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≪次月 1月(2023)礼拝説教要旨 前月≫

2023. 1. 29(降誕節第6主日)礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。

(ルカによる福音書21章3~4節)

 

            「言葉と知恵を授ける」   深見祥弘牧師

 

< 今 週 の 聖 句 >

確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。

(ルカによる福音書21章3~4節)

 

            「言葉と知恵を授ける」      深見祥弘

 今放送されているNHK大河ドラマは、「どうする家康」です。家康は若き頃に悩み多き日々を過ごしたようですが、信長、秀吉に仕え、天下を統一すると強大な力を得ました。家康は75歳の生涯を終えると久能山に祀られますが、その後、遺言により日光・東照宮に移されました。現在の東照宮の主な社殿群は、三代将軍家光によって造替されたもので、その壮麗さは「日光を見ずして結構と言うなかれ」と賞賛されました。

 同様に、「ヘロデの神殿を見たことのないものは、美しい建物を見たことがないに等しい」という言葉があります。これは、イエスと同時代のユダヤ教教師(ラビ)の言葉です。ヘロデの神殿とは、ヘロデ大王が増改築にたずさわったエルサレム神殿のことです。

 

 先週の礼拝で、「神の幕屋」についてお話をいたしました。主がモーセに「わたしのために聖なる所を造らせなさい。わたしは彼らの中に住むであろう」(出エジプト25:8)と命じ、造らせたものです。幕屋は、アカシア材の木組みに天幕をかけたもので、民が旅立つ時には持ち運びのできるものでありました。この幕屋は、イスラエルの民がカナンに定住した後も変わることがありませんでした。しかしイスラエルの王ダビデは、この幕屋に代わる神殿の建築を計画準備し、息子ソロモン王がBC958年に起工し、7年後に完成(第1神殿)させました。だがソロモンの造った第1神殿は、BC586年、新バビロニア帝国ネブカドネザル王によって破壊され、民は捕囚となりました。

 捕囚の民がバビロニアからエルサレムに帰還し、BC515年、ゼルバベルの指揮によって造られた神殿を第2神殿と呼びます。第2神殿は、ソロモンの造った第1神殿に比べて規模の小さなものでしたが、帰還民が祈りと力を合わせて再建したもので、全ユダヤ民にとっての拠り所となりました。

 ギリシャ時代(BC333~BC63年) には、ユダヤの信仰や精神を守ろうとするユダヤ人とヘレニズム化されたユダヤ人の間に対立が生じ、一時は神殿内にゼウスの祭壇を設けるなどして、神殿は荒廃しました。

 この荒廃した神殿を大規模に修築をしたのが、ヘロデ大王でありました。彼は、BC20年修築の計画を立て、長い時間をかけて工事を行いました。ヘロデは、第2神殿はそのままにしつつ、その周囲に白い大理石で造った壮麗な建築物を配置し、周辺の谷を埋めて境内の広さを2倍にし、そこを巨大な石垣で囲みました。

 

 このヘロデが修築した壮麗な神殿の境内に、イエスは弟子たちとやってきました。イエスは日曜日(棕梠の主日)にろばの子に乗ってエルサレムに入城し、月曜日(宮清めの月曜日)には神殿の境内で商売をしていた人々を追い出しました。そして次の日(論争の火曜日)、イエスは神殿の境内に来て、弟子たちにこう話しました。「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」(20:46~47)

 神殿の境内では、人々が賽銭箱に献金を入れていました。賽銭箱は、全部で13個置かれ、そのうち6個は自由な献げもの、他の7個には、鳥の献げもの、薪の献げもの、乳香の献げものなどと献金使用の目的が文字で書かれていました。箱のそばに祭司が立っていて、人々は、献金の目的と金額を告げ、雄羊の角で作ったラッパ形の投入口から献金をいれました。それゆえ境内にいる人々は、それを聞くことができました。金持ちたちは、誇るように声高に多額の献金額を告げています。その傍らで貧しいやもめが、レプトン銅貨二枚を入れました。イエスは、これを見て弟子たちに「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」と言われました。

 またイエスは、神殿と奉納物に対する感嘆の声を聞くと、人々に「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」と言われました。イエスがこれを告げたおよそ40年後、紀元70年、ローマとのユダヤ戦争によってエルサレムは陥落し、神殿は破壊されました。この時に残ったのが、神殿の西の壁(嘆きの壁)でありました。歴史家ヨセフスは、戦争の原因の一つとして、ローマ皇帝の献げ物を拒否し、皇帝の安寧を祈ることを拒んだことによると記しています。

 人々(弟子たちを含む)は、イエスに「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。そのことが起こるときには、どんなしるしがあるのですか。」と尋ねました。イエスは、「まず偽キリストがあらわれて人々を惑わし、戦争や暴動が起こる。さらに、大きな地震、飢饉や疫病、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。またこれらのことがすべて起こる前に、弟子たちへの迫害が起こり、主イエスの名のために王や総督の前に引っ張ってゆかれる。肉親や友人にまでも裏切られ、殺される者も出てくる。しかしそのときは、あなたがたにとって証しをする機会になる。あなたがたは、前もって弁明の準備をする必要はない。主イエスがどんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵をあなたがたに授ける。あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」と言われました。

 イエスは、これから臨んでくるご自分の受難と十字架、復活を告げ、また弟子たちがこれから経験することとなる迫害について教えています。さらにはエルサレム陥落の出来事、やがて来る終末のことも告げます。同時にイエスは「おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」とも話し、こうした徴の一つ一つを覚えて、救いの確信に立つように励ましています。そうするならば、どんなに小さく弱い者(銅貨二枚を献げたやもめ)であっても、イエスにすべてをゆだねる人には、神の守りと救いと命が備えられると告げておられるのです。ローマ皇帝ヴェスパシアヌスの子ティトゥスがエルサレムを包囲する前に、エルサレムのキリスト者たちは、イエスの言葉を思い起こし、ヨルダン川を渡ってペラに逃れました。

 

 私たちは、「どうする」と問う悩み多き日々を過ごしています。歴史が教えるように、私たちはたくさんの恵みをいただくと同時に、それを失ってしまいます。それは偽キリスト、戦争、飢餓、病、迫害といったものによってです。でもそうした時にも、主イエスへの信仰(今必要なものを備えてくださる主への信仰、これからの日々において忍耐することを教えて支えてくださる主への信仰、来るべき日に救いと命をくださる主への信仰)があればそれで良いのです。「神は聖なる宮にいます。みなしごの父となり、やもめの訴えを取り上げてくださる。神は孤独な人に身を寄せる家を与え 捕らわれ人を導き出して清い所に住ませてくださる。」(詩編68:6~7)とあるとおりです。 

 
2023. 1. 22(降誕節第5主日)礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

幕屋を建てた日、雲は掟の天幕である幕屋を覆った。夕方になると、それは幕屋の上にあって、朝まで燃える火のように見えた。・・・この雲が天幕を離れて昇ると、それと共にイスラエルの人々は旅立ち、雲が一つの場所にとどまると、そこに宿営した。イスラエルの人々は主の命令によって旅立ち、主の命令によって宿営した。    (民数記9章15・17・18節)

 

      「とどまり旅立つ民」        深見 祥弘​牧師

 

< 今 週 の 聖 句 >

幕屋を建てた日、雲は掟の天幕である幕屋を覆った。夕方になると、それは幕屋の上にあって、朝まで燃える火のように見えた。・・・この雲が天幕を離れて昇ると、それと共にイスラエルの人々は旅立ち、雲が一つの場所にとどまると、そこに宿営した。イスラエルの人々は主の命令によって旅立ち、主の命令によって宿営した。    (民数記9章15・17・18節)

 

           「とどまり旅立つ民」        深見 祥弘

 山口百恵さんが歌った曲の一つに、「いい日旅立ち」(作詞・作曲 谷村新司)があります。この曲は、1978年に旧国鉄の旅行キャンペーンソング(ディスカバー・ジャパン)としてつくられました。

1番 雪解け間近の北の空に向かい 過ぎ去りし日々の夢を叫ぶ時

帰らぬ人達熱く胸をよぎる せめて今日から一人きり旅に出る 

あゝ日本のどこかに 私を待ってる人がいる いい日旅立ち

夕焼けをさがしに 母の背中で聞いた歌を道連れに 

 2番 岬のはずれに少年は魚つり 青い芒(すすき)の小径を帰るのか 

私は今から思い出を創るため 砂に枯木で書くつもり〃さよなら〃と 

あゝ日本のどこかに 私を待っている人がいる  いい日旅立ち

羊雲をさがしに 父が教えてくれた歌を道連れに

あゝ日本のどこかに 私を待っている人がいる いい日旅立ち

幸福(しあわせ)をさがしに 子どもの頃に歌った歌を道連れに 

 これは、この歌詞の勝手な解釈です。ある人が若き日に北国(故郷)を離れ、夢を抱いて都会に出ました。以来、都会の荒れ野の中で何度もの苦難や挫折を経験し、しだいに故郷とも疎遠になりました。かわいがってくれた祖父・祖母が亡くなったことも、心配してくれた父・母が亡くなったことも、妹からききました。最近は、子どものころ魚つりや野山で遊んだ日々のことや、母の背中で聞いた歌や父が教えてくれた歌が思い出されるようになり、妹や親戚の人達の誘いもあって、羊雲や夕日のきれいな故郷に帰ることにしました。荒れ野の砂に「さよなら」と枯木で書いて、幸せをさがしに。

 

 今朝の御言葉は、旧約聖書・民数記9章です。イスラエルの民はモーセに導かれ、奴隷であったエジプトを脱出し、この時シナイ山近くの荒れ野にいました。主はシナイ山において民に「十戒」を与えると、幕屋の建設とイスラエルの民の人口調査を命じられました。この書は、ヘブライ語聖書では、「荒れ野にて(ベルドバル)」とのタイトルが付けられていますし、ギリシャ語に訳した聖書には、「民数記(アリスモイ)」とのタイトルがつけられています。

 イスラエルの民がエジプトを出発したのは、第1の月の14日、過越の食事をした後で、シナイの荒れ野に来たのは、第3の月の1日でありました。(出エジプト19:1) ここで主は民に「十戒」を与え、幕屋の建設の指示がなされました。建設に必要な資材や備品を準備し、幕屋が建てられたのは、翌年第1の月の1日(出エジプト40:2.17)でした。

「幕屋」とは、どのようなものなのでしょうか。幕屋の骨組みはアカシア材を使い、この骨組みの上に装飾の施された天幕が何重にもかけられています。幕屋の間口は4.5m、奥行は13.5m、そして高さが4.5mで、内部は垂れ幕で仕切られて聖所と至聖所からなります。至聖所には契約の箱(十戒等が入っている)が、聖所には香の祭壇、供えのパンの机、金の燭台が置かれています。幕屋の前庭には、大洗盤(海)と燔祭の祭壇が置かれ、この幕屋と庭を囲むように東西45m、南北22.5m、高さ2.25mの幕が張られます。それは、主がモーセに対して「わたしのために聖なる所を彼らに造らせなさい。わたしは彼らの中に住むであろう。」(出エジプト25:8)と命じられたからです。幕屋は、民が出発する際、畳んで持ち運ばれ、宿営に到着すると再び建てられました。幕屋が建てられたのちは、いつも雲が掟の天幕である幕屋を覆うようになったのでした。

 幕屋が建てられた後、イスラエル12部族の族長たちは、12日間、祭壇に献げものをし、それが終わると2回目の過越祭を守りました。

 さらに主は、第2の月の1日、モーセに人口調査をせよとの命令を出しました。主は約束の地に向けて旅をするにあたり、どれだけの者が兵士として働きをすることができるかを調べさせたのです。その結果、20歳以上の男子は60万3550人(幕屋に仕え警護にあたるレビ人を除く)でありました。民数記には、この時の調査から38年後、約束の地を目前にしてもう一度、人口調査を行ったと書かれていています。2回目の結果は、60万1730人(一回目より-1820人)でした。この旅が、飢えや渇き、敵との戦いなど、どれほど困難なものであったかを、思い図ることができます。第2の月の20日、民はラッパの音を合図にシナイの荒れ野を出発し、約束の地カナンに向いました。

 幕屋が建てられた日、雲が幕屋を覆いました。「雲」は主の臨在(主なる神がそこにおられること)をあらわすものです。夕方になるとその雲は、燃える火のように見えました。この雲が幕屋を離れて昇ると、民は旅立ち、雲が留まると、民はそこに宿営しました。民は宿営後、間もなくであっても雲が昇ると出発しましたし、雲が幕屋の上に留まっていれば長期間であっても、そこに留まりました。また民は、旅立ちの時が夜であっても、火のように見える雲が昇れば出発しました。

 この出来事は、出エジプト記40章34節以下にも書かれています。民数記と出エジプト記の違いは、民数記には「主の命令によって」旅立ち宿営したと書かれていることです。民は雲を見て、勝手に自分たちで雲が幕屋から昇ったとか、留まっていると判断をしなかったと言っているのです。先を急ぎたいとの思いから雲が昇ったと言ってみたり、旅に疲れて休みたいとの思いから、雲を見ることなく留まったりということのないためです。「雲」は、主の臨在のしるしであり、昼も夜も主が共にいてくださることを民に示し、人々を勇気づけるためのものでありました。民数記は、旅立ちと宿営について、主よりそれを聞いたモーセによって知らされたと書いています。

 

 今日は、1月22日、しばらくすると2月を迎えます。かつてイスラエルの民は、第1の月の1日(イスラエルの暦)に幕屋を造り、過越を祝った後、第2の月の1日に人口調査をして、その月の20日には、旅に出発しました。この時入学や就職、また退職などで新しい生活のために旅立ちの準備をしている人々もおられることでしょう。はじめに山口百恵さんの「いい日旅立ち」の歌詞を紹介しました。それは、かつてのイスラエルの荒れ野の旅を思い起こさせるものであったからです。イスラエルの民は、故郷カナンを離れてエジプトに来て以来、幾世代にもわたって故郷に戻ることができませんでした。その故郷には、アブラハムやイサク、ヤコブといった父祖が眠っています。帰還の民は、故郷で歌われた賛美をくちずさみながら、羊雲や夕焼けに共にいてくださる主を思い、シナイで与えられた主の戒めやモーセが伝える神の言葉に聞き従いながら、故郷に向ったのです。

 わたしたちの教会もまた、荒れ野を旅立ち、多くの困難を経験しながら、「とどまり旅立つ主の民」として主の御言葉に聞き、雲の柱・火の柱によって主の励ましをいただき、約束の地をめざして歩みを進めてまいりましょう。主は、雲の柱・火の柱として、また御言葉と戒めをもって「とどまり旅立つわたしたち」を導き励ましてくださいます。

 
2023. 1. 15(降誕節第4主日)礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。 

                 (ルカによる福音書5章4~6節)

        

         「沖に漕ぎ出し漁をしなさい」  深見 祥弘牧師

 

< 今 週 の 聖 句 >

話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。  (ルカによる福音書5章4~6節)

        

         「沖に漕ぎ出し漁をしなさい」     深見 祥弘

今、旧統一教会をめぐる問題により、人々は宗教に対して厳しい目を向けています。わたしたち信仰者も、教会の大切な営みである礼拝すること、伝道すること、信仰を継承すること、そして献げることなどについて問い直してみる必要があるように思います。

 今朝の御言葉は、ルカによる福音書5章1~11節です。ここには、イエスがシモン・ペトロ、ゼベダイの子ヤコブとヨハネを弟子とした出来事が書かれています。彼らは、イエスの12人の弟子たちの中で愛弟子と呼ばれる人たちです。イエスがガリラヤ地方で伝道を始め、間のない頃のことです。ある朝、イエスがゲネサレト湖畔(ガリラヤ湖)に立っておられると、群衆が神の言葉を聞こうと押し寄せてきました。イエスが、各地で教えをしたり、病人を癒したりして評判になっていたからです。

その傍らでは、漁を終えた漁師たちが、二そうの舟を岸に上げて、網を洗っていました。イエスは、漁師たちと舟を御覧になられると、その一人であるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すように頼みました。シモンは、イエスの求めに応じて再び舟を湖にうかべ、岸から少しだけ漕ぎ出しました。イエスは、腰を下すと、舟から岸に集まった群衆に教えられました。

 話し終えると、イエスはシモンに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われました。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えました。(漁について知識と経験をもっているわたしたちですら、昨晩は何も捕れませんでした。それに加えて、陽が昇り魚に網が見える状態で漁をしても何も捕れません。しかし、イエスさまは、各地で奇跡をなさっているとお聞きしていますので、お言葉通りにやってみましょう。) シモンたちは、イエスをお乗せした舟を沖に漕ぎ出し、網を降ろしてみると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになりました。そこで、岸にいたもう一そうの舟の仲間に合図をし、加勢を願いました。捕れた魚は二そうの舟にいっぱいで、舟は沈みそうでありました。シモンは、イエスの足もとにひれ伏し、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言いました。(あなた様がまことに力ある御方であることを知りました。不信仰なわたしをお赦しください)シモンの仲間である、ゼベダイの子、ヤコブとヨハネも同じようにひれ伏しました。イエスは、シモンに「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」と言われました。シモン・ペトロ、ヤコブとヨハネは、舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従ったのでした。

 

 イエスが漁師たちを弟子とされた話を、次のように受け止めました。

 朝、湖畔にいるイエスのところに、神の言葉を聞こうとして群衆が押し寄せてきたと書かれていることは、礼拝のことではないでしょうか。

 またイエスはシモンに頼んで、舟を少し漕ぎ出し、そのうえから、岸にいる群衆に教えられました。このイエスをお乗せした舟とは教会のこと、シモンは礼拝の奉仕者のことではないでしょうか。さらにイエスは、教えのあとシモンに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われました。これに対し、シモンは「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。」と答えました。先ほども話しましたが、シモンは陽が昇ると網が見えて魚が捕れないという知識や経験と、夜通し漁をし、疲れているので休みたいとの思いから、このように言ったのです。これは人間の働きをあらわしています。しかしシモンは、イエスにゆだねて、「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と言い、網を降ろしてみると、彼らが経験したことのないほどの大漁になったのです。これは、イエスが共におられる教会の働きをあらわしているのではないでしょうか。 

 そして、イエスがシモン・ペトロに「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」と言われると、シモン・ペトロ、それからゼベダイの子ヤコブとヨハネも、すべてを捨ててイエスに従いました。これは、イエスが彼らを弟子としたことをあらわしています。

 

 旧約聖書のコヘレトの言葉11章1節には「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。」と書かれています。イエスとシモン・ペトロたちは、その後ガリラヤ地方の町や村を巡って、人々に命のパンを与える働きをいたしました。それは、まるで流れる水にパンを浮かべるような働きでした。その流れは、やがて湖(海)に到達します。その流れを人の人生に例えることができますが、ある時、流れに主のパンを見出し食べた者が、やがて湖に到ります。この湖は、悪しき力の支配する世界をあらわしていて、湖に来た人は、深き滅びの世界を見るのです。そんな人々のところにイエスがお乗りになられる舟(教会)が来て、降ろされてくる網を見たとき、この人々は網から逃げ出すのではなく、自らすすんで網の中に入り、引き上げられて救われるのです。それゆえに網を降ろすのは、それがわかる昼間でなければなりません。

 朝に、イエスをお乗せするために舟を用意し、イエスの御言葉を集まる人々と共に聞き、沖に漕ぎ出し漁をする、これが教会と奉仕者の働きです。さらにイエスの弟子である人々は、それぞれの場に行って、イエスからいただいた御言葉のパンを、祈りつつ水に浮かべて流します。このパンを見つける人がいますように、その人が湖でイエスさまのお乗りになった舟を見いだし、救いの網に入ってくれますようにと祈り願いつつそれをおこなうのです。

 

 今朝、お話ししてきたことをまとめてみましょう。

わたしたちは、日曜の朝毎に、いこいの水のほとり、主イエスのもとに集まり、御言葉と聖餐によって養いをいただきます。さらに、教会の業として、主イエスをお乗せした舟を沖に出して救いを待つ人々のところに行き、信頼をもって網をおろします。それを終えるとわたしたちは、それぞれ福音の種と主の命のパンを携えて、生活の場に出かけていき、風にゆだねて種を蒔き、水に浮かべてパンを流すのです。

この場には、求道中の方もおられることでしょう。主イエスの御言葉は、罪(自分を神としてきたこと)に気づかせてくれるだけでなく、いつも主イエスが共にいて愛と救いを与えようとしておられることにも気づかせてくれます。教会は、そうした方々の救いを願って礼拝を守り、パンを流すことと沖に出て網を降ろすことを行っているのです。

 はじめに言いましたように今、人々は宗教に対して厳しい目をむけています。教会の営みである伝道すること、信仰を継承すること、献げることなどについてです。教会は、自分たちの利益の営みとしてあるのではなく、主の救いの計画と隣人愛の実現のために立てられていることを判断の基準といたしましょう。これからの教会とそこに連なるわたしたちの働きが、主のみ旨に適うものであることを願います。

 
2023. 1. 8(降誕節第3主日)礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

「『谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

(ルカによる福音書3章5~6節)

 

「 世にある人々へ 」       仁村 真司 教師

 

< 今 週 の 聖 句 >

「『谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

(ルカによる福音書3章5~6節)

 

「 世にある人々へ 」       仁村 真司

 「皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主・・・」(3章1節)と今日の箇所は年代を示す記述から始まっています。西暦、紀元では後28か29年ですが、その時点ではどこで誰が支配者だったかを並べることによって年代を示すというのは古代の歴史記述によく見られることです。

 ルカはイエスの誕生の年についても「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これはキリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である」(2章1・2節)とその時点の支配者、その政策によって示しています。

 もっともこの住民登録は紀元後6年に行われているので、その年に生まれたとしたら「皇帝ティベリウスの治世の第十五年(西暦28、9年)」にイエスは二十二歳、とすると3章23節「イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳」と辻褄が合わなくなります。

 ・・・と、こんな具合に必ずしも正確とは言えないのですが、この世の支配者、その支配、この世の制度等によって、今日の箇所では洗礼者ヨハネの・・・というよりも、イエスの活動開始、受洗の年を示そうとしています。

 これは使徒言行録と合わせて初期のキリスト教の歴史を世界の歴史の中に位置付ける、そういう歴史家的な意図がルカにあったからと考えられますが、それだけではないのでは・・・と近頃は思うようになりました。

  1)

 さて、今日の箇所の並行記事はマルコ福音書、そしてルカ福音書と同様にマルコ福音書を直接参考にして記されたマタイ福音書にもありますが、「皇帝ティベリウスの治世の第十五年・・・」というように、この世的な、というのは世間一般に通じるような仕方で、年代を記しているのはルカだけです。そしてまた洗礼者ヨハネの言動も「この世的」になっているような気がします。

 「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたか」(7節)以下のヨハネの言葉。「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」(9節)まではマタイ福音書(3章7~10節)とほぼ同じですが、その後の10~14節はルカにしかない、独自の文章です。ここを見てみましょう。

 そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるためにやって来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。

この箇所は「身分説教」と呼ばれることがあります。各々身分相応にやれ

ることをやりなさい、決められた範囲を逸脱しないで真面目に職務を果たしなさいということなのでしょうか・・・。元々洗礼者ヨハネの言葉として伝わっていたのか、それともルカがヨハネならきっとこういうことを言うだろうと考えて記したのか、出所はわからないのですが、「らくだの毛衣を着、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた」というヨハネ(マルコ1章6節・マタイ3章4節、ルカにはこのような記述はありません)にしては随分現実的で平凡、この世的なことを言っているように思えます。

  2)

 今日の箇所でルカに特徴的な所は他にもあります。4節以下は預言者イザヤの言葉ですが、「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。

 ・・・マルコ・マタイ福音書ではここ(イザヤ書40章3節)だけですが、ルカは更に4・5節も引用しています。

  谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐ  

に、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

 マルコとマタイは、この世の現実の在り方、支配原理に囚われることなく、それとは全く別の、次元の違う神の支配に今すぐに備え、従って行くべきことを主張、強調していると考えられます。

 これに対してルカは、今の私たちと同じように、それぞれの時代に、それぞれの場所で、この世の現実を生きる人々に「・・・曲がった道はまっすぐに、でこぼことの道は平らになり」、神の支配がもたらされるとこのようになるとたとえで示し、そしてその時「人は皆」、全ての人々が「神の救いを仰ぎ見る」・・・。

 「では、わたしたちはどうすればよいのですか」、この世の現実を生きる私たちは今どうすれば良いのかと問う人々に平易・具体的に「こうしなさい」とヨハネが答える「身分説教」(10~14節)と合わせて考えると、ルカが強調している、伝えようとしているのは神の救いに入る、その可能性は全ての人々、どんな人にもあるということではないかと思います。

  3)

 おそらくルカの念頭にあるのは、この世を生きている、このようにしか生きられない、そんな自分が神に従おうとしてもどうすればいいのかわからない、自分は神につながっているのか等と不安になっている人たちです。

 マタイ福音書では天の国(神の支配)に入るにはイエス・キリストにより完成された律法に徹底的に従わなければならないとされています(5章17~20節)。どんな人にも可能性があると言えなくもないですが、例えば「昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。・・・腹を立てる者はだれでも裁きを受ける』」(5章21・22節)とは腹を立てるのは殺人と同じ、だから腹を立ててはならないということです。これに従うのは私には間違いなく無理です。

 ルカ福音書と使徒言行録の「ルカ文書」では、神から聖霊を与えられることによって神との結びつきがはっきりと示されます。この点はマルコ福音書と同じですが、マルコで聖霊を与えられ、神と直接結びついていることが示されているのはイエス一人だけです。(1章10節)

ルカ文書ではイエスの他にも聖霊を与えられている人がいて、使徒言行録では使徒や他にも多くの人が与えられていますが、全ての人が与えられている訳ではありません。

 聖霊は、人が与えてもらおうと思って与えられるものでは勿論ありませんが、ルカは「聖霊を与えられていない人のことは知らん」と放っておくのではなく、聖霊を与えられていない人たちに、「でも、それは今のところは・・・ということなのだから、あなたなりにやればいい。それぞれが今この世の現実の中で与えられている役割を果たして行けばいい」と言っているような気がします。

 人それぞれの思いや意志、心理学の言葉で言えば自我が、聖霊や神の働きに対しては全くの無力であることは言うまでもありません。そしてまた、世の中の流れ、在り方や他の人たち、自分のことについてさえ、何か変えられる、影響を与えられる所はあるとしても、実はほんの僅かでしかない。

しかし、それがどんなものであっても、他の多くの人からすれば到底理解出来ないようなものであったとしても、一人一人のこの世の生の道筋は神の救いにつながり得る、つながっている。今日の箇所によってこのことが示されていると思います。

 
2023. 1. 1 元旦(降誕節第2主日)礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

いかに幸いなことでしょう あなたの家に住むことができるなら まして、あなたを賛美することができるなら。 いかに幸いなことでしょう あなたによって勇気を出し 心に広い道を見ている人は。・・・あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。  (詩編84編5・6・11節)

 

「いかに幸いなことでしょう」  深見 祥弘牧師

 

< 今 週 の 聖 句 >

いかに幸いなことでしょう あなたの家に住むことができるなら まして、あなたを賛美することができるなら。 いかに幸いなことでしょう あなたによって勇気を出し 心に広い道を見ている人は。・・・あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。     (詩編84編5・6・11節)

 

         「いかに幸いなことでしょう」     深見 祥弘

 明けましておめでとうございます。御子ご降誕の恵みの中で、主の年

2023年を迎えることができました。今年もよろしくお願いいたします。

 先月12月24日、厚生労働省は、2020年の都道府県別平均寿命を発表しました。都道府県別平均寿命、男性の第一位は、我が滋賀県で82.73歳、女性の第一位は岡山県で88.29歳でした。女性の第二位は滋賀県の88.26歳でした。(全国平均は、男性81.49歳、女性は87.60歳でした。)

なぜ滋賀県が長寿県であるのでしょうか。県健康寿命推進課によると、県内男性の喫煙率が全国で最も低いことと、男女の食塩接取量が全国の中でも低いこと、さらに日頃から、からだを動かすことを心がける人も多いこと(例えばボーリングや水泳をしている人が全国三位、四位)などが長寿の理由と考えられるとのことでした。三日月大造知事は、「県民一人一人が健康的な生活習慣を続けてきた結果だと思う。・・・全ての県民が元気で健やかな生活を送ることができる『健康しが』の実現に取り組む」とのコメントを発表しました。

 

 2023年元旦、この主日に読む聖書日課の一つが、詩編84編です。詩編84編は、エルサレム神殿に到着した際の巡礼者の喜びの詩です。9節、10節に王のための執り成しの祈りが記されてされていることから、分裂王国時代南王国ユダの巡礼歌と考えられます。(※異なる説もあります)

 1節には「指揮者によって、ギティトに合わせて。コラの子の詩。賛歌。」と書かれています。この詩編が神殿で歌われる際、弦楽器の一種ギティトの演奏に合わせ、神殿で働きをするレビ人の一族、コラ族が聖歌隊として奉仕をしました。

 2~5節では、巡礼者が神殿を見上げながら、「万軍の主よ、あなたのいますところは どれほど愛されていることでしょう。」と歌います。さらに巡礼者は、神殿で働きをする人々に目を向けて歌います。この都に住み、日々神殿に仕えることのできる人は、「いかに幸いなことでしょう」と。巡礼者から見て最も幸福な人々は、神殿にいて神をほめ讃えることのできるレビ人や祭司たちです。そればかりか、神殿に住む鳥たちをもうらやましく思います。なぜなら神殿には、「命の神」がおられるからです。

 6~8節では、この巡礼者をはじめとする信仰者の幸いが歌われます。「命の神」からくる幸いは、神殿のスタッフだけでなく、「心に広い道を見ている人」(「心の中に大路を敷く人は」共同訳、「大路」は神殿に上るための道)、すなわち神を慕う信仰者にも与えられます。エルサレムへの巡礼の道の途中には、「嘆きの谷」(乾いた谷)を通るけれど、神はそこにも泉を与え、雨を降らせてくださいます。神殿をめざして旅する者は、都に近づくにつれて力が増し加えられ、ついにエルサレムに到着するのです。

 9~10節では、王のために執り成しの祈りがささげられます。「わたしたちが盾とする人」、「あなたが油注がれた人」とは、王のことです。また、これを理想の王・メシヤを待ち望む祈りと読むこともできます。

 11~13節では、神への信頼が歌われます。巡礼に来て神殿の庭で過ごす一日は、これまで過ごしてきた千日にもまさるものです。不信仰の者たちの天幕にいて、いろいろなものに恵まれた日々をすごしても、それはやがて過ぎ去っていきます。巡礼者は、それよりも神の家の門口に立つ物乞いの方を選ぶといいます。主は恵みの源であり、幸いは万軍の主に寄り頼む人に与えられるからです。

 

 詩編84編は、分裂王国時代の南王国ユダで歌われた詩、しかしそれとは異なる説もあると言いました。異なる説とは、84編がバビロン捕囚期にバビロンで歌われた詩と考えることもできるからです。詩人は、捕囚地であるバビロンにいます。これは巡礼も適わない状況にあって、エルサレムに帰り神殿での礼拝を切望していることを歌った心の巡礼の詩です。詩人は、BC597年、第一回バビロン捕囚の際にバビロンに来た人で、エルサレムには、まだ神殿があり王がいます。(BC587年第二回バビロン捕囚時に神殿は破壊され、王はいなくなる) 詩編84編は、この10年間を背景につくられたものと考えられます。3節「主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。命の神に向って、わたしの身も心も叫びます。」捕囚地にいる詩人の切実な叫びです。4節「あなたの祭壇に、鳥はすみかを作り つばめは巣をかけて、雛を置いています。」エルサレムには、まだ王がいますし、残りの住民もいるけれど、この人々の主に対する信仰が弱くなり、神殿が荒廃している様子を歌っています。詩人は、そのような王のために、10節「神よ、わたしたちが盾とする人を御覧になり あなたが油注がれた人を顧みてください。」と執り成しの祈りをささげます。これからの日々、多くの困難が予想されるけれど、主は、わたしたちが嘆きの谷を通るときも、そこに恵みを与えて支えてくれることだろうし、祝福で覆ってくれるでしょうと歌っているのです。11節「主に逆らう者の天幕で長らえるよりは わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。」詩人は、異教の地バビロンで信仰を弱くすることにより、長く平穏に過ごす日々ではなく、多くの困難があっても勇気を出して、神の家を慕い求める日々の方を選びます。まことの幸いは、主に寄り頼む人に与えられるからです。

 

 今、わたしたちの教会には、礼拝に出席できる人と、礼拝に出席できない人がいます。コロナ前も高齢などの理由で、礼拝に出席できない方はおられましたが、コロナ禍の3年間で、これがより明確になりました。出席できない方の中には「主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです」との思いをお持ちの方もおれば、「あなたの祭壇に、鳥は住みかを作り」と歌われるように、信仰が弱くなっている方もおられるかもしれません。そうした時、詩人が弱さを覚える王のために祈ったように、わたしたちも弱さを覚える兄姉のために、執りなしの祈りを献げたいのです。

来住英俊(きし ひでとし)神父著「目からウロコ とりなしの祈り」(女子パウロ会)にこんな祈りの方法が記されています。①あなたの周囲に、今苦しんでいる人がいますか。その中から、この人のために神に祈ってあげたいと思う人を一人だけ選んでください。②その人の姿を思い浮かべてください。今どこで何をしているかを想像してみます。例えば、自分の部屋に座って物思いにふけっている様子をイメージします。③その人を神の柔らかい光が包む様子をイメージします。あるいは、イエスがそばに来て一緒に座ってくださる、何かを親切に語りかけてくださる様子をイメージします。

 

 初めに滋賀県が平均寿命で、男女1位、2位であったと紹介しました。

わたしたちの人生の価値は、時計で計れる客観的な長さで決まるのではなく、主や人との交わりをどのように過ごしたかによって決まるもので、そこにこそまことの幸いがあります。主の年2023年、わたしたちは御元を目指す巡礼の旅を続けますが、互いに執り成しを祈りながら歩みましょう。わたしたちには、執り成しをしてくださる王、御子が共におられるのですから。

 
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