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≪次月 7月(2023)礼拝説教要旨 前月≫

2023. 7. 30聖霊降臨節第10主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。                

                                                  (ペトロの手紙第一3章18~19節)

 

          「霊たちへの宣教」  深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。

そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って

宣教されました。                   (ペトロの手紙第一3章18~19節)

 

            「霊たちへの宣教」      深見 祥弘

  わたしたちの教会では葬儀の依頼があったとき、どのような方でもお引き受けするようにしています。教会員とそのご家族はむろんのこと、他教会員でもお引き受けいたしますし、教会と関係のある方・ない方を問わず信者でない方であってもお引き受けいたします。すなわち、お申し出があれば、どなたでも葬儀を行わせていただきます。それは、ペトロの手紙第一3章18~19節に書かれている霊なるキリストに対する信仰によるものです。

 それに対して結婚式の依頼は、教会員もしくはキリスト教の信者である方についてはお引き受けいたします。しかし信仰をもたない方については、教会員の家族やお知り合いといった、その方を支え導くことのできる方のおられることを条件にお引き受けしています。

 

 今朝のみ言葉は、ペトロの手紙第一です。この手紙は、ローマ帝国内に広がる諸教会に宛てて書かれた回状で、「公同書簡」と呼ばれる一つです。回覧板のように、この教会で読んだら、次の教会へ回すというふうにしていたのです。この手紙には、イエスの弟子ペトロの名がつけられていますが、ペトロが書いたのではありません。もっと後の時代、紀元90年代、ローマ皇帝ドミティアヌスの治世下のローマで、教会の指導者が、ペトロの名を冠するこの手紙を書きました。皇帝ドミティアヌスはキリスト教会を激しく迫害しましたが、この教会の指導者は、この世で迫害にあっても天に真の故郷を持つ者としてこれに耐え、希望を持って信仰生活をするようにと勧め励ますためにこの手紙を書きました。

今経験している苦しみは、キリストの死の苦しみにあずかることであり、キリストの死が復活に変えられたように、キリストを模範とする自分たちの苦難も、来るべき日にキリストの栄光に変えられると告げているのです。

 

 今朝は3章13~22節を読みました。キリスト者は迫害の中にあっても、善を行うようにと教えています。すなわちキリストの苦しみは、信者の模範であって、人はキリストに倣って生活し、罪に陥ることなく、身をつつしみ生活を送るようにと教えているのです。 

「もし、善いことに熱心であるならば、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。」(13)  「善いこと」とは、神を愛し、隣人を愛することです。善いことを続ければ、神は必ず助けてくださり、終わりの日に、その人を害し滅ぼしうる者は誰もいません。

「しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。」(14) 

イエスが「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイ5:10)と教えられたことを思い起こします。

 「幸いである」と言う理由が、4つあります。まず「心の中でキリストを主とあがめなさい」と書いているように、苦しみはキリストへの信仰を強める機会となります。次に「あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人にはいつでも弁明できるように備えていなさい。」と書いています。あらかじめ準備をする時間があたえられているのです。そして、弁明の時がきた時には、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明することができます。最後に「そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。」とあります。しかし、ののしる者たちが恥じ入るのは、弁明の時ではありません。イエスが大祭司や総督の前で弁明し、十字架に架けられたとき、イエスの言葉に恥じ入った者はいませんでした。それは、終わりの日に起こるのです。

 

 先ほど申しましたが、この手紙が書かれたのは、1世紀末、ローマによるキリスト教迫害がとても激しい時代でした。ローマの町のみならず、教会のある町々においては、キリスト教に反発する人、無関心な人が大部分であったでしょうし、福音を聞いても弱さのために信仰を持つことに躊躇を覚えた人々もたくさんいたはずです。そんな状況の中にあって信仰をまもり、迫害に耐えている信者たちが、自分たちの身近かな者たちの中で、「信仰を持つことなく亡くなった人は、救われるか」という問いをもったのです。その問いに対する答えが、18節以降に書かれています。著者である教会の指導者は、このように書きます。イエス・キリストは、人としてわたしたちのところに生まれ、苦難を受け、十字架に死なれました。それは、正しくないものを神のもとに導くためです。また、キリストは、肉では死に渡されましたが、復活して霊においては生きる者になりました。霊なるキリストが、キリストを知らずに亡くなった人々、反発したり無関心で亡くなった人々、弱さのために信仰を持つことを躊躇したり信仰を捨てて亡くなった人々のいる陰府に行って、宣教するためです。「キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。・・・今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。」(3:18.21) 陰府にいる人々の中には、キリスト以前に亡くなった人々もいます。古い時代のことになりますが、ノアの時代、悔い改めて箱舟に乗るように呼びかけたノアの言葉を聞き入れず、洪水で死んでしまった人々もいます。霊のキリストはこの人々に対しても福音を知らせます。亡くなって陰府にいるキリスト以前の人々、キリスト時代の人々、キリスト登場以降から現在に至るまでの人々、そして現在から終わりの日までの人々に対しても、霊のキリストは捕らえられていた霊たちのところに行って宣教をされるのです。

4章6節をご覧ください。「死んだ者にも福音を告げ知らされたのは、彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためなのです。」

 

 わたしたちは、亡くなった家族や人々に伝道することはできません。できることは、救いのために祈ることです。でも、わたしたちには大いなる希望があります。霊において生きる者となられたキリストが、信仰を持つことなく亡くなった人々のところへ行って、宣教をしてくださると書かれていることです。安心して、キリストにすべてを委ねたいと思います。

始めに、葬儀の申し出があった時には、未信者の方を含めてどなたでもお引き受けいたしますと言いました。霊なるキリストの宣教に対するわたしたちの奉仕として、葬儀を行わせていただきたいのです。

 

 詩編139編を読んで終わります。

「主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。」(1)

「どこへ行けば、あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも 見よ、あなたはそこにいます。曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも、あなたはそこにいまし 御手をもってわたしを導き、右の御手をもってわたしをとらえてくださる。」(7~10)

「どうか、わたしをとこしえの道に導いてください。」(24)

2023. 7. 23聖霊降臨節第9主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。(ルカによる福音書8章1~3節)                     「婦人たちも一緒であった」       深見  祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。

(ルカによる福音書8章1~3節)

 

    「婦人たちも一緒であった」       深見  祥弘

 ルカによる福音書8章1節~21節は、「神の言葉を聞いて行う人=わたしの母、わたしの兄弟・百倍の実を結ぶ人・神の国の人」をテーマとしています。8章1~3節は「イエスの宣教と同行者」について、4節~15節は「種を蒔く人のたとえとその解釈」について、16節~18節は「ともし火のたとえ」について、そして19節~21節は「イエスの母と兄弟たち」について書いています。本来、これらの記事は独立した伝承でありましたが、福音書の著者ルカが「神の言葉を聞いて行う人」をテーマとして書くために、このように集められ編集されました。

 「神の言葉を聞いて行う人」というテーマのためには、まず神の言葉を宣べ伝える者の記事が必要となります。1節には「すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。」とあり、イエスが神の言葉を宣べ伝えていたことを記しています。またこの旅には、十二人の弟子たちと多くの婦人たちも同行いたしました。彼らは、福音を宣べ伝えるイエスに仕えていたのでした。

 この婦人たちの中には、イエスが悪霊を追い出したり病気をいやしたりした人たちもおりました。聖書には、三人の婦人の名が記されています。

 マグダラのマリアは、イエスに七つの悪霊を追い出していただきました。マグダラは、ガリラヤ湖西岸の町で、湖で捕れた魚を塩漬けにして各地に輸出をする活気のある町でした。イエス時代には、湖の周辺におよそ10の町がありましたが、マグダラはその中でも栄えていた町でした。この町の住人であるマリアは、七つの悪霊に取りつかれ、苦しみの日々を過ごし救いを求めていました。そしてガリラヤを巡り伝道していたイエスが、この町を訪れたとき、マリアはイエスと出会い、悪霊を追い出していただいたのでした。以来彼女は、イエスと行動を共にするようになりました。彼女は、社会的には庶民層に属する人であったと考えられます。

 次にヨハナです。彼女は「ヘロデの家令クザの妻」とあります。ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの財政を司る役人で、社会的には上流階級に属する人でありました。そんなヨハナに何があり、イエスに従うようになったのかは不明です。でも彼女には、その社会的な立場を離れてまでも、イエスに従い奉仕することを決めた何かがあったのです。

 もう一人名があげられているのは、スサナです。スサナについて、ここには、何も書いていません。福音書が書かれた頃、スサナという名を聞くだけで皆が、よく知っていたので書かなかったのかもしれません。いずれにしても彼女たちは、イエスと出会い、福音を聞き、その御業によって救われた人々です。この婦人たちは、後の「種を蒔く人のたとえ」で、「良い土地」にたとえられる人、「立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たち」(8:15)として紹介されているのです。

 

 8章1節に「すぐその後」とありますが、その直前の出来事にふれておきましょう。7章36節~50節をご覧ください。ファリサイ派のシモンが、イエスを食事に招きました。シモンは、人々がイエスを「大預言者が我々の間に現れた」(7:16)と言っているのを聞き、自分で確かめようとしたのです。さてシモンが暮らす町には、一人の罪深い女も暮らしていました。彼女はイエスがシモンの家を訪れたと知り、香油の入った石膏の壺を持って出かけてきました。実はこの日、彼女はイエスの話を聞いて、このお方にお委ねしたいとの思いを持つようになっていたのです。シモンの家に入るとイエスは、横になって食事をされました。彼女は、多くの人でごった返す中、身を隠すようにして後ろからイエスの足もとに近づきました。するとこれまでのつらかった日々を思い出して感極まり、涙がイエスの足にこぼれ落ちました。彼女は、失礼なことをしたと動転し思わず自分の髪の毛でその涙をぬぐい、さらにその足に接吻をして、香油を塗りました。

 シモンはこれを見て、イエスが大預言者などではないと思いました。「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」(7:39)。シモンの思いを知ったイエスは、シモンに「二人の負債者のたとえ」を話されました。「一人は500デナリオン、もう一人は50デナリオンの負債があった。金貸しは、返済できない二人を見て、その借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか」(7:42)と問われると、シモンは「額の多い方だと思います」と答えました。イエスは、「そのとおりだ」と言われました。このたとえで、500デナリオンの負債を許してもらった人とは罪深い女のことです。また50デナリオンの負債を許してもらった人とはシモンのことです。二人とも負債者であることに変わりはないのですが、罪の女はその赦しを心から喜び、感謝をあらわしているのに対して、シモンはその罪を自覚せず、また自分は赦されて当然との思いをもっています。イエスはそうしたシモンに「この人を見ないか」(7:44)と言い、次のことを話されました。「私があなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は、涙でわたしの足を濡らし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。・・・赦されることの少ない者は、愛することも少ない」(44~47)そしてイエスは、罪深い女に「あなたの罪は赦された」(7:48)「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」(7:50)と言われました。

 

 この罪深い女は、マグダラのマリアだと考える人がいます。その出来事の「すぐその後」、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラのマリアは、イエスに従い奉仕する生活をはじめました。み言葉の種をいただいた彼女は、くだかれ、その信仰により罪を赦され、イエスと一行に対する奉仕によって、百倍の実を結んだことを証しするのです。さらにこの罪深い女とは、スサンナのことではないかとも考えました。スサンナであるならば、何の説明も必要がないからです。

 「十二人も一緒だった。・・・婦人たちも一緒であった。」とあります。十二人の弟子たちと婦人たちは一緒にいたのです。彼らは、イエスと人々に仕え、自らの救いを行く先々の町や村で証ししたのでした。男が中心であった社会にあって、聖書の中では婦人たちも一緒にいて大きな働きをします。マグダラのマリアは、十二人が逃げ去った後も、イエスの十字架のそばにいましたし、復活の場面にも登場してきます。男と女という区別を超えて、イエスはこの一人一人に出会い、その名を呼んで愛し、共に働きをして神の国の実現のために備えをしてくださるのです。

 ここにいるわたしたち一人一人にも、イエスは同行者を伴って来てくださり、十字架のあがないによって、わたしたちの罪を帳消しにしてくださいます。わたしたちは、イエスに油を注ぎ、この御方が真の王であり救い主であると証ししつつ、神の国をめざす旅を続けてまいりましょう。

2023. 7. 16聖霊降臨節第8主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。

(使徒言行録5章14節)

「 隔たり 」               仁村 真司教師

< 今 週 の 聖 句 >

そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。

(使徒言行録5章14節)

「 隔たり 」               仁村 真司

はじめに前回お話ししたことを振り返っておきます。4章32〜35節。信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のも 

のだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれてい

た。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その

金は必要に応じて分配されていたからである。財産の共有は、キリスト教、教会に限ったことではなく、当時それ程特別、珍しいことではなかったのですが、使徒言行録を書いたルカは、そのような中でも教会は特別、理想的であることをここで示そうとしています。例えば34節、「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった」。これは申命記15章4節「主は、あなたに嗣業として与える土地において、必ずあなたを祝福されるから、貧しいものはいなくなる」、この約束が教会において成就されているということです。なので、ここは新聞等で言えば教会で信者はこんな生活をしていましたという報告記事、ルポルタージュではなくて、大きな活字で「教会は特別、理想の実現」と書いてあるような"見出し"みたいなもので、この後の畑を売った代金を使徒たちの足もとにおいたバルナバや、アナニアとサフィラについての記述が(4章36〜5章10節)、「教会は特別、理想の実現」であることを事実として具体的に伝える"記事"ということになります。

そして5章11節、「教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた」。使徒言行録ではここではじめて「教会」という言葉が使われます。

1)

今日見て行きます5章12〜16節も、4章32〜35節と同様に見出しのような意味合いの箇所です。5章11節ではじめて出て来た「教会」を受けて、単に「こういうことがありました」という報告ではなく、見出しにすれば「教会の発展」、当時の教会が順調に発展していたとルカはここで言っているのでしょう、「・・・多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった」(14節)。ですが、ルカは信者の数が増えていったことだけを捉えて「教会の発展」としているのではありません。15〜16節・・・人々は病人を大通りに運び出し、担架や床に寝かせた。ペトロが通りか かるとき、せめてその影だけでも病人のだれかにかかるようにした。

また、エルサレム付近の町からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れて集まって来たが、一人残らずいやしてもらった。

ここだけ見れば「ペトロによるいやしの奇跡物語」ですが、ルカが伝えようとしているのは、ペトロの奇跡を起こす力であるとか、信仰があれば、教会に行けばいやされるとかいうことではなく、「教会の発展」です。ルカが福音書を記す際に直接的に参照したマルコ福音書にこことそっくりの、ペトロではなくイエスにまつわる記述があります。・・・どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始 めた。村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れたものは皆いやされた。 (マルコによる福音書6章55〜56節)

ルカ福音書にも似た記述があります。・・・大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、またティルスやシドンの海岸地方から、イエスの教えを聞くため、また病気 をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。(ルカによる福音書6章17〜19節)

かつて、イエスが中心となって、イエスに従って弟子たちが活動した。今、ペトロが中心となって、イエスのようにいやしの奇跡を行い、使徒たち(イエスの直弟子たち)が活動している。そして、イエスを求めて多くの人々がやって来たのと同じように、教会に人々が集まって来ている・・・。

ルカはぺトロ(と他の使徒たち)の働きをイエスの働きに準えて表現することによって、教会がイエス・キリストのこの世における働きを受け継いでいることを示し、それを「教会の発展」としていると考えられます。

2)

出来たばかりの教会の"勢い"が感じられる⋯ような気もする今日の箇所ですが、幾分引っ掛かる、すっと読めない所があります。

使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行わ れていた。一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていたが、ほか

の者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。しかし、民衆は 彼らを称賛していた。人、仲間(教会)に加わろうとはしなかった人たちがいた。この「ほかの者」とはどういう人たちのことなのでしょうか。12節の心を一つにして集まっていた「一同」とは使徒と信者とすると、「民衆」ということになりますが、「民衆」は「彼ら(使徒と信者)」を称賛し(13節)、その中から多くの男女が教会に加わっています(14節)。

「ほかの者」がどんな人たちなのか、結局は分からないのですが、使徒や信者たち(教会)の交わりに、関心はあるものの、自らは入る勇気のない未信者のことと解される場合が多いようです。この考えがしっくり来る、「私もかつて『ほかの者』だった」、「今の私は『ほかの者』だ」と思う人も結構おられるのではないかと思います。私もそう思っていたこともありますが、今日の箇所からわかるのは、多くの人が教会の交わりに加わったが加わろうとしなかった人たちもいたということだけです。加わろうとしなかった人たちを一くくりにして「勇気のない(なかった)人たち」としてしまうのはどうだろうかと今は思います。と言うのは、専ら加わろうとしない人たちの側にだけその理由・原因を求めていることになるからです。言い方を換えれば、教会は正しい、教会の側には全く問題がないとしなければ成り立たない考え方だからです。

3)

今日の箇所は「教会の発展」を伝えている訳ですが、その一方で著者のルカにはおそらくそのような意図はないと思いますが、「教会の隔たり」も伝えていると思います。「ほかの者」とは教会と自分たちの間に隔たりを感じていた人たちのことではないかと私は思います。

そして、「ほかの者」がどんな人たちのことなのかはわかりませんが、この世の宗教者に対して「微税人や娼婦の方が・・・先に神の国に入る」と言い(マタイ福音書21章31節)、罪人とされた人たちと飲んだり食べたり、親しく関わったイエスに隔たりを感じることはないと思います。

先程見たように、15節以下でペトロが集まって来た人々をいやしたことがイエスが多くの人々をいやしたことに準えられ、ペトロや他の使徒たちの行うしるしや不思議な業によって教会がイエス・キリストを受け継いでいることが示されているのですが、それ(だけ)がイエス・キリストを受け継ぐということなのでしょうか。あるいは、しるしや不思議な業がなければ受け継ぐことにはならない⋯ということには勿論なりません。

「教会のイエスからの隔たり」が「人々との隔たり」を生み出します。

教会がイエス・キリストに従う、その働きを受け継ごうとするならば、まず思い起こすべきは、いつも苦しむ一人、悲しむ一人に目を向け、そうやって親しく、生き生きと人々に関わり続けたイエスの姿であると思います。

2023. 7. 9聖霊降臨節第7主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

そこで、彼らはエレミヤを水溜めから綱で引き上げた。

(エレミヤ書38章13節)

  「泥の中に沈んだエレミヤ」     深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

そこで、彼らはエレミヤを水溜めから綱で引き上げた。

(エレミヤ書38章13節)

          「泥の中に沈んだエレミヤ」     深見 祥弘

 今年6月9日、国会で「入管法(出入国管理及び難民認定法)改定」法案が可決しました。これは、難民不認定への異議申し立てや再申請に上限を設け、三回以上となった場合は送還を可能とするものです。すなわち紛争や戦争・迫害など、帰国すれば生命や自由が脅かされかねない人々の保護を放棄し、人々を死の危険にさらすものです。新たに監理人(支援者・弁護士等)による「監理措置制度」を設けましたが、監理人には制裁を伴う報告義務が課せられ、実質監視を強める制度です。また難民に準じる人を「補完的保護対象者」として在留を認める制度を設けていますが、運用は入管に委ねられています。そのほか、「送還忌避罪」や「仮釈放逃亡罪」など新たな刑罰も設けられました。2021年3月6日、名古屋入管施設でスリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさんが、必要な医療を受けられないまま亡くなるという事件が起こり、出入国監理の現状を多くの人が知ることとなりました。こうした現状ふまえ、良い方向に改定されることを期待しましたが、それは適いませんでした。今、必要な改定は、難民認定の審査上の問題の解決のため、司法等が関与する第三者機関の設置による公平中立な審査の実施であり、審査過程の透明性であります。強制送還や監視、刑法の新設などでなく、国際基準の人道的法整備(難民保護法)により、すべての人が生まれながらにして与えられている人権の保護と、人間らしく暮らしを築ける基盤づくりを行うことです。

 今年5月に開催された日本基督教団京都教区総会は、「『入管法改定』法案の廃棄、そして難民や在留資格なき外国人のいのちと人権、人間的なくらしの保障を強く求める声明」を決議し、内外に公表いたしました。

 

 今朝の御言葉は、旧約聖書エレミヤ書38章「水溜に投げ込まれたエレミヤ」のお話です。エレミヤは、アナトト(エルサレム北4キロ)の祭司ヒルキヤの子で、南王国ユダで働きをした預言者です。ヨシヤ王の治世13年(BC627)、エレミヤに主が臨み、召命を受けました。主が「わたしはあなたを母の胎内に造る前から あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に わたしはあなたを聖別し 諸国民の預言者として立てた。」(1:5)と告げると、エレミヤは、「わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」(1:6)と答えました。主は「わたしはあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行って わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて 必ず救い出す」(1:7~8)と言われました。

 エレミヤが働きをしたのは、BC627~585年頃です。この期間中、BC621ヨシヤ王の改革(ユダ復興)、BC609ヨシヤ王戦死、BC605新バビロニア王ネブカドネザルの攻撃、BC598第一回バビロン捕囚、BC587第二回バビロン捕囚・ユダ王国の滅亡といった出来事がありました。

 預言者エレミヤは、40年に及ぶこの期間、何を語ったのでしょうか。

それは、神を愛し、隣人を自分のように愛せよ、そうすれば、この地にとこしえに住まうことができるということでした。「この所(主の神殿)で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。そうすれば、わたしはお前たちを先祖に与えたこの地、この所に、とこしえからとこしえまで住まわせる。」(7:5~7) この言葉からユダの民は、主を礼拝しつつも異教の神々をも礼拝していたこと、寄留の外国人や孤児、寡婦といった弱者を虐げていたことがわかります。主は民に対し悔い改めを求めるために、エレミヤを預言者にお立てになられ、またバビロン王をも用いられるのです。

 

 BC605、バビロン王はカルケミシュでエジプト軍に勝利し、ユダと周辺諸国の支配者となりました。エレミヤは「この地は全く廃墟となり・・・これらの民はバビロンの王に七十年の間仕える。」(25:11)と災いを預言しました。BC602、ユダ王ヨヤキムは周辺国と協力しバビロンに反旗をひるがえしましたが、ヨヤキムは亡くなり、後を継いでヨヤキンが王となりました。BC598、バビロンはヨヤキンと王族、家臣、有力な民三千人を捕囚としてバビロンに連行しました。そしてバビロン王はゼデキヤを王としました。この出来事に対して祭司ハナンヤは、二年以内にバビロンは打ち砕かれ、捕囚民は戻ってくると宣言しました。エレミヤは首に軛をはめて歩き回り、バビロンに抵抗すればこの国は滅びると預言し、捕囚民にも捕囚の生活は70年続くのでその地で落ち着いた生活をするよう教えました。(29:5~11) 

 BC589、エレミヤの恐れが現実となりました。エジプト軍の進軍により、ゼデキヤ王がエジプト側の反乱に加わったのです。反乱は鎮圧されバビロンの軍勢がエルサレムを包囲し、それは二年に及びました。その時、エレミヤは語りました。「主はこう言われる。この都にとどまる者は、剣、飢饉、疫病で死ぬ。しかし、出てカルデヤ軍に投降する者は生き残る。・・・この都は必ずバビロンの王の軍隊の手に落ち、占領される。」(38:2~3) これを聞いた役人たちは、ゼデキヤ王に対し「どうか、この男を死刑にしてください。・・・この都に残った兵士と民衆の士気を挫いています。この民のために平和を願わず、むしろ災いを望んでいるのです。」(38:4) その結果、エレミヤは捕らえられ、監視の庭にある水溜めに投げ入れられました。そこには水がなかったのですが、エレミヤの体は泥の中に沈みました。

 エレミヤを救ったのは、宮廷に仕えるエチオピア人の宦官エベド・メレクでありました。彼は王に対し「彼を水溜めに投げ込みました。エレミヤはそこで飢えて死んでしまいます。もう都にはパンがなくなりましたから。」(38:9)と執り成しました。王は「ここから三十人の者を連れて行き、預言者エレミヤが死なないうちに、水溜めから引き上げるがよい。」(38:10)というと、エベド・メレクはエレミヤを水溜めから引き上げたのでした。

 BC587夏、包囲されていたエルサレムは陥落しました。王は殺され、町は破壊され、住民はバビロンに連行されました。エレミヤは総督ゲダルヤのもとに身を寄せました。ところがゲダルヤが何者かに暗殺されると、総督の警護に当たっていた者たちが罰せられることを恐れ、エレミヤを連れてエジプトに逃れました。エレミヤは、その地で生涯を終えたのでした。

 

 はじめに、スリランカのウィシュマ・サンダマリさんのについてお話しました。エレミヤの時代、寄留の外国人を虐げていたようですが、現在も虐げがあるのです。ウィシュマさんは、入管施設という監視の庭にいれられ、泥の中に沈んでゆくような体験をして亡くなられました。それなのにわたしを含め、誰もウィシュマさんのために執り成しをした人も、救出しようとした人もいなかったのです。

 エレミヤという名の意味は、「神は高める」です。主は執り成し働く者を遣わして、水溜めの底の泥に沈んでいたエレミヤを引き上げてくださいました。わたしたちは、ご自身もよみに沈み、引き上げられ、復活されたイエスのことを知っています。「恐れるな。わたしはあなたと共にいて 必ず救い出す。」(1:8)  わたしが、泥の中に沈むとき、執り成し働いてくださる主イエスが共にいてくださることは、何と幸いなことでしょう。主イエスは、虐げのみならず、泥の中に沈む様々な状況にあるわたしたちを、見捨てることなく、救い出し、高くしてくださいます。

2023. 7. 2 聖霊降臨節第6主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」            

                         (ルカによる福音17章17~18節)

 

  「賛美しながら戻って来た者」     深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」               (ルカによる福音17章17~18節)

 

         「賛美しながら戻って来た者」     深見 祥弘

 今年2月に発生したトルコ地震では、トルコ、シリア合わせて22万棟が崩壊し、2千万人以上が被災し、5万6千人以上の方々が亡くなりました。(国連WHO推計)トルコ国内には、2011年から続くシリア内戦により逃れてきた350万人のシリア・クルド難民が暮らしています。貧困や差別の中で暮らしてきた難民の方々もまた、この地震で被災されました。私たちの教会では、この地震で被災された方々のために募金を集め、日本国際飢餓対策機構に送金いたしました。同機構発行のHunger Zero News 5月号には、シリア国境4キロのヤイラダウ村の難民キャンプ(難民のための小学校に被災した人々が避難している)において、学校の再開を願い3張の大型テントを立てたこと、ドルトヨル村で夜、外でビニールシートを張って寝ていたクルド難民3家族のために3つのテントを建てたことなどの報告がなされていました。トルコ人もクルド人も被災し、避難の生活を続けていますが、ともに復興にむけて歩みを始めることができることを願います。

 

 今朝の御言葉は、ルカによる福音書17章「重い皮膚病を患っている十人をいやす」話です。イエスと一行が、エルサレムへの旅の途中、サマリアとガリラヤの間を通りました。そこは、ユダヤ人とサマリア人が近くで生活している地域でした。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人が、遠くから「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と声を張り上げました。

 この十人は、ユダヤ人とサマリア人です。当時のユダヤ社会では、この人々が一緒にいることはありません。彼らは差別によって、一つにされていたのです。律法(レビ記13章)は「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない。」と定めていました。イエスは、この人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われました。祭司が診断し、癒しが認められたら共同体にもどることができました。しかしこの時、彼らはまだ癒されていません。祭司のところに行くまでは、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわりながら行かなければなりません。十人には、イエスに対する信仰と癒しの確信が与えられ、途中、彼らが信じたとおり癒されました。そしてその中の一人は、大声で神を賛美しながら戻って来て、イエスの足もとにひれ伏し感謝いたしました。その人はサマリア人でありました。

 

 なぜ、この人だけが、イエスのところに戻ってきたのでしょうか。この人は、祭司のところにいったのでしょうか。そして、九人はなぜ戻ってこなかったのでしょうか。

 十人の内、九人はユダヤ人で、一人はサマリア人でありました。途中で、

重い皮膚病が癒された時、ユダヤ人である九人は祭司のところに行くことができました。さらに祭司から癒しの証明をもらえれば、イスラエルの共同体に戻ることもできます。でもサマリア人は、癒されても祭司から証明を受けることができません。彼らは、患っていた時には一緒にいたのに、癒されると、ユダヤ人とサマリア人という壁が再びあらわれてきたのです。

 イスラエルは、ソロモン王以降、北王国イスラエル(首都サマリア)と南王国ユダ(首都エルサレム)に分裂しました。その後、北王国はアッシリア帝国に侵略され、アッシリア人がサマリアに移住し、サマリア人と結婚しました。また宗教上もアッシリアの宗教とユダヤ教が混ぜ合わされた信仰を持つようになりました。他方南王国ユダもまた、バビロニア帝国に侵略されますが捕囚により信仰も民族も守られたのです。捕囚地から帰還したユダの民は、サマリア人を正統の信仰から離れた者、神の民ではなくなった者として交わりを断ち、そのことはイエスの時代にまで及んでいました。

 「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。」(15~16) 彼は喜びにあふれています。イエスのところに戻ることを主体的に決断し、九人と分かれてきた強さを感じることができます。それは、イエスこそサマリア人である私の救い主であり、祭司であるとの思いが芽生えたからです。

 

 この時イエスは、十人に何を望まれたのでしょう。まず、彼らが癒された時、これはユダヤ人・サマリア人であることを超えてなされる主の業であることを認め、九人のユダヤ人がサマリア人に、一緒に祭司のところに行って癒しの証明してもらおうと声をかけてほしかったのではないでしょうか。またその後、十人でイエスのところに戻って来て、感謝の礼拝をささげてほしかったのではないでしょうか。しかし、イエスの願いは適いませんでした。九人はサマリア人の彼に、一緒に祭司のところに行こうとは言いませんでした。また九人は、祭司より証明を受けたとき、サマリアとガリラヤの間にいたイエスのところに戻りませんでした。ユダヤ人という壁の中に、再び戻ってしまったのでした。

 イエスは、十人が一緒に戻って来て、感謝と喜びの礼拝をささげ、イエスを信じるならば様々な苦しみや壁が取り除かれ、共に生きることができるという信仰と確信をもって出発してほしかったのです。

 この時、イエスのところに戻って来たのは、一人でした。彼は、イエスによって必ず道は開けると思い、その足もとにひれ伏して感謝したのです。イエスは、この人に「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」と言って、サマリア人の村へ送り出されました。

しかし、イエスは、彼をサマリア人という壁の中に戻れと言ったわけではありません。イエスによってすでにサマリア人の壁は、一部壊されています。そこを彼が行き来することで、イエスへの信仰と確信が必ず様々な壁を突き破り、分断され差別されている人々を一つに結ぶことができる、そうした思いをもって祝福し、送り出されたのでした。

 

 イエスによって送り出されたサマリア人の姿を、わたしは善きサマリア人の話に見ることができます。追いはぎに襲われ、倒れていた瀕死のユダヤ人を、同じユダヤ人である祭司やレビ人は、見て見ぬふりをして通り過ぎていきました。しかしそこを通りかかったサマリア人は、この人を憐れに思って手当てをし、宿で介抱し、銀貨二枚を宿屋の主人に渡して介抱を依頼し、さらに費用がかかったら、帰りがけに支払いをすると言って出かけたのでした。

 

 イエスは、遠くに立ち止まったまま「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と叫ぶわたしたちの声に耳を傾けていてくださいます。それにより分断された人々が、まことに一つとされる道が備えられます。わたしたちは、イエスによって清められ、救われて、感謝の礼拝を献げ、信仰によって「隣人を自分のように愛する」(ルカ10:27)ことができるのです。「わたしの隣人」に壁を設けることなく、すべての人を救いと愛に招いておられるイエスのもとから歩み始めたいと願います。 

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