W.M.ヴォーリズが愛した教会
近江八幡教会
日本キリスト教団
2026. 8. 9 聖霊降臨節第12主日礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。
(エフェソの信徒への手紙5章21節)
「キリストが愛するように互いに」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。
(エフェソの信徒への手紙5章21節)
「キリストが愛するように互いに」 深見 祥弘
「痛いの痛いの飛んで行け!」 子どもの頃、転んで泣いているとお母さんが駆け寄ってきて、「どうしたの。どこが痛いの。大丈夫、大丈夫。」と声をかけ、痛いところをさすりながら、「痛いの痛いの飛んでいけ!痛いの痛いの飛んでいけ!」と大きな声で言ってくれた、こんな経験のある人は多いのではないでしょうか。痛いところをさすってもらいながら、このおまじないのような言葉を聞くと、不思議と痛みがやわらぐように思いました。
先日、新聞にこんな記事をみつけました。それは、九州大学の研究グループが、「痛いところをさすると痛みが和らぐ現象の神経メカニズムの一端を解明した」という内容でした。わたしたちの皮膚には、外からの刺激を感じ取る「感覚神経」が張り巡らされています。その「感覚神経」には、触れられたことを伝える「触覚神経」や、痛みを伝える「痛覚神経」などがあります。けがをした時、痛いところに触れて痛みを和らげようとする行動は、人間だけでなく動物にも見られるそうです。研究チームは、皮膚に痛みを感じると、その場所をなめるマウスの行動を観察し、ある特定の触覚神経を取り除いた状態で痛みを与えると、なめつづける時間が通常の約5倍になった。また痛みを与えた際に、その触覚神経を刺激すると、なめ続ける時間が通常の半分近くに減った、その際に脊髄を観察すると、「痛覚神経」から出る「痛み信号」を脳に伝える神経の反応が低下していた。こうしたことから「痛み信号」の伝わりが、触覚神経から出ている「触覚信号」で抑制され、脳で感じる痛みが和らぐことが分かったとのことでした。(7/31毎日新聞)
今朝のみ言葉は、エフェソの信徒への手紙5章21節~6章4節です。ここでは、人に対する神の和解が教会に実現していることを伝えています。
エフェソの信徒への手紙は、「獄中書簡」と呼ばれます。この手紙をパウロがローマの獄中で書いたとすれば、紀元62年頃のことです。パウロは、第3伝道旅行中、3年近くエフェソに滞在いたしました。そして、この手紙はテキコによってエフェソに届けられました。
この手紙のメッセージは、「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」(1:23)、この言葉に集約されます。ここには「充満(プレーローマ)」という言葉が使われていますが、教会は、すべてのものを満たしている方(キリスト)が、すべてのものを満たしていく場であると述べられています。教会は信仰者の集まる人間的な集団ではなく、神の救いの働きの具現化であるというのです。
5章21節から33節には、妻と夫に関する教えが述べられています。今のわたしたちには、抵抗を感じる表現もあります。特に妻に対する言葉にそれは見られます。「妻たちよ、自分の夫に仕えなさい。」(22)「夫は妻の頭だからです」(23)「妻もすべての面で夫に仕えるべきです」(24)「妻は夫を敬いなさい」(33)。これらの言葉から、これは二千年前の手紙なのだからしかたがないと考えるべきものなのかもしれません。反面、この言葉から、日常妻たちが夫をないがしろにしていたのかもしれないと推測することもできます。
まず皆さんにお示ししたいのは、21節に「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。」と書かれていることです。これは、妻と夫の関係について述べるパウロの根本的な言葉です。すなわち妻に対して一方的に「仕えなさい」と言っている訳でなく、妻は夫に仕え、夫も妻に仕えなさいと教えています。しかも「キリストに対する畏れをもって」と言っているのです。「キリストに対する畏れ」とは、キリストが全ての人のために、十字架の死と復活をもって仕えてくださったことからくる畏れです。妻たちよ、夫たちよ、キリストがそのように仕えて下さったのですから、キリストへの感謝に押し出され、あなたがたも互いに仕え合いなさいということです。22節「主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい」とあるとおりです。
続く夫に対する教えには、「妻を愛しなさい」(25)、「妻を自分のように愛しなさい」(33)とあります。これは日頃、夫が妻をないがしろにしているということでしょうか。25節には「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい」(25)と教えています。キリストの愛は、十字架における愛です。キリストは愛することのできない者を十字架の愛によって贖い赦してくださった。それゆえにキリストに愛され赦された者として、「夫よ、妻を愛しなさい」と勧めるです。
6章1節からは子と親に対する教えが短く綴られています。「子供たち、両親に従いなさい」(1)、「父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい」(4)。親が子を力によって支配している状態とも、子が両親に反抗していると状態とも受け取れます。この手紙は、「子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい」「父親たち、主がしつけ諭されるように、育てなさい」と勧めています。親も子も、主に愛され仕えられている者(主に結ばれている者)であるので、子は親に仕え従い、親は子を、愛をもって育てなさいと教えています。
さらにこの妻と夫、親と子の関係は、キリストと教会の関係をあらわすものです。教会がキリストに仕えるように、妻は夫に仕える。キリストが教会を愛するように、夫は妻を愛する。教会がキリストに従うように、子供は親に従う。キリストが教会を育てるように、親は子をしつけ諭し育ててる。 そして妻が主に仕える具体的なことの一つが「夫に仕える」ことであり、夫が主を愛する具体的なことの一つが「妻を愛する」こと、そして子が主に従う具体的なことの一つが「両親に従う」こと、親が主を敬う具体的なことの一つが「子を諭し育てる」ことであるのです。キリストが頭、教会は体、これは関係の優劣を示すものではなく、その一体性をあらわすものです。
さきほど、「痛いの痛いの飛んでいけ!」の話をしました。なぜそれを話したのかというと、それは「わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。わたしたちは、キリストの体の一部なのです。」(29.30)との言葉によってでした。
キリストが頭で、教会は体、わたしたちはそれに連なる肢体です。キリストは、今も傷つき痛む教会とそこに連なる人々に手を置いて、いたわり、その痛みを和らげてくださいます。手紙の著者パウロは、獄中にいて痛んでいました。手紙を受け取ったエフェソの教会も、迫害の中で痛みを経験していました。キリストは、そんなエフェソの教会や人々に手をおき、その痛みを我がものとしていたわってくださり、痛みを和らげてくださいます。パウロは、誰からもいたわりを受けることのなかったキリストの十字架の痛みに感謝しつつ、互いにいたわりあって、キリストの体なる教会をたててゆこうと励ましているのです。
キリストがわたしたちの痛みに手を置いていたわり「痛いの痛いの飛んでいけ!」と言ってくださったことに感謝し、わたしたちも互いの痛みに手を置いて「痛いの痛いの飛んでいけ!」と愛し仕えてゆきましょう。
2026. 8. 2 聖霊降臨節第11主日(平和聖日)礼拝

< 今 週 の 聖 句 >
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。 (ヘブライ人への手紙12章11節)
「鍛え上げられた人々」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。 (ヘブライ人への手紙12章11節)
「鍛え上げられた人々」 深見 祥弘
「たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える。」 宗教改革者ルターの言葉です。なぜリンゴの木を植えるのか、それは今日の営みに連なる未来のためです。「未来はない」と言うのにどうして植えるのか、それは神の愛を信じているからです。
この言葉を、信仰をもって実行した人がいます。ドイツ人司祭、コルビニアン・アイグナー(1885~1966)です。アイグナーは、バイエルンの地にリンゴ栽培の普及に尽力しながら、ナチスに抵抗し強制収容所に送られた異色の司祭です。
コルビニアン・アイグナーは、1885年5月11日、同名の父コルビニアンと母ヴァルブルガ夫妻の11人の子の長男として、農村ホーエンポルディンクに生まれました。彼の家は、カトリックの信仰に篤く、農家でありました。彼は、子どもの頃から聖職者としての道を歩むことを決めていました。
アイグナーは、リツェーウム(後の哲学神学大学)神学部で学び、生まれた村に自ら設立した「果樹栽培農家協会」の指導員としても働きをいたしました。1911年、26才の時、司祭に叙階されます。その成績証明書には「神学よりも果樹栽培家を志している。司祭としての義務を十分自覚し、人間のあり方を深めることを考えなければならない」と記載されていました。このような評価により、彼は田舎まわりの司祭として26年間に8か所の教区や学校で働きをいたします。しかし彼はそのことを喜び、司祭の働きと共に果樹栽培の普及に取り組みました。
彼が46才の時、ジッテンバッハ小教区(信徒数890名)の主任司祭として働きをした頃、ナチスが台頭し独裁体制を築いてゆきました。そうした中、ドイツ政府とローマ教皇庁が政教協約を結び、カトリック教会指導部は教職者に対し政治的な動きを封印し、体制側との対立を避けるように指示を出しました。しかし政治的な言動を理由にナチスに迫害されたカトリック司祭は、全聖職者の4割にあたる8021名にのぼり、この内、4189名が強制収容所に送られました。アイグナーもそうした司祭の一人で、礼拝説教でナチスを批判し、ゲシュタポ(秘密国家警察)の監視下に置かれるようになりました。こうしたことからアイグナーは左遷され、信徒数288名のホーヘンベルヒャ小教区に移動となりました。
1939年11月、ゲオルク・エルザーの「アドルフ・ヒトラー暗殺未遂事件」が起こりました。アイグナーは、「暗殺実行者が考えていたことが罪であるかどうか、私にはわからない。そうなったら、おそらく百万人の人々が救われたかもしれない。」と発言し、ゲシュタポに拘束され、1940年9月ザクセンハウゼン強制収容所に送られました。55才の時です。1年後、彼はダッハウ強制収容所に移されました。そこは、主に政治犯や反社会分子とされる人々が収容され、収容者は飢えや射殺によって次々と亡くなっていきました。彼は、収容所の隣接地に設けられていた栽培試験場(食料となる作物や薬草を栽培)にて使役させられました。その過酷な状況の中、2つのバラックの間の土地に、120本のリンゴの木を植えました。このリンゴの木は「コルビニアンのリンゴ」と呼ばれ、「大量殺戮を眼にした者の詩的な抵抗の行動」とされ、一部は厳しい監視をくぐりぬけて苗木が持ち出され、抵抗運動を続ける人々に勇気を与えました。敗戦間際の1945年4月、迫りくるアメリカ軍を前にナチス親衛隊はダッハウから撤退を図り、監視の中、7000人の収容者たちは南チロル地方に向けて死の行進を強いられました。アイグナーもその行進の中にいましたが、途中で逃亡し、女子修道院にかくまわれ、5月8日敗戦と解放の時を迎えました。60才でありました。戦後、彼はホーヘンベルヒャの司祭として、またバイエルン州果樹栽培農家連合会の会長として働きをし、1966年10月、81年の生涯を終えました。 (山縣光晶著「ヒトラーを怖れなかったキリスト者たち―ナチスへの抵抗の足跡を旅する―」(彩流社 2026)
今朝の御言葉は、ヘブライ人への手紙12章3~13節です。ここには、神がキリスト者を「鍛錬」するのは、愛しておられるからであり、義という平和に満ちた実を結ばせるためであると述べられています。
前の11章には、旧約時代の信仰者の名が紹介されています。手紙の著者は、この信仰者たちの生涯を証しすることで、今、苦難や試練の中で信仰生活に苦慮している人々を励まそうとしています。旧約の信仰者が証しをするように、この手紙を読む人々も「すべての重荷」や「絡みつく罪」をかなぐり捨てて、忍耐強く走りぬこうと呼びかけます。
そのことにおいて人々が模範とすべきは、イエス・キリストです。イエス・キリストは、世の楽しみや喜びを捨て、十字架の死に耐え、今は神の玉座の右にお座りになっておられます。この御方をしっかりと見つめ走るならば、途中で疲れ果ててしまうことはありませんし、罪人たちの抵抗にも忍耐することができるのです。考えてみるならばこれまで人々は、罪との戦いにおいて、血を流すまで抵抗をしたことがありません。また箴言3章11~12節に書かれている子どもたちに対する勧告を忘れています。そこには、神がキリスト者をわが子として諭され、懲らしめられると書かれています。
「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主は愛する者を鍛えられる。」神は、あなたがたを子としてくださいますので、様々な苦難や試練を主の鍛錬として忍耐しなさい。そして、手紙の著者は読者に語ります。あなたがたには肉の父がいて、しばらくの間は、父親の思いで鍛えてくれました。さらにあなたがたには、霊の父すなわち神がおられ、あなたたちの益となるように、すなわち神聖にあずからせるために生涯、あなたたちを鍛えられるのです。「その鍛錬は、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせます。」
今弱くなっているあなたがたは、この言葉によって力を得て歩みなさい。また今試練により信仰から離れている人たちがもどってこられるように、証しとしてあなたがたの足でまっすぐな道を歩きなさいと勧めています。
アイグナーは、ダッハウ強制収容所にどうしてリンゴの木を植えたのでしょうか。その理由は、リンゴの木を植えること、果樹を栽培することは、彼の変わらない日常であったからではないでしょうか。明日はないと思われる極限の中でも、彼はそれまでと変わらぬ日常を保持していました。このことが、彼に生きる力を与えていたのではないかと思うのです。
二つ目の理由は、臨み来る様々な試練や迫害を、彼は主による鍛錬と受け止めていたからではないでしょうか。「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」このようにアイグナーは、神の愛を信じていた、そしてこれもまた、彼の変わらぬ日常であったということなのではないでしょうか。
「鍛錬」(パイデイア)は、子を意味するパイスから出た語で、子どもを教育するという意味です。神がわたしたちを我が子として鍛え育てておられる日常を知り、わたしたちも神の愛を信じ、義という平和の実を望みながら「リンゴの木を植える」日常を大切にしてゆきたいものです。