top of page

≪次月 8月(2023)礼拝説教要旨 前月≫

2023. 8. 27 聖霊降臨節第14主日礼拝
DSC03031.jpg

< 今 週 の 聖 句 >

わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。                        

            (ローマの信徒への手紙14章8節)

 

   「わたしたちは主のものです」     深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。                         (ローマの信徒への手紙14章8節)

 

        「わたしたちは主のものです」     深見 祥弘

 皆さんは、アンコンシャス・バイアス(unconscious bias)という言葉をお聞きになったことがありますか。これは、「無意識の偏見」を意味する言葉で、例えば「性別、世代、学歴などで相手を見ることがある 」、「性別で任せる仕事や役割を決めている」といったことです。アンコンシャス・バイアスは、2010年代に注目されるようになりました。アメリカの大手IT企業において、従業員の「人種」や「性別」の構成比に偏りのあることが明らかになったことがきっかけでした。この企業は「問題の背景にアンコンシャス・バイアスがある」と指摘を受け、それの解消に向けた取り組みを始めました。またこのことが端緒となり、人々の「多様性(ダイバーシティ)」を認め、すべての人に情報や機会などのアクセスを公正に保障する「公正性(エクイティー)」を担保し、人々の多様性を受け入れる「受容・包含(インクルージョン)」を進めていく動きが世界的に広がりました。私たちの身近でも、内閣府男女共同参画局発行「共同参画」(2021.5)に特集「アンコンシャス・バイアスへの気づきは、ひとりひとりがイキイキと活躍する社会への第一歩」(守屋智敬著)という啓発記事が掲載されたり、各企業でもこれをテーマとして研修が行われるようになっています。

(引用資料:内閣男女共同参画局「共同参画」(2021)、「アンコンシャスバイアスとは?職場での具体例とともにわかりやすく解説」 (d’s JOUNAL編集部)

 

 今朝の御言葉は、ローマの信徒への手紙です。この手紙の著者はパウロで、第三伝道旅行(AD55~57年)中、3ヶ月滞在したコリントでローマの教会に宛てて書きました。パウロはこの時、マケドニアとアカイヤの教会の献金を携えて、エルサレムにむけて出発しようとしていました。彼は、かねてより割礼や律法からの自由を説いてきましたが、ユダヤ人キリスト者の中には激しく反発する人々がいました。AD49年頃、エルサレム使徒会議が開かれ、パウロの主張が認められましたが、尚、両者の対立は残ったままでした。そのため彼は、会議で約束した、異邦人教会におけるエルサレム教会の援助を実行することにより、和解と一致を図ろうとしていたのです。パウロは、訪れたことのないローマ教会にも手紙を書き、「わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように」(16:31)祈ってほしいと願ったのです。

 14章1~9節でパウロは、教会の中に律法主義的な傾向をもつ人々と、そのことから自由であろうとする人々がいて、互いに裁き合う問題について書いています。パウロは、ローマ教会の信徒に「信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。」と書きました。「信仰の弱い人」とは、律法的な考え方にとらわれている人(主にユダヤ人キリスト者)のことで、彼らは肉を食べず、特定の宗教的な日を守ることを大切にしていました。この頃、偶像に供えられた肉が業者に払い下げられ、一般の肉に混ぜて販売されていました。信徒の中で、こうした肉を食べることの良し悪しについて、判断が分かれていたのです。まず「何を食べてもよいと信じている人」は、すべてのものは神によって造られたものであり、偶像も実際には存在しないのだから、供えられた肉を食べても問題ないと主張しました。それに対し「野菜だけを食べている人」は、偶像に供えられた肉を食べることは偶像礼拝に参与することになると考えました。(偶像を礼拝する人々は、供えられた肉で祝宴を催した)

 またパウロは、もう一つ「特定の日を重んじる人」と「すべての日を同じように考えている人」の問題についても述べています。それは、教会の中に、ユダヤ教に由来する祝祭日を守ることを大切と主張する人と、そうした日からは自由であるべきだと考える人がいたからです。

 パウロ個人は、「何を食べてもよいと信じている人」「すべての日を同じように考えている人」でした。しかしパウロは、この手紙で自らの考えを主張することをしていません。彼は、信徒において判断が異なるとしても、共通していることは、彼らが自分のためにそうしているのではなく、主のために感謝してそれを行っているのだから、互いに尊敬をはらわなければならないと言います。7節~9節には、「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人はいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。」と書かれています。

 肉を食べる人も食べない人も、特定の日を重んじる人もそうでない人も、

主のためにそうしているのであって、自分のためにそうしている人はいません。それは、「わたしたちは主のものである」という信仰からきているものです。

 同じく、キリストが死に生きた(復活)のは、キリスト御自身のためではなく、すべての人の主となられるためでありました。「主のために生き、主のために死ぬ」というこのキリスト者のあり方と、「キリストが死に生きたのは、すべてのものの主となるため」というキリストのあり方を理解するならば、わたしたちは他のキリスト者を軽蔑したり裁いたりできないはずなのです。パウロは「それなのに、なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。」(10)と厳しく問うています。

 

 アンコンシャス・バイアスの一例、「親が単身赴任中です」と聞くと、まずは「父親」を思い浮かべる。それが「母親」だとわかったとき、「単身赴任という働き方を選択するのは、普通、父親だ」という自らのアンコンシャス・バイアスに気づかず、母親に対して「母親なのに単身赴任?お子さん、かわいそう・・・」といった言動をして、母親や家族を傷つけてしまうことがあるかもしれません。また、性別で任せる仕事を決めつけてしまい、成長やキャリアに影響を及ぼすこともあるかもしれません。アンコンシャス・バイアスの正体は「自己防衛心」です。そこから生まれる言動には、「普通そうだ」「こうあるべきだ」といった決めつけや押しつけが挙げられます。大切なことは、「これは、私のアンコンシャス・バイアスかも?」と、ひとりひとりが意識することです。「これって、私のアンコン?」が、組織全体の共通語になり、互いに自己開示しあえることが、ひとりひとりがイキイキと活躍する社会、多様性を認め合う社会の実現に向けての第一歩となるのです。(引用資料:同局「共同参画)

 初代教会に起こった対立は、明確な信念にもとずくものであることも、また無意識の偏見によるものもありました。パウロが人々の気づきのために示したことは、主が対立する双方の人々を受け入れておられることと、受けいれられた人々がそれぞれ感謝して主のためにそれを行っていること、そして双方が互いに認め支え合うところに主の教会があることでした。

 今を生きる私たちも、罪の気づきのために「これは、私のアンコンシャス・バイアスかも?」と問うことが必要です。主の教会は、「わたしたちは主のものです」と告白するところに、ひとりひとりが生き生きと活躍するところに、そして多様性を認め合うところに実現するのです。 

2023. 8. 20 聖霊降臨節第13主日礼拝
DSC03042 (2).JPG

< 今 週 の 聖 句 >

そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、へブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは日々の分配のことで仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。    (使徒言行録6章1節)

 

「 矛  盾 」          仁村 真司教師

< 今 週 の 聖 句 >

そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、へブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは日々の分配のことで仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。    (使徒言行録6章1節)

 

「 矛  盾 」          仁村 真司

「そのころ、弟子(信者)の数が増えてきて・・・」とサラリとした出だしの使徒言行録6章ですが、これに続いて記されているのは「突然どうしたんだ」、「一体何があったんだ」と言いたくなるような教会内の様子です。

「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有し」(4章32節)、「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。・・・金は必要に応じて、おのおのに分配されていたからである」(4章34・35節)、「使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていた・・・」(5章12節)、「多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった」(14節)。このようにぺトロら使徒を中心に心も思いも一つにして、一つになって発展していた、それが使徒言行録のはじめの5章が伝えるキリスト教、教会です。

それが突然「ギリシア語を話すユダヤ人」とか「へブライ語を話すユダヤ人」とか、どうも教会の中に二つのグループが出来ていたらしい、そしてその一方からもう一方に分配のことで苦情が出た、もしかしたら教会の中で不公平があったのかもしれないとか、そういう話になっている訳です。

どうしてこんなことになっているのでしょうか。

1)

それまで理想的であった教会に突然不協和音が生じた、一枚岩に突然亀裂が走ったということではないと思います。理想的な教会、その発展を伝える5章までにも理想と現実、実際との間に矛盾があったことが窺われる所は結構ありました(例えば5章1〜11節のアナニアとサフィラの話)。

6章になって突然という感じで矛盾と言いますか、教会内でトラブルがあったこと、その内容が具体的に記されているのは、ルカが使徒言行録を書くに当たって得られた情報・資料が5章までについてはキリスト教の聖なるはじまりの物語として伝説化された話が殆ど、6章からは直接間接に見聞きした「事実」が多くなっているからだと考えられます。

こういったことから突然起こったかように思えるトラブルですが、

そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、"霊"と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカルノ、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。(2~6節)

このトラブルも「十二人」、使徒たちが主導してあっさりと解決、乗り越えられ、キリスト教、教会は、使徒たちを中心に発展して行った・・・。

と、このようになっているのは、エルサレムでペンテコステの出来事から生まれた、使徒たちがはじめたキリスト教が、パウロによって異邦人世界に広く伝わって行った・・・ルカは最初期のキリスト教の歴史をこのように捉えて使徒言行録を記しているからです。が、このような捉え方では捉え切れない、この捉え方とは矛盾する、けれどもキリスト教の歴史上極めて重要な事実も使徒言行録には沢山記されています。それは、主に6章で初めて触れられたギリシア語を話すユダヤ人(ヘレニスト)の働きです。

2)

パレスチナ以外のギリシア語圏で生まれ育って、様々な理由(特に経済活動)でユダヤ人世界の中心都市エルサレムに来ていたのが、ここでいう「ギリシア語を話すユダヤ人(ヘレニスト)」です。

こういう人たちは広い世界を知っています。従来のユダヤ教に留まることで安定が得られる地元の「ヘブライ語を話すユダヤ人」よりもキリスト教に惹かれる傾向が強かったとしても不思議ではありません。また、エルサレムに来る前に、ルカの捉え方からははみ出しますが、エルサレム経由とは別ルートで既にイエス・キリストを伝えられていた可能性もあります。

エルサレム教会にはかなりの数のギリシア語を話すユダヤ人信者がいたと考えられ、そしてまたトラブルを解決すべく選ばれた「"霊"と知恵に満ちた評判の良い人」、七人は、すべてギリシア語を話すユダヤ人です。

これが使徒たちは宗教的指導に専念して、ステファノ以下七人は食事の世話に従事するといった役割分担程度のことではなかったことは例えば8節「さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた」から明らかです。このようなステファノの働きは使徒たちと何ら変わりがありません。(5章12節参照)

こういったことから、本当は当時エルサレム教会内で使徒たちを中心とするヘブライ語を話すユダヤ人信者とステファノたちギリシア語を話すユダヤ人信者の間に軋轢あった、それを教会内に軋轢・対立があったことに触れたくない、教会は理想的、矛盾はないと言いたいルカがこのように書いている、今日の箇所についてそんなふうに考えることも出来ます。

3)

ですが、今日の箇所のポイントは教会内に軋轢・対立があったかなかったかということではありません。

前回見た5章ではイェスについての記述―マルコ福音書6章55〜56節「・・・どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた。村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れたものは皆いやされた」―これに準えてぺトロについて記すことによって―15~16節「人々は病人を大通りに運び出し、担架や床に寝かせた。ペトロが通りかかるとき、せめてその影だけでも病人のだれかにかかるようにした。また、エルサレム付近の町からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れて集まって来たが、一人残らずいやしてもらった」―教会がペトロら使徒を中心にしてイエス・キリストの業を受け継いでいることを示しているのですが、「教会が」というよりもあたかもぺトロー人が受け継いでいるかのようにも受け取れます。

今日の箇所にはこういったのとは別の形で、教会がイエス・キリストの業を受け継いでいる、乃至受け継ごうとしていたことが示されています。

「仲間のやもめが軽んじられている」。今なら「担当の〇〇に言ってください」とか「伝えておきます」・「善処します」で済ましてしまいそうな、あるいは済まされてしまいそうな「苦情」が出たことから教会の使徒や信者が集まって、みんなで考えて、意見を出し合って、そうしてその結果、「"霊"と知恵に満ちた評判の良い人」七人が、十二使徒とは別に実質的には指導者として選ばれた、つまりは教会が大きく変わった。

教会が発足間もない頃から社会的弱者である寡婦の生活支援を行い、それも「教会ではそういうこともしている」という程度ではなく、重要な教会の業として位置付けていたことがわかります。このような働きの根底にイエス・キリストが虐げられていた人たちに関わり続けたこと、その業を教会が受け継がなければないという思いがあったのは間違いないでしょう。

寡婦の生活支援、教会の「一部」で生じたトラブル、矛盾が教会全体の一大事となったのは、本当に教会内に軋轢・対立があったのだとしても、教会がイエス・キリストに従う、その業を受け継ごうとすることについては一致していて、一生懸命だったということを示していると思います。

「そのころ、弟子(信者)の数が増えてきて・・・」とサラリとした出だしの使徒言行録6章ですが、これに続いて記されているのは「突然どうしたんだ」、「一体何があったんだ」と言いたくなるような教会内の様子です。

「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有し」(4章32節)、「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。・・・金は必要に応じて、おのおのに分配されていたからである」(4章34・35節)、「使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていた・・・」(5章12節)、「多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった」(14節)。このようにぺトロら使徒を中心に心も思いも一つにして、一つになって発展していた、それが使徒言行録のはじめの5章が伝えるキリスト教、教会です。

それが突然「ギリシア語を話すユダヤ人」とか「へブライ語を話すユダヤ人」とか、どうも教会の中に二つのグループが出来ていたらしい、そしてその一方からもう一方に分配のことで苦情が出た、もしかしたら教会の中で不公平があったのかもしれないとか、そういう話になっている訳です。

どうしてこんなことになっているのでしょうか。

1)

それまで理想的であった教会に突然不協和音が生じた、一枚岩に突然亀裂が走ったということではないと思います。理想的な教会、その発展を伝える5章までにも理想と現実、実際との間に矛盾があったことが窺われる所は結構ありました(例えば5章1〜11節のアナニアとサフィラの話)。

6章になって突然という感じで矛盾と言いますか、教会内でトラブルがあったこと、その内容が具体的に記されているのは、ルカが使徒言行録を書くに当たって得られた情報・資料が5章までについてはキリスト教の聖なるはじまりの物語として伝説化された話が殆ど、6章からは直接間接に見聞きした「事実」が多くなっているからだと考えられます。

こういったことから突然起こったかように思えるトラブルですが、

そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、"霊"と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカルノ、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。(2~6節)

このトラブルも「十二人」、使徒たちが主導してあっさりと解決、乗り越えられ、キリスト教、教会は、使徒たちを中心に発展して行った・・・。

と、このようになっているのは、エルサレムでペンテコステの出来事から生まれた、使徒たちがはじめたキリスト教が、パウロによって異邦人世界に広く伝わって行った・・・ルカは最初期のキリスト教の歴史をこのように捉えて使徒言行録を記しているからです。が、このような捉え方では捉え切れない、この捉え方とは矛盾する、けれどもキリスト教の歴史上極めて重要な事実も使徒言行録には沢山記されています。それは、主に6章で初めて触れられたギリシア語を話すユダヤ人(ヘレニスト)の働きです。

2)

パレスチナ以外のギリシア語圏で生まれ育って、様々な理由(特に経済活動)でユダヤ人世界の中心都市エルサレムに来ていたのが、ここでいう「ギリシア語を話すユダヤ人(ヘレニスト)」です。

こういう人たちは広い世界を知っています。従来のユダヤ教に留まることで安定が得られる地元の「ヘブライ語を話すユダヤ人」よりもキリスト教に惹かれる傾向が強かったとしても不思議ではありません。また、エルサレムに来る前に、ルカの捉え方からははみ出しますが、エルサレム経由とは別ルートで既にイエス・キリストを伝えられていた可能性もあります。

エルサレム教会にはかなりの数のギリシア語を話すユダヤ人信者がいたと考えられ、そしてまたトラブルを解決すべく選ばれた「"霊"と知恵に満ちた評判の良い人」、七人は、すべてギリシア語を話すユダヤ人です。

これが使徒たちは宗教的指導に専念して、ステファノ以下七人は食事の世話に従事するといった役割分担程度のことではなかったことは例えば8節「さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた」から明らかです。このようなステファノの働きは使徒たちと何ら変わりがありません。(5章12節参照)

こういったことから、本当は当時エルサレム教会内で使徒たちを中心とするヘブライ語を話すユダヤ人信者とステファノたちギリシア語を話すユダヤ人信者の間に軋轢あった、それを教会内に軋轢・対立があったことに触れたくない、教会は理想的、矛盾はないと言いたいルカがこのように書いている、今日の箇所についてそんなふうに考えることも出来ます。

3)

ですが、今日の箇所のポイントは教会内に軋轢・対立があったかなかったかということではありません。

前回見た5章ではイェスについての記述―マルコ福音書6章55〜56節「・・・どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた。村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れたものは皆いやされた」―これに準えてぺトロについて記すことによって―15~16節「人々は病人を大通りに運び出し、担架や床に寝かせた。ペトロが通りかかるとき、せめてその影だけでも病人のだれかにかかるようにした。また、エルサレム付近の町からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れて集まって来たが、一人残らずいやしてもらった」―教会がペトロら使徒を中心にしてイエス・キリストの業を受け継いでいることを示しているのですが、「教会が」というよりもあたかもぺトロー人が受け継いでいるかのようにも受け取れます。

今日の箇所にはこういったのとは別の形で、教会がイエス・キリストの業を受け継いでいる、乃至受け継ごうとしていたことが示されています。

「仲間のやもめが軽んじられている」。今なら「担当の〇〇に言ってください」とか「伝えておきます」・「善処します」で済ましてしまいそうな、あるいは済まされてしまいそうな「苦情」が出たことから教会の使徒や信者が集まって、みんなで考えて、意見を出し合って、そうしてその結果、「"霊"と知恵に満ちた評判の良い人」七人が、十二使徒とは別に実質的には指導者として選ばれた、つまりは教会が大きく変わった。

教会が発足間もない頃から社会的弱者である寡婦の生活支援を行い、それも「教会ではそういうこともしている」という程度ではなく、重要な教会の業として位置付けていたことがわかります。このような働きの根底にイエス・キリストが虐げられていた人たちに関わり続けたこと、その業を教会が受け継がなければないという思いがあったのは間違いないでしょう。

寡婦の生活支援、教会の「一部」で生じたトラブル、矛盾が教会全体の一大事となったのは、本当に教会内に軋轢・対立があったのだとしても、教会がイエス・キリストに従う、その業を受け継ごうとすることについては一致していて、一生懸命だったということを示していると思います。

2023. 8. 13 聖霊降臨節第12主日礼拝
DSC03059_edited.jpg

< 今 週 の 聖 句 >

主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。      

                                             

                                                  (ルカによる福音書12章37節)

 

    「主の来臨に備える」        深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。         (ルカによる福音書12章37節)

 

           「主の来臨に備える」        深見 祥弘

 終戦から78年目の夏を迎えています。6日(日)は広島原爆の日、9日(水)は長崎原爆の日、そして今週15日(火)は終戦記念日です。6日、平和記念式典・平和宣言で松井一実市長は、5月に開かれた主要7ヶ国首脳会議で発表された核軍縮を巡る首脳声明「広島ビジョン」に触れ、「核抑止論は破綻している」と述べ、各国の為政者に核抑止論から脱却するように呼びかけました。「・・・(核軍縮に関するG7首脳広島ビジョンで)各国は、核兵器が存在する限りにおいて、それを防衛目的に役立てるべきであるとの前提で安全保障政策をとっているとの考えが示されました。 しかし、核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取り組みを早急に始める必要があるのではないでしょうか。・・・日本政府には、被爆者をはじめとする平和を願う国民の思いをしっかりと受け止め、核保有国と非核保有国との間に現に生じている分断を解消する橋渡し役を果たしていただきたい。そして、一刻も早く核兵器禁止条約の締結国となり、核兵器廃絶に向けた議論の共通基盤の形成に尽力するために、まずは本年11月に開催される第2回締結国会議にオブザーバー参加していただきたい。・・・」(平和宣言、毎日新聞8/7)

 

今朝の御言葉は、ルカによる福音書12章35~48節です。イエスは、弟子たち(キリスト者)に終末への備えについて教えるため、4つのたとえを話されました。35~38節は「腰に帯を締め、ともし火をともして主人の帰りを待つ僕のたとえ」、39~40節は「泥棒を警戒する家の主人のたとえ」です。さらに42~46節は「忠実な管理人と不忠実な管理人のたとえ」、47~48節は「鞭打たれる者のたとえ」です。加えて41節には、ペトロの質問を入れています。

 まず35~38節は「腰に帯を締め、ともし火をともして主人の帰りを待つ僕のたとえ」です。この家の主人は、今、婚宴に出かけていて、すでに夜も遅くなっています。そしてこの家の僕たちは、いつ主人が帰って来てもいいように、ともし火をともし、また腰に帯を締めて主人が帰ってきたときにすぐに足を洗ったり、からだを拭いたりできるように準備をしています。ついに主人が帰ってきて戸をたたきました。僕たちは、すぐに戸を開け、主人を迎え入れて、準備していた奉仕をいたしました。その後、驚くことに、主人が腰に帯をしめて、僕たちを食事の席に座らせ給仕をしてくださったのでした。

これはたとえです。家の主人とは主イエスのことで、今は天の父なる神の元におられますが、やがて再臨されます。その再臨に備えて待っている僕たちとはキリスト者のことです。主が再臨し終末を迎えたとき、主の再臨を信じその備えをしていた者は、神の国の食卓につかせていただくのです。

終末について書いているヨハネ黙示録3章20節には、「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」と書いています。

 次に39~40節「泥棒に警戒する主人のたとえ」です。泥棒は、思ってもみない時に来て、大切なものを持ち去ってゆきます。家の主人は予断や油断を除き、備えをしておかねばなりません。このたとえは、主イエスが人にとって思ってもみない時に来ると警告しています。しかし、そのことを知り備えている者には、主の来臨の時がわかるとも言っているのです。テサロニケ第一5章1節以下にこのよう言葉があります。「兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。盗人が夜やってくるように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。・・・しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。・・・あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。・・・わたしたちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう。」

 第3のたとえは、42~46節「忠実な管理人と不忠実な管理人のたとえ」です。主人は、僕たちのために「管理人」を立てて旅に出ました。管理人の務めは、僕たちに時間どおり食べ物を分配することです。主人が帰って来た時、管理人が忠実に務めをはたしているならば、主人はこの管理人にさらに重要な務めである主人の全財産の管理をまかせます。しかし管理人が主人は当分の間、帰ってこないと思い、僕たちに食事の準備をさせて自分だけで飲み食いをしたり、気にいらない者を殴りつけたりしていると、主人が思いがけない時に帰って来て、この不忠実な管理人は厳しい罰を受けることになります。

このたとえにおいて主人とは主イエスのこと、召し使いとはキリスト者のこと、そして管理人とは教会の指導者のことです。指導者は昇天の主イエスより、キリスト者に仕える務めを委ねられました。指導者は忠実にその務めをはたす者もいますが、キリスト者の上に立って横暴である者もおりました。忠実であった指導者は神の国においても大切な御用をはたすこととなりますが、不忠実な指導者は厳しい裁きを受けることになります。

 最後の47~48節は「鞭打たれる者のたとえ」です。僕(キリスト者)である者、管理人(指導者)である者には、再臨への備えをすべて任されています。主の思いを知りながら何の準備もせず、また主の思いのとおりにしなかった者は、厳しい裁きを受けることになるのです。

 

 キリスト教の歴史観は、天地創造から終末・神の国に至る直線で、始めがあり、そして終わりがあります。神によって造られた世界は、永遠に存続するわけではなく、やがて主イエスが再臨され、審判によって救われる者とそうでないものに分けられます。神の願いは、すべての人の救いと神の国の実現であり、神は人々の罪を贖うために愛する御子イエスを遣わし、十字架におかけになられました。

 米国の原子力科学者会報「Bulletin of the Atomic Scientists」は、今年1月記者会見をひらき、「人類最後の日」までの残り時間を象徴的にしめす「終末時計」について、「残り90秒」と発表しました。昨年よりも10秒少なくなりました。理由は、ロシアによるウクライナ侵攻に関連してロシアが核兵器の使用を示唆していることや、ウクライナの原子力発電所から放射性物質が放出される危険があることなどです。さらに中国の核軍拡、北朝鮮による核ミサイル開発、イランにおける濃縮ウランの備蓄の継続、インド・パキスタンにおける核を含む軍事力の増強などです。その他にも世界規模の気候変動や感染症のリスクなど、世界は前例のない危険な状態にあると強く警告いたしました。

  神の計画である主の再臨によってもたらされる終末と救いと、人のもくろみと罪が生み出すサタンによる終末と滅びとが対峙しています。わたしたちキリスト者は、信仰と愛を胸当てとして身に着け、救いの希望を兜としてかぶり、主の平和の実現と救いの勝利を信じ、互いに仕えあい愛し合うことで目を覚まし、身を慎しんで主イエスの到来を待ちたいと願います。

2023. 8. 6聖霊降臨節第11主日礼拝
DSC02998 (2).jpg

< 今 週 の 聖 句 >

彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」     

                                         (ルカによる福音書10章27~28節)

 

           「隣人になる」    深見 祥弘​牧師

< 今 週 の 聖 句 >

彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」      (ルカによる福音書10章27~28節)

 

           「隣人になる」        深見 祥弘

 平和聖日のこの時、神学者カール・バルトを紹介することから始めたいと思います。彼は、1886年スイスのバーゼルに生まれました。ドイツで神学を学び、若き頃は労働問題に取り組み「赤い牧師」と呼ばれました。自由主義神学に傾倒しますが、自由主義神学者が第一次世界大戦を支持したことに失望、ブルームハルト父子の「神の国」使信に影響を受け、33歳の時「ロマ書講解」(1919年)を執筆しました。彼はローマの信徒への手紙を読む中で、既存の枠組みの中で権力に反抗したり、現実の世界から悪を取り除いて神の国の領域を切り開いたりするのでなく、現実の問題と正面から向き合い、既存の枠組みを解体し新しい世界を創造することが神の国を実現するキリスト者のあるべき姿であること、そして聖書こそがそれを促す「神の言葉」にほかならないことに気づきました。バルトの「神の言葉の神学」です。彼は、それ以降、神学教師となり、ゲッティンゲン、ミュンスター、ボンの大学で働きをいたします。

 1931年、バルトは台頭してきたナチス勢力に反対の意志表明をするため、社会民主党に入党しました。ナチスは、キリスト教会全体を支配下に置くため、ナチスを支持するキリスト者集団「ドイツ・キリスト者」を結成し、ドイツ国内の多数の教会は、ナチスを支持しました。1933年、ナチスが政権を取ると、大学の講義においても、ヒトラーへの敬礼をもって始めることが求められました。しかしバルトはこれを拒否し、神への祈りをもって講義を始めました。同年9月、ルター派、改革派、合同教会の諸教会によってドイツ福音主義教会が設立され、ナチスに抗して立ち上がり、これにバルトも参加しました。同教会は、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」(出エジプト20:3)という十戒の言葉を中心に、キリスト教会は国家に仕えるのでなく神だけに仕えるべきこと、聖書(神の言葉)が人間の危機を克服するための唯一の導き(道)であるとしました。1934年5月、ドイツ福音主義教会第一回告白会議が開かれ、キリスト中心の信仰を告白する「バルメン宣言」を採択しました。この宣言の草稿を作成したのは、バルトでした。内容は、ナチズムに対する不服従の告白と、「ドイツ・キリスト者」の信仰からの逸脱を指摘するもので、そのことから同教会は「告白教会」と呼ばれるようになりました。多くの牧師が逮捕殺害され、集会の禁止、出版物の押収、教会の破壊がなされ、その後は地下に潜るかたちで抵抗運動を続けました。この抵抗運動は「ドイツ教会闘争」(1933~1945)と言われます。1934年11月、バルトはヒトラーへの忠誠を拒否したことから教壇に立つことを禁じられ、翌年には大学を追放されました。しかし彼はスイスのバーゼル大学に招かれ「反ユダヤ主義は聖霊に対する罪である」と主張し、ナチスの支配が終わるまで「ドイツ教会闘争」を支えました。

 戦後バルトは、冷戦下にあって東西の和解のために、そして教会一致のために働きをいたしました。また核武装に対する反対声明を出しました。彼の主著は「教会教義学」で、1932年から亡くなる1968年まで書き続けられました。一万ページに及ぶ大著ですが、これは未完です。バルトは「すべての人間のすることは、予備的な仕事でしかない」とし、神こそが完成させてくださると考えました。彼の生涯を支えたのは、聖書を通して語られる「神の言葉」でありました。(岩波キリスト教辞典「バルト」天野有 参照)

 

それでは、わたしたちも聖書を通して「神の言葉」を聞きましょう。御言葉は、ルカによる福音書10章25~37節です。律法の専門家がイエスに「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」と尋ねました。イエスが「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると「『あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」と答えました。イエスは「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」と言うと、彼は「では、わたしの隣人とはだれですか。」と尋ねました。そこで、イエスは、このような話をされました。ある人(ユダヤ人)が旅の途中、追いはぎに襲われて、服をはぎとられ、大けがをして道に倒れていました。そこを祭司が通りかかり、倒れている人を見ましたが、道の向こう側を通って行ってしまいました。次にレビ人がやってきましたが、彼もまたこの人を見ると、道の向こう側を通って行ってしまいました。彼らは、「隣人を自分のように愛しなさい」との律法をよく知っているユダヤ教の指導者でありましたが、見て見ぬふりをして行ってしまったのです。 次に来たのは、ユダヤ人がさげすみ、つき合いをしなかったサマリア人でありました。この人は、倒れている人を見ると憐れに思い、近寄って来て傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばにこの人を乗せ、宿屋に連れて行って介抱しました。翌日、サマリア人は宿屋の主人に、けがをしたその人のために費用の支払いをして介抱を願いました。さらに帰りにもう一度ここに立ち寄るので、費用がかかったならば、それも支払いますと言って出かけました。イエスが、律法の専門家に「この三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と尋ねると、律法の専門家は、「その人を助けた人です」と答えました。イエスは「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われました。

 

 この「善いサマリア人」の話はたとえです。話の中で傷つき倒れている旅人とは、わたしたちのこと、祭司・レビ人とは、わたしたちがつき合いをしている隣人のことです。またサマリア人とは、イエス・キリストのことです。自分で自分を守ることができず、隣人からの助けを求めることもできないわたしたちが、思いがけない人(サマリア人すなわちイエス・キリスト)によって、思いがけない仕方(手当て、介抱、宿賃すなわちイエスの苦難と十字架)によって助けられ命を救われるのです。これまで、自分には関係のない方、敵のように思っていた方でありましたのに、イエス・キリストはわたしのためにご自身をささげて十字架にかかり、復活し、天に登り、再び来てくださるのです。イエス・キリストがわたしの隣人になってくださり、助けてくださったことに感謝するとき、この感謝に押し出されて、自らも「隣人になる」ことができます。自らの愛の限界を突き破り、新しい世界(神の国)の創造の業に加えられ、永遠の命をいただくのです。

  カール・バルトの生きざまは、今の世界にあって、わたしたちがキリスト者として生きることに多くの励ましを与えてくれています。バルトが体験したように、イエス・キリストはわたしたちに対しても隣人になってくださり、十字架と復活と再臨によって、新しい世界の創出(神の国)へと招いてくださいます。「神を愛し、隣人を愛せよ」との神の言葉と、イエスがわたしの隣人となってくださった行為により、わたしたちもまた今を生きる人々の隣人となることができるのです。イエス・キリストによらなければ、わたしたちは「隣人になる」ことができません。主の言葉に従い、行って「隣人になる」ことによって、神の計画であるイエス・キリストによる神の国の実現に、参与させていただくことができるのです。

bottom of page