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2024. 5. 5 教会創立123年記念礼拝(復活節第6主日)
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< 今 週 の 聖 句 >

あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。                                                                    (ヨハネによる福音書16章33節)

 

   「世に勝っている」    深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。                 (ヨハネによる福音書16章33節)

 

            「世に勝っている」       深見 祥弘

 教会創立123周年を迎えました。私たちの教会は、1901年5月9日「八幡組合基督教会」という名で設立されました。着任以来、少しずつ教会の歴史をたどってきました。昨年のこの礼拝では「社会的混迷の中の教団と教会」というテーマで、1968年~1977年頃の教会や教区・教団についてお話いたしました。13回目となる今回は、「地域に開く教会」(百年史)をテーマに、1978年~1992年頃の教会についてお話いたします。

 この期間、牧師・教師として働きをしてくださったのは、高橋昇牧師(1978年4月~1991年5月)、高橋津賀子牧師(1991年6月~1992年3月)、そして代務者府上征三牧師(1992年4月~1993年3月・洛陽教会)でありました。また担任教師として、山本光一、入 治彦、柴田もゆる、片岡広明、森下耕各教師、名誉牧師は高橋虔教師、在籍教師は坂本雅紀教師でありました。

 高橋昇牧師と共に働きをした教会を顧みる時、課題としたことが三つありました。課題の一つは、「伝道する教会」です。この頃、現在と同じく年間標語を定めていますが、幾つか紹介しますと、「福音を宣べ伝えよ」、「伝道する教会―創立80周年に向って」、「伝えよう、主のよろこびを。一人が一人に」とあります。「百年史」には、高橋昇牧師が「慎重な中に強い宣教の使命感をもって牧会にあたっていくことになる」と書いています。背景に、前任の赤阪牧師が働きをされた時、近江兄弟社との関係(近江兄弟社宣教部と教会が一体化してきた関係)を解消し町の教会となったこと、(株)近江兄弟社の倒産と再建といった出来事があります。こうしたことによって、教会は宣教の主軸をこの町の人々に向けることが必要となりました。「教会が地域社会にあって祝福の基」(百年史)となることを宣教の課題としたのです。1980年には、伝道部、青年会、高校生会の奉仕により堀上地区での開拓伝道がはじまりました。しかし1987年には、この堀上土曜学校を休止することになりました。近江兄弟社と教会が結ばれていた時は、年毎に新たな方々が教会のメンバーとなりましたが、それがなくなり、在籍教会員の年齢が高くなる(高齢化)ことでいろいろと問題が生じ始めたのです。堀上土曜学校も、奉仕していた青年たちが社会人となり、後を継いで働きをする青年たちがいなくなりました。また教会の働きの母体となっていた婦人会、組会もまた、会員の高齢化と女性たちの社会進出によって、これまでのように活動ができなくなりました。1985年には、永眠者数が受洗・転入者数を上回るようになり、礼拝出席が困難になる高齢者の増加、さらにCS生徒数が全国的に急激に減少する現象が、私たちの教会でも現れてきました。百年史には、「これが、今後の教会の課題であると定期総会報告書に総括されているが、抜本的な対策は提示できていない。」と記述されています。

 課題の二つ目は、会堂の焼失と再建についてです。教会が創立80周年を迎えた年、1981年12月27日の礼拝後に会堂から出火、外形を残す形で焼失しました。そのため1982年1月より教育館CSホール、そしてYMCA体育館をお借りして礼拝・集会を行いました。同月、臨時教会総会を開催し、会堂再建を決議しました。外形の残った会堂を修復する案も出されましたが、新しく立て直すことに決定しました。年間標語を「艱難・練達・希望―教会の再建をめざして」とし、教会員一同が物心両面で一致協力することを呼びかけました。会堂建築のために教会員や外部に会堂献金の協力を願い、6千万円の予算で新会堂の建築に取り掛かりました。1982年12月26日上棟式、1983年5月8日創立記念日に献堂礼拝、式典・祝賀会を行いました。さらに、1984年8月には、教会総会で「旧地塩寮を3500万円で購入する件」を決議し、購入と改修工事を行い、牧師館として使用することとしました。会堂・牧師館は、地区や教区の教会関係集会に、また地域にも開放して利用してもらうこととしました。しかし、会堂再建に際しては、20名余りの兄姉が教会を離れてしまわれたことも記憶に留めなければなりません。

 課題の三つ目は、1989年の「天皇の代替わり」をめぐることです。「代替わり」に際し、天皇制と教会をめぐって教団・教区・滋伝協において集会等が催され、活発に議論がなされました。当教会においても、この年の標語を「イエスは主である―信仰告白に学ぶ」とし、2月、社会部青年部共催での学習会「キリスト教信仰と天皇制」(講師、教団総会議長後宮俊夫牧師)を開催しました。また同月伝道部教育部共催の特別礼拝にも後宮俊夫牧師を招き説教「キリストに従う者」、同日行なわれた信徒学習懇談会で「戦争責任告白を学ぶ」とのお話を聞きました。

 13年間教会に仕えてくださった高橋昇牧師は、1991年5月6日召天されました。1991年6月より1992年3月まで高橋津賀子牧師が任を負うてくださり、4月より府上征三牧師(京都教区議長、洛陽教会)が代務者として働きをしてくださり、1992年4月、佐藤與紀牧師が着任されました。

 今朝のみ言葉は、ヨハネによる福音書16章25~33節です。この箇所は、

13章から始まり17章で終わる「イエスの決別説教」の結びの部分です。

イエスは、最後の晩餐の席で弟子たちにご自分が捕らえられ十字架に架けられ、神のもとに帰ることを告げます。またその際、弟子たちがイエスのもとから逃げ出すことを予告します。同時にそんな彼らに希望の言葉を与えられました。その希望とは、イエスが十字架の業を成し遂げ父のもとに帰った後、弟子たちに聖霊が与えられること、聖霊が与えられるとはっきりと父なる神のみ旨を知ることのできるようになることです。さらに聖霊が与えられるその日より、弟子たちはイエスの名によって父なる神に祈ることができるようになり、その祈りが聞かれることです。祈りの聞かれる理由は、弟子たちがイエスを父から派遣された神の子であることを信じ、父の愛が彼らに留まるようになるからです。後に弟子たちは、イエスのもとから逃げ出し、閉じこもる家においてこのイエスの言葉を思い起こしたのです。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」ここで言う「世」とは、神と人、人と人とを分断し孤立させる存在のことです。「世」は一度、イエスと弟子たちを分断させることに成功しました。しかし主イエスの名によって弟子たちが祈ることで、弟子たちと主イエスはしっかりと結ばれ、また弟子たちが互いに結ばれ、苦難の中にあっても勇気をいただくことができたのです。そして弟子たちは、閉じこもっていた家を出て、伝道にいそしむようになったのです。十字架と復活の主イエスが弟子たちと共に世と戦われる時、すでに彼らは分断と孤立をもくろむ世に勝利をしているのです。

 

 2024年の私たちが教会の課題としていることの多くが、今朝お話した1978年~1992年頃に端を発するものであることを知りました。CS生徒の減少、教会員の高齢化、永眠者が入会者を上回る状況、教会施設の老朽化、教会員の社会進出と多忙、そして個人主義などです。私たちが福音宣教の働きをする「世」は、イエスと人の関係、人と人との関係を分断し孤立させようとする存在です。しかし父なる神が神の子イエスによって結んでくださった関係を、世は決して空しくすることはできません。イエスは「わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。」と言われました。私たちには、父なる神と主イエスと聖霊なる神が共にいてくださり、イエスの名による祈りによって神と人、人と人とを結んでくださるのです。祈りによってみ旨を知り、希望をもって働きをいたしましょう。 

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