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≪次月 7月(2024)礼拝説教要旨 前月≫

2024. 7. 21 聖霊降臨節第10主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

 

   「世にあって・・・」  仁村 真司教師

< 今 週 の 聖 句 >

                 

 

            「世にあって」      仁村真司

 

2024. 7. 14 聖霊降臨節第9主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。

                (使徒言行録27章34節)

訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。

        (使徒言行録28章30~31節)

 

   「神の約束を信じて」      深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。

                    (使徒言行録27章34節)

訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。

                    (使徒言行録28章30~31節)

 

            「神の約束を信じて」      深見 祥弘

 この夏から一年間、新島襄ゆかりの教会を巡るスタンプラリーが行われます。これは来年、同志社が創立150周年を迎えるにあたり企画されました。お声がけをいただきわたしたちの教会も、スタンプラリーの訪問先に

加えていただきました。この企画では、教会の礼拝に出席することを勧めてくださっています。訪問くださるときには、あらかじめ連絡をいただくことになっています。訪問の方がおられるときにはお伝えいたしますので、歓迎の心をもってお迎えください。

 

 今朝のみ言葉は、使徒言行録27章33~44節です。ここには、パウロのローマに向けての旅(主には船旅)の様子が書かれています。船旅というと優雅な旅を思いますが、パウロたちのそれは、暴風によって難破をも経験する苦難の旅でありました。しかし主の守りと導きをいただいてローマに到着することができました。ここでは、主に忠実である者は、主の励ましをいただき、与えられた務めを果すことができると告げています。

  パウロは第三伝道旅行の後、伝道報告と献金を届けるためにエルサレムを訪れました。その際彼は、神殿を汚したとの誤った訴えによって暴動が起こり、捕らえられました。留置場にいた時、主がパウロに語りかけました。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、

ローマでも証ししなければならない。」(23:11)その後パウロは総督フェリクスのいるカイサリアに移送され2年間の拘束を受けましたが、後任の総督フェストゥスが着任すると、「私は皇帝に上訴します。」と伝えました。パウロは、ローマの市民権をもち、ローマにおいて皇帝の裁判を受ける権利を有していたのです。彼は、与えられていた権利を用い、イエス・キリストの十字架と復活の福音(正しい者も正しくない者にもやがて復活するという希望)をローマに伝えるために、皇帝への上訴を申し出たのでした。

 カイサリアからローマに至る旅は、聖書地図 9 パウロのローマへの旅を御覧ください。拡大聖書をお持ちの方は、後ろに入れております。

イタリア行きが決まると、パウロと数名の囚人は、皇帝直属部隊・アウグストゥス隊の百人隊長ユリウスに引き渡されました。パウロたちは、まず小アジアの沿岸を航行する小型船に乗り、カイサリアからシドン、キプロス島の東方を北上し、キリキア州、パンフィリア州の沖を通ってミラに入港しました。そこで彼らは、イタリア行きの大型船に乗り換えました。この船はアレクサンドリアの船で、276名の人と穀物を乗せていました。エジプトは穀倉地帯で、アレクサンドリアからイタリアへ穀物を運ぶ船が行き来し、ミラはその中継港であったのです。

 さて地中海は、9月中旬から暴風のため航海に注意を要するようになり、11月~3月初旬までは航海のできない季節となります。イタリア行きの大型船はミラを出港すると、強風に悩まされながらクニドス港にきました。その後も強風のため西に進むことができず、南下してクレタ島の東端サルモネ岬を回り、「良い港」と呼ばれる港に錨を降ろしました。その時すでに「断食日」(9月末から10月)が過ぎていました。パウロは「この航海は積み荷や船体ばかりではなく、私たち自身にも危険と多大な損失をもたらすことになります。」(27:10)と言って、出港をやめるように話しました。しかし船長や船主が、この港は冬を越すのに適さないので西に65キロのフェニクスまで行くことを主張し、出港しました。はじめは、穏やかな南風が吹いていましたので数時間で到着のはずでしたが、やがて「エウラキロン」と呼ばれる暴風に襲われました。カウダという小島の島陰に入りましたが、暴風はおさまらず、船は漂流をはじめました。人々は、積み荷の一部や船具を海に捨てて船が沈まないようにし、以来14日間、彼らは太陽も星も見えず、自分たちの位置もわからないまま漂流を続けました。

 パウロは失意と絶望の中にいた人々に語りました。「神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。」(27:22~24) 船はアドリア海を漂流し、14日目の夜、船員たちは、陸地に近づいていることに気づきました。夜が明けるとパウロは一同に食事をするよう勧めました。「どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」(27:34) 276名の人は、十分に食事をし、元気を回復すると座礁を避けるために、残りの穀物を海に捨てました。船は砂浜のある入り江を見つけ、帆を上げて砂浜に向って進みました。しかしその手前の浅瀬に船を乗り上げで座礁し、船尾に激しい波を受けて船は壊れてしまいました。パウロは、泳げる者は飛び込んで岸に泳ぎつくように、泳げない者は、板切れや船員につかまって岸に向うように命じました。

 彼らが到着したのは、マルタ島でした。一行は、そこで冬を越し、春を迎え航海が再開されると別の船に乗ってシチリア島のシラクサ、イタリア半島南西端レギオンを経てプテオリに入港、そこからは陸路アッピア街道を北上しローマに到着いたしました。

 入港したプテオリの町には、キリスト者がいて、パウロは7日間交わりをもちました。またローマのキリスト者たちが迎えにきてくれました。ローマでは、裁判が始まるまで個人で借りた家にいて、番兵の監視下にありましたが、ある程度の自由を認められました。パウロは、まずローマに住むユダヤ人の指導者たちを住まいに招き、自分がローマに来ることになった経緯を話しました。また大勢のユダヤ人たちが来訪したので、神の国について、またイエスについて、朝から晩まで説明を続けました。

これによって少数ではありましたが、イエス・キリストを信じる者が与えられました。このようにして2年間、パウロは自分で借りた家に住み、訪問する者を迎え入れ、自由に神の国を宣べ伝え、イエス・キリストについて教えを続けたのでした。

 

 説教題を「神の約束を信じて」といたしました。使徒言行録は、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(1:8)この言葉が、どのように使徒たちを通して実現したのか、「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」(23:11)この言葉がどのようにパウロを通して実現したのかを書いています。幾多の困難にあっても、主の言葉に対する使徒やパウロの信仰がそれを可能としていることを知るのです。そしてこれは、わたしたちにも引き継がれています。「訪問する者はだれかれなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」これが、わたしたちに託されている務めです。そして、主がどのようなときもわたしたちを守ってくださる。これがわたしたちに与えられている信仰なのです。 

2024. 7. 7 聖霊降臨節第8主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。                                

  (使徒言行録24章15節)

 

    「復活するという希望」    深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。                                  (使徒言行録24章15節)

 

           「復活するという希望」      深見 祥弘

先週1日(月)米原市で大雨による土砂崩れが発生し、市は127世帯313人に対し「緊急安全確保」を発令しました。全国では雨が降らず高温となり

農作物に被害がでている地域もあれば、豪雨による被害がでている地域もあるなど、かたよりがみられます。イエスは「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」(マタイ5:45)と教えられましたが、なかなかそのようにはなりません。

 

 今朝のみ言葉は、使徒言行録24章10~21節です。ここには、ローマ総督フェリクスに対するパウロの弁明が記されています。この弁明に至るまでのことを、お話します。パウロは、第三伝道旅行(主にアジア州エフェソへの伝道)を終えると、各教会からの献金を携えてエルサレムに来ました。パウロはエルサレム教会を訪れ、伝道報告をいたしました。教会の長老たちは、パウロから異邦人伝道の成果を聞き、神を讃美しました。しかし同時に長老たちは、パウロに関するあるうわさを心配していました。それは、パウロが異邦人社会に暮らすユダヤ人に対し、律法は守らなくてもよいと教えているというものでした。

 先に行われたエルサレムでの使徒会議(15章)おいて、異邦人キリスト者は割礼を受ける必要がないこと、律法という重荷を負ないことを決議しました。ただしユダヤ人キリスト者の心情を思い、異邦人キリスト者は偶像にささげた肉を食べることはせず、みだらな行為をさけることを確認しました。

 長老たちは、パウロに関するうわさが偽りであることを示すために、彼に「ナジル人の誓願」に協力するよう求めました。この時、エルサレム教会の4名が誓願を立てていましたが、誓願期間中に儀式上の汚れを犯し、神殿で7日間清めの儀式を受けることになっていました。長老たちはパウロに対しこの清めの儀式に参加しその費用を負担することで、彼が律法に忠実であることを示すようにと提案しました。パウロは、この提案を受け入れ、4名の誓願者と共に清めの儀式に臨みました。

 さてエフェソから来たユダヤ人が、神殿の内庭(イスラエル男子の庭)にいるパウロを見、また同じ内庭にいた4人の誓願者の一人をトロフィモ(エフェソの異邦人キリスト者)と見間違いました。エフェソから来たユダヤ人は、パウロが異邦人をイスラエル男子の庭に連れ込んだと訴え、騒ぎとなりました。治安を司るローマ軍の千人隊長は、パウロを兵営に連行しましたが、パウロが人々に弁明をしたいと願ったのでそれを許しました。しかし、人々の怒りはさらに激しさを増しました。ヘブライ語でなされるパウロの弁明も人々の怒りの理由も、千人隊長には理解できず、パウロを再び兵営の中に入れ、鞭で打って理由を知ろうとしました。その際パウロが「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか。」(22:25)「わたしは生まれながらローマ帝国の市民です」(22:28)と言ったので、千人隊長は驚き、正規の手続きをとることにしました。

 

千人隊長は、ユダヤ人たちの訴えがユダヤの宗教問題であったので、祭司長たちに最高法院の招集を命じ、裁判を行わせました。その席でパウロは「兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです。」(23:6)と議員たちに語りました。最高法院は、多数派で復活を否定するサドカイ派の議員と、少数派で復活を認めるファリサイ派の議員により構成されていました。パウロが、死者の復活を理由に裁判にかけられていると発言したことで、法廷では両派による神学論争が起こり大混乱となりました。「(パウロが)彼らに引き裂かれてしまうのではないかと心配」(23:10)するほどの状態になり、千人隊長はパウロを兵営に保護いたしました。夜、パウロは主の言葉を聞きました。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証ししなければならない。」(23:11)

 千人隊長は、暗殺集団がパウロを狙っているとの知らせを聞きました。そのため千人隊長は、より警備のしやすい、総督フェリクスのいるカイサリアにパウロを護送することにしました。

 

 パウロがカイサリアに到着して5日後、大祭司アナニアはユダヤ教の長老数名と弁護士テルティロを伴い訴え出ました。「この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の主謀者であります。この男は神殿さえも汚そうとしましたので逮捕いたしました。」(24:5~6) この訴えに対しパウロは総督に、自分がエルサレムに来たのは「援助金を渡すため、また供え物を献げるため」であったと言いました。すなわちこの間、わずか12日であり(7日間の清めの期間とエルサレム~カイサリア護送の5日間)、この短期間に騒動を計画し実行するなどできないこと、そしてエフェソからエルサレムに来たユダヤ人が誤解し、群衆を先導して騒動を起こしたと弁明しました。さらに、大祭司たちは、わたしを『ユダヤ人の分派』の主謀者と訴えているが、イエス・キリストの道が先祖の神に仕え、律法や預言者たちの書いていることを全部信じるものであるので、訴えている者たちと同じ信仰であること、「復活」についてもユダヤ人の中に信じる者もいることを話しました。

 神殿での騒動は、エフェソから来たユダヤ人たちの誤解によって起こったことであり、最高法院での混乱は死者の復活の問題についてであって、訴訟の対象になるようなことではないと弁明したのでした。

 

 説教題を「復活するという希望」としました。パウロの総督フェリクスに対する弁明の中の「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。」との言葉からとりました。先ほど、サドカイ派は復活を否定し、ファリサイ派は復活を信じていると話しました。

そのファリサイ派は、正しい者の復活、すなわち神を信じ、律法と預言書を忠実に行う正しい者が、復活し救われると考えていました。これに対してパウロは、正しい者だけでなく正しくない者も復活するという希望を抱いていると述べています。それは、ナザレ人イエス・キリストの十字架の贖いと復活による恵みによって、その希望を抱くことができるのです。イエスは、正しくない者の救いのために十字架に架かられたからです。 

 パウロは、総督フェリクスの後任、総督フェストゥスが就任すると「私は皇帝に上訴します」と宣言しました。エルサレムの兵営にいた時、主が現れ「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証ししなければならない。」と言われたことを神のご計画と確信したのです。彼は多くの苦難を経験する中でもこのように守られてきたことは、イエス・キリストの十字架と復活の福音(正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望)をエルサレムからローマに届けるためであったと確信したのです。かつてイエスは「父は正しい者にも正しくない者にも太陽を昇らせ、雨を降らせてくださる。」と教えられましたが、その太陽と雨の恵みとは、すべての人が抱くことをゆるされる復活するという希望のことであったのです。

 伝道者パウロは、ここにいるわたしたちもイエス・キリストの十字架と復活の恵みより復活の希望を抱くことができると伝えています。

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