W.M.ヴォーリズが愛した教会
近江八幡教会
日本キリスト教団
2025. 10.26 降誕前第9主日礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
主なる神は言われた。「人は一人でいるのは良くない。彼に合う助けるものを造ろう。
(創世記2章18節)
「共に生きる」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
主なる神は言われた。「人は独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を
造ろう。」 (創世記2章18節)
「共に生きる」 深見 祥弘
昨日は、教会で結婚式を行いました。ご結婚されたお二人の上に、また連なるご家族の上に主の祝福をお祈りいたします。
さて結婚式のプログラムの中で最も大切なものは、「誓約」です。新郎・新婦が、神と集まった人々の前で誓約をいたします。司式者「〇〇さん、あなたはこの姉妹(この兄弟)と結婚し、神の定めに従って夫婦となろうとしています。あなたはその健やかな時も、病む時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、そのいのちのかぎり、堅く節操を守ることを約束しますか。」 新郎(新婦)「約束します。」
柏木義円(1860~1938)は、群馬県・安中教会の牧師として終生地域伝道に尽くした人です。また、廃娼運動や足尾銅山鉱毒事件などの社会問題、キリスト教界においても朝鮮伝道問題などについて発言を続けた人です。こうしたことは、彼が発行した「上毛教界月報」(1898~1936、第459号で廃刊)に見ることができます。
さて柏木義円は、1892年に平瀬かや子と結婚しました。この二人を取り持ったのは、柏木の学友大和田(武田)猪平(1915~1924年の間、近江八幡教会牧師)でありました。しかし二人の結婚には、心配事もありました。一つは、柏木家に少なからぬ借金があったこと、また柏木自身回りの人から「経済に於て余程下手なる御方」と言われていたことです。かや子の実家平野家は、淡路島福良で店を構える豊かな旧家でありました。もう一つは、平瀬かや子が心臓に病気のあったことです。医師の診断は、「心臓に故障有之、何時死するや測られすとの事」でありました。こうした中、二人に与えられた言葉が、ローマの信徒への手紙8章28節「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」でありました。柏木の考えは、心臓に病のあるかや子の生命がいつ果てるかは、人知の及ばぬものである。それゆえに自分とかや子の関係は、互いの生命の果てるまで継続するのであり、この先は二人の思いを超えたものとなる。君と私とは一体なる者、与えられた時間を共に生きる。こうして二人は、この結婚を神の摂理として受け入れていったのでした。(ここまでの文章の引用・参考は、片岡真佐子著「徹底して弱さの上に立つ 柏木義円」ミネルヴァ書房 2023年より)
今朝の御言葉は、旧約・創世記2章4b~25節、「第二の天地創造物語」です。「第二」と言ったのは、1章1節~2章4aに「第一の天地創造物語」があるからです。この2つの天地創造物語は、別々の資料によって書かれました。1章の「天地創造物語」は、祭司資料(神の呼び方「エローヒム」、わたしたちの持っている聖書では「神」と訳しています)によって、2章の「天地創造物語」は、ヤッハウェ資料(神の呼び方「ヤッハウェ」、わたしたちの持っている聖書では「主なる神」と訳しています)によって書かれました。神が人間を一番大切なものとして造られたことを「第一の物語」は、人の創造を最後に書くことによって、「第二の物語」は最初に書くことによって現わしています。
ここで2つの物語において「人の創造」をどう書いているかを比べてみましょう。「第一の物語」で人の創造は、1章26~27節に書かれています。「神はご自分にかたどって人を創造された。…男と女に創造された。」「かたどって」とは神の外形にかたどってという意味ではなく、人を神と交わりのできる者として創造したという意味です。また神は同じ時に男と女を創造いたしました。なぜ人が創造されたのか、それは先に造られた生き物たちを委ねるためでした。
「第二の物語」で人の創造は、このように書いています。主なる神が天地を造られたとき、そこは乾いていて何もありませんでしたが、やがて水が地下から湧き出て地を潤しました。主なる神はまず水を含んだ土(アダマ)で人(アダム)をつくり、その鼻に命の息を吹き入れました。「命の息」とは神の霊のことで、これによって人は神のみこころを知ることができる者になりました。それは第一の物語の「神にかたどって創造された」(神と交わりの出来る者)と同じことを言っています。主なる神は、エデンの園を設け、人をそこに置き、園を耕し守るように命じられました。また主なる神は「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」と言い、土で獣や鳥を造り、人のところに持ってきました。人はこれらすべてに名をつけましたが、自分に合う助ける者を見つけることができませんでした。そこで主なる神は人を眠らせ、あばら骨の一部を抜き取って女を造り、人のところにつれてきました。人は女を見て「ついに、これこそ わたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」と言い、二人は一体となりました。「わたしの骨の骨 わたしの肉の肉」とは、家族や身内の者、親密な共同体を言い表す時に用いられる言葉です。これは、男と女が本質的に等しいものであること、さらに本来は一体であることをあらわしています。
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」(2:18)
いつの時代でも、その生涯を独りで暮らす人がいます。また人々の中には、犬や猫といった動物を自分のかけがえのないパートナーとして暮らす人もいます。異性と出会い、ふさわしい助け手(パートナー)として結婚をする人もいます。そして、男と女という性別による結婚ではなく、そうしたことから解放されて自由にパートナーを見出し暮らしている人もいます。そしてこのように多様なあり方に、教会と社会は、祝福する立場をとったり、それを認めない立場をとったりいたします。
聖書は、「人」という表現を用いて書いています。主なる神は、「人」を土(アダマ)から造ったので「アダム」と名付けました。また主なる神は、アダムのあばら骨によってもう一人の人を造りました。アダムはこの人をエバ(命)と名付けました(創3:20)。そしてこの二人の人(アダムとエバ)は、本来は一体であることを覚え、共に生きることで「まことの人」となるのです。そのまことの人とはなにか。「第二の創造物語」は、アダムとエバが共に生きることで、自分の弱さをそのまま相手にさらけ出し、互いに認め合える関係になれること、それが「まことの人」であると告げています。
また聖書は、「男(イシュ)と女(イッシャー)」という表現を用いて書いています。この男と女とは、性差という意味を超えて、互いに神のかたちに造られた者として神のご意志(魚、鳥、家畜、獣などを治めること)を知り、共に助け合いながら御心に生きる者のことです。「第一の創造物語」は、神のご計画を信じその使命のために生きる人を、神は祝福してくださると告げています。
わたしたちは、天地創造物語の学びからイエス・キリストのことを思います。イエス・キリストは、天地創造のはじめからおられた御方です。やがてこの御方は、「まことの人」としてわたしたちのところに来て下さり、自らをさらけ出して十字架に架けられ、その十字架と復活によって、神の使命であった人々の救いを実現してくださいました。わたしたちは主イエスと共に生きることでまことの人へと導かれ、人々と共に助け合いながら御心に生き、神の豊かな祝福をいただくことができるようになったのです。
2025. 10.19 聖霊降臨節第20主日礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとく ぬぐわれるからである。
(ヨハネの黙示録7章17節)
「涙をぬぐって下さる神」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとく ぬぐわれるからである。
(ヨハネの黙示録7章17節)
「涙をぬぐって下さる神」 深見 祥弘
10月7日(火)~9日(木)、青森で行われた「日本基督教団部落解放全国会議」(教団部落解放センター・奥羽教区全国会議実行委員会)に出席しました。全国会議には、奥羽教区(青森、秋田、岩手)、東北教区の方々を中心に、全国から100名余りの信徒や教師が集まりました。奥羽教区は、教区の宣教主題を「沖に漕ぎ出す」とし、2025年度は全国会議の開催を第一の取り組みとすることを決め準備をしてくださいました。この全国会議の主題は「ゆがみに気づく第一歩~部落差別解消という『沖』をめざして~」です。3日間のプログラムを紹介します。
1日目(7日)の会場は、国立療養所松丘保養園でした。プログラムの第一は、「入所者の語りとハンセン病療養所松丘保養園の歴史」です。保養園学芸員澤田大介さんが「ハンセン病問題の概要」と題し、「ハンセン病とは」、「ハンセン病問題の歴史(戦前・戦後)」、「入所者の生活」、「現在も残る課題」について話してくださいました。また入所者さんが、ご自身の経験をお話くださいました。その後、保養園内の納骨堂と寺社通り(キリスト教会はじめ各宗教施設が並ぶ)を見学しました。プログラムの第二は、ドイツ・ラーフェンスブルク出身のスィンティ・ロマ・ジャズバンドのコンサートです。ロマとは、中東欧を主として世界各地に居住する民族グループです。ドイツに居住するロマには様々なグループがありますが、スィンティもその一つです。かつてナチスは、スィンティ・ロマを「仕事嫌い」で「反社会的」な人々と定義づけ迫害をしました。はじめにマデレーン・ケーラーさん(ラーフェンスブルク・スィンティ・ロマ教育協会、バーデン=ヴュルテンベルク州のスィンティ&ロマと教会のワーキンググループのメンバー)が迫害の歴史についてお話しくださり、ダーヴィド・クリュッティヒさん、ボビー・グッテンベルガーさん、コルヤ・レグデさんよりなるジャズバンドの演奏があって大いに盛り上がりました。教団部落解放センターは、世界の被差別の仲間との交流と連帯を深めていますが、それによりジャズバンドをお招きすることができました。
2日目(8日)のプログラムの第一は、六ケ所村核燃サイクル施設のフィールドワークです。全国会議出席者の内20名が参加しました。下北半島は、原子力施設が集中しています。六ケ所村の核燃サイクル施設(ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物埋設施設、高レベル放射性廃棄物一時貯蔵施設、再処理工場、MOX燃料加工工場)、東通原発、むつ・核燃料中間貯蔵施設、大間原発です。フィールドワークには、核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団の山田清彦さんが同行くださり、核燃サイクル施設が見える原燃PRセンターにおいて、ディスプレイを見ながら「核燃サイクル事業とは何か」、「歴史的経緯と現状」、「その危険性」などを解説してくださいました。「明日なき核燃サイクル、危険な核のゴミ処理場、六ケ所再処理工場の計画を止めることが出来れば、日本中の原発の運転を止めることにも繋がります。」との山田さん言葉が印象に残りました。さらに六ケ所村で農業を営みながら、核燃サイクル施設の反対運動をしておられる菊川慶子さん宅の集会所「牛小屋」を訪ね、菊川さん、山田清彦さんとの交流の時を持ちました。菊川さんは、これまでの生活や運動を思い起こし話される中で、涙ぐまれる場面もありました。 同日、青森教会で行われたプログラムの第二は、「日本基督教団および奥羽教区における部落差別問題への取り組み」と題する基調報告で、雲然俊美さん(教団総会議長・秋田桜教会牧師)が担当しました。雲然さんは、「奥羽教区は、貧困による生活困窮者への蔑み、刑場のあった地域に対する偏見、ハンセン病に関わる偏見や無理解、核燃サイクル施設建設計画に見られる人口減少・過疎地域に対する国の経済・エネルギー政策の問題等についての関わりや取り組みを継続的に担っています。しかし部落差別問題を学ぶことや、どのようにして部落解放への取り組みをすすめればよいのかということが課題です」と話されました。また「冤罪・狭山事件の真相と第4次再審の現状」と題し部落解放同盟中央本部の安田聡さん、「部落差別をなくすこと」と題して教団部落解放センター協力牧師の水野松男さんが話されました。裁判所が、最新科学によって得られた脅迫状の筆跡鑑定結果や万年筆インクの鑑定結果により、第四次再審請求の申し立てを認めることを願います。
青森教会で行われた3日目(9日)のプログラムの第一は、「聖書の学び」です。小林よう子さん(奥羽教区議長・八戸小中野教会牧師)が、「『小さくされた者』とマタイによる福音書における『小さな者』」と題して聖書研究をされました。お話を要約すると、教会では、被差別者や抑圧されている存在を「小さくされた者」ということがあります。しかし聖書には「小さな者」はあるが、「小さくされた者」という言葉はありません。聖書にないのに、わたしたちが口にする時、どうして「小さくされた者」となってしまうのでしょうか。「小さな者」とはすべてを神に委ねる存在のこと、「最も小さな者」とはイエス・キリストのことです。にもかかわらず、わたしたちは、自覚のないままに「小さな者」=「価値のない者」と考え、誰かによって「小さくされた者」だと思っているのです。わたしたちは、最初から「小さな者」であり、イエスは「最も小さな者」であられます。ルカ福音書9章48節に「あなたがた皆の中でいちばん小さい者こそ偉いのである。」とあり、「小さい者」は大いなるものと述べています。神にすべてを委ねる「小さい者」はそのままで価値あるものであり、その信仰により救いの恵みにあずかるのです。同日、第二のプログラムは、全体会で参加者の中から10名ほどがこの3日間で受け止めたことを話しました。閉会礼拝は、藤原仰さん(延岡三ツ瀬教会牧師)がメッセージをしました。「次回全国会議は2027年、九州教区で開催されますが、大分別府(予定)でお待ちしています」とのお誘いの言葉で礼拝を終えました。
今朝の御言葉は、ヨハネの黙示録7章9~17節です。この書は紀元1世紀末頃、小アジアで書かれました。著者は、初期キリスト教の預言者ヨハネです。この頃小アジアの教会では、ドミティアヌス帝の迫害(皇帝崇拝を強く求めた)により、殉教をも覚悟しなければならない状況にありました。著者は、示された幻によって信徒たちを励まし、苦難の中でも希望をもって生き抜くよう勧めるために、これを書きました。
ヨハネは幻を見ました。彼は白い衣を着た大群衆が、玉座の前と小羊の前で大声で叫んでいる声を聞きました。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである」。また天使たちの賛美も聞きました。「賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように。」 長老の一人がヨハネにたずねました。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」ヨハネが「それはあなたの方がご存じです」と答えると長老は言いました。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」「彼らは、神の玉座の前にいて、昼も夜も神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、この者たちのために幕屋を張り、飢え渇きや暑さが彼らを襲うことはない。小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれる。」
わたしは、青森に松丘保養園のあることを知っていました。ロマのことも聞いたことがありましたし、六ケ所村に核燃サイクル施設のことも知っていました。でも今回は、そこで暮らす人々と出会い、直接その声を聞くことができました。保養園の澤田大介さんと入所者さん、スィンティ・ロマについて話してくださったマデレーン・ケラーさんとジャズバンドの皆さん、下北に暮らし核燃サイクル施設に反対している山田清彦さんと菊川慶子さん、狭山事件の再審のため、部落差別の無くなることのために働きをしている安田聡さんや水野松男さん、そして奥羽教区の宣教の課題のために仕えている教会の皆さん方です。以前の私は、神様から「この者たちはだれか。また、どこから来たのか」問われるならば「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えたことでしょう。しかしこの出会いによってわたしは、「彼らは大きな苦難を通って来た者です。…キリストが彼らの牧者となり、命の泉へ導き、神が彼らの目の涙をことごとくぬぐわれます」と確信をもって語る者へと変えられました。これが、今回の旅の収穫といえるでしょう。
2025. 10.12 聖霊降臨節第19主日礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
「しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、その僕の主人は予想もしない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遇わせる。」 (ルカによる福音書12章45~46節)
「現(うつつ)」 仁村 真司教師
< 今 週 の 聖 句 >
「しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、その僕の主人は予想もしない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遇わせる。」 (ルカによる福音書12章45~46節)
「現(うつつ)」 仁村 真司
イエスの譬え話は共観 (マルコ・マタイ・ルカ) 福音書に記されています。マルコ・マタイ・ルカが揃って記している話と、マタイとルカに共通する話をそれぞれ一つと数えると、譬え話の数は全部で四十三になります。
これ程多くの譬え話が伝えられているのは、先ず以てイエスが実際に当意即妙、人々に分かりやすく伝わりやすい、心に残る譬え話を沢山語ったということがあるでしょう。ですが、それだけではないと思います。
1)
マタイ福音書もルカ福音書もマルコ福音書を見て、かなり引用して、記されていますが、譬え話についてはこの限りではないようです。
単純に各福音書にある譬え話を数えると、マルコは八、マタイは二十四、ルカは三十三です。つまりマタイ・ルカにある実に多くの譬え話の大半はマルコにはないということです。そしてマタイもルカも大量に増やすだけではなく、マルコの八つの内の同じ二つの譬え話をカットしています。
マタイとルカが揃ってカットした二つの譬え話の内の一つは「門番」の譬え話です。マルコ福音書13章34~36節…
「それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましていなさい、と言いつけておくようなものだ。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、… (中略)…あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。」
「主人が帰って来る時」、即ち「人の子が来る時」=終末がいつ来るか分からないから「目を覚ましていなさい」ということですが、マタイとルカは別の 「泥棒」の譬え話を用いてこのことを示しているようです。
当該箇所はマタイでは24章36~44節 (「泥棒」の譬え話43~44節)、ル
カでは12章35~40節、今日の箇所の前半です。
「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」(35節)「主人が帰って来たとき」(37節) にも 「主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても」(38節)「目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ」というのは、要するに 「目を覚ましていなさい」 ということです。 そして39~40節…
「このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るか知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
つまり内容が重複する、同じことだから、「門番」の譬え話はなくてもよい、多分マタイもルカもそう考えたのではないかと思います。
マルコに記され、ということはマタイもルカも知っていたのにカットしたもう一つの譬え話は「成長する種」(マルコ4章26~29節)です。
また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり… (中略)…豊かな実が出来る。… (後略)…」
「夜昼、寝起きしているうちに…」は「目を覚ましていなさい」とは正反対みたいで面白いですが、マタイもルカも「これでは何の教えにもならない、意味がない」と考えて記す必要なしとしたのでしょう。
2)
イエスの譬え話の殆どは、元々どんな状況で、どんなことを譬えて語られたのかは分からない、これは前回お話した通りです。そして譬え、比喩というものは、あてはめる状況によって様々な違った意味になり得ます。
福音書を記した人たち、特にマタイとルカは、イエスの譬え話を教会で説かれていた教えにあてはめて、教会の教えをイエスの教えとして伝えようとしたと考えられます。今日の箇所の後半 (41~48節)を見てゆきます。
42節以下の譬え話はマタイ福音書の「忠実な僕と悪い僕」(24章45~51節)とほぼ同じですが、46節「その僕の主人は予想もしない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遇わせる」、この「不忠実な者たち」。マタイでは「偽善者」でどちらが元々の言葉遣いか分かりませんが、「不忠実な者たち」とは「非信者」、つまり教会に属さない非キリスト教徒ということです。
41節でペトロが「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためにですか」と質問したとありますが、これは、46節の「非信者」と共に今日の箇所の譬え話が教会、キリスト教徒に対する主の来臨・終末に備えて「目を覚ましていなさい」という教えとして語られたことを示すためのルカによる状況設定と考えられます。
3)
(特にマタイ・ルカ)福音書が、イエスの譬え話を教会の教えにあてはめて伝えていることには、初期のキリスト教徒が置かれていた(迫害等もあり厳しかったであろう) 現実 状況の中で、イエスの言葉を自分たちへの言葉として受け止めようとしていたことの現れという面もあるでしょう。ですから、善し悪しで単純に割り切れるものではないと思います。
今の私たちもイエスの言葉・聖書の言葉を受け入れようとする時、知ってか知らずか、自分たちの状況や現実に引き寄せ、結び付けようとしていると思います。そうしなければイエス・キリストを信じることと現実を生きることとの間に“隙間”が出来てしまうのかもしれません。
しかしながら、一方でイエスを自分たちの思いに取り込もうとするならば、それは隙間が出来るどころかイエスから遠く離れてしまうことになります。イエスを私たちの思いに取り込むこと等そもそも出来ないからです。
ルカは今日の箇所の譬え話を状況設定 (41節)や「非信者」という言葉(46節)等により、“隙間なく”教会の教えにあてはめようとしています。
ですが45節「しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば…」、ここには前後の記述にはない“現実味”があって、周囲と隙間があると言うのか、はみ出しているような気がします。まさか「僕」(教会指導者)が酔っ払って「下男や女中」(一般信者)を殴る、初期の教会やキリスト教徒の間ではそんなことが横行していたということではないでしょう。
イエスが人々に語ったその時に、そもそもキリスト教も教会もないのですから、イエスが教会や信徒の在り方について語ったとは考えられません。
イエスがここで、ここでも、語っているのはこの世の現実だと思います。
古代人のものの見方からすれば、この世の支配者は神によって定められた 「管理人」ですから、やることなすこと、鬱憤晴らしでも八つ当たりでも、神の名によって正当化されます。そして強い立場の人が弱い立場の人を殴る等ありふれたことで、殴られる方は黙って殴られておくしかない。
このような現実に対してイエスはものを言う。「世の中の仕組みを変えろ」とか「支配者を倒せ」というのではありません。イエスも古代人です。
「おかしい、間違っているだろう。支配者だって神様の前ではみんなと同じ僕だ。神様は見ている。そして思ってもいない時にやって来る。」
イエスの現実はおよそ二千年前のパレスティナの現実という点では今の私たちとは掛け離れています。しかし、イエスが共に生きた、虐げられていた人々の現実という点ではどうでしょう。差別や戦争でさえ「現実的」と支持した過去があり、今もこれからもその歴史を繰り返しかねない私たちに、イエスはそこで傷つけられ、脅かされる人々の現実を示しています。
私たちがイエスを引き寄せるのではなく、イエスが私たちを導きます。
2025. 10.5 聖霊降臨節第18主日礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。 (ルカによる福音書24章30~31節)
「パンを取り、祈り、裂いて渡した」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。 (ルカによる福音書24章30~31節)
「パンを取り、祈り、裂いて渡した」 深見 祥弘
今日10月第一日曜日は、日本基督教団が定める「世界聖餐日・世界宣教の日」です。「世界聖餐日」は、1930年代にアメリカの長老派教会で始まり、1940年代にアメリカ全体のキリスト教会に広まったエキュメニカル運動(教会一致運動)です。現在は、カトリックとプロテスタント諸教派が相互の違いや多様性を認め合い、分断や対立から一致へと向う超教派運動として世界中の教会に広まっています。「世界宣教の日」は、戦後、日本基督教団が「世界聖餐日」を定めるにあたり、世界の教会の一致の証しとして、世界宣教のために協力し合うことを目的として定められました。現在は教団が派遣し海外で働きをする宣教師(8名)や関係教会(11教会)を、また教団が受け入れる宣教師(59名)を覚える日となっています。
今朝の御言葉は、ルカによる福音書24章28~35節、復活の主がエマオで現れたときのことを書いています。イエスが復活したその日、二人の弟子(一人はクレオパ、12弟子でない広い意味での弟子)は、エルサレムからエマオに向けて歩いていました。エマオとは「温かい井戸」「温泉」という意味で、エルサレムから六十スタディオン(11キロ)にありました。二人は復活したイエスに「一緒にお泊りください」と言っていますので、彼らの家がこの村にあったのかもしれません。十一人の弟子たちは、迫害を恐れてエルサレムの家に身を隠していたのに対して、クレオパたち二人はこの村を逃れの場として向ったのでした。
途中、二人がこの数日の出来事について話し合い論じ合っていると、復活のイエスが近づいて来て、一緒に歩き始めました。でも二人には、それが復活のイエスだとは分かりませんでした。イエスが「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と問われると、二人は暗い顔をして立ち止まり、「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか」と答えました。二人は、この人を過越しの祭りに来た巡礼者だと思ったのです。イエスが「どんなことですか」と言われると、二人は「ナザレのイエスのことです」と答え次のように話ました。人々は、この方を力ある預言者と考え、わたしたちはこの方こそイスラエルを解放するメシアであると望みをかけていました。それなのに祭司長たちや議員たちは、この方を捕らえ総督に引き渡し、十字架につけてしまったのです。そのことから今日で三日目になります。ところが朝早くに、わたしたちの仲間の婦人たちが墓に行ってみると遺体がなく、天使が現れて「イエスは生きておられる」と告げたと言うのです。仲間の弟子たちも墓に行ってみたのですが、婦人たちの言ったとおりでした。
イエスはこれを聞いて、「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」と言われ、モーセと預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書いていることを説明されました。すなわちイザヤ書52章13節~53章12節に書かれている「メシアの受難」、ホセア書6章2節に書かれている「三日目の復活」について、さらに、イザヤ書49章6節に記されている「すべての国々への宣教」についてです。これらの説明を聞いていた二人は、預言者たちによって告げられているメシアがどのようなお方であるのかを知り、熱い思いに満たされたのでした。
一行がエマオに近づいたとき、イエスはなおも先に行こうとされる様子でした。二人は「一緒にお泊りください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って無理に引き止めました。彼らが食事の席につくと、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、それを裂いて二人にお渡しになられました。すると二人は、そのお方が復活されたイエスであるとわかりましたが、それと同時にイエスの姿は見えなくなりました。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心が燃えていたではないか」と語り合い、すぐにエルサレムに向けて出発しました。そして二人は、仲間の弟子たちに、エマオへの道で起こったことや、パンを裂いてくださったときに復活された主だとわかったことを話しました。
わたしたちは「イエスの復活」について、頭で考えても信じることはできません。また「話し合い論じ合っても」復活の主を見出すことはできません。考えれば考えるほど、論じれば論ずるほど、困惑が広がり、暗い顔になります。でも今朝のみ言葉を読むと、弟子たちが困惑の状態から解き放たれて、体全体でイエスの復活を感じ、信じ、告白してゆく姿をみることができます。それは「見る」、「聞く」、「嗅ぐ」、「味わう」、「触れる」という五感によるものです。
「見る」…空の墓を見る、イエスの遺体を包んだ亜麻布を見る、イエスの傷ついた手や足やわき腹を見る。エマオ途上の話では、近づいてきて一緒に歩くイエスを見る、パンを取り、裂くイエスを見る。「聞く」…「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」との天使の声を聞く、「あなたがたに平和があるように」とのイエスの呼びかけを聞く。エマオ途上の話では、「聖書全体にわたり、御自分(メシア)について書かれていること」をイエスより聞き、「賛美の祈りを唱える」のを聞きました。「嗅ぐ」…女たちが墓に持って行った香料の香り、また湖のほとりで食べたパンと焼いた魚の香りを嗅ぎました。エマオ途上の話では、食事の席でのパンの香りを嗅ぎました。「味わう」…復活のイエスの「さあ来て、朝の食事をしなさい」との呼びかけに答え食べたパンと焼き魚の味、エマオ途上の話では、エマオの家でのパンの味です。「触れる」…復活のイエスの足にすがりついたマグダラのマリア、「あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい」と呼びかけられたトマス、エマオ途上の話では、先に行こうとされるイエスの腕を取って、無理に引きとめました。
復活のイエスは、クレオパたちとエマオに向けて歩き、聖書を解き明かし、家に入って食事をしました。その時二人の目が開かれ、一緒にいるのが復活のイエスとわかりました。わたしは、エマオの家とは教会であると思います。復活のイエスは、暗い顔をして話し合い論じ合い、小さな平安(温泉の癒し)を求めて歩む私たちに近づき、共に歩んでくださいます。わたしたちは、教会に来て、聖書の解き明かしを聞き、聖餐を共にするとき、五感によって復活のイエスを見出します。さらにわたしたちは、その癒しと平安の教会に留まることなく、イエスはメシアであるとの福音を伝える者として出発します。それは困難が待ち構えている所(エルサレム)に向けての歩みであり、同時にそれは神の都を目指しての歩みでもあります。
エマオの家で食事の席からいなくなった復活の主は、どこに行かれたのでしょうか。24章36節以下にあるように、主の行先はエルサレムでした。エルサレムは弟子たちを迫害し困難の多いこの世界を表しています。私たちは、困難の多い生活の場から教会にきて、復活の主を見出し、心を燃やして再び生活の場に戻り、「私たちは復活の主を見ました」と証しするのです。
復活の主は教会にも、私たちの生活の場にも、さらにはこの世界にも共に来てくださいます。復活の主は、世界中の人々が共に聖餐を守り、この世界が神の国に変えられてゆくことを願っておられるのです。