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≪次月 1月(2024)礼拝説教要旨 前月≫

2024. 1. 28 降誕節第5主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。

さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と行った。そこは寂しい道である。

(使徒言行録8章25~26節)

「 転 機 」           仁村 真司教師

< 今 週 の 聖 句 >

このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。

さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と行った。そこは寂しい道である。

(使徒言行録8章25~26節)

「 転 機 」           仁村 真司

ある過去の、大抵は大変な出来事について「転機が訪れた」とか「あれが転機となった」という言い方がされます。ですが、転機となるかもしれない、転機と成り得る出来事はいつもある、訪れているのだと思います。そして、それが転機となるかどうかは、どのように受け止め、それをきっかけに変わる、どのように変わって行くのかに拠る所が大きいと思います。

ステファノの殉教、それに続いて起こったエルサレムでの迫害は初期のキリスト教・教会の歴史において大きな転機となりました。この出来事により教会は大きく変わります。今朝は使徒言行録8章全体を視野に入れて苦難・危機がどのようにして教会の転機となって行ったのか、教会がどのように変わって行ったのか、これらについて考えて行きます。

  1)

・・・その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリア地方に散って行った。(8章1節)

「使徒たちのほかは皆・・・散って(散らされて)行った。」さらりと書いてありますが、ここから極めて重大な事実を窺い知ることが出来ます。

教会の信者には「ヘブライ語を話すユダヤ人」と「ギリシア語を話すユダヤ人(ヘレニスト)」がいましたが、「教会に対する大迫害」 と言っても迫害されたのはステファノやフィリポたちを中心としていたヘレニスト信者のグループだけで、ペトロたち使徒を中心とした「ヘブライ語を話すユダヤ人」信者のグループは全く無傷、無事であったということ、そして教会全体の、全ての信者の指導者である(はずの)使徒たちは、使う言葉は違っても、同じく教会の信者であるヘレニストたちが命を失う程の迫害を受けている時に何もしなかった、おそらくは翌日も文字通り何事もなかったかのようにそれまでと同じ活動を続けていたということです。

ステファノの殉教も教会に対する大迫害も、少なくともこの時点では教会の転機、教会の全体が変わるきっかけにはなっていません。それはこの重大な出来事をペトロたち使徒(教会の指導者)がしっかりと受け止めようとしていなかったからだと思います。

  2)

さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。(4〜5節)

ここにもさらりとですが、重大な事実が書いてあります。

ペトロたち使徒が大迫害の翌日も何事もなかったように続けていたそれまでの教会の活動は、エルサレムに腰を下ろし、主に日々神殿の境内に集って、そこに来る人たちにキリスト教を伝えるというものでした。ですが、迫害によってエルサレムから散らされたヘレニスト信者たちは、それが転機となり・・・と言うよりも、それを転機として、積極的に他の土地にキリスト教を伝えて行くようになったということです。

伝道・宣教と言うと、いろいろ所に出かけて行って、広くイエス・キリストを宣べ伝えることがまず思い浮びますが、そのような活動をはじめたのは使徒言行録の記述に拠れば、実はイエスの直弟子であった使徒たちではなく、ヘレニスト信者たちだったということになります。

そのような中でフィリポ(一人ではなかったと思いますが)はサマリアの町に下って行って(東京から離れて行くのが「下り」なのと同じで、エルサレムからならどこへ行くのも「下り」ということです)、キリストを宣べ伝えますが、他の土地に行って伝道する、それもサマリアの人々に伝道するということは、教会の指導者、ペトロたち使徒には全く思いもよらない、在り得ないことだったと思います。

ユダヤ人一般がサマリア人に対して差別的偏見に基づく意識を持ち、サマリアの人々を敵視していたことはよく知られています。

イエスがサマリアの人々に対してそのような意識を持っていなかったことは(ルカ福音書10章25〜37節の「追いはぎに襲われた人を助けたサマリア人」のたとえ話等からも)明らかですが、初期のユダヤ人キリスト者、そしてイエスの直弟子であった使徒たちのサマリア人に対する意識は一般的なユダヤ人と同じ、大差なかったと考えられます。

例えば、マタイ福音書にはイエスが弟子を派遣するにあたり「サマリア人の町に入ってはならない」と命じたとありますが(10章5節)、勿論これはイエスのではなく、マタイ福音書を書いた初期のユダヤ人キリスト者たちのサマリア人に対する意識の現れです。

そして弟子(使徒)たちはと言うと、ルカ福音書9章51〜55節・・・

イエスは天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。

弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ばしましょうか」と言った。イエスは振り向いて二人を戒められた。そして、一行は別の村に入った。

しかしながら、今日の箇所の14〜15節では・・・

エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。

ペトロと共にサマリアに赴き、聖霊を受けるように人々のために祈ったのは、かつて「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼ら(サマリアの人々)を焼き滅ぼしましょうか」と言った二人の内の一人、ヨハネです。

ペトロとヨハネがサマリアに行ったのは「人々は(フィリポから)主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったから」(16節)、つまりフィリポの働きだけでは不十分だったからとされていますが、私はここには使徒たちが乗り越えられなかった、乗り越えようともしなかった「壁」、サマリア人への偏見を乗り越えるきっかけ、転機が、迫害によってエルサレムから散らされたヘレニスト信者の働きによってもたらされたということが示されていると考えています。

  3)

この後ペトロとヨハネはエルサレムに帰って行きますが、フィリポは天使の言葉「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」に従って、すぐに出かけて行きます(26〜27節)。

そうしてフィリポはエチオピア人の宦官に出会い、洗礼を授けることになるのですが、このフィリポの働きも二つの意味でこの時の使徒たちには在り得ないこと、「壁」の向こう側での出来事であったはずです。

エチオピア人は「異邦人」です。そしてまた宦官は会衆に加わることができない(ユダヤ教徒になれない)とされています(申命記23章2節)。

使徒たちにとって、ユダヤ教律法によって疎外されている人々への偏見、差別的意識、「壁」を乗り越えることが如何に困難なことであったかはこの後の使徒言行録の記述の随所からも察することができますが、フィリポは、ヘレニストたちは、この「壁」を物ともせずに、いろいろな所で、様々な人々にイエス・キリストを宣べ伝えて行きます。そして、その働きによって拓かれた道筋を使徒たちがたどって行く、実質的にはそのようになって行きます。ステファノの殉教・教会への迫害は、ヘレニストたちの働きによって教会が変わり、キリスト教が広がる転機となったということです。

2024. 1. 21 降誕節第4主日礼拝(講壇交換礼拝)
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< 今 週 の 聖 句 >

 「わたしたちはこのようなことをしていてはならない。この日は良い知らせの日だ。わたしたちが黙って朝日が昇るまで待っているなら、罰を受けるだろう。さあ行って、王家の人々に知らせよう。」  (列王記下7章9節)

 

「 再 生 へ 」      松下 道成牧師(洛陽教会)

< 今 週 の 聖 句 >

 「わたしたちはこのようなことをしていてはならない。この日は良い知らせの日だ。わたしたちが黙って朝日が昇るまで待っているなら、罰を受けるだろう。さあ行って、王家の人々に知らせよう。」  (列王記下7章9節)

 

「 再 生 へ 」         松下 道成

 今日の箇所は再生の話し。列王記下は国の復興の希望を預言者エリシャの姿に見ている。単に国の再興の話しではなく、イスラエルという信仰共同体、人間の再生への物語。そこには、いくつかのポイントがある。①「神は存在するのか?」 福音とは、神は存在するのかどうか?という話。ただし、世界には 病、愛するものの死、災害、飢え、争い、エゴ、貪欲、憎しみ、戦争がある。まさに死の文化であり、死の世界。だれが本当に神は存在していると信じえようか?②「神の結論」 その世界に徴税人レビは生きていた。レビは救いから最も遠く離れた人であると考えられている。レビだけではない。障がいがある人、重い病気を患った人、貧しい人、差別される人みんな同じく「罪人」というレッテルを貼られて生きている。しかしそのレビのもとに、イエスはまず来られた。それが神の結論。人の結論ではありえない。人の目には、途切れてしまったと見えるところに、神は我と共に歩んでいく道を確かにおいてくれる。③「すべての逆転」 だからすべての逆転が始まっていく。見えていると思っていた者が、本当は何も見えていないことを知らされる。それは、主が誰より低く小さくなって共に歩いて下さるから。④「贖いと再生」 それを私たちは主の贖いと呼ぶ。この社会にあって、主を拒絶し、無視し、主に敵対する私たちのために、主は十字架についてくださる。それが、福音の中心であり、霊の力である。死の文化で、人が新たにされ、生きていく。それは単に、穢れが清められ、病が癒され、物質的なことが満たされる、そういうことをはるかに超えた、再生していく世界であり、まさしく神の国の到来。⑤「福音」 救いは、人々に疎外され外にあった人から伝えられる。未来を自ら外に切り開こうとする人によって。救いは、自分は安全、正しい、これだけした、という枠の内には収まらないのだから。そして、十字架のイエスに出会うものは、その良き知らせを他者に伝えないわけにはおられない。たとえ自分を迫害し、差別した相手であったとしても。教会に伝統というものがあるなら、そういう喜びの福音を受け継いできたのだということ。レビの話は今日の箇所とは切り離すことは出来ない。他でもない、私たち自身が、レビを通して主の食卓に招かれているのだから。再生という福音の輪の中に。そして死の文化はこうやって命の文化に飲み込まれていく。それが神の国であり、それが、あなたが受け継ぎ、誰かに伝えようとしている、新しい葡萄酒。それを喜び、自らの内に注ぎいれられる 新しい革袋とされるかどうかは、今、私たち一人一人に問われていることだ。

2024. 1. 14 降誕節第3主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と

言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。

(ヨハネ福音書1章46節)

    「来て、見なさい 救い主を」  深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と

言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。

(ヨハネ福音書1章46節)

         「来て、見なさい 救い主を」    深見 祥弘

 「ともかく、教会に連れてきなさい」、若い頃に聞いた先輩牧師の言葉です。これを聞いて、私はすごいなあと思いました。なぜなら私は、教会員が家族や知人を教会に連れてきてくださっても、後を引き受けて信仰に導くことなどできなかったからです。今朝のみ言葉(ヨハネ福音書1章35~51節)から、自分の有り様をもう一度見つめさせていただきました。

 

 バプテスマのヨハネが、イエスに洗礼を授けた翌日のことです。ヨハネは、歩いておられるイエスを見て、二人の弟子(アンデレともう一人の弟子)に「見よ、神の小羊だ」と言いました。二人は、それを聞くとイエスのほうに行き、従いました。イエスが振り返り、彼らの従って来るのを見て「何を求めているのか」と問うと、彼らは「ラビ、どこに泊まっておられるのですか」とたずねました。「来なさい。そうすれば分かる」と言われたので、二人はイエスについていき、イエスの泊まっておられるところを見ました。

 その日二人は、そこに泊まり、帰ったのは翌日の午後四時ごろでした。アンデレは、そのまま兄シモンのところに行き、「わたしたちはメシアに出会った」と告げ、シモンを連れて再びイエスのところを訪れました。イエスはシモンを見て、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファと呼ぶことにする」と言われました。

 

 イエスがシモンと出会った翌日のことです。イエスはシモンとアンデレを連れてガリラヤに向かう途中、フィリポに出会いました。フィリポは、シモン、アンデレと同じ町ベトサイダの出身でした。イエスが彼に「わたしに従いなさい」と言われると、彼は従いました。さらに道中、彼らはフィリポの知人ナタナエルに出会いました。フィリポが「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」と言うと、ナタナエルが「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と答えたので、フィリポは「来て、見なさい」と言いました。

イエスはナタナエルの来るのを見ると、シモンとアンデレに「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」と言われたので、「どうしてわたしを知っておられるのですか」とナタナエルがたずねました。するとイエスは、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われました。ユダヤでは、熱心な信仰者はいちじくの木の下で祈り、瞑想をしたのです。ナタナエルが「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」と答えると、イエスは「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」「天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」(神とイエスの一体性、イエスが神のみ旨・救いを実現する)と言われたのでした。

 

 み言葉から示されたこと三つをお話いたします。

 一つ目は、バプテスマのヨハネとアンデレが、イエスの良き紹介者として働きをしたことです。弟子たちの召命には異なる物語があります。マタイ福音書とマルコ福音書は、イエスが湖で漁をしていたシモンとアンデレに、また湖畔で網の手入れをしていたヤコブとヨハネに「人間をとる漁師にしよう」と呼びかけ弟子にしました。ルカ福音書は、漁を終え、岸で網を洗うペトロ、ヤコブ、ヨハネに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と声をかけ、大漁になった彼らに「今から後、あなたたちは人間をとる漁師になるのだ。」と呼びかけ弟子としました。ヨハネ福音書は、バプテスマのヨハネの弟子アンデレらがイエスの弟子となり、イエスの紹介者として働きをしたことで弟子たちが加えられたと書いています。

 バプテスマのヨハネは、イエスを見ると「見よ、神の小羊だ」と指し示し、二人の弟子をイエスにゆだねました。アンデレは兄シモンに「メシアに出会った」と言い、イエスのところにシモンを連れてきて紹介します。 アンデレは、はじめイエスを「ラビ(教師)」と呼んでいます。教師は「真理」がどこにあるかを知っていますが、「真理」そのものではありません。しかしアンデレともう一人の弟子は、イエスが泊まっておられるところを見たときに、イエスがメシアであり、真理そのものであることを知りました。この時からバプテスマのヨハネの弟子であったアンデレともう一人は、イエスの弟子となり「イエスがメシアである」と人々に証言し指し示す働きをはじめたのです。このようにバプテスマのヨハネは旧約の預言者たちとイエスをつなぐ働きを、そしてアンデレはイエスと愛弟子たち(シモン・ペトロ、ゼベダイの子ヤコブとその弟ヨハネ)をつなぐ働きをいたしました。さらに、フィリポは、イエスと他のイエスの弟子たちをつなぐ働きをするのです。

 二つ目は、イエスの泊まっておられるところとは、どこで、どんなところであったのかということです。イエスがご自分に従ってくるアンデレたちを見て、「何を求めているのか」と問うたとき、二人は「ラビ、どこに泊まっておられるのですか」とたずねました。アンデレは、師であるヨハネが示した「神の小羊」とはどのような御方なのかを知りたいと思い、「あなたはこれまでどこにおられた方なのですか」、「今、どんなところにおられるのですか」、そして「これからどこに行かれるのですか」と問うたのです。「泊まる(メノー)」は、つながるという意味があります。アンデレたちは、イエスの泊まっていたところで、翌日の午後四時までイエスと交わりをもちました。それによって、イエスが自分たちと共にいてくださるために、天の座を捨てて来て下さったこと、今、自分たちと共にいてくださり、つながっていてくださること、そして出てこられた天の国に自分たちの宿泊先を用意し導き入れてくださり、自分たちが死んでも尚、共にいてつながってくださることを知ったのです。

 

 三つ目は、イエスがシモンを見て「ケファ(アラム語の岩、ギリシャ語ではペトロ)」と呼ばれたことです。イエスは後にシモンに対し「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。」(マタイ16:18~19)と告げました。「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16:16)と信仰告白したペトロの上に教会を建てるとは、教会こそが、ご自分の泊るところであり、人々がイエスとつながることのできるところ、そして天の国の入口であると告げられたのです。

 

 「ともかく教会につれてきなさい」、この先輩牧師の言葉を私は誤解していました。教会につれてきたら、「その人をわたしが信仰に導きますから」と言っているように聞いたからです。その人を教会につれてきた人は、イエスを指し示し、メシアに出会ったと証言しました。牧師は、バプテスマのヨハネと同様に、多少なりとも真理のことを知っているかもしれませんが、同じ証言者であり指し示す者にすぎません。「ともかく教会につれてきなさい」、この言葉の意味は、教会には多くの証言者がいて、イエスがお泊りになっておられ、私たちとつながってくださるということです。イエスは、御自分と結ばれた人と共に歩んで下さり、やがて私たちのために天の国の宿泊先を用意してくださるのです。み言葉によって、自らのおろかさに気づかされるとともに、主イエスの業のなんと大いなることかを教えられました。

2024. 1. 7 降誕節第2主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

主に自らをゆだねよ 主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にまかせよ。               (詩編37編4~5節)

 

   「あなたの道を主にまかせよ」   深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

主に自らをゆだねよ 主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にまかせよ。                           (詩編37編4~5節)

 

         「あなたの道を主にまかせよ」     深見 祥弘

 主の年2024年、今日が最初の主日礼拝日です。本年もよろしくお願いいたします。 元旦の日の夕方、能登半島沖で震度七の地震が起こり、大津波警報も発令されました。これによって、輪島市を中心に広範囲の地域で、家屋や社屋の倒壊、津波や土砂崩れ、さらには火災の発生により、亡くなられた方、けがをされた方、家屋や職場を失った方など多数の方々が被災をされました。元旦の夕方、それぞれの家庭では故郷に帰ってきた家族を交えて団欒の時を持とうとしていたことだと思います。年明け早々に人々の平穏が砕かれ、大変な状況でのスタートとなりました。さらに2日には、大きな航空機事故も発生しました。亡くなられた方々の御霊の平安と、おけがをされた方々の癒しをお祈りいたします。また、かけがえのないものを失われた方々の上に、主の慰めが与えられることを願います。私たちの教会では、震災に関して被災された方々の為に祈り、また支援の依頼が届きましたら協力をしたいと思います。

 

 さて明日は、成人の日です。今年新成人となられる方々(1月1日時点で18歳)は、百六万人です。このことを覚えて、詩編37編の言葉に聞いてまいりましょう。詩編37編は、「ダビデの詩」と書かれています。しかしこれは、ダビデがつくった詩ではありません。一人の経験豊かな老人が、若い弟子たちのためになした教えです。なぜなら、25節「若いときにも老いた今も、わたしは見ていない 主に従う人が捨てられ 子孫がパンを乞うのを。」とあるからです。この詩編が書かれたのは、ダビデ王の時代よりずっと後のことで、終末を期待する言葉が出てくることから、バビロン捕囚前後の時代と考えられます。この詩編を「ダビデの詩」としたのは、様々な経験をした老人ダビデが、時を越えて若者に教える言葉とするためでした。

 

 老人が若者に言います。「悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな。」(1)、「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や 悪だくみする者のことでいら立つな。」(7)この詩が作られた時代を思うと、「悪事を謀る者」とはバビロンのことを指しているのでしょうか。それではなぜ老人が「悪事を謀る者のことでいらだつな」と言っているのか。それは、「彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。」(2)からです。今若者が、自らの正義感から、敵に対していらだち、怒りをぶつけるならば、形はちがっても悪事を謀る者と同じく自己絶対化に陥り、罪を生み出すことになります。

 この悪事については、神がこの悪事を謀る者バビロンを用いて、イスラエルの罪を悔い改めに導こうとしておられることを知らねばなりません。イスラエルは、主なる神と他の国の神々を神殿に祭り、これを礼拝することを行っていました。この罪(偶像礼拝)に対する民の悔い改めがなされるならば、バビロンは瞬く間に滅び去ってしまうのです。老人は若者に対して「しばらくすれば、主に逆らう者は消え去る。彼のいた所を調べてみよ、彼は消え去っている。」(10)、「彼に定めの日が来る」(13)、それゆえに神にゆだねよと教えるのです。

 

「主に自らをゆだねよ 主はあなたの心の願いをかなえてくださる。

あなたの道を主にまかせよ」(4・5)  この「ゆだねよ」とは、転がすとか背負うという意味があります。主に背負っていただきなさいと勧めています。

 ある有名な詩を思い起こしました。

            あしあと

  ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、私は砂の上のあしあとに目を留めた。そこには一つのあしあとしかなかった。私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。このことが私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。「主よ、私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。それなのに、私の人生の一番つらいとき、一人のあしあとしかなかったのです。一番あなたを必要としたときに、あなたがなぜ私を捨てたのか、私にはわかりません」主はささやかれた。「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」

(マーガレット・F・パワーズ 1964)

 さて詩編37編を読んで気づかされることは、「地を継ぐ」という言葉がくり返し使われていることです。9節「主に望みをおく人は、地を継ぐ」、11節「貧しい人は地を継ぎ 豊かな平和に自らをゆだねるであろう」、22節「神の祝福を受けた人は地を継ぐ」、29節「主に従う人は地を継ぎ、いつまでも、そこに住み続ける」、34節「主に望みをおき、主の道を守れ。主はあなたを高く上げて 地を継がせてくださる」

この「地を継ぐ」とは、約束の地、神の国を与えてくださることです。

バビロン捕囚でイスラエルの民は、神よりゆだねられた地を失うこととなるが、やがて民は戻ってくる。主がこの地に戻れる日を備えていてくださると望みを持つ者は、ひとたび失っても、再びその地を継ぐものとされる。現実として失ってしまった地を継ぐことができなくても、主に望みをおき従う人は、決して奪われることのない神の約束の地、神の国を受け継ぐことができるとの約束をいただくのです。

 この教えは、主イエスによって山上の説教でも語られることとなります。「柔和な人々は、幸いである、その人たちは、地を受け継ぐ」(マタイ5:5)

 

 この後、讃美歌528番「あなたの道を」を歌います。ドイツの讃美歌作者パウル・ゲルハルト(1607~76)が、詩編37編をおぼえつつ作った讃美歌です。彼はヴィテンベルク近郊に生まれ、ヴィテンベルク大学で学びをいたしましたが、その前半生は30年戦争の渦中にありました。48歳で牧師として働きをするようになり、しばらくしてベルリンの大きな教会に仕えました。しかしルター派とカルバン派の争いに巻き込まれて辞任をし(ルター派の教会の信仰に忠誠を誓ったため)、リュウベンという田舎の教会に赴任をいたしました。また妻は病床にあり、子供は次々に天に召されました。多くの苦しみ悲しみを経験する中で、この讃美歌が作られたのです。
 

 「あなたの道を主にまかせよ。」(5) この年は、震災と航空機事故のニュースで始まりました。ここに集う私たちには、どのような日々が備えられているのかわかりません。でも、「主は人の一歩一歩を定め 御旨にかなう道を備えてくださる。」(23)、このみ言葉に深い信頼を寄せつつ、ゆだねて歩みを進めてまいりましょう。苦しみの時、共に歩んでくださっている主イエスにおぶっていただいてもいいではありませんか。そのようにして、老人と若者が、共に主の教えに聞き、共に信仰に励む詩編の世界を、私たちの教会に創り出してゆきましょう。

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