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2025. 5.11 復活節第4主日(母の日)礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。                  (マタイによる福音書20章26~28節)

 

       「母の願い」         深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。                  (マタイによる福音書20章26~28節)

 

             「母の願い」         深見 祥弘

 この日、5月第2日曜日は「母の日」です。「母の日」の由来についてお話しましょう。1907年5月12日、アメリカ、ウエスト・ヴァ―ジニア州ウェブスタ―の教会で、ジャービスさんの追悼記念会が行われました。彼女は、この教会の教会学校の先生として26年間奉仕をしました。ある日曜日、彼女は子どもたちに「あなたの父母を敬え」(出エジプト20:12)という言葉を紹介し、「皆さんは、お父さんやお母さんにどんな方法で感謝しますか」と尋ねました。そこにはジャービスさんの娘アンナさんもいました。

 1905年、ジャービスさんが亡くなりました。今から120年前のことです。

そして2年後の1907年5月、追悼礼拝が行われました。アンナさんは、「皆さんは、お父さんお母さんにどんな方法で感謝しますか」という言葉を思い起こし、お母さんの好きだったカーネーションを礼拝堂に飾り、また出席者全員にカーネーションを渡して記念会を行いました。

 翌1908年5月、この教会で最初の「母の日」礼拝が行われ、子どもたち、

母親たち合わせて470名が出席いたしました。また同年、百貨店王ジョン・ワナメーカーさんが、店にカーネーションを飾り「母の日」の催し物を行いました。1914年、アメリカ大統領ウィルソンは、5月第2日曜日を「母の日」に制定し、国民の祝日としました。

 わたしたちの国で「母の日」が祝われたのは1915年のことでした。青山学院のアレキサンダーさんが「母の日」を紹介し、やがて教会や日曜学校で「母の日」を祝うようになりました。記録によると私たちの教会で「母の日」が行われたのは、1932年5月5日のこと、「母の日講演会」が開催され一柳滿喜子さん他の講演がありました。しかし一般に「母の日」が広まったのは戦後のことでした。

 

 今朝の御言葉は、マタイによる福音書20章20~28節、ゼベダイの息子たち(ヤコブとヨハネ)の母がイエスに、王座にお着きになられる時、息子たちを王座の右と左に座らせてくださいと願った話です。20章には、「ぶどう園の労働者」のたとえ、イエスの「第三の受難・十字架・復活の予告」、「ゼベダイの息子たちの母の願い」、そして「エリコで盲人をいやす」話があり、21章「エルサレム入場」記事へとすすむことになります。

  エルサレムに向う途中のことです。イエスは、12人の弟子たちを呼び寄せて言われました。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子(イエス)は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。」(20:18~19)イエスはこれまで二度御自分の受難予告をされましたが、ここで三度目の予告をされました。御自分が、ユダヤの最高議会で裁判にかけられ、死刑を宣告された後、ローマ総督ポンテオ・ピラトに引き渡され、総督の元で侮辱され鞭打たれ、ゴルゴタで十字架に架けられて死ぬ。しかし、三日目に復活すると告げられたのでした。

 イエスが二回目の予告をした時、弟子のペトロがイエスをいさめて、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」(16:22)と言うと、イエスは「あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」(16:23)と言われました。

 さて三回目の予告を聞いた時、ゼベダイの息子たち(ヤコブとヨハネ)はペトロと同じくイエスの受難予告を受け入れられないまま、母親にイエスが「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。」と言われたことを伝えました。母親は息子たちを連れてイエスのところに来てひれ伏し、何かを願おうといたしました。でもその場には他の10人の弟子たちもいましたので、ためらいを覚え願うことができませんでした。

 イエスが「何が望みか」と言われると、彼女は「あなた様がエルサレムに入場し、メシヤとして王の座に着くとき、あなたにつぐ重要な地位を息子たちに与えると約束してください」と願いました。イエスは母親にではなく、ヤコブとヨハネに言いました。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯は、祝杯ではなく、神より差し出される苦難の杯である。あなたがたはこの杯を飲むことができるか」。 二人が「できます」というと、イエスは「確かに、わたしの杯を飲むことになる。しかし、苦難と十字架、そして復活を経て、神の国が到来しわたしが王座に着くとき、わたしの右と左に誰が座るかは、父なる神のお決めになられることである。」と言われました。

 さてこのやり取りを聞いていた10人の弟子たちは、抜け駆けをされたと思い、2人に腹を立てました。これを見たイエスは、一同を呼び寄せて言われました。「わたしは、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た。と同じようにあなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。」

イエスは御自分が人々に「仕える」という目的のために来たこと、御自分を多くの人の「身代金」として献げるために来たことを弟子たちに伝え、あなたがたも「皆に仕える者」の道、「皆の僕」の道を歩めと勧められたのでした。

 

 イエスは、「偉くなりたい者」は「皆に仕える者」になりなさい、「いちばん上になりたい者」は「皆の僕」になりなさいと教えられました。まず人はなぜ偉くなりたのでしょうか。それは、母に認めてもらいたいという思いや人に認めてもらいたいという思いなど、人の評価で自らの存在を確認したいという思いがあるからではないでしょうか。ヤコブとヨハネの場合、彼らには主に認めてもらいたい、母に認めてもらいたい、他の弟子たちに認めてもらいたい、多くの人に認めてもらいたいとの思いがありました。また彼らの母は、息子たちが主に認められ、他の弟子たちや人々に認められることで、母である自分自身の存在を確認したいと思っていました。

 対するイエスは、父なる神からも誰からも認めてもらう必要はありません。イエスは、すべての人の存在をそのままの姿で良しとするために来られた御方です。またイエスは、人の偉くなることで認められたいという思いを担って十字架に架かかり、これを滅ぼし、その人をありのままの姿で受け入れ、良しとし、新たに生きることへと導いてくださいます。十字架と復活のイエスが共にいてくださることで、ヤコブとヨハネは偉くなってお母さんに認められたいという思いから解放され、母親は偉い息子を持つことで人に認められたいという思いから解放されます。僕イエスが十字架と復活をもって仕えてくださったことで、その人が偉いか否かに関わらず、神からも人々からも愛され認められる存在となるのです。

 「あなたは、お母さんにどんな方法で感謝しますか」、ジャービスさんの問いに、アンナさんは礼拝堂にカーネーションを飾り、集まった人々にカーネーションを渡すことで応えました。カーネーションの花ことばは、「あなたへの愛は生きている」です。僕となって仕えてくださったイエス・キリストの、わたしたちへの愛は今も生きています。仕える者とされたわたしたちの、イエス・キリストへの愛も生きています。さらにイエス・キリストによって、わたしたちは互いに愛に生きることもできるのです。 

2025. 5.4 教会創立124周年記念礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

子孫に隠さず、後の世代に語り継ごう  主への賛美、主の御力を

主が成し遂げられた驚くべき御業を。               (詩編78編4節)

 

   「後の世代に語り継ごう」      深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

子孫に隠さず、後の世代に語り継ごう  主への賛美、主の御力を

 主が成し遂げられた驚くべき御業を。               (詩編78編4節)

 

           「後の世代に語り継ごう」      深見 祥弘

 私たちは、この日教会創立124周年を記念し礼拝を守っています。私たちの教会は、1901年5月8日、近江八幡で開催された日本組合教会京都部会の承認を得、「八幡組合基督教会」の名で設立されました。

 先週27日に行われた教会総会において、来年5月3日に教会創立125周年記念礼拝及び記念式典の開催を承認いただきました。さらに来年12月20日、クリスマス礼拝において「近江八幡教会125年史」を発行配布することも報告されました。創立125年は、創立百周年以降の歩みを顧み、主の恵みと導きに感謝するとともに、教会のこれからを覚えて祈り希望を語ることのできる良き節目の時であります。

 今私は、時間のやりくりをしながら「近江八幡教会125年史」の執筆作業を進めています。私の担当は、「2002年12月~2026年3月、教会の歩み・働き」についてです。その作業の中で、今朝紹介しますのは、美藤章牧師の在任中、教会が目標・課題としたことです。

 美藤先生は、2000年4月に就任され、現職のまま2011年12月に召天されました。先生の在任中の年間標語は、「教会の一致と成長」で、これは変わることがありませんでした。また教会の存続の意義については、「こうして年輪を重ねていることは、私たちの教会がこの地における福音宣教のために必要とされ、豊かに用いられている主の民・神の家族(エフェソ2:19)であることの証しにほかならない」と述べておられます。このことも変わることがありませんでした。さらに取り組みの目標・課題としたことは、信仰の継承と教会員の高齢化についでありました。この目標・課題も先生の在任期間、継続して取り組みをしてきたことでありました。

 信仰の継承について:「私たちが常にそのような主の民・神の家族であり続ける土台は、教会員がそれぞれの信仰生活・教会生活において主日礼拝を守ることであります。しかし様々な状況にあって日曜日に夫婦、親子ともに家族そろって教会に出席するのはなかなか難しいことですが、その実現のために両親、或いは夫婦の不断の祈りが必要です。その祈りによって≪時≫が必ず備えられます。そして日曜日には家族で教会に出席し、子たち孫たちが教会学校につながり、幼き時に主を覚える信仰の継承の基礎作りをすることです。」(2007年教会総会)

 高齢化について:「高齢化の課題は日本の社会における現在的、将来的な課題と相俟って、日本の教会における重要な課題の一つです。私たちの教会はその課題への具体的取り組みとして、教会施設や備品のバリアフリー化、高齢者と介護保険制度の現状、施設情報等、また牧会活動として孤独の問題、魂の配慮、看取りの問題等、これまで様々な視点から取り上げ実施してきました。そして教会の現状では、在宅の介護、デイケア施設を利用される方々、介護施設に入所される方々、あるいは元気なうちに子息子女の許に身を寄せられる方々、また殊にこの3年間で、神の御許に召された20名余りの兄弟姉妹の遺族の方々へのケアなどは牧会的配慮、働きとともに、教会の全体的視野に基づく総体的対応が必要であります。」(同)

 

 今朝の御言葉は、詩編78編1~4節です。これは韻文による詩です。1節に「マスキール」とありますが、「マスキール」とは教訓詩という意味です。この詩の題は「歴史の教訓―人の罪と神の忍耐」とでもつけることができるでしょうか。その内容は、出エジプトから荒れ野の旅、カナン到着、ダビデ王国の成立に至るまでの歩みを思い起こし、そこにあらわれてくる人々の罪と神の忍耐、そして主の救いの御業を述べるものです。

 この詩の作者はアサフという人物です。詩編73編~83編には「アサフの詩」と記されています。彼は、ダビデ・ソロモン王室に仕えた神殿楽隊長で作詞・作曲、編集に携わりました。しかし彼の名が記されている詩編の中には、ダビデ・ソロモン後の時代状況を現わす記載もあります。それらは神殿で詠唱者として務めをはたしたアサフの子孫によるものです。歴代誌上25章1~2節に「ダビデと将軍たちはアサフ、ヘマン、エドトンの子らを選び分けて、奉仕の務めに就かせた。彼らは竪琴、琴、シンバルを奏でながら預言した。・・・アサフの子らについては、ザクル、ヨセフ、ネタンヤ、アサルエラ。アサフの子らは王の指示に従って預言したアサフの指示に従った。」

 人々の罪と神の忍耐、そして神による救いの業について、詩編78編にはこう書かれています。まず人々の罪については17~22節「彼らは重ねて罪を犯し 砂漠でいと高き方に反抗した。・・・『荒れ野で食卓を整えることが神にできるのだろうか。・・・民にパンを与えることができるだろうか。』・・・彼らは神を信じようとせず 御救いに依り頼まなかった。」と述べています。

次に、神の忍耐については、23~24節「それでもなお、神は上から雲に命じ 天の扉を開き 彼らの上にマナを降らせ、食べさせてくださった。」とあり、神の救いの御業については、52~53節「神は御自分の民を羊のように導き出し 荒れ野で家畜の群れのように導かれた。彼らは信頼して導かれ、恐れることはなかった。」、72節「彼は無垢な心をもって彼らを養い 英知に満ちた手をもって導いた。」と歌っています。

 アサフは、かつて民が不信仰であったことを子孫に隠すことなく知らせるとともに、主は忍耐し救いに導いてくれたことを「後の世代に語り継ごう」と言っています。それは6~8節「(今の人々に)子らが生まれ、後の世代が興るとき 彼らもそれを知り その子らに語り継がなければならない。子らが神に信頼をおき 神の御業を決して忘れず その戒めを守るために 先祖のように 頑な反抗の世代とならないように 心が確かに定まらない世代 神に不忠実な霊の世代とならないように。」するためです。

 

 2025年度年間標語は「後の世代に語り継ごう―教会創立125年に向けて―」です。「教会創立125年に向けて」の備えとは、わたしたちのために主がなしてくださった御業を後の世代に語り継ぎ、主を賛美することです。 

 来年5月の創立礼拝には、私たちの教会の関係教師をお招きし、「後の世代に語り継ぐ」をテーマにお話を伺いたいと願っています。さらに教会に連なる私たち一人ひとりも、自分たちの弱さや罪、神の忍耐、そして救いの喜びの体験を証ししてゆきます。「宣教牧会方針」にも書かせていただきました。「教会員一人ひとりが、イエス・キリストに連なることの喜びを周りの人々に伝える、証しの生活をする。」、それは私たちの弱さや罪を知っても、主は忍耐してくださり、イエス・キリストによるゆるしと救いに導いてくださった、そのことを家族や周りの人に証しし主を賛美するということです。

宣教牧会方針にもう一つ書かせていただいたことは「教会は、礼拝・集会・行事等に来会される方々に、教会に連なることの喜びを伝えていく」です。教会は、時に主への信頼を弱くし、怠惰になったり諦めてしまうこともあります。そうした中、教会が歩んできた25年間を、また125年間を顧み、教会のもつ弱さや罪を子孫に隠すことなく述べるとともに、主が忍耐し成し遂げてくださった驚くべき御業(イエス・キリストの十字架と復活)を覚え、主を力強く賛美いたします。 わたしたちは祈ります。

「主が成し遂げてくださった御業を、後の世代に語り継がせてください。

喜びをもって教会創立125年を迎えることができますように。

主の平和がこの町に、この国に、この世界に実現しますように。」 

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