族や幼い頃からの友人に囲まれて、一年の疲れをいやすのです。イエスの場合もそのようであったのでしょうか。14節に「イエスは霊の力に満ちてガリラヤに帰られた。」(14)と書かれていますので、疲れを癒し、力を得るために帰ったというのとは異なるように思えます。イエスは、それとはちがう目的をもって帰ってこられたのだと思います。
イエスはナザレにもどられた後、安息日に会堂に入られました。
ここで、「会堂」(シュナゴーグ)について少しお話をしておきましょう。「会堂」の起源は、バビロン捕囚時代にあります。ユダの国は滅亡し神殿が破壊された後、捕囚地につれてこられた人々は、自分たちの民族性を守り継承するために「会堂」を設けました。その後、解放された人々は、エルサレムに帰還し、神殿(ソロモン王によって建築された神殿を第一神殿と呼ぶに対し、再建された神殿は第二神殿と呼ばれる)を再建します。しかし紀元70年、ローマによって再び神殿は破壊され国は滅びました。そしてユダの民が離散を余儀なくされたとき、世界の各地に暮らす彼らがその民族性を保つことができたのは、「会堂」によってでありました。時を経て、第二次世界大戦後、イスラエル建国がなされます。でもエルサレムに神殿の再建はなされず(神殿のあった場所にはイスラムのモスクがある)、人々は、今も「会堂」で礼拝を守っています。
イエスの時代には、エルサレムに神殿(第二神殿)があり、各地に「会堂」が設けられていて、地方や外国に住む人々は、過越しの祭りなどの時に神殿に詣でました。会堂で行われる礼拝は、次のようでありました。
初めに会衆はエルサレムの方角を向き「信仰告白」(シェマー)を唱えます。それは申命記6:4~9、11:13~21、民数記15:37~41の言葉です。「聞け、イスラエルよ。我々の神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申6:4~5)
次に「18の祈り」(シェモーネ・エスレー)、「聖書朗読」、154の週課(ペリコーペ)に分けられた律法。そして「説教」(デラーシャー)、読まれた週課の解説的勧め。「祝祷」(ベラーカ)、「施し」(ツェダーカー)、貧しい人々を助けるために金銭や物品を捧げる。これが、イエスの時代に行われていた「会堂」での礼拝でありました。
イエスは、この日、会堂で聖書朗読をいたしました。この日の週課(ペリコーペ)は、イザヤ書61章1~2節でした。このイザヤの預言は、救い主の到来を預言し、その恵みを告げるものでありました。
「主の霊がわたしの上におられる。・・・主がわたしに油を注がれたからである。」これは、救い主イエスの洗礼を預言するものです。「主がわたしを遣わされたのは」これはイエスの降誕と宣教への派遣を告げています。
さらに救い主イエス派遣の目的が告げられています。「貧しい人に福音を告げ知らせるため」、「捕らわれている人に解放を、目の見えない人に回復を告げ」、「圧迫されている人を自由にし」、「主の恵みの年を告げるためである。」。
この中の「主の恵みの年」についてお話します。皆さんは、旧約聖書に書かれている「ヨベルの年」(レビ25章)について聞いたことがあると思います。「ヨベル」とは、雄羊のことですが、「ヨベルの年」は雄羊の角笛を吹き鳴らして始まる解放の年です。50年ごとに訪れる「ヨベルの年」は、奴隷である人は解放されて自由を得、売却した土地や家屋は本来の所有者に戻されます。
イエスは、会堂でこのイザヤの預言を読み終えると、この巻物を係の者に返して席につきました。そこにいた人々はみな、イエスにこの預言の解き明かし(説教)をするように求めたので、イエスは「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と言って話しはじめました。
旧約聖書に記されている「ヨベルの年」の律法は、実際には実施されなかったようです。50年毎に、貧しさの中で売却された土地や家が元の所有者に返され、身を売った奴隷が自由を得るのが「ヨベルの年」です。よって土地や家屋や人を買う者は、あと「ヨベルの年」まで何年ということを数えて値段を決めていました。やがて人々の間で、「ヨベルの年」が来ても返さなくてもいいのなら土地や家を買ってやろう、奴隷として雇ってやろうとなっていったのでした。
イエスは、故郷ナザレの人々に、空文化されていた「ヨベルの年」の律法が、「主の恵みの年」として実現すると宣言されました。救い主イエスを信じる者は、等しく神の僕とされます。神の僕とされた人々は、救い主イエスの十字架によって共に罪を贖っていただいた者たち、罪を赦していただいたものです。さらに救い主イエスを信じる者は、ともに神の家に住まう者、また永遠の命と神の国の恵みをいただく者たちです。人はそれぞれの現実にあって、救い主イエスの罪の赦しと永遠の命・神の国という恩寵に感謝し、互いに愛し合い仕えあう関係に導かれるのです。救い主のご恩寵に比べうるものはありません。ですから、50年毎の返却や解放などでなく、今、同じ恵みに預かる人々相互に負債を帳消しにするのです。
はじめに、私たちは、それぞれの現実の中で聖書を読み、また聖書から現実を見つめ、そして現実から神の救いのご計画を確信する、今年をそのような年にしたいとお話ししました。この年がどのような日々であるかはわかりません。しかし、どのような試練のなかにあっても、私たちには、教会が備えられており、そこでみ言葉が語られ、救い主イエス到来による赦しと救いの恵みをいただくことができます。
教会において語られるみ言葉とは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」であります。このみ言葉に励まされ、主の年2025年を歩み始めましょう。祝福を祈ります。