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≪次月 2月(2024)礼拝説教要旨 前月≫

2024. 2. 25 復活前第5主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。・・・今や、恵みの時、今こそ、救いの日。                

    (コリントの信徒への手紙第二 6章1・2節)

 

   「キリストの愛」        深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。・・・今や、恵みの時、今こそ、救いの日。                  (コリントの信徒への手紙第二 6章1・2節)

 

            「キリストの愛」        深見 祥弘

 2月14日(水)より受難節(レント)に入りました。レントは、2月14日(水)から3月30日(土)までの、日曜日を除く40日間です。私たちはイエス・キリストの愛をあらわす十字架に至る道行を思い起こしながら、それぞれの信仰を顧みる時として過ごしてまいりましょう。

 讃美歌575番「球根の中には」は、死・よみがえり・永遠の命への信仰を歌ったものです。歌詞の一番は、「球根の中には 花が秘められ、さなぎの中から いのちはばたく。寒い冬の中 春はめざめる。その日、その時を ただ神が知る。」です。林くみこさん(グラフィックデザイナー、クリスチャンキャンプ場奥多摩福音の家スタッフ)が、この讃美歌についてこのように書いておられます。

「『球根の中には』(『讃美歌21』575番)は情景が想像できる美しい讃美歌だ。今は見えないけれど約束された時への期待と希望を感じる。特に『寒い冬の中 春はめざめる』という歌詞からは、枯れ枝に芽を探しながら春の訪れを待つ姿をイメージしていた。けれど、もとの英語の歌詞を直訳してみると『冬の寒さと雪の中 春がめざめを待っている』なのだ。なるほど、わたしが春を待つのではなく、すでにそこにある春のめざめの時に立ち会うようだ。歴史を貫いて神はいつもそこにおられ、わたしたちは、約束の時を待っているのではなく、神の約束の中に生きている。・・・」(いのちのことば 2024.3「ひきだしの中の信仰」より)

 

 今朝のみ言葉は、コリントの信徒への手紙第二5章14節~6章2節です。

この手紙の著者は、パウロとテモテです。受け取り人は、パウロたちの第二伝道旅行において設立されたコリント教会とその周辺アカイア州に住む信徒たちです。この手紙は、第三伝道旅行中(54年頃)、2年間滞在したエフェソで書かれました。パウロは、エフェソにおいて投獄を経験し、予定していたコリント教会の訪問もできずにいました。そんな中、コリント教会にユダヤ人キリスト者で「使徒」を自称する巡回伝道者たちが来て、パウロたちを批難し、パウロたちの伝えた福音を空しくしていることを聞きました。この手紙は、「神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと、兄弟テモテから」(1:1)と書いているように、「使徒」とはどのような者であるのか、福音とは何かをもう一度確認するために書かれました。

 

 パウロは、コリント教会の人々に対して、巡回伝道者の外面的な地位に惑わされてはならないと言います。巡回伝道者たちは、エルサレム教会から「使徒」としての資格を得て、コリントに来ました。そして彼らはパウロたちがその資格を持っていないと言い、またパウロたちが異言を語ったり、幻を見たりするのを見て、正気でないと批難しました。

 パウロは彼らの批難に対して、「正気でないとするならば」(5:13)それは神のためであり、「正気であるならば」(5:13)それはコリント教会の人々のためである。決して自分自身のためにしているのではないと言っています。その上で、「使徒」は、神の選びにより、キリストの苦難を自ら身に負い、キリストを復活させた神の力を現わす者であること、その働きによって、人々がキリストの命に与ることを喜びとする者であると述べるのです。

 なぜならば、キリストは神の選びにより、私たちの罪を担い、十字架に架かり、復活することによって、私たちに永遠の命を与えてくださいました。パウロは、キリストにならって自分自身のために生きるのではなく、キリストのために生きようと呼びかけるのです。「一人の方がすべての人のために死んでくださった」(14)、この「キリストの愛」(14)に押し出されて、「使徒」としての働きをするのです。

 さらに巡回伝道者たちは、パウロに対し、生前のイエスを知らない者であると批難いたしました。これに対しパウロは、自分を使徒としてくださったのは神であり、その働きのために霊を与えてくださったと言います。神は、生前のイエスを知らなくても霊によってキリストを知る者としてくださり、パウロを「キリストと結ばれる人、新しく創造された者」(17)として、和解の言葉を委ねてくださいました。「和解の言葉」(19)とは、神が人間のために、罪を知らないイエスをこの世に遣わし、わたしたちの罪を背負わせて十字架に架け、わたしたちに赦しと神の義を与えて下さったことです。この和解の言葉を、霊によってキリストを知るパウロたちに委ねられたのです。

 

 パウロは、コリントの町に行き、和解の言葉を宣べ伝えました。しかし、コリント教会に巡回伝道者たちが来たことで、この福音がコリント教会の人々において実を結ばず、神の恵み(キリストの愛)が無駄になってしまうことになりかねない状態でした。そこで、パウロは「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。」(6:1)と言い、イザヤ書49章8節の言葉を引用します。「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」。またイザヤ書49章には「今や、主は言われる。ヤコブを御もとに立ち帰らせ イスラエルを集めるために 母の胎にあったわたしを 御自分の僕として形づくられた主は こう言われる。わたしはあなたを僕として ヤコブの諸部族を立ち上がらせ イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。だがそれにもまして わたしはあなたを国々の光とし わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。」(49:5~6)とあります。イザヤの預言は、神が御子を遣わし、イスラエルを信仰によって立ち上がらせること、また異邦人に救いの恵みを与えることを語っています。 

 パウロは、このイザヤの預言が実現し、御子イエス・キリストによって異邦人であるコリントの人々にこの恵みが与えられていることを伝えました。コリント教会の人々は、今、この和解の言葉を聞き、受け入れるか、否かを問われています。彼らが、イエス・キリストを自分たちの救い主とし、和解の言葉(キリストの愛)を受け入れると告白するならば、救いの恵みに与ることができるのです。

 しかし、「恵みの時、救いの日」(6:2)、これはいつまでも続くわけではありません。それゆえにパウロは、「キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。・・・神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません」(5:20、6:1)と強く勧めているのです。

 

 はじめに讃美歌575番「球根の中には」とその歌詞について、林くみこさんの言葉を紹介しました。「寒い冬の中 春はめざめる」という歌詞は、わたしが春を待つのではなく、すでにそこにある春、その春のめざめの時に立ち会うという意味であるとのことでした。同様に、十字架と復活の救い主イエスはすでに私たちと共におられます。私たちは救いの恵み(キリストの愛)の中にいて、新たに救いの恵みを受ける人、キリストの愛に生きる人の現れるのを待ちつつ、神の協力者として奉仕をしているのです。

 私たちは、イエス・キリストの与えてくださった愛のわざを思い起こしつつ、共にいてくださるキリストを信じ、神の協力者として生き、「今や、恵みの時」と自覚して救われる人の起こされることを待ち望みます。 

2024. 2. 18 復活前第6主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここに来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」

            (使徒言行録9章1)

 

「 アナニアがいた 」        仁村 真司教師

< 今 週 の 聖 句 >

そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。

「兄弟サウル、あなたがここに来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、

また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」

                        (使徒言行録9章1)

 

「 アナニアがいた 」        仁村 真司

使徒言行録は、エルサレムでイエスの直弟子であった使徒たちがはじめたキリスト教をパウロが広く(異邦人)世界に伝えた、基本的には初期のキリストの歴史をこのように捉えて伝えているのですが、この捉え方には収まらない、はみ出してしまう、けれどもキリスト教の歴史・発展を考える上での重要な事実をそれとなく伝える記述も随所に見られます。

例えば今回見て行く9章のはじめ、1〜2節・・・さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それはこの道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。

サウロ(パウロ)はこの時勿論キリスト教の伝道のためではなく、イエス・キリストを信じる人々を迫害・弾圧するためにダマスコに向かったのですが、ここからわかるのはキリスト教の歴史の極めて早いこの時期にエルサレムから結構離れたダマスコにキリスト教が伝わっていたという事実です。そしてこのような所はダマスコだけではありませんでした。

エルサレムで使徒からはじまってパウロが広く伝えたという流れとは別に、それ以前に、既にあちらこちらに広くキリスト教が伝わっていた。それぞれの「あちらこちら」にいつ、どんな人たちが伝えたのか、名前も何もわかりませんが、確かにその働きを担った人たちがいたということです。

ダマスコについても、いつだれがキリスト教を伝えたのか全くわかりませんし、その他詳しいことはわかりませんが、エルサレムにまで聞こえていたぐらいです。多くの信者がいて、活発に活動していたのでしょう。それでサウロ(パウロ)は捨て置けないと弾圧するために向かった。その時、そこ、ダマスコにアナニアという人がいました。

  1)

このアナニアという人はどんな人だったのか・・・。使徒言行録、新約聖書がアナニアについて伝えているのは今日の箇所にあることが全てです。なのでこの前のことも、この後のことも何もわからないのですが・・・

10節「ところで、ダマスコにアナニアという弟子(キリスト教信者)がいた。幻の中で主(イエス)が、『アナニア』と呼びかけると、アナニアは、『主よ、ここにおります』と言った」。ここからのやり取りは、これが幻の中のこととは思えないぐらいに現実的で具体的です。

「立って、『直線どおり』と呼ばれる通りに行き・・・サウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ」とイエスが言うと、「しかし・・・『主よ、わたしは、その人がエルサレムで⋯(信者たちに)どんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため・・・』」とアナニアが言う。するとイエスが更に言う、『行け。あの者は・・・わたしが選んだ器である・・・』」。

こうしてアナニアは自分たちを迫害するために来たはずのサウロ(パウロ)を訪れることになります。(17〜19節)

  2)

このようにアナニアを実際に動かすこととなった幻の中でのイエスとのやり取りが、「アナニアのイエスとの出会い」として語られることは滅多にと言うよりも、まずありません。「イエスとの出会い」として繰り返し語られて来たのは、直前のダマスコに向かう途中でのサウロとイエスとのやり取りです。3〜6節・・・

ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わ

たしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。

「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」

パウロはこの時のことをガラテヤの信徒への手紙に「(神が)御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき」と記し(1章16節)、コリントの信徒への手紙一には次のように記してしいます。最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたち の罪のために死んだこと、葬られたこと、また聖書に書いてあるとおり三 

日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。・・・

(中略)・・・そして、最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。

(15章3~8節)

パウロは本当に復活したイエスが現れたのだ、このことが自分の働き、そして自分が教会で指導的役割を果たすよう神とイエス・キリストによって特別に召し出された使徒であることの確かな根拠なのだと言っています。

そうして、キリスト教においておよそ二千年にわたってずっと、この時本当に復活のイェス・キリストがパウロに現れたとされて来た訳ですが、普通に考えれば、朦朧とした意識の中でパウロは幻影を見て、聞いて、それを復活のイエス・キリストと思い込んだ、信じ込んだということなります・・・と、こんなことを言うと「何を不信仰なことを」とお叱りを受けるかもしれませんが、こう考えたとしても、パウロが多くの人々に影響を与え、その思想が例えぱ十六世紀の宗教改革につながって行ったこと等、パウロの為した働きの大きさ、歴史的価値に何ら変わりはありません。

  3)

さて、アナニアです。サウロに現れたのが復活のイエス・キリストであったとされているので、成り行き上アナニアに現れたのも復活のイエス・キリストということになるのですが、サウロ(パウロ)と同じで、復活のイエス・キリストが現れたと思い込んだ、信じ込んだということでしょう。

そして、そう考えたとしても、アナニアの為した働きの大きさ、価値に何ら変わりはない、これもサウロ(パウロ)の場合と同じです。

ではアナニアの為した働きの大きさ、価値とは何かということですが・・・。

アナニアはサウロを受け入れた。そのサウロ(パウロ)は後にキリスト教が世界宗教となる道を拓く「偉大な」伝道者・神学者となった。だからアナニアの為した働き、サウロを受け入れたということには大きな価値があると考えられなくもないです。サウロを受け入れたのが他の人ならばアナニアの働きどころか名前すら伝わっていなかったでしょう。ですが、アナニアの働きの大きさ、価値はパウロの価値に拠るのではありません。

アナニアの働きの前提になっている「復活のキリストとの出会い」(3~9節)から今日の箇所に至るサウロの状態に、それが「回心」と言えるのかどうかというようなことはさて置き、示されているのは、このように人は変わり得る、あるいは自ら変わろうとするということだと思います。

ですが、自分たちを迫害すべくやって来たサウロを受け入れるということはやはり並大抵のことではないです。サマリア人シモンは神の賜物を金で手に入れようとした悪人とされていますが(8章18〜24節)、実はペトとヨハネが受け入れられなかっただけのことではないかと私は考えています。サウロも受け入れられずに、実際に迫害者だったのですから悪人とされた可能性は十分にあった、その可能性の方が高かったはずです。

しかしサウロにはアナニアがいた。教会にはアナニアがいた。人は変わり得ると信じ、受け入れた。これがアナニアの働きの大きさ、価値です。

2024. 2. 11 降誕節第7主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、

あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。

             (フィリピの信徒への手紙4章19節)

 

  「贈り物に感謝」        深見 祥弘​牧師

< 今 週 の 聖 句 >

わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、

あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。

                  (フィリピの信徒への手紙4章19節)

 

             「贈り物に感謝」        深見 祥弘

 能登半島地震から1か月が過ぎました。ボランティアの人々が、被災地に入って活動をはじめることもできるようになりました。

 ボランティアは、自分の意志で、周囲と協力しながら、無償で行う活動のことです。ラテン語の「VOLUNTAS」(ボランタス)が語源で、自由意志を意味する言葉です。17世紀中頃、イギリスで「VOLUNTEER」(ボランティア)という言葉が使われ始めます。自分たちの町や村を守る自警団に参加する人をボランティアと呼び、18世紀になると軍隊の「志願兵」をそのように呼ぶようになりました。日本でボランティアという言葉が初めて使われたのは100年前、渋沢栄一が福祉分野の慈善事業を行ったり、篤志家が地域福祉を助けるセツルメント運動を行ったりした頃で、この言葉は「慈善活動」という意味で用いられました。1995年、阪神淡路大震災に際し、全国から自主的に集まった人々が炊き出しや片づけなどを行い、このことがボランティア本来の意味においての活動であったことから、「ボランティア元年」と言われるようになりました。

 ある町の社会福祉協議会のホームページを見ましたら、「ボランティアとは何」というページがありました。それを紹介いたします。まず、ボランティアとは何かについて、「自主的に無償で活動する人、自分でできることを自分の意志で周囲の人々と協力しながら行う活動のこと」と書いています。次にボランティア4原則というものが書かれていました。①自主性・主体的(自分からすすんで活動する)、②社会性・連帯性(ともに支えあい学びあう)、③無償性・無給性(見返りを求めない)、④創造性・先駆性(より良き社会をつくる)。さらにボランティア活動10ケ条というものもありました。①できることから始めよう。②無理をしないで続けよう。③相手の立場を考えよう。④約束は必ず守ろう。⑤活動にけじめをつけよう。⑥家族や周囲の理解を得よう。⑦活動の秘密を守ろう。⑧宗教・政治活動とは区別しよう。⑨金品のやりとりはやめよう。➉活動を通じて学ぼう。

 

 今朝のみ言葉は、フィリピの信徒への手紙4章10~20節です。この手紙は、パウロとテモテによって書かれました。宛て先は、フィリピの教会です。この教会は、パウロたちの第二伝道旅行において設立(50年頃)されたヨーロッパ最初の教会です。手紙の書かれた場所はエフェソの町で、年代は53~55年頃と考えられます。パウロたちは、第三伝道旅行中およそ2年間エフェソに滞在し、そこで投獄を経験しました。この手紙は、パウロの「獄中書簡」の一つです。

 この手紙は、本来3つの手紙を一つにしたものです。手紙Aは、4章10~23節今朝読まれた部分で、フィリピの教会から送られてきた献金に対して、パウロが礼状を書きました。ここは後ほどお話いたします。手紙Bは、1章1~3章1aと4章4~7節です。フィリピ教会の献金をエフェソにいるパウロに届けたエパフロディトは、体調を崩し療養をしました。この手紙は、元気になったエパフロディトをフィリピに帰すに際し、パウロの身に起こった投獄について報告をしています。この投獄は、「福音の前進」に役立ったと述べています。手紙Cは、3章1b~4章3節、4章8~9節です。ここは、ヘレニズム密儀宗教や律法遵守を唱える人々に影響を受けているキリスト教伝道者に対し、「何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。」(3:18~19)と警告しています。

 

それでは今朝のみ言葉4章10~20節をもう少し詳しく見てみましょう。ここには、フィリピの教会の心遣い(援助)に対する喜びと感謝が述べられています。フィリピの教会は、パウロがマケドニア州を出た時(15)も、テサロニケにいた時には何度も(16)、そしてその後、しばらく時間が経っていましたが、このエフェソにも贈り物を届けてくれました。合わせて、援助への感謝と喜びを書くのは、「物欲しさ」(11)や「贈り物を当てにして」(17)ではないと書いています。パウロ自身は、どんな状況に置かれても、その境遇に満足することができるのです。「満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(12.13)とあるように、パウロは、神が御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、必要なものをすべて満たしてくださることを確信しているからです。 

 それでは、パウロが感謝をあらわした理由とは何なのでしょうか。彼が感謝し喜ぶのは、心遣いを寄せてくれたフィリピの教会に、主が豊かな実りを与えてくださると信じるからです。すなわち、「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。」(19)と書いているとおりです。パウロは、フィリピの教会からの贈り物を、自分への贈り物として受け取るのではなく、それは主に対する献げもの、福音宣教のために献げられたものとして受け取り、感謝しています。「わたしは主において非常に喜びました。」(10)と書いています。今回の贈り物は、福音宣教の同労者であるフィリピの教会が、主に対して献げたものであることを喜び、パウロはこのことを、主に対して感謝しているのです。こうしたことから、この箇所は「感謝なき感謝」と呼ばれています。前回の援助からすこし時間が空いたということですが、フィリピの教会の人々もまた、外には迫害、内には誘惑や混乱の中にありました。しかしそうした状況にあっても、主が強め、満たしてくださることを信じて、援助をしているのです。

 

 わたしたちの教会では、今月25日まで「能登半島地震救援募金」を行っています。この募金は、京都教区の呼びかけに応えて行っているものです。現在様々な団体が、この震災のために募金活動をおこなっていますし、個人として被災者に直接送るということもできます。そうした中で、わたしたちの教会は、自分たちの献げものと京都教区内教会・伝道所が献げたものを、京都教区を通して被災教会や被災者にお送りすることといたしました。それには、次のような意味があります。まず私たちは、被災の苦しみの中にある教会や、そこに連なる教会員を満たしてくださるのは主であるという信仰をもっています。私たち自身も決して容易な状況にあるわけではありませんが、主が満たしてくださることを覚え、献げものをいたします。それはこのことが「福音の前進」につながると信じて、それをなすのです。「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。」(1:12)とあるとおりです。

 ボランティア4原則は、自主性、連帯性、無償性、創造性であると紹介しました。これらは、イエス・キリストが人々の救いのために、父なる神の願いに連帯し、自ら進んで、無償の愛をもって十字架にかかり、永遠の命と神の国を創出されたことと思いを合わせることができます。まことのボランティアは、イエス・キリストに見出すことができると思います。募金という私たちの業が顧みられ、キリスト・イエスによって、必要なものすべてが満たされ、共に感謝と喜びが献げられますよう祈ります。

2024. 2. 4 降誕節第6主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」すると、

その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。

(ヨハネによる福音書5章8~9節)

 

 「良くなりたいか」         深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」すると、

その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。

(ヨハネによる福音書5章8~9節)

 

           「良くなりたいか」         深見 祥弘

 この世界には、私たちの思いでは如何ともしがたいことがあります。戦争や紛争、災害、病いといったことです。私たちは、その現実を前にしても希望を求め、わずかでも希望を見出すことのできるものがあればそれに寄りすがり、それからを離れることができません。しかし同時に、私たちはその現状にあきらめや絶望をも感じているのです。そうした私たちのもとに、イエスは来られ、「良くなりたいか」と問いかけ、「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」と言われます。

 

 祭りがあって、イエスはエルサレムに来られました。エルサレムの町は城壁に囲まれていますが、イエスはこの時、犠牲の羊を場内に入れるための「羊の門」に来ていました。この門の傍らには、「ベトザタ」と呼ばれる池がありました。「ベトザタ」とは双子を意味します。上の池と下の池、二つの池があるのでそのように呼ばれていました。この二つの池の周囲には、屋根の付いた4つの回廊と、上の池と下の池を分ける回廊の、合わせて五つの回廊がありました。この池は、ヘロデ大王により男女の巡礼者の沐浴のために作られ、当初は沐浴場として用いられました。

 またこの池は、「ベテスダ」とも呼ばれました。「ベテスダ」とは恵みの家という意味です。この池は、水の動くことがあって、そのときに一番先に池に入った人の病気が治ると言い伝えられていました。癒しの恵みが与えられる所ということで、恵みの家(ベテスダ)と呼ばれました。この池は間欠泉で、水の吹き出しとともに水面が動くのですが、その現象を人々は、天使の水浴によって水が動き、その治癒力が水に残るので一番初めに入った人が癒されると信じていました。回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などがいて、皆、水の動く時を待ち、他の人よりも早く池に入ろうと身構えていたのです。

 イエスは、この回廊に来て、一人の人にまなざしを向けられました。その人は、38年間、病気で苦しんでいる人でした。イエスが「良くなりたいか」と問うと、この人は「良くなりたいです」とは答えず、「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」と言いました。この人は、38年間、誰からも「良くなりたいか」と声をかけられたことがなく、この人を支えて池に入れてくれる人もいなかったのです。同様にここには、目の見えない人がいましたが、この人も誰かに見てもらって、池に入れてもらわなくてはなりません。足の不自由な人、体が麻痺している人も、誰かの助けがなければ池に入れません。ですからこれまでここで癒された人は、比較的病気や障がいの軽い人で、自分で素早く入ることのできる人でありました。ベテスダ(恵みの家)とは、名ばかりで、ここは厳しい競争の場でありました。池のそばには、神殿やアントニア城もありますが、宗教者も政治家もこの人たちのために何かをすることはなかったのです。そうした中で、長い間ここにいる人々(症状の重い人々)は、次第に良くなることに絶望しますが、それにもかかわらず、ここ以外に期待を寄せることのできる場もなく離れることができないでいたのです。

 イエスが、この人に「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」と言われると、すぐに良くなって、床を担いで歩き出したのでした。

 このことが起こったのは、安息日でありました。これまで回廊に集まる人々に無関心であったユダヤ人たち(ファリサイ派、律法学者、長老)が、病気を癒された人を見て声をかけました。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」これは、安息日に荷を運んではならないという律法を破ることだと言っているのです。彼らが長年にわたり病いに苦しんできたこの人のことを知っていたなら、絶対に言えない言葉です。

この人が「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えると、彼らは「お前に律法を破るように言ったのはだれだ」と尋ねました。しかし癒された人は、自分を癒した方が誰であるのか知りませんでした。
 その後、イエスは神殿の境内でこの人に会い、「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない」と再び声をかけられました。この人が、長年の病いと、回廊での経験から、神と人に絶望していたことを、罪だと指摘されたのでした。彼は、自分を癒してくれたのがイエスだと知り、ユダヤ人たちに知らせました。これによって、ユダヤ人たちは、イエスを迫害し、命をねらいはじめました。イエスが安息日の律法を破り、病人を癒したこと、「床を担いで歩きなさい」と言ったこと、また、彼らの指摘に対して、「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」と言い、天の神を父と呼んで神を侮辱したことが、その理由でした。

 

 6節の「イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。」という言葉に注目してみたいと思います。まずイエスのまなざしは、38年間病気で苦しんできたこの人に注がれます。イエスは、この人がかつて良くなりたいと願っていたこと、でも良くなることに絶望していること、絶望しているけれども回廊を離れることができないでいることを知りました。

イエスの「良くなりたいか」という呼びかけは、この人に自らが望みとしていたことをもう一度思い起こさせ、今も望みとしていることに気づかせました。また「良くなりたいか」というこの呼びかけによって、神や人に絶望している私であるけれど、こんな自分を癒し救ってくださる方がおられるのではないか、いつかその御方がここにおいでになられるのではないかと思って、この場所で待っていたことに気づかされたのでした。

そしてこの人は、イエスの「起き上がりなさい」との言葉に従って立ち上がり、「床を担いで歩きなさい」に従って、長年に渡って身をゆだねてきた床を担ぎ、不信仰の罪を赦していただき、父なる神の子イエスにゆだねて歩みはじめました。さらにこの人は、「自分をいやしたのはイエスだ」と、人々に伝えはじめたのでした。

 

 私たちにとって「ベトザタ」「ベテスダ」とは、どこでしょうか。イエスの臨在の場を限定することはできませんが、ここ教会に集まる私たちにも主は目を注いでくださいます。「ベトザタ」(双子)は、巡礼者が神殿に詣でる前に身を清める沐浴所でありました。私たちは、1週間の旅路を終えてこの場に集い、神の戒め(神を愛し隣人を愛すること)を守れなかったことを覚え、悔い改めて清くしていただきます。また私たちは「ベテスダ」(恵みの家)に集い、救い主を待ち、「良くなりたいか」と声をかけていただき、「起き上がりなさい。床を担いで歩き出しなさい。」と励まされて送り出されるのです。さらに私たちは、救い主の到来を喜び、互いに助け合い支え合いながら、「自分をいやしたのはイエスだ」と多くの人々に伝えるのです。

 戦争や災害、病いなどで絶望している人々のところに、イエスが訪れ「良くなりたいか」「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」と声をかけてくださるように、そして私たちは互いに助け合い、主を宣べ伝えることができるようにと願い求めます。

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