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≪次月 4月(2025)礼拝説教要旨 前月≫

2025. 4.27 復活節第2主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。」       (マタイによる福音書28章12節)

 

  「曲げるな 復活の知らせ」    深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。」       (マタイによる福音書28章12節)

 

          「曲げるな 復活の知らせ」      深見 祥弘

 今NHKの朝ドラは、やなせたかし・暢(のぶ)夫妻の生涯を描く「あんぱん」です。やなせたかしは、「アンパンマン」の作者として皆さんもよくご存じでしょう。わたしは、高知で暮らしたことがありますので、出てくる地名や言葉になつかしさを感じます。「アンパンマン」は、1973年、月刊「キンダーおはなしえほん」の10月号として刊行されました。アンパンマンは、困っている人に自分の顔(アンパン)を食べさせるヒーローです。絵本でアンパンマンがまず出会ったのは、砂漠で疲れ果てて動けなくなった旅人です。アンパンマンが自分の顔を食べさせると、旅人は元気を取り戻しました。顔が半分なくなったアンパンマンが次に出会ったのは、森で迷子になりお腹をすかせて泣いている子どもでした。アンパンマンは、その子を背中に乗せて家に連れて帰ります。途中その子に残りの顔を食べさせました。顔のなくなったアンパンマンは、雨にぬれて弱り、工場の煙突に落ちました。しかしそこはパン焼き名人のジャムおじさんの工場で、おじさんに顔を作り直してもらうと、再び人を助けるために飛び立つのでした。

 この絵本が出された頃、ウルトラマンやウルトラセブン、仮面ライダーといった特撮ヒーローが大人気でした。アンパンマンはこうしたヒーローとは対照的であったため、大人たち(幼稚園や保育園、幼児書の業界)から酷評されていました。絵本を作った編集者ですら、やなせさんに「こういう絵本は、これっきりにしてください」と言ったそうです。ところが大人たちの予想に反し、この絵本は子どもたちにくり返し読まれ、擦り切れて手垢で変色するほどでした。以降「アンパンマン」の続編が次々と出版され、ミュージカルやアニメ化されてテレビや映画で放映されました。顔を食べさせることは究極の自己犠牲、つまり死の象徴ですが、アンパンマンの命はジャムおじさんによってよみがえります。一話ごとに死とよみがえりを繰り返すのです。

(梯久美子著「やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく」(文春文庫より引用・参考)
 

 今朝のみ言葉は、マタイによる福音書28章11~15節、イエスの墓を見張っていた番兵たちが、イエスの復活を目撃し、祭司長たちに報告した時のことを書いています。はじめに、兵士たちがイエスの墓を見張ることとなった経緯をお話いたします。金曜日の午後三時、イエスが十字架で亡くなると、アリマタヤ出身のヨセフがその体を引き取り、急いで墓に埋葬し、墓の入口を大きな石で塞ぎました。急いだのは、行動制限のある安息日(金曜日の夕方から土曜日の夕方まで)が近づいていたからです。

 埋葬されて二日目、安息日のことです。祭司長たちとファリサイ派の人々が、総督ピラトのところに来て願いました。「イエスが生きていた時、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを思い出しました。ですから三日目まで墓を見張るよう兵士たちに命じてください。そうでないと、弟子たちが死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』と民衆に言いふらすかもしれません。」するとピラトは、「あなたたちの番兵を遣わして見張らせるがよい。」と言いました。そこで彼らは行って墓の石に封印をし、数人の番兵を置いて昼も夜も交代で見張りをさせたのでした。

 祭司長たちは、イエスを殺す計画をたてそれを成し遂げたのですから、勝利の実感をもってもよいはずでした。しかし彼らにはそれはなく、不安に満たされていました。イエスが「自分は三日後に復活する」と話していたことを思い出したからです。その不安がどれほどのものであったか、宗教指導者である彼らが、安息日に異邦人であるピラトのところに行って願いをしていることから知ることができます。

 三日目、日曜日の明け方、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓に来ました。番兵たちが彼女たちを見て身構えた時、大きな地震が起こり、主の天使が天から降ってきて、墓を塞いでいた石を転がしてその上に座りました。天使の姿は、稲妻のように輝き、衣は雪のように白かったのです。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになりました。この間マグダラのマリアたちは、天使からイエスが復活したこと、ガリラヤでお会いできることを聞き、喜び勇んで弟子たちのところに出かけていきました。

 番兵たちは、しばらくの間、気を失っていましたが、マリアたちが出かけて行った後、気が付き、祭司長たちにその出来事を報告しました。祭司長たちは長老たちと相談し、兵士たちに虚偽の証言をするように命じました。「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」と。 兵士たちの任務は、弟子たちが死体を盗まないように、三日目まで墓を見張ることでありました。それゆえに兵士たちは任務中に寝ることなど許されず、任務を果すことができなければ死罪です。しかし祭司長たちは、番兵たちに虚偽の証言をさせ、任務を果せなかったことの罪を問うことをせず、任務中に寝ていたという不名誉な証言をさせることの償いとして多額の金を与え、身の安全を保障いたしました。こうして番兵たちは、金を受け取り「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」と証言をしたのでした。

 

 2011年3月11日、東日本大震災が起こりました。人々は恐ろしさのあまり震え上がりました。何日か経て、ラジオ番組で「アンパンマンのマーチ」がくり返し流れるようになり、避難所にいた子どもたちがそれに合わせて歌いました。それはラジオ局に、地震で怖い思いをした子どもたちを元気づけるために聞かせてあげたいと、リクエストがくり返し届くようになったからです。「アンパンマンのマーチ」の歌詞はこうです。「そうだ うれしいんだ 生きるよろこび たとえ 胸の傷がいたんでも なんのために 生まれて なにをして 生きるのか こたえられないなんて そんなのは いやだ! 今を生きる ことで 熱い こころ 燃える だから 君は いくんだ ほほえんで そうだ うれしいんだ 生きる よろこび たとえ 胸の傷がいたんでも ああ アンパンマン やさしい 君は いけ! みんなの夢まもるため」です。これをリクエストした人々は、傷ついても、悲しくても、今生きている自分を大事にして前を向こう、そんなメッセージを届けようとしたのです。

 
 祭司長たちは、大国ローマの支配から、この国を圧倒的な力で救うスーパーヒーローの登場を待ち望んでいました。彼らは、誰よりも早くイエスの「自分は三日後に復活する」との言葉を思い起こしていました。そして番兵たちからイエス復活の報告を聞いたのです。

番兵たちがイエスの復活を目撃したのは、彼らにもマグダラのマリアたちと同じように回心への道が開かれていたからです。しかし彼らは、自ら傷つき死に、復活することで救うヒーローを認めることができず、復活の知らせを曲げてしまったのです。

 自分を献げて困っている人を助けたイエスはアンパンマンのようですし、イエスを復活させた父なる神はジャムおじさんのようです。そしてイエスに救われたわたしたちは、今度は自らアンパンマンのようになって人を助けます。そのことで傷つくわたしたちに、新しい命と愛と勇気をくださるのは、復活のイエスです。今、世界はスーパーヒーローの登場を求めますが、本当に必要なのは、人のために自らを献げ傷つきよみがえるヒーローなのです。

2025. 4.20 棕梠の主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになると信じます。・・・キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。

(ローマの信徒への手紙6章8・10節)

 

  「罪に死に、キリストに生きる」    深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになると信じます。・・・キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。

(ローマの信徒への手紙6章8・10節)

 

          「罪に死に、キリストに生きる」    深見 祥弘

 3月5日(水)にはじまった受難節(レント)が終わり、今日は復活祭(イースター)です。皆さん、イースターおめでとうございます。この時は、わたしたちが互いに「イースターおめでとうございます」となぜ挨拶をするのか、イースターの何が「おめでとう」であるかを話してみたいと思います。先ほどローマの信徒への手紙6章を読んでいただきました。この日の聖書日課ですが、ヨハネによる福音書20章1~18節も聖書日課としてしめされています。まず、ヨハネ福音書の復活の出来事を話してみましょう。

 

 日曜日の朝早く、まだ暗いうちにマグダラのマリアが、イエスの墓に来ました。彼女は、イエスと共に過ごしてきた日々を思い起こし泣くために墓に来たのです。マリアが墓に到着すると、墓の入口を塞ぐ石が取り除けてあり、中を覗くとイエスの体がありません。マリアは、ペトロとイエスの愛しておられたヨハネのところに行って、それを告げました。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」(ヨハネ20:2)、ここに「わたしたち」とあります。他にもマリアと墓に来た人がいたということでしょうか。ヨハネ福音書以外の福音書には、女性たちが(マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメが香油を持って)墓に来たと書いています。おや?と思うところでありますが、あまり詮索せず、ヨハネ福音書はマグダラのマリアが一人で墓に来たと書いてあるとして読んでいきましょう。

 ペトロとヨハネが墓に来て、中を見るとイエスの体はなく、体を包んでいた亜麻布が離れたところに丸めて置いてありました。二人は、「異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する」(マルコ10:34)という言葉を理解していなかったので、そのまま家に帰ってしまいました。マグダラのマリアは、また一人になり墓の外で泣いていました。そしてもう一度、彼女が墓の中を見ると、二人の天使がいて「なぜ泣いているのか」とたずねました。マリアが「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」と答えました。このように話していたとき、彼女は人の気配を感じ振り向くと、そこにイエスが立っておられました。イエスが「婦人よ、なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか。」と問われると、マリアはその人が墓を管理する園丁だと思い、「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」と言いました。イエスがこれまでのように「マリア」と言われると、マリアはすぐにイエスだとわかり、「ラボニ」(「先生」)と答えイエスにすがりつこうとしました。イエスは、「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マリアは、弟子たちのところへ行って「わたしは主を見ました」と告げ、復活の主が天の父のもとに上ると言われたことを伝えたのでした。

 

 ローマの信徒への手紙6章でパウロは、人々の洗礼とイエスの死と復活の出来事との深い関わりを述べています。「あなたがたは知らないのですか」、あなたがたはキリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受け、あなたがたはキリスト・イエスの死にあずかるために洗礼を受けたのです。そしてあなたがたは、キリスト・イエスの新しい命に生きるために洗礼を受けたのですと。 以前にも話しましたが、わたしは47年前、21歳の時に洗礼を受けました。当初わたしは、「義侠の洗礼」(義に反するものをくじく)というべきものを受けようとし、とても高ぶった思いでいました。わたしが教会に通いはじめた頃は、まだ学園紛争の余韻のようなものが残っている時代で、その思いとは、漠然とした社会の不義に対するわたしの独りよがりの義の思いであり、キリスト教界の不義に対する独りよがりの義の思いであったように思います。しかしそのようなわたしは、洗礼式で完全に砕かれる体験をいたしました。その日わたしがもくろんだことは、礼拝に少し遅れて行って会堂の後席に座り、洗礼式になったらかっこよく進み出て洗礼を受けようとしたことでした。しかし、後席に座るとすぐに友だちが来て、牧師の説教中ではありましたが、その友に連れられるようにして前席に座ることになりました。こんなはずではなかったと思っていると、体が震えてきてそれを止めることができず、どんな誓約をし、信仰を告白したのか、どのようにして洗礼を受けたのか、まったく覚えていないのです。そのことを振り返ると、自分の義に生きるために洗礼を受けようとするわたしを、キリスト・イエスが洗礼式の場において完全に砕き、洗礼を受けるにふさわしいものにつくりかえてくださったように思えるのです。

 ローマの信徒への手紙を書いたパウロも若き日、迫害を逃れようとするキリスト者を追ってダマスコの近くに来た時、キリストの光に打ち倒され、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」(使徒9:4)との声を聞きました。サウロが「あなたはどなたですか」と問うと「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」と再び声がありました。サウロは光に打たれて目が見えなくなり、人々に手を引かれてダマスコに入りました。イエスは、ダマスコ在住のアナニアをサウロのもとに遣わされました。そしてアナニアは、サウロの上に手を置いて祈り、洗礼を授けたのでした。以来パウロは、キリスト・イエスの伝道者として働きをするようになりました。

 

 「キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたち」、この洗礼とはどういうものなのでしょう。キリストの名による洗礼とは、キリスト・イエスの十字架の死に連なることであり、キリスト・イエスの復活の命に連なることです。

マグダラのマリアは、「わたしの主が取り去られました」、「わたしが、あの方を引き取ります」と言って、主はわたしのもの、これからわたしが墓の(遺体)お世話をしますと言いました。その時イエスは、マリアの背後にお立ちになられましたが、マリアが振り向いてもそこにイエスを見ることはできませんでした。マリアは過去にイエスを見出してゆこうとしますが、そこにイエスはおられません。イエスはマリアの背後に立ちつつ、わたしと共に前を向きなさい、わたしはこれから天の神のもとに行く、あなたは弟子たちのところに行って「わたしは主を見ました」と証言しなさいと言われるのです。こうしてマグダラのマリアは、ひとりよがりのイエスへの思いが砕かれ、キリスト・イエスの復活の証人とし生きる者となりました。パウロもまた独りよがりの義をダマスコで砕かれ、伝道者となりました。そしてわたしも独りよがりの義を砕かれて、こうして牧師として働きをしています。

ここにおられる皆さんも、洗礼を受けてそれまでの自分を砕いていただき(罪に死に)、新しい命と使命(キリストに生きる)をいただいています。「イースターおめでとう」と挨拶しイエスの復活を喜ぶのは、わたしたちの内にすでに「自分の罪(自分の義に生きること)に死に、キリスト(神の義)に生きる」ことが実現しているからなのです。

2025. 4.13 棕梠の主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。

『わたしの家は、すべての国の人の 祈りの家と呼ばれるべきである。』

ところが、あなたたちは それを強盗の巣にしてしまった。」

(マルコによる福音書11章17節)

 

「 最後の一週間 」      仁村 真司教師

< 今 週 の 聖 句 >

そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。

『わたしの家は、すべての国の人の 祈りの家と呼ばれるべきである。』

ところが、あなたたちは それを強盗の巣にしてしまった。」

(マルコによる福音書11章17節)

 

「 最後の一週間 」      仁村 真司

木(棕櫚、なつめやし)の枝が敷かれた道を、「ホサナ(救いたまえ)」と叫ぶ人々の中、子ろばに乗ったイエスがエルサレムに入城しました。紀元三十年の春、ユダヤ教の暦でもっとも神聖な週、即ち過越祭の始まりを告げる日曜日のことです。

こうして始まった「イエス最後の一週間」はキリスト教の暦、教会暦において「聖週間」・「受難週」とされています。そして今日は「受難週」の第一日、「棕櫚の主日」⋯なのですが、今回は主としてマルコ福音書が伝える第二日、月曜日から「受難週」を考えて行くことにしました。

1)

月曜日のイエスの言動は、いちじくの木を呪ったことも(12〜14節)神殿から商人を追い出したことも (15〜19節)大変有名ですが、「受難週の一日」として月曜日が取り上げられることはあまりないと思います。

火曜日もそうです。マルコ福音書の「受難週」の記述中、最も多くが費やされているのは火曜日です(11章27〜13章37節、合計115節)。そして「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」(12章13〜17節)・「やもめの献金」(12章41〜44節)・「神殿崩壊の予告」(13章1〜2節)等よく語られ、よく知られているエピソードの目白押しですが、やはり「受難週の一日」として火曜日が取り上げられることはあまりありません。

「受難週」の"頂点"は言うまでもなく受難日、金曜日です。そしてこの日のイエスは「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみ受け、十字架につけられ、死にて葬られ」(使徒信条)⋯終始、徹底的に、受動的、受け身です。

これに対して月曜日・火曜日のイエスは極めて能動的・積極的です。アグレッシヴとも言えそうで、「受難週っぽくない」・「受難週のイメージと違う」、平たく言えばそういうことなのではないか⋯。それで、私もこれまでに「受難週の一日」としての月曜日、火曜日に目を向けることが殆どなかったのだと思います。ですが、考えてみるとこれはおかしな話です。

三度の弟子たちへの受難予告(8章31節〜、9章30節〜、10章32節〜)からも明らかですが、イエスはエルサレム入城に始まる一週間が「最後の一週間」であることを知っています。弟子たちはわかっていなかったようですが、後の時代にある私たちはわかっている訳です。そして残されたわずかな日々、限られた時間の中で、そうと知った上で、イエスが能動的に、つまり自らの思い・意志から為した行い・語った言葉がある。伝えられている。イエスに従おうとする私たちは当然、それに目を向け、耳を傾けるべき・・・と言うよりも、本来自然にそうする、したくなるはずだと思います。

2)

日曜日にエルサレムに入城したイエスはまず神殿に向かいますが・・・

こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの

様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニ

アへ出て行かれた。(11節)

「もはや夕方になったので」とは、「もはや人影もまばらになったので」ということでしょう。イエスは弟子たち、また神殿の(ユダヤ教社会の最高機関にある)権力者たち等の限られた人たちに対して(だけ)ではなく、広く多くの人々にその言動を示すことを意図していたと考えられます。

そして翌日、最後の月曜日。神殿の境内に入ったイエスは、商人を追い出してから人々に教えます(17節)。前半の「わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである」は「こう書いてあるではないか」と旧約聖書(イザヤ書56章7節)の引用として語られています。後半もエレミヤ書(7章11節)に「・・・この神殿はお前たちの目に強盗の巣窟と見えるか」(七十人訳「・・・わが家は強盗の巣なのか」)とあって旧約聖書の引用と言えなくもない。なのですが、「ところが、あなたたちはそれ(神殿)を強盗の巣にしてしまった」と、イエス自身の言葉として語られています。

ここにイエスが神殿において人々に示したことの核心があります。

鳩の売買や両替等の商行為が強盗だというのではありません。それならば神殿は「巣」ではなく、強盗が行われる「現場」ということになります。

「巣」は、例えば鳥の巣ならそこで親鳥はひな鳥を養います。神殿は強盗を養う、強盗の棲み家・隠れ家だということです。

では、イエスは何のために神殿が「強盗の巣」であることを人々に示したのでしょう。共に神殿を改革する、「宮清め」のためなのか、あるいはそれを人々に託す、そうするように人々を促しているのでしょうか・・・。

今日の箇所の始め、神殿に赴く前のイエスがいちじくの木を呪い(12〜14節)、翌日(火曜日)の朝その木は枯れています(20節)。

おなかが空いているからといって、季節でないのに実がないと腹を立てて木を呪うのは理不尽、大人気ないとも思えますが、それは兎も角として、マルコはいちじくの木の話を二つに分けて、神殿の話を挟み込んで二つの話を関連づけています。

この“サンドイッチ形式”はマルコがよく用いる手法ですが(例えば5章21〜43節)、ここでは葉が茂っていても実のないいちじくの木は、繁栄しているように見えても内実が失われている神殿を現し、イエスが呪ってそのいちじくの木が枯れたことからは、イエスの言動が「宮清め」ではなく、神殿そのものへの厳しい批判であったことが明らかにされます

そしてまた、神殿が「強盗の巣」であることを示したのは人々を、後の時代の私たちをも、導くためであるということが分かりがま

  3)

イエスが批判したのは、直接的には神殿に“巣くう”ユダヤヤ教支配層が神殿を私物化し、神殿税や大量の神殿への献納物で民衆から搾取してぼろ儲けして、持っていない貧しい人は持っているわずかな物まで奪われ一層の窮状に陥るという事態を招いたということですが、これは神殿の「強盗行為」とその結果であって、神殿が「強盗の巣」ということとは違います。

その「強盗行為」にも拘わらず、エルサレムを中心としたユダヤ地方のみならず地中海世界に散在していたユダヤ人たちが神殿による支配体制を支持し、従っていたのは、それが神殿儀礼、即ち神に従うこととされていたからです。「強盗」が神に仕える者として在る、そして神を信じ従おうとする人が、ある人は自発的に「強盗」に加担してしまう、ある人は強制的に加担させられてしまう、神殿が「強盗の巣」・「強盗の隠れ家」とはそういうことだと思います。

ただ、イエスはユダヤ教そのもの、乃至ユダヤ教だけを批判・否定していることにはならないと思います。神殿に依拠するユダヤ教支配層が何よりも腐心したのはローマ帝国にユダヤ人たちの服従を保証することです。それを仕損なえば神殿の存立自体が危うくなります。神殿はローマ帝国の支配体制、「強盗行為」にも協力・協調していたことになります。

このように宗教が、暴力的な支配体制の強化、搾取や抑圧の手助けをしてしまったり、率先して行ってしまった例は当時の神殿に限らず、いくらでもあります。キリスト教はもっと広範囲で長期間だったはずです。

イエスがいちじくの木に言った「今から後いつまでも、お前から食べる者がないように」は、神に従うつもりで「強盗行為」に加担することがあってはならないということでしょう。

ただ、「神殿儀礼」を装う「強盗行為」に気づくのは難しく、加担しない場合には不安や恐怖が生じます。それ故「受難週」、「最後の一週間」、イエスは私たちがイエスと共に歩むように導いているのだと思います。

2025. 4.6 復活前第2主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。             (ヨハネによる福音書19章29~30節)

 

   「成し遂げられた」        深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。             (ヨハネによる福音書19章29~30節)

 

            「成し遂げられた」        深見 祥弘

 4月を迎え、新年度2025年度が始まりました。教会では2025年度に組長・副組長として働きをしてくださる皆様方と、CS教師として働きをしてくださる皆様方の就任式を行います。また新入学の4人の子どもたち若者たちの祝福祈祷を行います。この方々が、何を備えるならば組の皆さんや子どもたちに仕えながら働きができるのか、なにを備えて学びの生活をすればよいのかお話しいたします。

 

 今朝のみ言葉は、ヨハネによる福音書19章25節~37節です。ここには、イエスの十字架の出来事が書かれています。十字架に架けられたイエスは、

十字架のそばに立っている母と母の姉妹、弟子のヨハネ、クロパの妻マリアとマグダラのマリアを見ました。イエスは母とヨハネを見て、母に「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言い、ヨハネに「見なさい。あなたの母です」と言いました。(このことの後、ヨハネはイエスの母マリアを自分の家に引き取りました。) イエスが「渇く」と言われると、人々は海綿にぶどう酒をいっぱい含ませヒソプにつけて差し出しました。イエスはそれをお飲みになられると、「成し遂げられた」と言って息を引き取られたのでした。安息日が近づく中、ユダヤ人たちは総督ピラトに十字架に架けられた者たちの取り降ろしを願いました。まず犯罪人二人の体を降ろそうとしましたが、まだ息があったので足を折り絶命させてから降ろしました。イエスはすでに死んでいたので、それをすることはありませんでしたが、兵士の一人が槍でわき腹を刺すと血と水が流れ出ました。これを目撃した者は、イエスの死が確かであることを証しいたしました。

 イエスが母を「婦人よ」お呼びになられたと話しましたが、思い起こすのは、同じヨハネ福音書2章1~11節「カナの婚礼」の話です。

婚宴の手伝いをしていた母マリアがイエスに「ぶどう酒がなくなりました」と言うと、イエスは「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と答えました。母マリアにとっては他人行儀な言葉であり、また冷たい言葉のように聞こえます。しかしそうであるならば、この後のぶどう酒の奇跡はおこらなかったはずです。「わたしとどんなかかわりがあるのです」この言葉は、どうやら「わたしとあなたにとって、(そのことが)どうしたというのです」、「大丈夫、心配するな」という意味の言葉です。この後、マリアが召し使いたちに「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言ったことも考え合わせると、マリアがイエスに「ぶどう酒がなくなりました」と信頼をもって告げ、イエスが「心配せずに待っていなさい。時がくればわたしがいいようにするから」と答えておられることがわかります。間もなくイエスは水をぶどう酒に変える奇跡を行われました。イエスが召し使いたちに石の水がめ6つに水をいっぱい入れるように命じ、その水をぶどう酒にしてくださいました。そのぶどう酒は世話役が驚くほどの良いもので、婚礼の宴はさらに喜びと祝福に満ちたものになりました。

 結婚式、それはわたしたちの人生において最も華やかな場面、喜びと希望に満ちたときです。新郎・新婦、また家族や友人は、この時のために十分に準備をいたします。にもかかわらず、婚宴の途中でぶどう酒がなくなってしまいました。カナの婚礼の話は、わたしたちの人生になぞらえて考えることもできます。わたしたちの人生は、どんなに華やかで喜びと希望に満ちたものであっても、やがて尽きる時(死)を迎えます。わたしたちがどんなに備えをしても、その時を迎えるのです。

 

 ヨハネによる福音書19章には、十字架の出来事が書かれています。イエスは十字架のそばにいた母マリアに「婦人よ」と呼びかけ、「渇く」といって酸いぶどう酒で渇きを癒し、「成し遂げられた」と言って息を引き取られました。19章26節、ここにイエスがカナの婚礼の際に用いた「婦人よ」という言葉が出てきます。十字架上のイエスは、母マリアに「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と愛弟子ヨハネを示し、ヨハネには「見なさい。あなたの母です」と母マリアを示しました。これは十字架のイエスによって与えられる新しい関係をあらわしています。カナの婚礼での出来事は、イエスと人々の新しい関係の始まりの時でありました。なくなったぶどう酒は、人が備え築いてきた関係が死をもってなくなってしまうことを知らせ、よいぶどう酒は十字架のイエスがあたえてくださる新しい命を告げているのです。ですから「婦人よ」という言葉は、冷たい言葉ではなく、新しい命と交わりをあらわす愛に満ちた言葉であることに気づかされます。

 またカナの婚礼と考え合わせて気づかされることは、イエスが「渇く」と言われ、差し出された酸いぶどう酒をお飲みになられたことです。先ほども申しましたが、わたしたち人間はぶどう酒(肉の命)を切らしてしまう者です。そしてわたしたちが用意できるのは、酸いぶどう酒であったりします。十字架のイエスは、人が準備した酸いぶどう酒をお飲みくださり(裁きの杯)、「成し遂げられた」と言って息を引き取られたのでした。しかしこのイエスの十字架によって、あのカナの奇跡がわたしたち自身の奇跡となります。「成し遂げられた」とは、イエスの働きの初め(カナの婚礼)に示されたことが、ここで実現したと言うことです。「成し遂げられた」と言って息を引き取ったイエスのわき腹を兵士が槍で突くと、血と水が流れ出ました。これはわたしたちの罪を贖う小羊の血と洗礼の水を現しています。これまで人は、一日に何度も石の水がめの水で体を清めることが必要でした。しかしわたしたちは、十字架の主への信仰によって一度限りの洗礼の水に清められ、聖餐のキリストの体なるパンとキリストの血なるぶどう酒によって、新しい命(永遠の命)をいただくのです。

 

 こうしたことから、わたしたちがこころして備えるべきものは、ぶどう酒(肉の命に関わるもの)ではなく、主イエスをお迎えすることであるとわかります。カナの婚礼において、新郎・新婦はそれをいたしました。わたしたちも、やがて尽きる命に不安や恐れを覚えるものですが、そこに主イエスをお迎えいたしましょう。わたしたちの人生はどんなに喜びや希望に満ちていても、必ず終わりの時を迎えます。それは、力に満ちている時であったとしても、突然におとずれることがあります。そのときに、お迎えした主イエスに「ぶどう酒がなくなりました」と伝え、信仰をもって助けを待ちましょう。望ましいことは、「なくなりました」と言うことではなく、「なくなるものです」と共にいてくださる主イエスに日々告白することでしょう。そうするならば主イエスは、「心配するな」とお答えくださり、十字架のもとに集まる人々を示しつつ、平安と喜びと希望を与えてくださることでしょう。 

 この春、新しい生活を始められる方々には、その人生にイエスをお迎えしていただきたいと思います。また十字架のそばに集められ一つとされたわたしたちは、カナの婚礼で示されたことがすでに十字架によって成し遂げられたことに力づけられ、互いに支え仕えあいながら、神の国の宴を多くの人に指し示す働きをなしてまいりましょう。 

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